8 お酒は二十歳を過ぎてから
その夜のマリアの酒量は、ただ事ではなかった。
「何かあったんじゃないのかい?」
キッチンで片付けものをしながら、手伝わされていたユージーにドリーが聞いた。
「何かとは?」
「マリア様はね、ああ見えて、お酒の飲み方を知ってる方だよ。今日のは異常だよ」
「・・・まだ二十歳だってのに酒の飲み方を知ってるってのもあまりみっともよくはないようだけどね・・・」
「うるさいね。あんた知らないのかい。今日ずっと一緒にいたんだろう。さあ、お言い!何かあったんだろ! 隠すんじゃないよ!」
街で襲われた、と、このマリア一筋の従者に伝えるのははばかられた。マリアが隠しているものを、わざわざバラす必要もないだろう。かと言って、クレイモアのプロポーズの方を言うと、それはそれでこのマリア一筋の従者は大騒ぎしそうだ。
「知らないものは知らないね。ま、ちょいと行って異常な酒飲みを見物してくるか」
ユージーは、キッチンからの脱出に成功した。
居間のドアはわずかにあいていて、すきまからのぞくと、マリアは薄暗いランプの灯りの中でソファに寝そべっていた。紅く長い髪がカーペットまで流れている。視線は空を見つめ、手には液体の入ったグラス。
(よくない飲みかただ)
ユージーがドアのすきまから体をすべりこませたとたんに空のボトルがとんできた。ユージーはそれをひょいと受け止めて、マリアのそばまで歩いてきた。
「あっち行って!」
「・・・飲みすぎじゃありませんかね。ドリーさんが心配してる」
マリアはムッとした。
「監視だけじゃなくて意見までするの」
「俺は護衛だ。外敵から守ってもアル中で死なれたら何にもならない」
「・・・はりきってるのね。任務に」
(お体が心配です、ぐらい言ったらどうなの)
仏頂面。目付きの悪い顔。信じてはいない。信じてはいないけれど、でも、ユージーは私のことを本当に守ってるのかも。本当に・・・。マリアは唇をかみしめた。
信じちゃいけない。疑うことが私の義務だから。そんなに信じたがらないで、私の心。
ユージーはまだ封の切られていないボトルを取り上げた。
「これは片付けますよ」
が、マリアは横になったままそのボトルをつかんだ。二人で一本のボトルを取り合うかっこうになる。
「私からお酒まで取り上げようって言うの」
「飲みすぎなんだ。一人でこもって何も食べずにこんな強い酒を飲んで、悪い飲み方だ」
「あらそう」
マリアはボトルから手をはなした。
「じゃ、一緒に飲みましょうよ」
「・・・なに?」
「一人がだめなら二人で飲めばいいんでしょう。ほら、二人でそのボトルをあけたら終わり、もう飲まない。約束する。あなたが飲む分私の飲む量が少なくなるってことよ」
「・・・・・」
ユージーは絶句した。
(ざまぁみなさい。アルコールはだめなんでしょ)
マリアはほくそえんだ。
「さ、出てって。二度と私に意見なんか・・」
しないで、と言おうとした時、ユージーはボトルを持ち上げ、テーブルに打ち付けた。
ガシャン! と破壊の音がしてボトルの首がくだけ、茶色のガラスが床に散った。
「な、なによ」
マリアは思わず足をソファの上に持ち上げた。
「暴力でおどそうだなんて、最て・・・」
ユージーは、割れたボトルの口を自分の口の上に持ち上げた。ドボッと液体がユージーののどに流れ込む。ゴボリゴボリと不吉なほど勢いよくボトルの中身が減ってゆく。
一瞬かたまっていたマリアは、我にかえってボトルをたたきおとした。
「ば・・・っ! 死ぬ気!?」
が、転がったボトルの中はもう空なのに、ユージーときたら顔色一つ変えていないのだ。
「今日のは閣下が悪いんじゃない」
「あなた、お酒・・・」
「俺の責任だ。公園で話をしても大丈夫と甘い判断をした上に、襲撃されるまで気づかなかった。レーコが気づいてくれなければ閣下を死なせていたかもしれない」
「やめて・・・」
マリアは耳をふさいだ。
「責任っていうのは、全部私にあるものなの。他の誰かが責任とってくれることなんか無いの、やめて」
甘えない。私は甘えない。
「あなたなんて、嘘つきのくせに。お酒飲めるのに飲めないなんて言って。私を守ってるなんて言って」
「閣下のは酒で紛らわしてるんじゃない、酒で自分を痛めつけて罰しているんだ。そんなことをしていた・・・ら・・・」
ユージーの上体がゆれた。
「・・・失礼」
ユージーは口を押さえ、部屋を出て行こうとした。しかしその足は部屋の外までもたなかった。ドアの前に支えを失った人形のように崩れ落ち、体をえびのように曲げたユージーの口から気味の悪いうなり声がもれはじめた。
「ユージー?」
マリアはユージーにかけよって抱き上げ、ぞっとした。
顔色が青い。いや、見ている間に紫色になってゆく。半開きになった目はガラス玉のように何も見ていない。体がマリアの腕の中で痙攣のように震え始めた。
マリアも真っ青になって、叫んだ。
「ドリー! 来て! 助けて! ユージーが死んじゃう!」
とんできたドリーの処置は早かった。その場でたっぷりと水を飲ませると、マリアと二人で両側をささえてバスルームまでひきずり、バスタブに顔をつっこませ、口の中に指をつっこんで吐かせた。
「マリア様! バケツ! 水をくんで」
「う、うん」
また水を飲ませ、吐かせる。水を飲ませ、吐かせ、壁にもたれかかるように座らせた。
「ユージー! ユージー! わかるかい、あたしがわかるかい」
頬をペシペシとたたくと、うっすらと目をあけた。
「・・・指が・・・苦い」
がっつん! 頭をぶんなぐった。
「このあほんだら! 酒飲めないって言ったのは自分だろ!」
「・・・・・タダだから・・・」
「あぁあぁ、やっぱりろくでなしだよこの男は! あんたのようなガキにマリア様の護衛がつとまるわけないよっ! 出てけっ!」
「待ってドリー」
マリアがドリーの腕をつかんだ。
マリアの方をふりかえって、ドリーはギョッとした。
マリアの目から次々に涙があふれている。まるで小さな子供のように顔をくしゃくしゃにして、マリアは泣いているのだった。
「マリア様?」
マリアは、普段【鉄と氷の淑女】として気を張っている分、素が出たときには子どもに戻ることがあるのだ。今それほどまでに彼女に衝撃を与えたのは何なのか。
「私がっ、私が飲ませたの」
「・・・何ですって?」
「私のせいなの・・・・」
「よ、よしてくれ」
ユージーは立ち上がろうとした。が、とたんにガクリと膝がくずれて顔からタイルにぶつかった。
「うあっ・・・!」
「あっ、このバカ」
ドリーがひきずり起こした。
「ムダにでかいねこの男は。一階まで運べやしない。あんた今日はこのバスルームで寝な。吐きやすくってちょうどいいだろ」
マリアはドリーが掴んでいるのと反対のユージーの腕をとった。
「ドリー、ユージーを私の部屋に運ぶから手伝って」
ドリーは目をむいた。
「とんでもない! こんな男をマリア様の部屋にだなんて!」
「そこまでなら運べるわよ。どうせまだ二日しか寝てない部屋だもの。私が別の部屋に行けばいいじゃない」
「嫌だ・・・、ろ、廊下で寝る」
ユージーはもがいて、二人の拘束から逃れようとした。しかし足は完全に萎えてしまって歩けそうにもない。ドリーは深〜く息をはくと、がっしとユージーの腹に手をまわした。
「ああもうっ! なんて世話のやける奴だろ」
マリアの部屋のベッドにほうり込むと、ドリーは薬を取りに出ていった。
部屋には二人が残された。ユージーはベッドの上のクッションに顔をうずめてじたばたしている。たっぷりと重ねられたクッションがはねる。
「どうしたの? 勝手が悪いの?」
「・・・かっこ悪い」
「え?」
「・・・ああっ〜〜〜〜。くそ」
「そりゃ、まぁ、情けなかったけど」
ユージーはうなり声をあげて頭を抱え込んだ。
あ、楽しい。
「みっともなかったわぁ〜〜」
「つっ・・・・」
「泣きながら吐いて〜」
「・・・泣いてない」
「あ、今泣いてる?」
「・・・・・・・・」
ユージーはクッションを抱きしめた。
「そりゃあ飲めと言ったのは私が悪かったわよ。それでもあんな飲み方することある? 乱暴というか短慮というか、若いわねぇ」
「・・・魔がさしたんだ」
「別にいいのよ。いつも魔がさしてても」
「・・・・・ん?」
ユージーが顔を上げる前にマリアは立ち上がった。
「明日は寝てていいわ。学校にはドリーについてきてもらうから心配しないで」
心配しないで? マリアは自分の言った言葉に驚いた。まるでユージーが心配するのがあたりまえみたいに。
ありあまる部屋の一つで、マリアはすかっとさわやかに目を覚ました。
二日酔いという言葉には縁がないのだ。
顔を洗って空色のワンピースに着替えると、頭痛薬とコップ一杯の水を用意した。
(ま、これくらいしてあげてもいいわよね)
鼻歌でも出てきそうな足どりでドアの外まで来て、変なことに気づいた。中から話し声が聞こえる。どうやらユージーが目を覚まして誰かと話をしているらしいのだが、ドリーはキッチン、そしてマリアはドアの外、ではユージーは誰と話しているのか、ミステリー・・・ではなくて、電話だろう。
(誰と話してるんだろ。朝っぱらから)
耳をすましてみると、相手はシュルツ次席らしい。
そして、マリアは立ちすくんだ。確かに聞こえた。
『ウタガワレズニスミソウダ・・・』
全身が石のようにかたまった。呼吸をする余裕さえもなくなったように。
スパイだったんだ。
足がふるえる。
やっぱりスパイだった。監視だった。今までのはみんな芝居。私を信用させるための。
いいんだ! 信じてなんかいなかった! 信じてなんかいなかった! 絶対!
バタ ───── ン!
ドアを開けた。ユージーは振り向いて、マリアの形相に目を見張った。
「ま、また後で」
と、腕の通話を切ると、
「何かあったんですか」
カッと頭に血がのぼった。
「薬をあげるわよ!」
マリアは薬とコップののった盆をユージーに投げつけた。ユージーはすばやい動きでコップ、盆、薬、を受け取ったが、水はこぼれてユージーのトレーナーをぬらした。
「閣下?」
「服を着なさいユージー」
マリアはうっすらと笑みを浮かべた。最高に冷ややかな、ユージーがゾッとするほどのものすごい微笑だ。
「服は着てますが」
「軍服を着るのよ」
「はぁ?」
「あなたには地球軍の軍服がお似合いよ。すぐにこの部屋から出てって。そして軍服を着てきて。私も正装するから」
「正装? どこか行くんですか」
「シュルツ次席のところにね。あなたをお返しするの。言うにことかいてお父様の友人だなんて、よく言ったわ」
「ええ? ・・・なにか誤解・・・」
バアンッ! ユージーの頬が音をたてた。
「じゃあ説明してよ! 疑われずにすむって何が! あなた何を隠してるの!」
ユージーはハッとして何か言おうとし、マリアはそれを待ったが、言葉は出てこないまま、ユージーは口を閉じた。
涙、出ないで。
「そう。弁解できないの。やっぱりそうなの。さ、軍服を着てきなさい、すぐに!」
ユージーはグッと唇を引き結んで、しかし、部屋を出ていった。
マリアはガクリとよろめいて今までユージーが寝ていたベッドに手をついた。
知ってたのに! 人を信じちゃいけないって、知ってたのに!