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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
2 星明かりの路
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星明かりの路・7

羊と弾丸


2 星明かりの路・7



 街を黄金色に染め上げていた太陽は完全にその輝きをひそめ、闇がいよいよ広がり始めていた。鮮やかだった湖が、今は黒々とした大穴が空いているように見える。


 アリスと子どもは庭先で腰を下ろしていた。どちらもすぐに立ち上がったところからすると、眠らずに待っていたようだ。

 子どもまでしっかり起きていたのは正直意外だったのと、アリスがわずかに緊張した面持ちで向き合ってきたことが、撫子を一瞬躊躇わせた。子どもが会話に加わってくるとは到底思えなかったが、何だか話さなければいけない相手が増えたようで、少し気が重かった。

 しかし相手が増えようが減ろうが、ただ機会を先延ばしにしていただけなのには変わりないのだ。


 それに話すなら────否、確認するなら。行き先を変えるなら。きっと、今この時が、最後だ。


 アリスの顔を見て、撫子の喉がくっ、と鳴った。撫子も緊張しているのだ。少し目線を落とすと、アリスが子どもと手を繋いでいるのが見える。

 その横を通り過ぎて、撫子は道を戻り始めた。無言で2人がついてくるのを背後に感じて、ますます話し出すきっかけがわからなくなる。


 占い師の元へと向かう撫子に対して、アリスは何も言わなかった。撫子も説明はしなかった。

 言い訳ではなく、理由が欲しい。この旅を、このまま続ける理由が。撫子の意思で、進む理由が。


 ()()()()()()()は、実はもう決まっていた。とても簡単に言ってしまうなら、そう、自信がなかったのだ。不安だったのだ。情けないことに。


 ここまで、来てしまったのに。

 ここまで、来てしまったから。


「撫子、下!」

「は?」

 アリスが唐突に叫んだ。先ほどまでの張り詰めていた空気はどこへやら、どこかはしゃいだ声に撫子は立ち止まって困惑した。ほぼ反射的に顔を上げてアリスを振り返った。石の道が目に入る。


 息を呑んだ。


「道が────」


 足元の道が、ぼんやりと光っていた。

 敷き詰められた石たちの中で、所々がぽつりぽつりと明るい。

 白く淡い、小さな光。浮かぶような、優しい光。


 撫子がしゃがんでその光に触れてみると、冷たく滑らかな感触があった。

「石が……光ってる」

 何度か光を撫でて、撫子は呟いた。

燦溜石(さんりゅうせき)だ」

 日中に周囲の光を集めて、暗くなると白く発光する鉱石である。しかし見た目は普通の石と変わらないため、光っていない日中は見分けがつかない。

 この道を敷く時も、気づかずに混ざっていたのか。街の道には、付近の山から採れた石を使ったという。燦溜石が多く採れる山だったのだ。

「綺麗ね。星が落ちてきたみたい」

 いつの間にか、アリスが隣に来てしゃがんでいた。白光が、フードの中の青い瞳と金髪を照らし出す。


 置いていかれた子どもが、ばたばた足踏みしながら首をかしげている。それを見てふと思いつき、撫子は子どもに声をかけた。

「……触っても熱くない。触ってみろ」

 子どもは恐る恐るしゃがみ、光に指を伸ばした。何度か指先でつついてから、ようやく掌全体で触れた。ぱちぱちとまばたきする。

 アリスが微笑んで、同じように掌で石を撫でた。


 穏やかなその手の動きを見つめ、撫子はぽつりとたずねた。

「後悔していないか」

 それは、自分でも驚くほど弱々しい声で。ずっと胸の奥にあった言葉は短く、そしてひどく重いということを、声に出してしまってから思い知らされた。


 黒い森の中へ置いてきた、あの家が頭をよぎる。

 静かに穏やかに、同じことを繰り返し重ねた日々。

 まるで雪がしんしんと降り積もるように。

 今ここに雪はない。レルガノを抜けたのだ。

「あの家を捨てたことを、後悔していないか」

 どうしても、一緒に行くのかい。

 どちらを選んでも苦しいさ。

 占い師の言葉がずしりと撫子の腹の底に落下した。




 ◇◇◇




 レルガノを出ると決めた時から、撫子は東を目指していた。

 協会本部の置かれた王都はレルガノの南東部にある。王都に一歩でも踏み入れば、そこは協会本部の領域、捕まえてくれと言っているようなものだ。いくら王都が広大で隠れる場所が多くとも、アリスと子どもを連れて逃げ回るのは不可能だろう。

 おまけに、王都では撫子は少し知られた存在だった。

 だから王都は近づけない。新たな住処としてはあまりに危険すぎる。


 王都に近づくことなくできるだけ安全な経路で、かつ協会の目も届かない遠い場所へ。

 ────それなら。

 王都を大きく迂回するように西の国境付近に沿いつつ、一旦南下して東へ。


 撫子が考えついたのはそんなところだった。否、正しくは、そんなところまでしか、考えつかなかった。

 ヴェスギアは大国だ。果てがどうなっているか知らない。東は特に、近隣諸国と以前に侵略騒動があったほどで、国同士のやり取りが潤滑ではないから、余計に情報など入ってこない。東が王都より安全だという証拠はないのだ。

 実に曖昧で説得力のない、浅はかな考え。

 ただ王都よりはマシだと思っただけの。


 そして、あの男だ。

 まるで撫子の考えを見透かしたように、東を指した有翼種の男。ジャナフは東の様子を知っているような口ぶりだったが、撫子たちに関わってきた経緯からして危険人物だ。簡単に信用などできない。

 それでも少し──撫子にとっては非常に不本意だったが──少しだけ、東へ向かう意味を見出したような気がしたのだ。


 アリスはそんな性質ではないとわかっているが、あまりに情けなくて無責任で、糾弾されても仕方ないと覚悟していた。


 ふと、撫子の手に温もりが降りた。皮膚の薄い、たおやかなアリスの手。そこで初めて撫子は、いつの間にか手を握りしめていたことに気づいた。爪が食い込むほどに、強く。

「だって、もう一緒にあなたは住まないのでしょう?」

「あの男は元々オレを外したがっていた。これ幸いと拘束するつもりだったんだろう──だが、レルガノ以外の協会支部に保護を求めれば、お前たちなら」


「あなたがいない家なら、いらないわ」


 どんなに安全な家でも、あなたがいないなら。

 きっぱりとした声に、撫子は顔を上げた。アリスがまっすぐこちらを見て微笑んでいた。紅茶の底でゆっくりほどける砂糖のように、それは甘やかだった。

 やわらかく色付いた唇が開く。

「私はあなたと生きていたい。最後の一瞬まで」

 羊族は短命だ。人間よりも、ずっと。

 平均的な寿命から言えば、アリスに残された時間も、あと数年となる。


 不意に撫子は、初めて会った時のアリスを思い出して、またぐっと拳を握った。そうでもしないと、波のように襲い来る郷愁や、その眩しさに押し潰されそうだった。

「オレも」

 涙など出なかったが、喉は震えていた。

「オレも、お前と生きたい」

 くきゅう。

 間抜けな音が聞こえた。振り返ると子どもが俯いて腹を押さえている。子どもの腹の音だった。


 撫子とアリスは、ぽかんとしてから、顔を見合わせて笑った。緊張も焦燥も恐怖も、何だか急にちっぽけに感じられた。


「このまま東へ」

 一緒に行こう。みんなで。




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