17 衝撃
そのニュースが惑星ホワイツと地球にいる一部の人間を震撼させたのは、マリアの二十歳の誕生日の三日後のことだった。
その日、マリアとユージーは再び大学へ出ていた。
学内でクレイモアを見ることもあったが、マリアは完全にその存在を無視した。クレイモアもマリアに近づこうとはしなかった。ただ、レーコだけが、遠くからユージーの姿を見送るだけ。
ユージーがその連絡を受けた時マリアは講義を受けており、ユージーは教室の最後尾の列に浅く腰かけて内外に視線を走らせていた。その時腕のビジョコムが赤いランプを光らせた。受信のしるしである。
礼儀としては、教室から出て会話をはじめるべきなのだが、教室から出ている間にマリアに危険がせまらないとも限らない。ユージーはやむなく立ち上がり、教室の後ろの壁にもたれかかって会話をはじめることにした。
前で講義をしている白髪の教授はギョッとしたようだったが、ユージーがボディガードであることは知らされていたのでなんとか平常心をたもった。
平常心をたもてなかったのは、ユージーの方だった。
「死んだって?」
その声は、教室の比較的後ろの方に座っていた学生たちをふりむかせた。
ユージーの顔色が蒼白になっている。
「チクバが?」
シュルツはすでにショックのあとなのだろう、不自然な落ち着きで、ユージーに情報を伝えた。
「ついさっきホワイツからの通信が届いた。飛行機事故だったらしい。原因はまだ不明だが。・・・ユージー。すまないが、おまえにつらい役目をやってもらわねばならん。マリーアネットにこのことを伝えてくれんか」
「・・・わかった」
段差のある教室、座席にすわっている学生、窓の外に見えるポプラの並木、そういったすべてのものがぼうっとかすんで見えた。
三十年前、俺は、ホワイツ家の人間を未来永劫守り続けると誓った。誓ったはずだったんだ!
ホワイツにいればよかった。チクバのすぐそばにずっといればよかった。
講義の後、自分の横に立ったユージーを見上げて、マリアは驚いた。顔色が真っ青だ。
「どうしたの?」
「・・・屋敷に戻るんだ」
「え?」
「いいから」
マリアはユージーにひきずられるように車中の人となった。
車の中で、ユージーは呼吸を整え、そして言った。
「チクバ治星官閣下が亡くなられた。飛行機事故だったそうだ」
マリアはまばたきを二度した。
ほっとしていた。予定どおり、うまくいった。もしかすると官僚たちが裏切って予定通りにやらないかもしれないと疑っていたのだ。安堵のため息をついて顔をあげると、ユージーがじっと見つめている目とぶつかった。
「気をしっかり持つんだ」
泣きもせず落ち着いているマリアを、ショックのあまりわけがわからなくなっているのだと思っているらしい。
「・・・そうね」
アイランズの官僚たちは、打合せ通りに葬儀をおこなってくれるだろうか。死骸は冷凍にしておいたから死んだ時のままに保たれている。もう少ししたら、留学の途中だけれど、治星官としてアイランズに戻ることになるはずだ。そして、チクバが一年前に死んでいたことを隠し続けなければならない。
危険が減るわけじゃない。別なものに変質しただけだ。
屋敷につくと、広い駐車場に、四台の軍用車と、一台の高級車がおいてあった。
心臓がはねた。うまくいった。罠にかかった。うまくいったのに、胸が痛む。
「誰だ? シュルツには来ないように言ってあるが」
というユージーのつぶやきに、マリアは答えた。
「タフベルトよ」
「えっ?」
ユージーがきょとんとマリアを見た。何かのひょうしにひどく純真に見えてしまう黒い瞳だ。このユージーに、これから冒涜的な光景を見せなければならない。自分がどれだけひどいことをしたか、見せなければならない。マリアはそれでも冷ややかに言った。
「私ね、このあいだタフベルトのところに乗り込んだとき、今日のことを予告しておいたの。驚くことがおこります。それが私の覚悟ですって」
「・・・え?」
「タフベルトはお父様が死んだことを聞いたのよ。それでやってきたの」
ユージーには言葉の意味がよくわかっていないようだった。わかるはずもない。
タフベルトのような悪党でなければ、わかるはずもない。
マリアは、父親の死を使って、タフベルトを罠につきおとす最後の一押しをしようというのだ。マリアには、それをやってのける覚悟ができていた。
「ユージー、今からタフベルトに会うけど、あなたもついてきて」
「それはもちろん」
「それでね、決して口をきかないで」
「え?」
「タフベルトにあなたをデモノバイツだと思わせたいのよ。最後のかけひきになる、優位に立ちたいの。でも今からデモノバイツを呼んでる暇はないからあなたをデモノバイツだと思わせる! いいわね、あなたは口をきかないで、それから何を聞いても驚いた顔をしないようにして」
「・・・!」
「今説明してる暇はないのよ。お願い」
「・・・わかった」
自分の屋敷ながら、敵陣に乗り込むような気がする。
フロアに入ってみて驚いた。
そこにいたのはタフベルトだけではなかった。軍の総参謀長。T・シュレイダー。同じく副参謀G・ベネット。首都防衛司令官S・グリンドレー。
かかった。このメンバーがタフベルト派なのか。一掃させてもらうわよ。
なんていう心の中はチラとも見せずに優雅に歩み寄る。
すでにもっとも大きなソファにどっかりとすわっているタフベルトがしんねりとした目でマリアを迎える。マリアはタフベルトの前までゆったりと歩き、そこで止まった。ユージーが黙ってその背後にソファを持ってくる。
マリアは確かめもせずにそのソファに座ると、足を組んで見せた。一人でこのそうそうたるメンバーを一大ペテンにかけようというのだ。このペテンに、大げさでなく宇宙の運命がかかっていた。
しかし勝機はマリアにあった。
ここにこのメンバーがそろったということ自体、罠に落ちたも同然。
「その男がデモノバイツなのか」
総参謀長が言った。マリアはチラリとそちらに視線を流し、長いまつげでうなづいてやった。タフベルト以外の全員がユージーに注目する。デモノバイツの存在を知っている程の高級軍人とはいえ、やはり半信半疑でいるのだろう。
ユージーはマリアの後ろに立って、瞳の色を黒から赤に変えて睨みつけた。
さすがの軍上層部の面々も一様に息をのんで視線をはずした。
「お父上が亡くなられたことを聞いてな。悔やみにきたんだよ」
「・・・いい人でしたわ」
マリアは艶然と微笑んだ。
「でもいい人すぎましたわね。冒険のできない人でしたのよ。先日タフベルト様に言われて気づきましたの。父は愚かだって。私には父に無い夢がありますもの。ホワイツを独立させるっていう」
男たちが視線を交差させる。
「覚悟は確かに見せてもらった。・・・どうだね」
どうだね、は、タフベルトが他の面々に向かって言ったのだ。男たちは、おそらくマリアが、つまりアイランズがクーデターの援助を申し出たことを信じ切れずにいたのだろう しかしこうなってはマリアの覚悟と力を信じないわけにはいかない。
ユージーもここにいたってやっと気がついた。タフベルトは、マリアがチクバを殺したと、殺させたと考えているのだ。マリアがそうとらえさせたのだ。
マリアは、自分の権力欲のために父親を殺し、アイランズの実権を握り、そしてタフベルトを政府の最高評議会首席にさせてアイランズを独立させ、願わくは惑星の中で地球につぐ位置を手にいれようと野望をもっているのだと、そう思わせるのに成功した。
それはもちろん、チクバの死の知らせがいつくるのかマリアが前もって知っていたからこそ打てた博打だった。タフベルトたちは、マリアの重大な秘密を握ったつもりになった。謀は、互いに弱みを握りあうことで可能になる。
「まかせておきなさい」
タフベルトは鷹揚に言った。
「軍がこちらの手にあるのだ。万にひとつも失敗はない。君もその瞬間に立ち会う権利がある。わしのそばにいたまえ」
「まぁ! 光栄ですわ」
冷たい汗が背中を伝う。クーデターの当日にタフベルトのそばにいるということは、罠とばれた時点で命が危うい。しかしこれは、必要なリスクだ。瞬時に覚悟を決めた。
「あなたが宇宙を手に入れた瞬間をこの目で見たいわ。そうだわ。そのすばらしい日はいつですの?」
「まだ決まってはおらん」
まだマリアをはっきり信用したわけではないのだろう参謀司令官T・シュレイダーが横から口をはさんだ。
もっとも、決行の日が決定していないのは本当だろう。その日に同行できるのはかえってよかったかもしれないとマリアは思った。その日を確実に知ることができる。
「地球とアイランズの未来の為に」
タフベルトたちとマリアは、もてなされたアルコールのグラスをあけて結束を誓った。
玄関ですべての車が出ていくのを見送り、フロアに戻ったマリアは、鉄の柱のように立っているユージーに向かい合うことになった。
タフベルトが帰ったのを見定めて出てきたドリーが心強く見える程に、今マリアはユージーが恐かった。
「ユージー・・・」
「お父上はいったいいつ死んだんだ」
あ、と、マリアは声をあげそうになった。私がお父様を殺したんじゃないこと分かってくれてる。さっきのが私のかけた罠で、だからお父様が本当はずっと前に死んだんだってことも分かってくれてる。
「・・・一年前に・・・」
ユージーの目が驚愕に見開かれ、唇が何か言おうとして開き、また閉じられた。
「しかたなかったんだよ!」
と言ったのはドリーだった。
「マリア様が二十歳になる前にチクバ様が亡くなったら、地球から勝手な治星官を送られてきてしまうんだ。それを防ぐには、チクバ様の死を隠しておくしかなかった」
ドリーの声は涙声になっている。
「一番つらかったのはマリア様だよ! 悲しい顔一つできず。平気な顔をして、人知れず政務をおとりになっていたんだよ。お葬式もだせずにさ」
「わかってる。黙ってろ」
ドリーは絶句した。ドリーは、ユージーがチクバとの友情をどれほど大事に思っていたか知っていた。チクバの死を一年も知らずにいたことがどれほどやるせないかも想像することができた。
しかし、ユージーはマリアに自分の悲しさや、その死すらも実の娘によって政治に利用されてしまったチクバへの同情を語るわけにはいかなかった。
「・・・ま、俺には関係のないことだ」
ユージーは言って、マリアたちに背を向けてソファに投げ出すように体を預けた。
ドリーは急いで話題を変えた。
「大変なことになったね! 首都防衛司令官グリンドレーまでが参加するなんて! クーデターを抑える立場の人物だよ。下手するとクーデターが成功しちまいそうだ」
「大丈夫よ。・・・ドリー、忘れたの? こっちには強い味方がいるじゃないの。どんな軍隊にも立ち向かえる強い味方が」
ドリーは息をのんだ。ユージーの肩がびくりと震えた。
マリアは、微笑みさえ浮かべて言った。
「デモノバイツがいるじゃない」
ドリーとユージーの間に重たい緊張が走った。デモノバイツがクーデターの鎮圧にまわってしまっては、ユージーにマリアの護衛ができないじゃないか。
マリアは、二人の緊張には気づかずに話を続けた。
「デモノバイツがクーデターと戦ってくれることは大前提なの。じゃないと戦力的に足りないもの」
「で、でもねぇ。デモノバイツにはマリア様の護衛をしてもらわないとねぇ」
「護衛ならユージーがいるじゃないの」
マリアとしては、ユージーへの精一杯の信頼の表現だった。が、ドリーとユージーの間の緊張は、今にもちぎれそうに張り詰めた。
もうだめだよ! 正体をあかしておくれ! ドリーは祈った。
ユージーは立ち上がった。そして言った。
「いやなこった」
え? とも言えずにマリアはユージーの方を見た。今なんて言ったの?
「クーデターの中心にいるマリア様を俺一人に守れって? ご冗談を。だいいち俺をまぜてくれるわけがないよあのタフベルトがね。・・・さて、マリア様。たしかこないだ、去るも残るも自由だとおっしゃいましたね。このあたりがひき時のようだ。俺は抜けるよ」
マリアはぼう然とそのユージーを見ていた。この土壇場で自分のもとからユージーが去ろうとするとは、どうしても信じられなかった。
「あなたの護衛はいい金になったんだがね、命あってのものだねだ。さよなら。ご武運を祈りますよ、じゃじゃ馬姫」
ユージーは歩き出した。
マリアは胸につけていたルビーのネックレスをはずすと、ユージーの背に投げつけた。ユージーはふりかえらずに出て行った。