14 口づけは覚悟のために
マリアは[誘拐]の証人だ。
生きているとわかればタフベルトがほっておくわけがない。
ユージーは一晩中警戒していたが、その日は何もおこらなかった。
ところが、無事に一夜があけてほっと息をついた時、朝靄の中を歩く人影を見てとびあがった。
マリアだ。
マリアが庭に出ている。
馬鹿野郎、狙撃されたらどうするんだ!
とどなろうとして、マリアの手に白いハンカチがあるのに気づいた。マリアはそっと楓の木にハンカチをはさむと、また音もなく戻っていった。
ユージーは一つため息をつくと、服をぬいできちんとたたんだ。
窓を半分開けて、マリアはベッドに座ったまま外を見ていた。デモノバイツは来てくれる。そう言ったんだから。
外の小枝に小鳥が飛んできてとまった。ちちっと鳴くと、マリアの部屋に飛び込んで、マリアのひざの上に乗った。
「・・・デモノバイツ?」
チチッ、と小鳥は鳴いて、ひざの上から床の上に飛び降りると、見る間にふくれあがり、魔物の姿になった。天井がさほど高くないので、かなり小型だ。
「来てくれたのね」
マリアは体を震わせて喜んだ。
ユージーにしてみればどうもそれが気に入らないのだが。
「落ち着いたか」
「大丈夫。よくあることだから」
そんなことを何気なく言う。
「頼みがあるのよ」
「ふむ?」
「ねぇ、私のボディガードになっている男の人を見たことある?」
「あ、ああ、黒い髪をした男だな」
「それよ! どう? なれる?」
今その男から変身してきたばかりです。
「な、なれんことはないが、しかしそんな男に化けさせてどうしようというのだ」
「タフベルトのところに乗り込むの」
「・・・なんだって?」
昨日命からがら(俺が)逃げて来たばかりですが?
「私が助かったことはもう知ってるだろうから、誘拐のこと訴えられないうちに私を殺そうとするはずよ。私も殺されたくないから、こっちからのりこむの。ね、一緒に来て。ユージーの姿だったら、いつも一緒にいるんだから警戒されないと思うの」
「行ってどうしようというのだ」
「タフベルトは悪党よ! 絶対にあんな男を主席になんかさせない。それに私の友達の星があの男にはひどい目にあってるし。私、決めたの。あの男は許さない」
そう言ってマリアはほほえんだ。あの有名な[鉄と氷の微笑]だ。
ユージーはゾッとした。
「どうするつもりなのだ?」
「それは一緒にくればわかるわよ。ね、来てくれるでしょ」
「ああ、まぁいいが」
「ほんと! よかった!」
目を輝かせるマリアを見ながら、ユージーは複雑な気分だった。それなら最初からユージーに一緒に来てくれと言えばいいのに。どうして俺を信用しないんだ。
「じゃあその男になってみよう。そこのシーツをくれ」
「シーツ?」
「服を着た状態に変化するのは無理なのだ」
「あ・・・」
マリアは赤くなって、シーツを渡した。
ユージーはじょじょに変身を解いて腰から下にシーツを巻きつけた。なんのことは無い、もとの自分に戻るだけだ。
ところが、すっかりもとの姿に戻ったとき、あっ! とマリアが小さな悲鳴をあげた。ユージーはギクリとした。しまった! 少しは違えていればよかった! あまりにそっくりすぎて俺だとばれたのか!
マリアは目をうるませて、そして言った。
「キレイ。本当に髪青くなるのね。ね、触っていい?」
そっちか・・・。
「ね、少ししゃがんでよ」
ユージーが腰をかがめると、マリアは手を伸ばして髪をなでた。
「ガラスでできてるみたいね。透き通ってる」
そのユージーはマリアの髪を見ていた。燃えるように紅い。炎の糸。
と、マリアは細く白い両腕を、ユージーの首のまわりにからめた。そしてユージーがハッとする間もなく、唇でユージーの唇に触れた。
ややあって、マリアは唇だけユージーからはなし、これが実に無邪気な笑顔をユージーに向けたのだ。
「人間はね、好きな人にこうするのよ」
ユージーは頭がぐらぐらしている。嘘つくんじゃない。好きな人にするんじゃないだろう。好きあっている者同士がするんだぞ。
「キスっていうの。私ね、もう二十歳になるのに、キスもしたことないの。女じゃなかった。ううん、人間でもなかったのかな。私はひたすら[次期治星官]だったから。ね、寂しい人生おくってると思わない?」
「・・・・・」
「恋がしたいなんて思ったことなかった。そんなもの治星官の仕事に必要ないもの。でもね、聞いてくれる? 私、アンドロイドが恋するのを見たのよ。それまではただ戦う為の機械だった。でも、その時から人生が始まったの。人間になったのよ。私だって人間よ。人生があってもいいと思わない?」
ユージーは黙っていた。マリアはおそらく、結婚相手も子供を産む時期も自分で決めることは許されないだろう。
「こんなグチだってね。誰にも言ったことないの。あなたにしか言えない。[鉄と氷の女]だから」
「・・・・・」
「ね、キスしてくれない?」
ユージーは心臓が止まったような気がした。
「そ、それは、しかし、好きな人間とするべきだ。きっとそうだ」
「私あなたが好きよ」
マリアは目をつぶって唇を差し出した。
ユージーはゴクリとのどをならした。なぜいけない? 俺はデモノバイツだろ。
ユージーはそっとマリアの頬に触れると、マリアの唇に唇をかさねた。柔らかく、熱く、甘い唇。
体が、焼ける。ああ、俺がユージーだなんて絶対言えないな。
閉じていた目をあけた時、マリアは一粒涙を落としたが、ユージーにはその意味がわからなかった。ユージーはこの時気づかなければならなかったのだ。マリアが決死の覚悟でいることに。
絶対にタフベルトを許さない、と、マリアは笑顔で言った。しかしそう決めるまでに、この部屋で一日のたうち苦しんだのだ。
うまくいけば、移民星は救われるだろう。しかし失敗すれば、ホワイツの治星官は、ホワイツ家の一族ではなくなるだろう。
死ぬかもしれないその前に、恋の、人生の、真似ごとでもしておきたかったのだ。