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第5話 童顔の石像(グレイ編④)




「えっと……あの。グレイ? 彼女のこと、幾つくらいに見えるのかしら?」


「どういう意味ですか? 八つか九つくらいでしょう?」


「……貴方それ、お世辞のつもりなの?」


「いや、見たまんまですよ? 年齢を気にするような年頃でもありませんよね、あの子?」


「……残酷ね」



 突然少女の年齢について訊ねてきたジャスミンに、グレイは狐につままれたような思いだった。


 何かを言う度に、固まった少女からピシッと何かに亀裂が入る時のような、あるいはミシリと何かが軋んでいるような音がするのも妙だと、首を傾げる。



「骨が軋んでいる? 成長期なのか?」


「グレイ、貴方、今日はもう何も喋らない方がいいかもしれないわ」


「……? 何故です?」



 なおも止まない音に、人体の不思議についてグレイが考えていると、ジャスミンは大変痛ましいものを見るような目つきで少女を見遣っていた。


 何故そんな慈愛に満ちた目で少女を見つめるのか?


 喋らない方がいいとはどういうことなのか?


 本気で分からないグレイの様子に、ジャスミンは珍しく深いため息をついた。



「彼女、先日十七歳になられたそうよ」


「じゅう、なな……? あの言動で? 冗談ですよね?」


「いいえ、本当よ」


「出るところも出ていないのに?」



 にわかには信じがたい。いや、むしろ未だに信じられない。


 貴族家出身の女性で十代ともなれば、それなりの淑女教育は受けているはずで、間違っても人前で頬を膨らませて不満を零したりはしない。


 平民の娘でももう少しましな言動をするのではないか?


 そう思ったグレイは、やはり何かの間違いではないかとジャスミンと少女の胸部を交互に見比べる。


 ジャスミンのそれはこんもりと丘を成しているのに対して、少女のそれは切り立った崖という表現が正しいだろう。



「グレイ、そういう事は少なくとも人前では“スレンダー”と言うのよ。それに、女性の胸元をそんなふうにあからさまに見るものではないわ。私が他の誰かに見られていたらどう思うの?」


「目玉を抉り取って殺すに決まってるじゃないですか」



 即答するグレイに、ジャスミンは何とも言えない表情を浮かべた。



「それでいったい、この子は誰なんですか? お嬢様の親戚の子か知り合いなんですか?」


「いいえ、そういう訳ではないのだけれど……」


「へえ〜……」



 八つだろうが、十七だろう恋愛対象にはなり得ないことには変わりない。それよりも問題は少女の正体だと話題を変えたグレイ。親戚でも知り合いでもないというジャスミンの答えに彼の目に剣呑な光が宿る。


 ジャスミンはれっきとした公爵家のご令嬢で、その身分は王族に次ぐ。そんな彼女を前に、少女がおこなったような無礼な振る舞いをして許されるとすれば、それは王族か、公爵家の血族の誰かか、他ならぬ公女自身によって特別に許された者に限られる。


 そのいずれでもないというのならば、面と向かってジャスミンが侮辱されているのを見た以上、無傷で帰す訳にはいくまい。


 二度と公爵家や自分に近付こうなどという馬鹿な考えを起こさぬように教育的指導をしてやろうと、グレイは両手を合わせて指をバキバキと鳴らした。



「で、誰なんです? この不心得者は?」


「彼女はマルティル子爵家のご令嬢。クラリーチェさんと仰るそうよ」


「……マルティル子爵? それにクラリーチェ……」



 聞き覚えのある名前にグレイの手が止まる。


 どこで聞いた名だったか、考えること暫し。



「ああ、クラリーチェ・マルティル。思い出しました。自らやって来るとは、愚かですね」



 そう告げた灰色の瞳には、先程以上に物騒な光が宿っている。


 そう、彼女はグレイが捕縛した襲撃者たちにジャスミンの暗殺を命じた張本人だった。



「でも、ちょうど良かったです。こちらから向かう手間が省けました」


「……グレイ。貴方の気持ちは分からなくはないけれど、彼女はもう十分な制裁を受けたわ」


「まだ何もしていませんよ?」


「いいえ、ご覧なさい。もう、真っ白に燃え尽きてしまっているわ」



 ジャスミンの示した先、ソファーの対面には置物と化した子爵令嬢が座っている。息こそしているものの、あれだけ騒がしかったのが嘘のように静かで、加えて鳥にでもつつかれた後のようにあちこちがボロボロだ。



「ですが、お嬢様の暗殺を企てたのはこの子ですよ?」


「知ってるわ。だって彼女、私を見た瞬間、『なんで生きているの?』って口走ったんだもの」


「阿呆ですね」



 クラリーチェを愚かだと思う反面、これで得心がいったとグレイは内心で手を打っていた。


 【ベルゼタ】の暗殺者の質が落ちたと嘆いていたが、依頼主がこの調子なら暗殺者があの程度であっても納得出来る。


 腕利きの暗殺者を雇うには、それなりの知識と金が必要だが、子爵家令嬢如きではどちらの条件も満たせそうにない。


 グレイクラスの暗殺者ともなれば、動かせるのはそれこそ王族か、あるいは公爵家の人間くらいで……。



「そういえば……」



 数年前、自分のもとにジャスミン暗殺の依頼がきた時の事を思い起こしてふと、グレイの脳裏にある疑問が浮かんだ。


 あの時、直接依頼を受けた訳ではないが、確かに依頼人は公爵家の人間だと組織の上の者から聞いた。だからこそ、王子の妃の座を巡って何れかの公爵家がジャスミンを消そうとしたのだと疑いもしなかった。


 しかし、現実には公女の誰もが王子の妃になる事を望んでおらず、また世間で噂されているような家同士の対立関係もなければ、公女同士も全員で集まってお茶を飲むような仲だ。


 それならばいったい誰が……?


 そこまで考えたグレイは、ある一つの可能性に行き着いた。



「まさか……!? あの時の依頼人は……ジャスミン様!?」



 そうとしか考えられないが、そうであって欲しくない。


 そんな心持ちでジャスミンを真っ直ぐ見据えたグレイの希望は呆気なく打ち砕かれた。



「あら、やっと気付いたの? 皆知っているのに、貴方はいつ気付くのかしらと思っていたのよ」


「他の公女様方もご存知だったのですか?」


「ええ」


「ラザロスやリベラたちも?」


「ええ、そうよ」



 さもありなんだと主人に微笑まれ、自分だけが知らなかったという事実にグレイはさらに驚愕する。公女たちは皆が皆、底知れない人物たちだとは思っていたが、侍従仲間には裏切られたような気分だ。


 手のひらに痕がつく程強く握られたグレイの拳がワナワナと震えていた。



「……まったく。どこの国にご自分でご自分の暗殺依頼を出すご令嬢がいるんですかっ!」


「だって、暇だったんだもの」


「もう嫌だ! も〜う嫌だっ! 今日はこれで失礼しますっ!」



 これ以上は何も聞きたくない。


 全身から怒りのオーラを発しながら、グレイはドカドカと大きな音を立てて応接室を飛び出した。




以下、おまけ。



*****



 ――その夜。



「あら?」



 そろそろ寝ようと寝室にやってきたジャスミンはサイドテーブルの上を見て目を丸くした。


 ジャスミンの視線の先には、仄かに黄色く色付いたお茶を湛えたガラス製のティーカップが置かれており、水面には白い話がいくつか浮かんでいる。


 スーッと深呼吸すると、ジャスミンの胸に爽やかな香りが広がった。どうやら、カモミールティーらしい。


 ホカホカと湯気を立ちのぼらせていることから考えて、まだ淹れられたばかりのようだった。



 ベッドに腰掛け、両手で包み込むようにしてジャスミンはティーカップを持つ。



「……素直じゃないというか。こういうところが可愛いのよね」



 ぽつりと呟いたジャスミンの声は、ティーカップからゆらゆらと立ち上がる湯気と共に消えていった。



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