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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
2 星明かりの路
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星明かりの路・4

羊と弾丸


2 星明かりの路・4



 よく吟味せずに選んだ店だったが、食事は美味かった。


 カウンターといくつかの卓席が並んでいる。壁のない、開放的な空間だった。奥に階段が見える。上階は宿屋になっているのだろう。


 素朴ながらがっしりとした円卓に、頼んだ食事が届いた。木の皿に盛り付けられたパンも、小ぶりな器のスープも温かい。塩と香草で味付けされた肉は柔らかく、噛む度にじゅわりと肉汁が溢れる。


 ふわふわのパンにはしばらく触れていない。旅をしている時は、やわらかなパンは向かない。すぐに傷んでしまううえに持ち運びにくい。堅めに焼いて、傷みにくくかつ持ち運びやすくするのである。

 いつもは噛みちぎるように食べるパンと違って、優しくほどけるようなやわらかさに、一口頬張った子どもは目を丸くした。もっくもっくと咀嚼する口元を、アリスがぬぐってやっている。


 店は昼食を楽しむ客でいっぱいだった。力仕事を終えたところなのか、日焼けした肌の男たちが大量の食事を腹へ流し込んでいる。時折あちらこちらの卓からどっと笑い声が沸き起こる。


 にぎやかな店内を、撫子は集団をくぐり抜けながら進んだ。


 見事な一枚の板でできたカウンターは、店の自慢なのだろう。艶々と光るほどに磨かれている。

 カウンターの中では店主が黙々と芋の皮を剥いていた。初老の小人族である。

 撫子はミルクを注文しながらついでに、といった具合に店主にたずねた。

「ここは旅人が多いのか」

 店主は手際よくミルクを用意しながら答えた。

「どちらかというと、商人だね。ほら、街の外にでっかい道があるだろ。王都と繋がっているからね、あれを通って来るのさ」

 杯にミルクが注がれ、手元にやってきた。


 撫子がそれを受け取ったのを確認して、店主はなおも話を続けた。客は皆食事か、そうでなければ各々の会話に夢中だったから、世間話ができる相手が欲しかったのかもしれない。

「それにしても道ができるって話になった時は、そりゃ大変な騒ぎだったよ。魔法使いさんたちがたくさん来て、それであっという間に道が敷かれちまったんだから。石工たちも複雑だったろうねぇ」

「……職人たちには、全く及ばない」

 そう言って、撫子は出されたミルクを一口飲んだ。よく冷えていて美味しい。ヤギの乳だった。

 店主は、丸くて大きな目をぱちくりとさせた。

「お客さん、魔法使いさんなのかい?」

「大したものは使えない」

 撫子がそう答えると、店主はほうほうと頷いた。

「今じゃあ訓練学校なんかもできて、力のある子は皆行くがね。昔は街にいるばぁさんとかに習ってたもんさ。もうこの街にはおらんがなぁ」

「一人もいないのか」

「皆年寄りだったからねぇ。すごい魔法使いだったわけでもないが。道敷くのに来た魔法使いさんは、皆若くてすごかった。これも時代かね」

 小さなため息をついてから、あ、でも、と店主はふと思いついたように中空を見上げた。

「占い師のばぁさんは残っとるな。あのひともかなり年だけど」

 撫子はミルクを飲み干した。カウンターの上に銀貨を数枚置く。

「美味かった」


 それだけ言って急に立ち上がった撫子に、店主は不思議そうに首を傾げたが、銀貨を見てどうでもよくなったらしい。またどうぞ、と愛想良く背中に声をかけて、撫子を見送った。




 ◇◇◇




「ゆっくりお食べなさい」


 肉と野菜をやわらかくなるまで煮込んだスープを器によそって、アリスは子どもの前に置いた。用意されたスープを見つめ、子どもはしかし動こうとはしなかった。


 ぐるぐる巻きだった毛布をほどいて長椅子に座らせてみると、子どもは相変わらず緊張しているようだったが、特に抵抗もしなかった。毛布をほどこうと伸ばされたアリスの手にも、拒絶を示さなかった。

 次は身体の中から温めてやる必要があると、作っておいたスープを出した。湯気とともに食欲をそそる美味そうな匂いが漂う。それでも子どもの手は動かない。


 アリスはそんな子どもを急かすようなことはしなかった。食事を置いたら、もう後は子どもの意思に任せてしまうようだった。ただ与えて次へ進ませることだけが最善ではないと、知っているのだ。

 だからアリスは棚から本を一冊抜き取って、椅子に腰掛けてそれを読み始めた。その間もばたばた音を立てることはしない。いつもの穏やかな日中を過ごすときのように。まったく変わったことなどなかったというように。


 撫子の方は、さすがにいつものようにはできなかった。かといって、子どもに早く食べるように急かすことが正解ではないこともわかっていたので、仕方なく自分も椅子へ腰掛けて、黙って考えることにした。


 王家も協会も、世界中すべての羊族を把握しているわけではない。たまたま発見できた羊族をとりあえず囲って保護対象にしただけ、というのが始まりだった。囲いきれない者も出てくる。


 時に、魔法使いたちの庇護を拒む羊族がいた。当然、猟士の格好の餌食となる。否、猟士どころか、善良な農民にさえ狙われるのである。

 彼らは、はぐれ羊と呼ばれた。

 撫子は、この子どもはそんなはぐれ羊なのではないかと考えた。


 羊族が旅人の格好で出歩いているのはおかしかった。協会に保護されている羊族は魔法使い同伴で少し外出するくらいなら許されるが、どう見ても遠出、しかも何日間も家に帰らないことを想定しているかのような旅装は、護衛対象の羊族なら有り得ない。やはりこの子どもは、少なくとも協会によって保護されていないのだ。


 加えて近くに親もいなかった。幼い羊族が、たった一人で旅などできない。親とは別れてしまったのだろうか。


 それとも、と一番嫌な想像がよぎって、撫子は思わず頭を振った。有り得ない話ではないが、考えていて気持ちのいいものではなかった。


 ふと子どもが器を手に取ったのが見えた。少し躊躇ってから恐る恐る顔に寄せる。あの美味そうな匂いが鼻先を掠めたのだろう。わずかに目を見開いた。それからようやく口をつけて、すいとスープを吸い込んだ。ぱちぱちと目を瞬かせて、一口、また一口とスープを流し込んでいく。


 アリスが小さく微笑んで、それを見守っていた。


 もし、この子どもがはぐれ羊なら。

 撫子はぐっと拳を握った。





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