さすらう花弁・3
羊と弾丸
3 さすらう花弁・3
失敗した。先ほどからそんな言葉しか浮かばない。
暖炉の薪はせっせと燃えていたが、ゴルの手足は冷えきって、ひとつも落ち着かなかった。それどころか、膝も震えていた。
失敗した。失敗した。黙っていればよかった。そうすれば、とりあえずはごまかせたかもしれない。
「あの、ゴル様」
「う、うるさい! 少し黙っていろ!」
何やら新入りの声がした気がするが、反射的に怒鳴りつけて黙らせた。今は役立たずの話などきいている暇はない。
王都にある協会本部への便りは無事届いた。部下たちの話のとおり、あれから3回太陽が昇った日に、返事をくくりつけられた電雷鷹がやって来た。
状況は了解した。早急に周知し、追跡隊を組織せよ。王都からも応援を派遣する。支部で合流しすべての情報を共有すること。なお、本件は王都神殿も了解している。急ぎレルガノ神殿においても伝達されたし。
上質な羊皮紙に、真っ赤な封蝋。協会本部からの了解もとい命令と──その後に続いていた文章は、ゴルを一気に震え上がらせた。
「勝手に王都神殿にまで話しおって……!」
あぁ、やはり言わなければよかったと、ゴルは何度地団駄を踏んだか知れない。膝が震えているのだって、最初は苛立ちからくる貧乏ゆすりだったのだ。
協会レルガノ支部は落ち着いていた。
初めに撫子捕縛に失敗してから士気は下がり、指揮もまったく飛んでこず、すっかり問題を見失っていた。責任者であるはずのゴルは支部長室に引っ込んだきり、喚き散らしてばかりだ。主にその矛先が向けられるのはいつも引っ付いている細身の部下か、ようやく上司の能力に気づいたもののすでに手遅れだった新入りくらいだったので、周囲は本気で何とかしようとは思っていなかった。どうせあの男は怒鳴るくらいしかできぬのだから、放っておいた方が面倒くさくなくてよい。ゴルが怒鳴ろうと黙ろうと、彼らの目の前には事務処理が積もっているのだ。
そうして彼らが火の粉のかからない事務室で、いつものように書類を片付けているところへ、王都からの返事が来たのである。
あぁ、そういえば王都へ報告していたなぁ、などと一部の者は呑気に考えた。電雷鷹を遣わしてからというもの、ゴルが爆発しないようにだけ気をつけていたせいか、もはや忘れかけていた。
新入りは慣れない手つきで羊皮紙を受け取ると、周囲に促されて──というか、役目を押し付けられて──ゴルに差し出し、そして喧しいその男に拘束されてしまった。どうも八つ当たり相手にいつもの部下だけでは足りないらしく、文書を読むなり、そこへ立って待っていろと命じられて動けない。一体何故待たされているのかもわからない。ただ、自分がひどい悪運に雁字搦めにされているのだ、ということだけはわかった。痛いほどに。
何故か気取った様子で給仕をしている部下から紅茶をもぎ取り、ゴルは文書を握りしめながら唸った。ガタガタと机や足を揺らして落ち着かない。
「王都から応援……まさか神官どもか? 情報を共有? そんなことをする必要がどこにある?」
ゴルは紅茶をあおって、顔をしかめた。がちゃんと荒々しく茶碗を置いて、部下を睨みつける。
「何だこの不味い茶は! いつものはどうしたんだ!」
「はぁ」
部下はまたしても勿体ぶったようにゆっくり振り返って、気の抜けた返事をした。元々小さな口をつぼめて喋るのは、彼の癖だ。あまり集中していない時の。
「あれはナトヴァスのものですが、最近手に入りにくいのです。バル・ビレで流行り始めたようでして、ほとんどそっちへ流れてしまっております」
「バル・ビレだと? ふん! 毎日ただ飲み食いしているだけのくせに、奴らが茶葉を独占する権利がどこにある?こっちはレルガノだぞ。神殿が強く望んでいると伝えておけ! いくら阿呆な商人でもレルガノ神殿ときけば、どっちに売るべきかすぐにわかる」
「はぁ、そういたします」
部下の痩身がぱたりと前に倒れた。それがまた緩慢な動きで戻って初めて、新入りは部下が会釈したのだとわかった。それくらい敬意が感じられなかった。しかし指摘するだけの勇気も余裕も、今の新入りにはない。非常に短い間ではあるが共に過ごして、下手に口を挟んだり勝手に移動したりすると、上司が癇癪を起こすということを学び始めていたのだ。
「とにかくイアンと話をするしかない……奴め、何をぐずぐずしとるんだ!」
もう紅茶には手をつけず、ゴルはいよいよ足が床を踏み鳴らすのをおさえられなくなった。
イアンはレルガノ神殿で長を務める男だ。撫子たちが行方不明になったときいてから、ゴルは王都と、レルガノ神殿へと報告を送った。きっちりレルガノ神殿長宛てにしたのである。王都とは比べようもないほど近い。同じ地方なのだから、そっちは同日中に電雷鷹が到着したはずだ。それなのに、神殿側からの返事はない。状況と、とにかく一度会って話そうと、かなり切羽詰まった様子を隠すことなく記したというのに、未だに沈黙している。
「まさか自分だけ逃げるつもりじゃないだろうな」
そう言葉に出してしまってから、ゴルはさっと顔を蒼くした。嫌な予感が背後を這い上がってくる。日頃から評判を気にするイアンが、先に手を打っているのではないか。
もしもそうなったら、あの男はゴルだけを生贄にして、あっさり王都神殿や協会本部に尻尾を振るに決まっている。今までの儲けも全部独り占めする気だろう。
「そんなことはさせんぞ。誰のおかげで上に立てたと思ってる……!」
ふつふつと湧き上がる怒りが、拳を机へ叩きつけさせた。茶碗と新入りが小さく跳ねる。
支部長室の扉が叩かれた。
ゴルはものすごい勢いで扉を睨んだ。先ほどまでイアンに対する文句を考えていたせいで、扉の向こうにいるのはそいつだと信じて疑わなかった。だから何の確認もせずに大声をあげた。
「とっとと入れ、この阿呆め! こんなに待たせおって、一体何様のつもりで」
「何様のつもり、はこちらの台詞ですなぁ」
どっ、という音がした。それはゴルの中だけで響いたものだった。呼吸が浅く速くなる。
開かれた扉の前には、長身の男が立っていた。