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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
3 さすらう花弁
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さすらう花弁・4

羊と弾丸


3 さすらう花弁・4



 くすんだ色の蓬髪と、昏い影のある碧眼。純白のローブには金色の枝葉が刺繍されている。神殿において、神職に就く者だけが着ることを許される特別なローブである。

 ゴルは相手が入室するなりあらんかぎり罵倒してやろうとして浮きかけた腰から、力が抜けていくのを感じた。限界まで水を入れた袋をナイフで切りつけた時のようにあっけなく脱力して、椅子に戻った。そしてやっとの思いで口を動かした。


「トラヴィス、何故……貴様がここにいる?」

「あぁ、お久しぶりにございますゴル殿。義弟が大変お世話になりました。いえね、本当は直接ご挨拶に伺うべきなんですが、イアンの奴がすっかり参ってしまったようでして。今は王都の方に」

「お、王都神殿か」

「えぇ、まぁ、迎えに来て下さったのは協会の方々でしたがねぇ」

 あくまでもにこやかに、和やかに。久しぶりに会った知人に世間話でもするように、トラヴィスは語る。


 だがその笑顔の裏に、とんでもなく冷淡な面が潜んでいることを、ゴルは知っている。嫌というほど。それを疎んで、彼とは不仲とされていた義弟のイアンを担ぎあげ、レルガノ神殿長の座を追い出したというのに。

 この男は、やはり転んだらただでは起きぬ厄介な相手だ。久しぶりに見た神官服姿に、ゴルは忌々しげに顔を歪めた。

「まさか、義弟に代わって神殿に舞い戻ってきたわけではないだろうな」

「そのまさかです。さすが慧眼でいらっしゃる」

 あっさり肯定され、面食らった。それはゴルがまるで考えていなかったことだった。

 すぐに顔を真っ赤に染めて激昂した。

「馬鹿なことを! 一度神殿を去った貴様などに、長が務まるか。そもそも、そんな報告は受けておらん!」

 トラヴィスはおやおや、と目を丸くしてみせた。それはどう見てもわざとらしく、更にゴルの怒りを燃え上がらせることになった。

「きちんと報告申し上げましたがねぇ。えぇ、あれは4日ほど前ですか」

 ねぇ、とトラヴィスは傍らで突っ立っていた新入りを振り返った。自分で開けた扉を閉めることも忘れ、闖入者にただ呆然としていた新入りは狼狽した。話はきいていたのだが、見知らぬ男がせっせと上司に薪を投入していくのと、いとも簡単に燃え上がった上司の混乱ぶりの方が気になって、ほとんど頭に入っていなかったのだ。


 突然ひょいと話を振られて新入りが口ごもっているのを、トラヴィスは責めることはしなかった。これがゴルなら、気の済むまで詰っていただろう。トラヴィスは首を傾げて、再度たずねた。

「何せ各神殿長は、王都神殿より指名いただくもの。その文書は協会支部にも伝えられます。ゴル殿にも届いていなければおかしいでしょう」

「わ、私は知らんぞ。そんな、ふざけた報告があってたまるか」

「おや、そこへ挟まっているのは王都神殿からの文書ではありませんか」

 突然トラヴィスは遮るように声をあげると、つかつかとゴルの机へと近づいて、何の躊躇いもなく書類の束を持ち上げた。丸まったまま潰れている羊皮紙があった。綴じ紐は固く結ばれ、封蝋も剥がされていない。開いてすらいないことは明確だった。それをそっと持ち上げて、トラヴィスはゴルに微笑みかけた。

「どうやらまだお読みでないだけのようだ」

 ゴルは慌ててトラヴィスの手から文書をもぎ取った。がさがさと乱暴に開く。


 この文書到着をもって、イアンの神官職を解く。またこの文書到着をもって、トラヴィスをレルガノ神殿長とする。


「馬鹿な、そんな、馬鹿な……」


 何度も何度も文書を見返したが、書いてあることは変わらなかった。ゴルは文書を持ったまま震えた。沸き立つように熱くなったと思ったら、噴き出したのは冷たい汗だった。

「その文書を受けて急いでやって来た次第です。なにぶん私も久しぶりなものでして、まだ荷物の整理も終わっていないのです。どうも神殿の()()に手がかかりましてねぇ……そうそう、掃除で思い出しました」

 床に落ちた綴じ紐をつまみ上げ、トラヴィスはそっと机の上へ降ろした。

「実は義弟の部屋からこんなものが出てきまして。とはいえ、私にはさっぱりでしたのでねぇ、ゴル殿ならおわかりになるかと」

 そう言って、トラヴィスは何食わぬ顔でゴルの前へ紙の束を差し出した。それらは手のひらほどの大きさで、何やらごちゃごちゃと小さな文字が書き付けてあった。口を挟む余裕も退室する機会もすっかり掴み損ねて放心していた新入りと部下は、ゴルの手元をのぞきこんだ。


 紙の束は、大きさこそほぼ揃っていたが、その断面は歪だった。刃物で裁断されたというより、手で千切ったようにがたがたしている。

 新入りは紙面を見つめて、訝しげに呟いた。

「これは、何ですか? 何かの数字と……ゴル様の、名前?」

「そう、()()()の」

 トラヴィスは大きく頷いてみせた。妙に明るい笑顔だ。

「それからここに、我が義弟の名も。さて、()()()

 ひたり、とトラヴィスの指先が文字を示す。


 これは一体、何の記録ですかな。


「ち、違う……! 私は、私は関係ないぞ! いや、そうだ、イアンの方から持ちかけてきたんだ。私は……巻き込まれた、だけだ」

「ほぉ、義弟はあなたに誘われたといっておりましたがねぇ。それから、他にもいろいろと」

 ゴルは紙の束を激しく握りしめて膝をついた。ぎりぎりと歯軋りする間から、粘ついた呟きが漏れきこえてくる。

「あの腰抜けめ……べらべらと喋りおって……どれだけ……」

 トラヴィスは、床で丸まるゴルを見下ろした。その瞳に一瞬、あまりにも冷たく暗い光が宿ったので、新入りは思わず固まった。

「ゴル殿。あなたに、横領と不正売買の嫌疑がかけられています。心当たりは──勿論、おありでしょうな」


 棒立ちする新入りを横目に、トラヴィスはまたぱっと笑顔を浮かべて唐突に手を打った。

「さぁさぁ皆さん、お仕事ですよ。この方をお医者様のところへお連れしなさい。どうも具合が悪いようだ……あぁ、あなたも、診てもらった方がいいでしょう」

 トラヴィスがそういうやいなや、白のローブ姿の神官たちが次々と入室してきた。皆口元が隠れ、その表情は読み取れない。音もなくゴルを取り囲んで、あっという間に彼を立ち上がらせた。同じように神官たちに拘束された部下は、目を白黒させている。両腕を掴まれた足元は覚束無い。顔面には汗が滲み、どちらも本当に具合が悪そうだった。

「ご安心なさい、とびきり腕のいいのを知っておりますから」

 王都にね。

 それをきいてゴルは声を引き攣らせた。慌てたように身を捩ったが、神官たちはびくともしない。つい先ほどまでふんぞり返っていたその男は、今や誰からも引き止められることなく、甲高く喚きながら部屋から消えた。




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