第6話 ある主従の秘密(ユーリマン編①)
世界にはある種の特異体質を持った人が存在する。
超人的な身体能力だったり、病であったり、形は様々だが、普通とは違う何かを持った人は確かにいる。
そう、ユーリマンの想い人であるヴィオレッタ・ローレル・クロウディアもまたその一人だった。
彼女の特異体質は非常に珍しいもので、流した涙が結晶化するというものだ。
その涙の結晶は病気や怪我に効く薬として高い効能を持っており、彼女は幼い頃より何処からかその噂を聞き付けた人間たちにその身を狙われる日々を過ごしていた。
そんなヴィオレッタの行く末を心配した彼女の父親の公爵は、ある事件を切っ掛けに賭けに出る。薬学が発達した東国に頼み込み、その国の王族であるユーリマン・シャオ・アーバインを秘密裏にヴィオレッタの侍従として迎え入れたのだ。ヴィオレッタが十歳の時のことである。
無論、それは娘を数多の魔の手から守る為だった。
全財産を投げ打ってでも娘を救ってやりたいとアーバイン王家に公爵は懇願したが、ユーリマンはこの話を耳にした時には既に行くと心に決めていた。それは彼の胸に秘めた恋心があったからだ。
公爵がアーバインに話を持ちかけるよりもさらに二年前ほど前、国同士の交流のためにユーリマンは使節団の一員としてラッセル王国を訪れていた。
その時に、同じ子供同士という事でヴィオレッタがユーリマンの相手役を務めたのだが、彼らの歓迎祝賀会の際にとある理由で彼女は泣いてしまった。
陰に隠れ、人目を忍んで泣くその泣き顔に一目惚れしたのがユーリマンの恋の始まりだった。
*****
カーテンと窓が開け放たれ、すっかり明るくなった外からすっきりと肌に心地よい風が流れ込む朝。
「お嬢様、朝ですよ」
「う、うーん……。もう少し……」
頭までシーツを引き被って天蓋付きベッドの上に蹲るヴィオレッタにユーリマンは嘆息した。
研究とやらでいつも就寝が遅くなりがちなヴィオレッタは朝が弱い。
毎朝決まった時間にユーリマンは彼女を起こすのだが、毎回もう少しだけ寝かせて欲しいと彼女は駄々を捏ねる。
そうしてよく可愛い抵抗を繰り返すヴィオレッタだったが、そんな時にユーリマンが決まって口にする言葉があった。
「先程、料理長にお会いしましたが、今日の朝食はお嬢様の大好物のスミルノフの花の蜜をふんだんに使ったパンケーキだそうですよ」
「あの花の!?」
効果は抜群。シーツを跳ね除ける勢いで飛び起きるヴィオレッタの元気な姿にユーリマンはほっと息をつく。起きない彼女を起こす、魔法のような言葉。謂わば奥の手だ。
ラッセルの五公女たちの中でヴィオレッタは一番年下の十五歳で、それゆえか気を許した者の前では時々子供のように天真爛漫な振る舞いをすることがあった。
起き抜けのこの反応もそうだ。毎朝のように食べ物に釣られ、あっさりと起き上がる様を見て、悪い人間に騙されやしないだろうかとユーリマンは密かに懸念している。
「本当にお好きなんですね」
「だって、本当に美味しいんだもの。ユーリマンも食べてみればいいのに」
「いえ。あれはとても高価で貴重な品ですから、私のような使用人が口にする機会などございませんよ。元の生産量が少ない上に流通ルートが限られていて、キャサリン様のご実家を介さなければこの国では入手する事すら困難なのだとか……」
好物を勧めてくるヴィオレッタにユーリマンは首を振った。
そう、彼の出自についてはごく一部の人間にしか知らされていない。表向きにはクロウディア家の遠縁にあたる末端貴族出身の、単なる使用人としてユーリマンは迎え入れられている。元々、母国でもあまり人前に出る事がなかったせいか、彼の顔を覚えている人間はほとんどいなかった。
数少ない人前に出る機会でさえ兄弟の陰に隠れ、なるべく目立たないように振舞っていたのは、煌びやかな社交界に関心がないこと、そして王位継承権を巡った無駄な争いに巻き込まれたくないという思いに起因している。
ヴィオレッタは以前に一度彼に会っているのだが、当時はまだ幼かったせいか覚えていないらしい。
その事を好都合だと思いながらも、ユーリマンは時々寂しくも思うのだった。
「んん〜っ! ふあぁ〜……」
そんな侍従をよそに、ヴィオレッタは両腕を上げて伸びをし、口許を押さえながら大きな欠伸を零す。
「お嬢様、続きの間にメイドが控えておりますので、朝食の前にお召し換えをなさって下さい」
「わかったわ」
ユーリマンに促されるがまま、まだ眠い目を擦りながらヴィオレッタはとぼとぼと隣の部屋へ移動していった。
「さてと……」
主人の姿が扉の向こうに完全に消えたのを確認してから、ユーリマンはシーツの上とベッドサイドの足元を探る。
先程の欠伸の際にヴィオレッタの目から涙が滲んでいたのを彼は見逃していなかった。
程なくして見つかった結晶を彼は拾い上げると白い布に包み、大事そうに懐に仕舞った。