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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
2 星明かりの路
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星明かりの路・6

羊と弾丸


2 星明かりの路・6



 短く2回、強く2回、もう一度短く2回。

 扉を叩くと、向こうから慌てたような声で返事があった。がちゃがちゃと把手が何回か動き、やがてかちりと音がして止まった。この把手は歯車としての役目もあるのだ。


 扉が開くと、そこにはすでに低頭する山羊族の男が立っていた。さわやかな新緑色の髪。黄白色の角が控えめにその先端をのぞかせている。

「お、お待たせ……ジャナフ」

 震える声で山羊族の男が迎え入れる。哀れなほど自信なさげである。

 小柄な彼は、自然と上目遣いで相手の様子を伺うような形になる。

 ジャナフはうん、とそんな山羊族の隣を笑顔で通り過ぎる。彼のような反応はもう知っている、というように。まるで気にしていなかった。


 鮮烈に赤い絨毯が敷かれた長い廊下。左右の壁には、身の丈ほどもある巨大な絵画が、豪奢な額縁に飾られていた。世界で最も価値あるもの────(きん)で造られた、これだけで最上級の芸術品と呼べるような額縁である。

 様々な植物が絡み合うような意匠のそれらを眺めながら、ジャナフは廊下を進んだ。男が慌てて後をついてくる。


 獅子に頭部を噛み砕かれる牛の絵。荒れ狂う波に呑まれる船の絵。炎が踊る森を逃げ惑う鹿の絵。

 額縁の中の絵画たちは沈黙していたが、能弁だった。湧き上がってくる主張があった。

 整然と並べられたそれらを、ジャナフは見とれるほど美しく微笑んで、眺めて歩く。


 やがて、ある場所で立ち止まった。

 壁には不自然に空間があり、何もかけられていない。そこから絵画の列はふっつりと途切れていた。

 ジャナフはつるりとした壁の表面に、まるで愛おしいものを撫でるかのように優しく、緩慢に触れた。指先が大理石をすべる。

 しばらく自身の指先を見つめ、ジャナフは笑みを深くした。


 指を離し、今度は前を向いて廊下を歩き出す。

 廊下の終わりに、こちらも見事な彫刻がされた扉がある。ジャナフがその前に立つと、扉は音もなく開いた。




 ◇◇◇




 広いのか狭いのかわからない部屋だった。中は薄暗く、天井も壁も曖昧だ。ただ鈍い赤色の帳が、ぞろりと周囲に巡らされているらしいことだけ、かろうじて見える。

 部屋の中央には大きな円卓が置かれ、背の高い椅子が囲むように並んでいた。そこへ、様々な種族の人物が座している。


 部屋中の視線が一斉にジャナフへ向けられた。


「ご機嫌よう。ずいぶん待たされたんだけど」

 突き刺すような声音。年若い、銀髪の女のものだった。爛々と青く燃え盛るような瞳が、明らかな怒りの色を帯びている。

 ジャナフはしかしそんな視線を受け流して、女に向かって微笑んだ。

「あぁ、ちょっと()を開けるのに時間がかかったみたいでね」

「……サダファ!」

 ジャナフの言葉に女は益々苛立って大声で名前を呼んだ。

 サダファと呼ばれた人物──先ほどの山羊族の男が、それに大きく肩を震わせた。ひゅっと息を呑み、恐る恐る女の方を向く。しかし弁明することもなく、ただ怯えている。


 そんなサダファをちらと見てから、ジャナフはひらひら手を振った。

「いや、冗談だよリーシュ。単に僕が遅れただけさ。サダファは何にも悪くないよ」

 リーシュはそれを聞いて顔を真っ赤に染めた。からかわれたのである。しかも表面上サダファを擁護することで、リーシュ一人を悪者に仕立てあげた。サダファとしてはまったく庇われたといった気がせず、こちらは反対に顔を青くして俯いた。


 リーシュの隣に座っていた人物が、面倒そうに声をあげた。

「これ、やめんか。やかましくてかなわんわ」

 床まで伸びて波打つ、深い蒼色の長髪。切れ長の瞳は黄色に輝き、その目尻には薄く鱗が見えている。ぴんと立つ三枚鰭の耳。腰から下は、僅かな光を反射してちらちらと輝く鱗に覆われた、魚類の尾だった。

 人魚族である。

「久しぶりだねハラシーフ」

「なぁにが久しぶりじゃ。お主が勝手に来なかったんじゃろが」

「厳しいなぁ」

 人魚族ハラシーフはそれ以上ジャナフの言葉には応えず、空いた椅子へと目をやった。

「まぁ、今回はナーブもおらんがな」

「どうせまた調()()でしょ。とっても楽しいらしいから」

 肘をついて、リーシュが忌々しげに言った。とりあえず入室早々の騒ぎはおさまったようである。ジャナフとサダファが席に着く。


 ジャナフの隣には褐色の肌の男が座っていた。

 白髪混じりの青灰色の髪がばらばらと伸びている。蛇のように細い瞳は金色だったが、不健康そうに澱んでいた。顔や手の甲に刻まれたしわが、男の過ごしてきた時間を物語っているようだった。

「マクラヴ、お主何か聞いておらんか」

「………………」

 ハラシーフがたずねても、その男はただ黙り込んでいた。

 その様子に、やれやれ、とハラシーフが肩をすくめる。


「ナーブは来ぬ」


 ずしり、と。

 不意に、低い声が部屋に響いた。深く腹の底まで震わせるような声だった。


 男が、赤い帳の向こうから姿を現した。


 老齢である。髪はなく、しわの深い顔は彫像のように固まっていた。暗い灰色の双眸に光はなく、どこを見ているのかわからない。節のある手に杖が握られている。

 一本の、枯れた大木のような──男だった。


 乾ききった薄い唇が、重々しく言葉を紡ぐ。

「此度は些事である。奴がいなくとも構わぬ」

 男の言葉はひどく緩慢だったが、まるで優しさなどなかった。金属でも吐き出しているかのようだ。相手の頭上に、ひとつずつ落としている。

 上から降ってくる鈍器に、リーシュとサダファは冷や汗をかいていた。


「なぁんだそうなんだ。それなら僕も来なくてよかったな」

 ジャナフはのんびりした口調でそう言った。

 短く引きつった悲鳴があがった。サダファは声を出してしまったことに更に怯えたように背中を丸め、恐る恐る男に視線を向けた。

 男はジャナフを、ちらりと見やっただけで、それには何も言わなかった。


「……それで、(おさ)よ。今回は何用じゃ?」

 ため息をついて、ハラシーフが代表するようにたずねた。

 長。そう呼ばれた男が、全員をゆっくり眺め回した。槍の切っ先を容赦なく眼前へ突き立てられたような、今度は鋭利な視線を向けられて、リーシュとサダファは骨が軋むほどに身を強ばらせるしかなかった。


 やがて視線はジャナフに向けられて止まった。

「一人、除名する者がいる」

 その言葉に、ジャナフを除く全員が息を呑んだ。

 ゆるゆると視線がジャナフに集まる。

 ジャナフは美しく微笑みを浮かべたままだった。




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