第4話 闖入者と元暗殺者(グレイ編③)
「あ、グレイ! こんなところにいたのね。お嬢様が貴方をお呼びなの。何でも、来客だそうよ」
襲撃者たちを押し込めた部屋を離れて少し歩いたところで、グレイは侍女の一人に呼び止められた。
「来客……? そんな予定はなかった筈だが?」
「それが急に来られたらしいのよね」
侍従として、ジャスミンの日々の予定を全て把握しているグレイが、今日の来客予定は記憶にないと首を傾げれば、侍女は困り顔で先触れなしの急な来客だと告げる。
「どなたが来られたんだ?」
「さあ? 私は見てないのよね」
貴族社会では一般的に、他人の家を訪問する際は事前に連絡を入れるのがマナーだ。そのマナーを破っての訪問となるとそれは急用であるか、よほどの不心得者であるかのいずれかだろうと、誰が来たのか訪ねるグレイに侍女は首を振る。
「そうか。忙しいところ、わざわざ伝えに来てもらってすまなかったな。ありがとう」
「あ、いえ……い、いいのいいの! 私はお嬢様に頼まれただけだから!」
「……?」
わからないのなら仕方ないと切り替えて、短くお礼を言うと何故か顔を真っ赤にして大袈裟なほど両手を振る侍女を不思議に思いつつも今はお嬢様と来客の応対が先だと、グレイは応接室に急いだ。
*****
「お嬢様」
「あら、グレイ。思ったより早かったのね」
扉越しに声を掛けて許可を取り、入室したグレイを一番に出迎えたのはジャスミンの穏やかな声だった。
軽く会釈しつつ、声に吸い寄せられるようにジャスミンに近寄りながら彼女の対面をチラリと見遣ると、藤色の髪の少女がソファーに腰掛けているのがグレイの目に映る。
「俺をお呼びと聞いたのですが……?」
少女の身なりからどこかの貴族の令嬢だろうと推察しつつ、いったいお嬢様は自分に何の用だろうかと状況が呑み込めず、グレイがジャスミンに問うと、彼女は口許に手を添えてふっと笑った。
「いえね。彼女が貴方に会わせろとしきりに言うものだから」
「は?」
あまりに予想外の答えに、グレイがぽかんと口を開けたまま固まる。
「もうっ、グレイさんったら。やっと会えたのに、ひど〜いっ」
「え〜っと……?」
何がひどいのか?
いや、そもそも何処の誰なんだ!?
プクッと頬を膨らませる少女の言動にグレイは頭の中で一人激しくツッコミながら困惑する。というのも、あちらはやけに親しげに話し掛けて来るが、あいにくとグレイには彼女が誰なのかすら見当がつかない。
疑問はたくさんあるものの、どれから聞くべきかと考えている間に、少女はさらなる爆弾を投下した。
「あんなに運命的な出会いをしたのに! それに、あんなに熱い抱擁を交わしたのを覚えていないの?」
「ほ、抱擁!?」
「あら、グレイ。貴方もなかなか隅に置けないわね」
「いやっ、違う! 違います! 違いますって! きっと彼女が誰かと間違えてるんです!」
やるじゃない、と煽ってくるジャスミンに、グレイは必死の形相で頭をブンブンと振って否定するが、少女は少女で諦めきれない様子だ。
「人違いなんてしていないわ。あの日、私が馬車から転げ落ちそうになっていたのを助けてくれたのは、確かに貴方だったもの」
「馬車……? あ〜っ! あの時の!?」
「あら、やっぱり彼女の話は本当なのかしら?」
ようやく合点がいったグレイははたと手を打つと、いたずらっぽく微笑む主人に弁解し始めた。
「だからあれは誤解です。お嬢様が王宮に行かれた日、次に入ってきた馬車からこちらのお嬢さんが転げ落ちそうになっているのをやむ無く抱きかかえただけです。あれは単なる人助けですよ」
「と、うちの侍従は言っているのだけれど?」
「たっ、たしかにきっかけはそうだったけど……! でもあの時、私を見つめるグレイさんの眼差しには愛がこもっていました!」
「ひどい言いがかりだ!」
「私からも同じ説明をしたのだけれど、最初からずっとこの調子なのよね」
「まさか全部知ってたんですか? それならそうと教えて下さいよ!」
「だって言わない方が面白そうだったんだもの」
「お嬢様……」
またもジャスミンの玩具にされてしまったのかと、グレイは言葉をなくす。どうやらジャスミンは、慌てふためく侍従の彼を見て楽しんでいたようだ。
とんでもない言いがかりをつけてくる少女と、平常運転が異常なジャスミンに囲まれて、グレイは頭が痛くなってきた。
「私がいるのに、二人だけで会話しないで! グレイさん、私と一緒に帰りましょう? 今日は貴方を迎えに来たの」
「行きませんよ。俺の家はここですから」
「何でなのよ? ジャスミン様はお父様が宰相だから、きっといずれは王妃になるのでしょう? ジャスミン様には殿下がいらっしゃるのだから、グレイさんは私にくれたっていいじゃない! 二人ともだなんてズルいわ! ジャスミン様は強欲ね!」
「困ったわね。申し訳ないけれど、そのお願いは聞いてあげられないわ」
ついに癇癪を起こした少女に暴言を吐かれながらも、ジャスミンは落ち着いた様子で応対する。
口では、『困った』と言っているが、全然困っているようには見えない。
「グレイさん! うちに来たら、侍従なんかじゃなくて私の旦那様にしてあげるわ。だから……!」
「いや、それなら尚更御免ですね。こんな年端もいかない子どもを妻にするだなんて有り得ません。俺はロリコンじゃありませんから」
「えっ……?」
ロリコン。グレイがその単語を口にした途端、あれだけ騒がしかった少女がビシリと固まった。