16 ハッピーバースデー
誕生パーティは無事始まり、ユージーはドリーに[地上最強のハウスキーパー]の称号を贈ると言ったが、いらん、と断られた。
この十日間の間、休む間もなくきりきりまいしていたドリーは、今日もやはりキッチンできりきりまいしていた。目の下のくまは慢性化している。
ユージーも礼服に身をかため、客に紛れて会場を警護しているが、漂う殺気が冷気となって漂い、誰もユージーには近づこうとしない。しかしその冷気もたいして目立たなかった。そんなものを打ち消してしまう圧倒的な存在があったからだ。
言わずと知れたマリーアネット・ホワイツ。
髪の毛を結いあげて大きな蘭の花をあしらい、先をたらしている。今日は化粧も薄くひいて、肌が匂いたつようだ。
しかし、マリアの美しさは、造形の美しさではないのだ。マリアの顔や姿なんか、ユージーも毎日見慣れているし、別段しみじみときれいだとも思ったことはない。
しかし、今日のマリアは、ホワイツの次期治星官としてのマリアだった。魂から光輝く気迫を放っている。高貴、ひたすら高貴。 ユージーはフロアの隅で、そんなマリアを見ていた。改めて思う。マリアと自分の立つ位置の違いを。
「マリーアネットも成人か。よく無事に育ったものだなぁ」
いつのまにか、シュルツがそばに来ていた。
「そうだな」
「チクバも感無量だろう。惜しむらくは娘の成人の姿をその目でみることができないことだなぁ。留学制度なんて実にくだらんものだ」
涙声に、おや? とシュルツを見ると、目に涙をためている。どうも自分が感無量らしい。
「三十年前、ここでよく酒を飲んだなぁ」
「ああ・・・」
「チクバは強かった。いくらでも飲んだ」
「うん、マリアも・・・」
「そうか、さすがチクバの娘だな!」
「俺が飲めないのをからかうのも変わらない」
「そう。おまえは飲まんし食わんし無口だしで困ったもんだった。今と同じようにどんな時でも仕事を忘れてなかったなぁ」
と、そこに入ってきた、とりまきをひきつれた人物を見て、シュルツは顔をしかめた。
「おいおい、タフベルトじゃないか。あいつも呼んだのか」
「まぁね。それどころか、あの男が今日の主賓でね」
「なんだって?」
タフベルトをマリアが迎えて嬉しげに話をしているのをシュルツは驚いた顔で見つめた。
「お、おいユージー・・・」
事件はその時に起こった。
玄関のあたりで何か騒いでいると思ったら、受付の警備員がフロアに倒れ込んできた。何か強い力で放り投げられたらしい。
ユージーはハッと走り出したが、その足は途中で止まってしまった。
警備員を投げ飛ばして入ってきたのはレーコだった。そしてその後ろにクレイモア。
クレイモアは礼服を着ている。さすが育ちのよさと言うべきかりりしい男ぶりだが、いつものおだやかな上品さが消え失せ、この男にもこんな顔ができるのかという憎悪の形相で、マリアと、そしてタフベルトをにらみつけていた。
「マリーアネット。僕への招待状は途中で事故にあったんでしょうね」
フロア中の人間が息をつめてその銀髪の貴公子と、紅い髪の貴婦人を見つめている。
マリアは冷たい微笑を浮かべた。
「私がサインした招待状の中にあなたあてのものはなかったようよ」
「君はそんな奴に媚びを売るのか!」
クレイモアはタフベルトを指さした。この男は紳士である。めったなことで人を指さしたりはしない。ただこれだけの動作に、タフベルトへの軽蔑と憎悪がこめられていた。
「そんな奴とはごあいさつだねぇ、クレイモア君。君は招かれざる客なんだよ。つまみだされないうちに出ていった方がいい」
レーコがいるのだ。その気になればこの屋敷を破壊することも可能だったろう。
しかしクレイモアはそうしなかった。それをするには自尊心が高すぎた。ただ静かに燃える目でマリアを見据えた。
「・・・残念だよマリーアネット。君は、悪魔に魂を売ったんだ」
「女ってね、天使より悪魔に魅力を感じるものなのよ」
クレイモアは目を見張った。それから、静かに目を閉じた。
クレイモアに襲いかかろうとするフロア中の警備員をことごとく投げ飛ばしていたレーコに、クレイモアは言った。
「レーコ・・・・・帰ろう」
クレイモアはくるりときびすをかえした。その背中が、むしろ悲しげに見えて、マリアは追いかけて行きたい衝動を必死で押さえた。今は、できない。だめだ。
タフベルトを倒すことにしたのも半分はクレイモアのためだというのに、当のクレイモアからは恨まれなければならない。マリアがクレイモアと親しいことは報告をうけているだろうタフベルトの疑惑を解き、信用させるにはこうするしかなかった。
「もうすぐわかると言ったのはこのことか」
タフベルトは、まるで自分の愛人にささやくような調子で、マリアの耳元にささやいた。マリアの首筋をなめんばかりに。マリアはほんのわずかにもたじろぐ様子を見せず、艶然と微笑みかえした。
「いいえ、まだまだこんなものじゃありませんわよ。まだ十日までには間がありますわ。楽しみにお待ちになって」
ユージーは思わず目をそらした。
「虫酸が走るな」
シュルツがユージーの気持ちを代弁した。
「マリーアネットは何を考えとるんだ!」
「・・・シュルツ。あとで誰にも気づかれないよう残ってくれないか。説明する」
「説明?」
シュルツはじっとユージーの目の中をのぞきこんだ。そしてその中にある何ものかに気づいたようだった。
「・・・そうか・・・」
「シュルツ・・・」
「わかった。また後でな」
シュルツ・ホーキーもまた、才人。一瞬にして、たった今マリアによって演出された芝居の意味を理解して、ユージーのそばを離れていった。
宴は夜もふけてますます盛況となってきた。アルコールも程よくまわり、あちらこちらでグループができてくる。
邸内は安全と見て、ユージーは邸の外のチェックに出た。爆弾テロの可能性もある。庭に出ると、きつい胸元を緩めた。
外を一回りしようと門の外に出て、今日は月が明るいのだなと気づいた。
月だけは、四百年前も今も変わらない。
四百年前、地球を立つ時には俺にだって家族はいたんだ。
その時、背後に強い気配を感じた。ユージーはとっさに銃を抜きながらその気配にふりかえった。
マリアだった。あらら、という顔で銃口を見ている。
「マリ・・・!」
ユージーはあわててマリアの腕をつかむと、門の中に入って大きなガジュマルの木の影にひっぱっていった。ここなら安全だ。
「どこからスナイパーが狙ってるかわからないんだぞ! どうして出てきたんだ!」
「何言ってるのよ!」
マリアにどなりかえされた。なんだかものすごく怒っている。
「あなたが出てくのが悪いんでしょ!」
「・・・はぁ?」
「あなた私のボディガードなんでしょ。どうしてあんなところに私を一人にして行くのよ」
「フロアには異常はない」
「私はあの息の臭いタフベルトにまとわりつかれるし腕をこすりつけられるしお尻は触られるし、さっきのクレイモアの騒ぎで客は興味津々って目で見るし、なのにあなたは一人で出ていくのね」
心細い、一人にしないで、と口に出すにはマリアは大人すぎたし若すぎた。
「早く戻らないと変に思われるんじゃないか」
「もう少しだけここで休ませて」
巨木の影。二人の姿は誰にも見えない。
「外は危険だ」
「あなたプロでしょ。俺がいるところが一番安全だ、ぐらいのこと言えないの?」
「あなただって外交のプロだろう?」
「・・・わかったわよ」
マリアの声にむくれた響きが混じった。
「戻るわ。ユージーの冷血動物」
「あ、ちょっと、待って」
「何よ! 戻れと言ったり待てと言ったり! はっきりしてよね!」
と怒って振り返ったマリアは、ユージーが視線を泳がせるのを見た。
「どうしたの?」
「あー、まあ、誕生日だし、やっぱりお約束というものはしておかないと、まずいので」
「何なのよ」
「いや、だから、まぁ」
ユージーは胸ポケットに手をつっこむと、なにやら鎖のようなものをジャラリとつかみだした。わざと無造作に。
「誕生日おめでとう」
ユージーの大きな手の間にキラめくものを見てマリアは目を見張った、紅いルビーのネックレス。
「ユージー・・・」
「いいかげんに注文したらこんなのが来たんだ」
いいかげんに選んだものが、こんなにマリアの紅い髪に合うものであるはずがない。
マリアは幸せなため息をついた。プレゼントがこんなに嬉しかったのは始めてだ。
「私、一生大切にする」
マリアは後ろを向くと、右手で背中にゆれる紅い髪を持ち上げて白い首すじをさしだした。
つけてくれ、というのだった。無防備な姿。はかなく白い首を見ているとつい絞め殺したいような衝動すらおこる。首をしめて、マリアが自分の腕の中で息絶えるのを見ていたいような・・・。
ユージーはマリアに近づき、両手をマリアの体にまわした。そのとたん、マリアもやっと自覚した。自分がどんな状況を作り上げてしまったのか。ユージーの指が、マリアの胸の前から首のまわりをかすめてゆく。いや、かすめるというのはこういうものじゃない。指が、首の横を上から下へとなで、もう一度前に廻って鎖骨を伝い、サラサラと鎖の音をたてながらうなじをなであげる。
「・・・止め金が小さいな」
そう、ネックレスをつけてもらっているだけだ。それは間違いない。包み込まれ、愛撫されているとしても、それはネックレスをつける途中の必然。
そんなことは嘘だ。けれど本当にしてはいけない。
ユージーは止め金をかけたようだった。離れてゆく。かすかに息がうなじにかかった。
マリアはふりかえった。離れてゆくのを引き止めたかった。でも、見上げたユージーの顔は、何事も無かったように冷静だった。
「ありがと」
マリアは言った。
「いや」
ユージーは言った。そして二人は屋敷に戻った。
その夜もふけて、やっと最後から二番目の客タフベルトも追い出した後、ユージーの部屋に隠れていた最後の客、シュルツを居間に通して、マリアたちは計画をうけあけた。
「おそれいったな!」
シュルツはうなった。
「のらない、と言えばどうするつもりだ?」
「あなたはのります」
マリアはすましている。
シュルツとタフベルトの仲が悪いことはクレイモアから聞いてわかっている。それにこの計画でシュルツが出てくるのは一番最後の段階だ。すなわちタフベルトが完全に罠にかかった時だ。リスクは少ない。取引としてはシュルツに有利なはずだ。
ところがシュルツの方では,たとえ不利でもマリアの為ならどんなことでもしよう、と考えていた。
「やれやれ、マリーアネット。君はふらっと地球に来て、たった一人で地球一の悪党と二番目の悪党を退治するつもりかい? いやはや、無茶もいい所だ。驚いたねぇ」
とシュルツは首をふったが、その目は嬉しそうに輝いている。
「俺は止めたんだ」
ユージーが言った。
「私も止めたんですよ」
とドリー。
「私は感動したよ」
とシュルツ。
この中でシュルツだけが正直者だった。
「だが、タフベルトのクーデターを迎え撃つにはこっちもかなりの戦闘力が必要だろうな。いつぞやおまえらを襲った『死神の鎌』だのいう変なテロリストたちだが、タフベルトの息がかかっとる。軍以外にも手をのばしとるようだな」
「襲わせたのがタフベルトだったということか?」
「そういうこともあるだろうな。最初からマリーアネットを狙っとったんだろう。それからな、警察のふりをしておまえらを襲ったというあの連中、ふりじゃない、本物の警察だった。あれもタフベルトの差し金だとすれば、奴の力は警察にも及んどることになる」
「自白させたらどうだ」
「奴らは逃亡したよ。逃がしたんだろうな。だが結局身元は分かった。ついこないだ発見されたんでな」
ユージーはある予感に眉をひそめた。
「どこでだ?」
「ゴリキー山のすそ野だ。死体になっていたよ。口ふうじに殺されたんだな」