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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
3 さすらう花弁
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さすらう花弁・1

羊と弾丸


3 さすらう花弁・1



 優しく掬うように触れる指先の感覚が心地よい。丁寧に髪を梳かれて、子どもはうとうとと船を漕いでいた。つい先ほどまで毛布に包まっていたというのに、髪を整えてもらうとこうやって眠くなってしまう。いつもは深く被っているフードも、自分たち以外に誰もいない屋内だけでなら外すことを許された。


 小さな巻角を避けながら器用に櫛を操るアリスは、歌を口ずさんでご機嫌だ。

「あなたの髪は本当に綺麗ねぇ。やわらかくって」

「…………」

 アリスの髪だって、綺麗だよ。

 子どもは口を開こうとしたが、動かなかった。やはり喉は震えない。何度もそうやって声を発しかけては諦める。唇にも力が上手く入らなかった。




 ◇◇◇




 からからと車輪が回る。

 石の壁ははるか後方へ、撫子たちは商人の列に混ざりながら道を進んでいた。


 空が白み始めた頃に宿屋を引き払い、昨日きいていた大きな道へ向かった。早朝から出発する商人は多く、撫子たちの馬車もさほど目立たない。もっと大きくしっかりとした作りの馬車もあった。乗り合わせ用の馬車は、特に賑やかだ。各々商品を抱えて、同業者たちと世間話で盛り上がっているようだった。

 そしてそんな商人たちはとにかく明るく、話し相手を常に求めていた。


「えっ、王都へは行かないのかい?」

 意外そうに声をあげたのは先ほど知り合ったばかりの商人である。人のよさそうな男主人で、王都と周辺の街を馬車で行き来して、果物を売っているのだという。慣れたように馬車を操って、撫子たちの馬車へ寄せてきた。

 王都までのびる石の道は途中で曲がっている。いくつかの山野を迂回して通っているのだ。穏やかに曲線を描くところから道は分かれて、山中へと向かうただの土の道が現れるらしい。

 道は様々な商人たちが行き交っている。冬も終わりに近づいてきたとはいえ、まだまだ農閑期であり、多くの獣たちも眠っているため商売の種は少ない。商人たちの数もかなり減っている方だった。


 男主人は王都がいかに恵まれているか語ったが、興味のない撫子は適当に聞き流していた。男主人の言葉にはやたらと熱がこもっており、それについていくのが面倒だったのもあった。

「そこで王都から魔法使いが派遣されてね、こんな立派な道ができたのさ。おかげで商売がぐっと楽になって、我が家も組合で知られるようになって……」

 なるほど、どうやらこれが言いたかったらしい。王都で名のある商家になるには、相応の業績が必要である。しかし単純な稼ぎだけで地位を得ることは難しく、時には貴族をはじめとする有力な血筋と繋がることで強力な人脈を得る者もいる。


 つまり自分は名のある商家の主人で、貴族とも繋がりがある、だから自分を敵に回さない方が身のためだぞ、と言いたいのだ。確かに男主人の駆る馬車は、周囲のそれらと比べて豪奢に見えた。

 撫子たちが新参の商人だと思ったのだろう。

 わざわざ安心させてやる義理もないのだが、これ以上勝手な敵対心を燃やされても面倒なので、撫子は呆れたように返した。

「田舎との取引なんだ。王都には用はない」

「ふぅん」

 何だか納得いかない、という顔で男主人は肩をすくめた。撫子としては何故この男がここまで関わってこようとしてくるのか理解できない。いい加減に解放してほしかった。

 そんなうんざりしている撫子の内情などまったく気づけぬようで、男主人は荷台に何を積んでいるのかたずねてきた。撫子は短く日用品だ、とだけ答えた。嘘は言っていない。ただ売らないだけだ。

「その田舎って、君の故郷なのかい?」

「────いや、故郷は」

 唐突に投げかけられた質問に、撫子は一瞬ぐっと詰まった。動揺を悟られぬよう、努めて静かに言葉を選んだ。

 ただ言葉を続けなかっただけなのだが、意味ありげに途中で切ったので、男主人は納得して神妙そうに頷いた──きっとこの哀れな商人は、小さくも愛しき故郷を出ることを余儀なくされ、慣れない商売にのぞもうとしているのだ──彼の考えているのはおおよそこのあたりだろう。余計なお世話である。

 しかしまったくのハズレでもないところが、また撫子の顔を曇らせた。


 ようやく分かれ道が見えて、撫子はほっとした。

 撫子がそちらへ向かうことを悟ったのか、男主人は複雑そうな顔をした。何やら言いたげにこちらを伺っている。あからさまに面倒くさそうな顔をしてみせたが、彼は怯むことなくこう言った。

「黄の街の大通り!」

 突然放たれた言葉は、まるで脈絡がなく、撫子を一層困惑させた。怪訝そうに黙っている撫子に、男主人は更に続けた。

「僕の店はその通りの端っこさ! きっと美味しいお茶をご馳走するからさ、いつか遊びにおいでよ!」

「…………」

 撫子は今度こそ呆気に取られた。

 こうも邪険にしている相手に、どうしてよくしてくれようとしているのか、さっぱりわからない。何か企てでもあるのか、しかしこの男がそんなに計算高いとは思えない。残念ながら。

 撫子たちが王都へ気軽に遊びに行くことなど、恐らくない。男主人の言葉はきっと果たされないだろう。


 何故か必死そうな若き商人に、撫子は軽く手を挙げて応えた。自分がどんな顔をしているのかはわからなかったが、もう不快さはない。無礼ではあるが完全に悪い人物ではないようだった。

 撫子がひらひらしてみせた手に満足そうに笑顔で頷いて、男主人は王都への道に馬首を向けた。

 やがてたくさんの果物を積んだその馬車は、他の商人たちに隠れて見えなくなった。




 ◇◇◇




 土の道はわかりやすく山中へとのびていた。しかしわざわざ敷いたというよりも、何度もひとや物が通ったことで踏み固められ、下草が生えなくなっただけ、という方が正しいのだろう。石や木の板などが並べられているわけでもなく、表面はでこぼこしていて、平らになるよう加工されていたあの石の道とは驚くほどの格差である。馬車は何度か大きく跳ねて、油断していると舌を噛みそうだった。アリスは面白がってころころと笑った。


 あまりにもがたがた揺れるので、馬たちにはゆっくり歩かせた。

 撫子は馬車の扱いに慣れているわけではない。とりあえず基本は知っている、というだけだ。だから先ほどあの男主人が馬車で横へつけてきた時は、思わず感心してしまうところだった。撫子のそれよりずっとなめらかで、実に見事な手腕だったのだ。それもあって、男主人は撫子が商人になりたてだと思ったのだろう。同じように若い彼の目にも、下手だと気づかれてしまうくらいだ。




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