11 青い髪
その夜マリアはアルコールを居間に運び込まなかった。
昨夜酒を飲んでぶったおれたユージーの無様な姿を見たからだろうとドリーは喜んだが、実はそのドリー自身が今夜の禁酒の原因なのだと知ったらどう思ったろうか。
昼間怒りにまかせてアーチボルトを追い返したが、それは、それでドリーの髪の毛を渡さずにすんだということでもある。
ドリーがデモノバイツなんてありえない。ドリーは私が生まれた時には既にアイランズで兵士をしていたんだし。そしてそれからずっと私を守っていてくれた。
守って・・・? デモノバイツはホワイツ家の人間を守る?
だけど、まさか。だってドリーの髪は栗色だ。青なんかじゃない。あれは染めてるんじゃない、はず。
確信が持ちたかった。ドリーがデモノバイツなんて化け物ではないと。
マリアが酒を飲まなかったのは、眠ってしまわないようにだ。ドリーは寝る前にならないとバスを使わない。その後を調べて、もしや髪を染めた跡でもあったら・・・。
マリアは廊下に隠れて、ドリーがバスルームから出てくるのを待っていた。この屋敷にはバスルームが五つもあるので、それぞれ別々のバスを使っているのである。三十分程たってドリーは出てきたが、頭をバスタオルでぐるぐる巻にしていて髪の色はわからない。
そのまま自分の部屋に入って行く。
マリアはそっとバスルームに忍び込んだ。まずダストシュートをのぞきこむ。一般のダストシュートはやわらかいものは粉々に砕き、固いものはつぶしたあげくにバキュームの力を利用してそのまま自動的にゴミ処理場に送られるシステムになっているのだが、この屋敷は年代物なので、ダストシュートにはちゃんと底があって、ゴミが入っているのだ。
ゴミ箱に入っていたのは、バスルームを洗う洗剤の容器と石けんの包み紙、洗面台をふいたのだろうティッシュペーパーが数枚。他には髪の毛一本も入っていなかった。
不安が胸をしめつける。
バスに髪の毛が一本もないっておかしくないだろうか。もし、髪の毛を落とさないように特別気をつかっているのだとしたら。
マリアはバスルームの美しい緑のタイルに手をついた。ひざをついてはいつくばり、目をこらしてタイルの間を見た。何もない。タイルの上にまだ残っている水にマリアのローブが濡れた。
バタン!
突然ドアが開いた。マリアは心臓を握りつぶされたような思いでドアの方に顔をあげた。ドリーの巨体が入口をふさいでいた。まだ濡れている髪の毛は、栗色だった。
「何をしてますの。マリア様」
マリアの舌は上顎にくっついたまま離れない。
「何ですかそのかっこうは! 蛙みたいに! マリア様はそんなことをなさっていい人じゃないんですよ!」
マリアはしゃきっと立ち上がった。ドリーに怒られたのは久しぶりだ。子供の頃から何度もこうやって叱られた。そのドリーがもしデモノバイツだったら? 人間でないとしたら。
「ドリー、私ドリーが大好きよ」
マリアは唐突にそう口にしていた。ドリーは目を丸くした。
「何言い出すんですかいきなり」
「ドリーが誰でも私ドリーが大好きだからね」
「・・・わかりましたよ。寝ぼけたんですね、まったく」
ドリーはあきれたように大きくため息をつくとマリアを両腕で抱きしめて背中をぽんぽんとたたいた。
「ご自分の部屋に戻ってお休みなさいな。疲れてるんですよ。何も心配ありませんからね。大丈夫」
マリアは泣きたい気持ちで、部屋に戻った。
マリアを部屋に戻した後、ドリーは自分の部屋には戻らなかった。ドリーはそのまま階段をおりると、一階のバスルームへと向かった。灯りがついている。ユージーが使っているのだ。
ドリーはそのバスルームの前で深く息を吸い込むと、その大きな手でドアをたたいた。
ドンドンドン! ドンドンドン!
「ユージー、ここを開けな! 開けなきゃ力ずくで入るよ!」
中から影が見えてきた。このバスルームはドアにすりガラスが入っており、床はカーベットになっている。
ガチヤリ! ドアが開いた。
「マリアに何かあったのか?」
白いバスローブをひっかけてユージーが顔をだした。頭からバスタオルをかぶっていて、顔は口もとしか見えない。
ドリーは怒りに燃える目でユージーをにらみつけた。
「マリア様がね、この私がデモノバイツでないかって疑ってるんだよ」
「・・・え?」
「私のマリア様がね、バスルームの床にはいつくばってね。あられもないかっこうで私がデモノバイツじゃないって証拠を探そうとしてらっしゃるんだよ。デモノバイツがマリア様をそこまで追い詰めたんだよ。わかるかい」
ユージーはぶっきらぼうに言った。
「それが俺を風呂からとびださせた理由か? 悪いが何でもないならかんべんしてくれないかね。髪洗ってる途中なんだよ」
ユージーはひっこんでドアを閉めようとした。そのドアをドリーはつかみ、強引に中に入り込んだ。
「とぼけんじゃないよ! あんたのことを言ってんだよ!」
そして、すばやくユージーの頭からバスタオルをひっぱり落とした。ユージーがあっとおさえた時にはもう遅かった。薄暗いバスルームの中に青い光がさす。ぼんやりと光を放った青い髪の毛がユージーの額におちた。
「ううっ」
ユージーは両腕で隠そうとしたが、もう、手遅れだ。
「やっぱり、やっぱりあんただったんだね」
ユージーの黒い瞳がギラリと光り、左腕をあげた。その腕には、昼間撃たれたあれほどのキズが既に無い!
その左腕の形が、何か変だ、とドリーが感じた次の瞬間左腕がものすごい早さで伸び、ドリーの首をつかんだ。いや、つかんだというのは正しくない。正確には、ドリーの首にまきついたのだ。手首もなく、指もなく、ドリーの太い首に何重にもまきついてゆく。ドリーの額が黒ずみはじめ、脂汗がにじみはじめた。
しかしドリーは霞みはじめた目で、ユージーをにらみつけていた。
ふいに、ドリーの首にまきついている[何か得体のしれないモノ]の力が弱まった。その[何か得体のしれないモノ]はシュルシュルと首から離れるとユージーの左腕に戻った。ユージーはガクリとひざをつくと、カーペットの上に座り込んだ。右の手のひらで顔をおおった。
「ゲホッ! ゲホッ!」
ドリーは壁にもたれかかってむせた。
むせながら、全面降伏してしまった体制のユージーを見下ろした。
自分がデモノバイツだということがバレてしまったことを嘆いているのか、それともドリーを殺せない気の弱さを嘆いているのか。弱々しく、まるでドリーの前に祈っているような姿のユージーを。
「けっ! 私一人殺しきれないのかい。何万人も殺してきたんだろ、今さらいい子ぶるんじゃないよ」
ユージーはギラリとした目をあげた。
「俺がデモノバイツだということをマリアには言うな。言えば殺す」
その懸命にすごみをつけようとしている言葉のどうしようもない殺気の無さに、ドリーはひどく切なくなった。
ああ、この男には私が殺せない。
ドリーはトイレのふたに腰かけて、ユージーに話しかけた。
「本当のことを話した方がいいんじゃないのかい? ずっと未来に渡って、ホワイツ家の人間を守り続けるってチクバ様に約束したこともさ」
ユージーはぴくりと左まぶたをふるわせた。あまり表情をださないこの男の、これが驚いた時の癖らしい。
「なぜそれを? そういえば、なぜデモノバイツのことを知っていた?」
「そりゃね、私がね、マリア様に事情を説明するようチクバ様に頼まれてたからさ」
マリアはローブのポケットからフォトカードを取り出した。一枚のカードの中に数千の写真が記録できるのだが、そのカードにはただ、1 とだけカウントされている。
「これに見覚えがあるだろう」
写し出されたのは三人の若い男が並んで笑っている写真だった。
「これは・・・。これをなぜあんたが!」
「チクバ様から預かったんだよ。三十年前の写真だ。まんなかがチクバ様。左側がシュルツ次席、そしてこの右側のがあんた」
ユージーは写真から顔をそむけた。三十年前も、今も、全く何の変化も無い顔!
「俺は、三十年前傭兵としてチクバの護衛を頼まれたんだ。シュルツはチクバの学友で、きさくな連中だったからいつの間にか俺まで友人になってた。だが、チクバが誘拐されて、その時俺の正体も知れてしまったんだ」
「チクバ様はどうしたんだい。あんたの正体を知ってさ」
「面白がってたよ」
ユージーの目にかぎろいが浮かんだ。
「変わった特技だね、と言って、笑った」
「あんたこの三十年間全くチクバ様と連絡をとらなかったろう。チクバ様はね、おっしゃってらしたよ。ユージーはもしかしたら、自分を忘れてしまっているかもしれない。もしかしたら、死んでしまっているのかもしれない。だから本当に地球でマリアを守りに現れてくれるかどうかわからないけれど、もし本当に現れたら、ユージーは自分の友人なのだとマリアに教えてやってくれ、とね」
その話をチクバがドリーにしたのは、本当は一年前のことである。しかしその後すぐにチクバが死に、マリアは地球留学の予定を延期したのだった。
「じゃあ、あんたは知っていたのか? 最初から俺のことを?」
「まぁね。しかしチクバ様から聞いた時には半信半疑だったよ。長い寿命を持った宇宙生命体が人間に化けていて、留学中のチクバ様と友達になって永遠の友情を約束してくれたって話なんだよ? あんたそりゃあそれを信じるよりチクバ様の正気を疑う方が早いってもんだろ? そう思わないかい?」
だからどれほど驚いたか。あの本部ビルで、マリアがユージーを従えて降りてきたあの時。ドリーは深く深く息を吐いた。
「ああ、デモノバイツ。よく三十年前の口約束を覚えていてくれたね。私はあの時もう、嬉しくて嬉しくて、ああ、これで大丈夫だ、マリア様は絶対安心だって、胸がいっぱいになったんだよ」
チクバ様は、マリア様をおいて死んでしまったけれど、すばらしい味方をマリア様の為に残しておいてくれたんだ。
何も知らないユージーは、そんな感慨に気づくはずもなく、
「しかし地球軍人のボディガードなんかいらないってすごい剣幕だったじゃないか」
ドリーは紙をとっておもいきり鼻をかんだ。
「あんたの格好を見てね、どうやら地球軍人だってことにして護衛するらしいってことはわかったんだけど、どう見ても軍人らしくなかったからねぇ。目の鋭いマリア様が地球軍人だってことを疑わないようにそう言っておいたんだよ」
「なるほど・・・。もしかして俺を[ぼうや]と呼んでたのは俺が実は年寄りだってことをマリアに気づかれないようにするためか」
「そのとおり」
「・・・誰が俺を見て四百歳だと疑うというんだ」
ユージーは渋い笑みを浮かべたが、その奥には安堵の色があった。
「しかし安心した。俺の正体を知っている人間がマリアのそばにいてくれると守りやすい」
「・・・四百歳かい」
マリアは改めてユージーの姿と青く光る髪を眺めた。
「こうやって見てもまだ信じられないよ。髪の毛が青くなかったら全然わからない。見事に化けたもんだねぇ」
ユージーの目にうっすらと笑みが浮かんだ。
「この体は本物だからな」
ドリーは目をぱちくりした。
「・・・あん?」
「俺は人間なんだ。デモノバイツが人間に化けてるんじゃないんだ。デモノバイツになっちまった人間、それが俺なんだよ」
ユージーは、茫然としたドリーに向かって苦く笑った。