19 あきらめよう
隼になってマリアの屋敷につくと、思った通り楓の木に白いハンカチが結んであった。マリアの部屋をのぞいてみたが、いない。
ネズミに変身して屋敷の中に入り、ドリーを探したら、キッチンにいた。テーブルの上にかけあがってドリーの名を呼んだ。
ドリーはハッとふりかえり、ネズミをまじまじと見た。ネズミは手を振った。
とたんに、ドリーはユージーに向かって突進してきた。ユージーは、豆に化けてしまっておしょうさんに食べられた妖怪の話を思い出して、思わず逃げ腰になったが、ドリーの手の方が早かった。
「ユージー! 待ってたんだよ!」
ユージーネズミを両手で捕まえて、ドリーは涙を目にためて叫んだ。
「楓の木にハンカチを結ぶのはデモノバイツを呼ぶ合図だったんだろ。昨日からずっと結んでたのにどうしてこなかったんだよ!」
「そりゃあここを出たらハンカチが結んであるかどうかなんかわからないからな」
「すぐマリア様のところに行っておくれ」
「マリアには俺がデモノバイツだとは言っていないな」
「言えるかい! そんなことを言ったらマリア様はユージーとデモノバイツと両方同時に見捨てられたことになるじゃないか!」
「そうか。で、マリアはどこに・・・」
と言いかけて、ユージーネズミはハッとした。
「まさか、酒?」
「酒を・・・飲んでくれているうちはまだよかったんだって思い知らされたよ。お酒をお召しになるようになったのは、チクバ様が亡くなってからのことだ。でも今度は、お酒さえお飲みにならない・・・。あんたのせいだよ」
「・・・しかし、俺は、デモノバイツが、マリアを守らないと・・・」
「ああもう!マリア様は居間にいらっしゃるよ。さっさと行って!」
ドリーに放り投げられて、ユージーネズミは居間へと向かった。そして戸の隙間からもぐりこんだ。
マリアはまるで塑像のように身動きせず、しかし視線はうつろではなく力を持ったまま一点を見つめ、そしてやはり身動きもせず座っていた。ユージーはぞっとした。これなら酔っ払ってくれていたほうがいくらかましだ。
ユージーは急いで魔物に変化した。マリアは驚きもしない。
「・・・遅かったじゃないの」
「シュルツ次席のところへ行っていた」
「・・・そう。じゃあ聞いたのね、お父様のこと」
「あ、ああ。残念だった」
「私ね、あなたに告白することがあるの」
「え?」
マリアはじっとユージーを見つめた。
「お父様が死んだのは本当は昨日じゃないの。一年前なのよ。私あなたをだましてた。ごめんなさい。私あなたに守ってもらう資格がないの」
挑むような言い方だ。デモノバイツが怒りだして出ていっても構わない、傷ついてなるものか、という言い方だ。
ユージーはひざをついた。ひざをついてもまだまだ大きいが。
「そうか。つらかったな、マリア。よくがんばった」
ああ、こう言うべきだったんだ、と思ったとたん、マリアの目にあふれでる涙を見た。
マリアはユージーのふかふかの毛の中に倒れるようにしがみついた。そして子供のように大声で泣き出した。
ユージーは爪をひっこめてマリアの髪をなでながら、この姿の時はいつもマリアは泣いてるなと考えていた。
泣いて泣いて泣いて、体が細くなったんじゃないかと思えた頃に、ようやくマリアは顔をあげた。そして手の甲で涙をふいた。
「ごめんなさい、私どうしてこう、弱いのかな」
「おまえは強いよ、マリア。すばらしい治星官だ」
マリアは首をふった。そして言った。
「タフベルト一派を一掃できたら、私、星に戻ることになると思うけど、そうしたら、私たち二度を会わないことにしましょう」
ユージーは目を見張った。
「私、この二十年間自分を強く強く鍛え上げてきてたのに、自分を一人の個人じゃなくて次期治星官という公人なんだと思おうとしてたのに、たった一月で、ただの人間に・・・ううん、ただの女になってしまったみたいなの。
私、自分がこんなにも人に甘えたがっているなんて思いもしなかった」
「甘えてはいけないのか?」
「いけないの。私はこれから、私の子供が成人するまで治星官でいなければならないの。強くなくちゃいけないのよ。くずれるのなんてあっという間だわ」
「私のせいか」
「デモノバイツって、力強くって、すごく頼れるもの。そばにいてくれるだけで安心しちゃって。もう、あなたがいないと何もできなくなってしまいそうなの」
「・・・・・」
「あなただけじゃないのよ。私を甘やかすのは。・・・ユージーもそうよ」
「・・・ユージー?」
「ユージー、出て行ったの」
知ってます。
「そしたら私、もうアイランズのこともどうでもよくなって、タフベルトなんか勝手に主席にでもなんでもなればいいって思って、もうちょっとでユージーのあとを追いかけていくところだったのよ。
ううん、一晩中ずっと考えてた。傭兵になろうかって。傭兵になってユージーのそばにいようかって」
ユージーの体が、カッと熱くなった。耳がジンジンいいはじめる。
「信じられないでしょ。一月前までユージーには会ったこともなかったのよ。それなのに、ユージーがいないだけでこんなに恐くて、自分がわからなくなるなんて。
ユージーのそばにいられるんなら宇宙なんかどうなったっていいなんて、アイランズの人たちが知ったらすごくがっかりするでしょうね」
ユージーはどうしていいかわからなくなって、ひたすらマリアの紅い髪をなでた。
「でもユージーはレーコっていうアンドロイドと一緒に暮らしたがっているし、私は、アイランズに責任があるの。ここでアイランズを捨てて、ただの女になってしまったら、お父様の死を一年も隠していた意味がなくなるでしょ。
だからね、ユージーとはもう会わないし、あなたとも、もう会わないようにする。
つまんないけど、タフベルトでもかたづけて、アイランズに戻るわ」
タフベルトもいい面の皮だ。ユージーは目を閉じた。もしも俺がデモノバイツでなく、普通の人生を持てる男でさえあれば、腕づくでもマリアをさらって逃げるんだが。
「ユージーは、地球を出て行った」
「えっ?」
「シュルツのところで聞いたよ。あの男はもう地球にはいない」
「・・・・・」
マリアはまたユージーの毛の中に顔をうずめた。が、泣きはしなかった。
「・・・・・デモノバイツ、私は強くなれるかしら」
君は悲しいほどに強すぎる。
ユージーは思った。




