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2.部外者のようで当事者のような

手癖で何も考えずに書くと仕上がるスピードが気持ち速め。



ポール・ブノワは貴族の名門、ブノワ侯爵家の次男坊である。


今となってはだいぶ減ったという爵位を戴く貴い血筋―――――その中で、名実ともに“貴族”としての地位と権威と財力を保ち続けている大変に稀有で破格の存在。誰もが羨む由緒正しい立派で素敵なお家柄。そんなブノワ家に生まれた彼は、当然ながらすべてにおいて恵まれた勝ち組―――――などではなかった。

何故なら前述したとおり、彼は次男坊だったのだ。つまり、長男である兄がいる。


ポール・ブノワの実兄であるブノワ家嫡男のオディロンこそが、本当の意味での勝ち組であるとポールは常々思っていた。


世の常識に照らし合わせればそんなことは自明の理だろう。家を継ぐのは長男だ。従って、爵位もオディロンが継ぐ。ありとあらゆる利権の類は一切ポールのものにはならない。なったとしてもそれは一種のオマケのような恩恵で、貰えて良かったですねぇ程度のささやかなものでしかないだろう。

例えば長男がどうしようもない愚か者の類であったなら、お家存続という名目に託けてポールにもチャンスがあったかもしれない。けれど、兄は優秀だった。しかも眉目秀麗で、嫌味を吐く気も湧かない程に完璧な貴公子属性だった。

艶やかな赤毛は派手だし目立つし青い目は直視が困難な程にミステリアスで蠱惑的。爽やかながらも甘い目元に声まで耳に心地好いバリトンボイスを備えている。お約束のように高身長で運動能力もかなり高く、お約束ついでに何気ない日常的な所作ひとつとっても美しく洗練されていた。

身内の―――それも「次男に生まれたせいで」との被害妄想に鬱屈気味で拗らせかけている弟の―――目から見ても非の打ち所がまったくない。下手な童話の王子様よりよっぽど王子様らしい兄だ、と贔屓目抜きでポールは思う。そこそこ年が離れていたせいかオディロンの“弟”への接し方はだいぶフレンドリーに緩かったのだが、生まれた時からあの完璧な男が兄として常に上に立っていた現実には思うところがないわけでもなかった。

というか怖い。もう怖い。実兄がありとあらゆる理想的要素を詰め込んだ夢物語の産物のようで現実離れしているなにあれ怖い。けして不細工などではなくむしろ満場一致の勢いで美形にカウントされる顔面偏差値のポールだがそれでもあの兄の完璧さは怖い。血が繋がっているとは思えない。

いやまぁそこは間違いなく繋がっているのだけれども兄さんに比べるとどうしてボクはこう―――――止めようこの話。日が暮れる。


「私ね、どうもあなたが原因で近々婚約を破棄されるらしいわ」


そんなポールを現実世界に引き戻したのは柔らかい女性の声だった。響きだけでもその持ち主が美しいと分かる不可思議極まる音ではあるが、しかし口調そのものは平坦で味気なく素っ気ない。大した話題じゃないのだけれど、と言わんばかり口振りで、しかし内容そのものは誰が聞いてもどう足掻いてもスキャンダルの気配しかしなかった。

カフェテリア中の注目と関心を一瞬で攫っていった声の主に心当たりのあるポールは、どきどきと五月蠅い胸の鼓動を落ち着けながら見付からないよう小さく身体を丸める―――――と言っても、着席している関係上そんなに縮こまれやしなかったけれど。


「まぁ、ルブラン家のお嬢様、婚約破棄ですって。お可哀想に」


ポールが一人で占領しているテーブル席のやや後方、そこに陣取る女生徒グループからそんな同情が寄せられている。台詞と気持ちが一致していないのは取り繕う気もないからだろう。わざわざ選んで待ち構えていたカフェテリアの端の端の席、そんなポールのポジション近くにまさかのお喋り連中がご着席していらっしゃるなど正直予想していなかった―――――こんなことなら待ち伏せなどせず何食わぬ顔で彼女らのあとからカフェテリアに入れば良かったと思う。

そう、待ち伏せ。待ち伏せである。ポール・ブノワは明確な意図をもって今このカフェテリアを利用していた。誰にも知られずにこっそりと、忍ぶというか潜む感覚で。


さて―――――『ルブラン家のお嬢様』ことグレイス嬢は何を隠そう、ポールの兄オディロンの婚約者である。


大富豪の娘で絶世の美女。天は完璧な兄に二物を与えるどころかすべてを良きに計らった挙句に婚約者まで完璧な女性を据えた。出血大サービス失血死コースも大概にしろとポールは思う。

グレイス・ルブランは気付いた時には兄の婚約者になっていた。あの完璧超人を地で行く兄が、隙あらば手土産を両手に満載してルブラン邸に突撃する程に溺愛している婚約者である。

グレイス嬢はあの兄と並んでも遜色ないどころか更に美しさが際立つという珍しいタイプの女性だった。兄が相手の家に赴くことが圧倒的に多かったためにグレイス嬢がブノワ家に来る機会はまったくと言っていい程なかったし実際一度もなかったが、上級学校という学び舎に通うことによりポールは初めてグレイス嬢の姿をまともに、ちゃんと、しっかりと見た。


美人過ぎて一目見た瞬間に恋に落ちてしまったことはもう様式美で片付けていい。


いくらなんでもベタが過ぎる。だが惚れてしまったのはどうしようもない。未来の兄嫁に横恋慕など使い古された許されざる展開はそれこそ許されないだろう―――――そもそもあの兄に打ち勝って彼女を略奪出来るだなんてビジョンがまったく描けない。無理。シンプルにそれは無理。

憧れと恋は別物である、とポールは早々に諦めた。

時間に換算して約五分。熱しやすく冷めやすく、失うにしても軽過ぎるインスタントな恋だった。

いろいろ恵まれてる兄さんはいいなぁ、その豪運ほんの少しで良いからボクにも分けてくれないかなぁ、などと次男坊の悲哀を噛み締めて、しかし兄のことは嫌いではなかったので美人の義姉さんとお幸せに―――――と、しまいには祝福していたのだけれど。


「ブノワ家のご嫡男といえば、ご公務でお忙しい合間を縫ってルブランの本邸に足繁く通い詰めるほど婚約者にご執心の様子であると方々で評判でしたのに………そんな一途なお方から婚約を破棄されてしまうだなんて、本当にお気の毒ですこと………」


ポールの胃がキリキリギリギリと音を立てて絞られていく。掃除用の雑巾にでもなったような気分だが、ストレス性の胃痛に苛まれているのは自業自得というやつなので誰かに代わってもらうわけにもいかない。罪悪感で死ねたなら、少なくとも三回は絶命している。


自分で白状するのも何だが、ポール・ブノワは迂闊だった。


諦めが早い。考えが浅い。口が軽い上、圧力に弱い。見た目だけはすこぶる上等に生んでもらったため異性にはちょっと引く程モテるが中身については人並みか或いはそれ以下でしかない。そして兄の影響か、自己評価も著しく低かった。

そんなブノワ家の次男坊風情を友人として尊重してくれた唯一にして無二の学友が、何の因果か神の差配かグレイス嬢の義弟であるギイ・ルブランだったのは、たぶんポールの人生における最大最高の幸運だ。

一人娘のグレイス嬢がブノワ家に嫁いでくるのであれば、ルブラン家の後継に困る。その問題を解決するために養子に迎えられたのがギイ―――――当時のポールはそう聞いた。

そんな面倒なことをするくらいなら兄をルブラン家に婿入りさせてブノワ家は自分が継げばいいじゃないか、と拗ねていた頃もあったけれど、ギイと友人になってからはそんな打算など消えていた。だって、ギイは頑張り屋で、普通にいいヤツだったのだ。

ブノワ家の名声と優れた容姿を持ってはいるが捻くれ者のポールにはギイくらいしか友達が居なくて、だからポールは唯一無二の友達には幸せでいてほしかった。楽しいと思える毎日を、学生という短い青春を謳歌して過ごしてほしかった。それは彼がポールにくれたに等しい幸運な日々だったので、等価値かそれに近しい何かを返せたら良いなぁと幼子のように思っていた。

だから―――――ルブラン家の養子でありながら学生寮で暮らす友達が、義理の姉であるグレイス嬢のことを他人行儀に呼ぶ友達が、そして家族でありながらギイにあまり関わろうとしないグレイス嬢のことが気になった。学生寮に押し込んでギイを一人で放置しているルブラン家の人々が気になった。自分たちの都合でギイを連れて来た面々が、彼にきちんと向き合っていないような気がするのがちょっと嫌だった。


―――――ギイは長期休暇中、何をして過ごしているんだい?


さりげないふうを装って、ポールは疑問を口にする。聞こう聞こうと悩み続けてようやく最近話題に出せた。遅過ぎる。いつもは軽い口がやけに重くて自分の情けなさが嫌になったが、ギイは特に気にする様子もなくさらりと問いに答えてくれた。

そして、ポールは愕然とする。寮が閉鎖になる長期休暇中はルブラン邸に身を寄せているとばかり思っていた友達は、本邸ではなく離れの館で一人静かに過ごすのだそうだ。

可能な範囲で食卓は一緒に囲ませてもらうけれど、極力お邪魔にならないように―――――との配慮を淡く笑って口にした友達の健気な心遣いにポールは涙腺が決壊しかけたし鼻からも水とか出そうになった。花粉症で誤魔化し通したけれども。

なんてことだ、ボクの友人は養家に帰ると腫物扱いされていたのか―――――あまりにも衝撃だったから、ポールはその日の夜にはもう実の兄へと突貫していた。よくよく考えれば長期休暇中も兄はルブラン邸を訪れている。最初からオディロンに聞いておけばもっと早くギイの現状を知れたのではと思いつつ、しかし自身の要領の悪さはポールが一番知っていた。


『兄さん、つかぬことを聞くのだけれど、ギイはルブラン邸に居るときどんなふうに過ごしているのか知っていたりしないかな?』


聞き方がなんか気持ち悪い件については触れてくれるな、と祈るくらいならもっとマシな文面を考えてから口にしろ、と後悔したところでもう遅いからそこは気にしない方向で、ポールは兄の答えを待つ。

ところで、何度も言うようだがオディロン・ブノワは有能である。道徳的にも人格的にも非の打ち所がないあの兄が、いくら溺愛する婚約者の生家とはいえそんな人としてちょっとどうなのみたいなルブラン家の皆様のアレな態度を許容しているとは思えない―――――自分の勘違いだったらいいなぁ、という淡い期待をぎっしり込めて、ポールは問い掛けたのだけれど。


『ギイ? 彼を本邸で見る機会はあまりないので分かりかねるが………ギイ・ルブランは友人なのだろう? 気になるのであれば本人に直接尋ねた方が早いのではないか?』


ごもっとも過ぎるコメントしか返してもらえなくてガッカリした。けれど一つだけはっきりした―――――ギイ・ルブランは本当に、ルブラン家の本邸に居ないのだ。そこのところをどう切り出せば上手いこと話が聞けるのか、とポールは必死に考えたけれど、結局何も思い付かずに直球を放るしか出来ない。変化球を投げられる器用さの持ち合わせがなかったのだ。投手にはまったく向いていない。なるつもりも予定もなかったけれど。


『それがその、ギイは離れの館で過ごして本邸にはあまりそのぅ、なんというか………ぐ、グレイス嬢がそんな狭量な心根の持ち主だとはもちろん思ってはいないのだけど! 折り合いが悪いとかじゃなくちょっとした行き違いとか仲違いとか姉弟喧嘩とかそういうのがあったりとかしたのかなぁなんて………あ、いやその違うんだよ兄さん別にボクはグレイス嬢の性格に難があるんじゃないかなぁなんて微塵も思ってな』


『グレイス・ルブランは性格が悪いぞ』


兄は真顔で言い切った。わたわたと要領を得ない言葉を連ねるだけのポールに被せるかたちで食い気味に、一音一音噛んで含めるような力強さで言い切った。

え、と弟の目が点になったのにも構わずオディロン・ブノワは重ねて言う。


『あの女は私が知る限り、この世で最も性格が悪い』


断言だった。あの兄が、慎み深く思慮深く慈悲の精神にも厚いとされる完璧な貴公子オディロン・ブノワが、年下の婚約者に下す評価としてはあまりにも残念に過ぎる台詞を大真面目な様子で述べている。兄の表情に浮かんでいたのは嫌悪でも憤怒でもないただの無で、しかし虚しさとはまた別方向の底知れない闇に似た仄暗さを感じた。

突然垣間見えた深淵に、ひえ、とポールの喉が引き攣る。つい先日も手土産片手にルブラン邸に突撃していた兄の身に何があったのか―――――ちょっと潔癖っぽいところがある兄さん、もしかして溺愛していた婚約者の本性を知って幻滅でもした?

可愛さが転じて憎さしかなくなってしまったというのなら、この豹変ぶりも頷けるよなぁと思いつつ彼は話題を切り上げた。率直に言って怖かったので深く掘り下げたくなかったのである。つまり、ポールは逃げ出した。健脚でもう脱兎の如く。

そして垣間見えた深淵が忘れられずにうんうんと頭を悩ませること数日、思考の迷路に陥って迷子になってしまったポールは一度情報を整理しようと思い立って実行した。


上級学校の教室で―――――うっかりと、本当に意図せずうっかりと、己の知り得るすべての情報と懸念と仮説その他諸々を小声でぽろぽろ口からこぼして気付いた時にはもう遅い。


(まさか………まさかボクの取り留めもない呟きがこんなにも早く悪意マシマシの広がり方をするなんて………!)


思案に耽っている時の自分はとにかく独り言が多いのだ、とポールは初めて自覚した。そして人間というものは自分に直接関わりのないスキャンダルを好む傾向にある。人の不幸は蜜の味、と最初に発信した人物はおそらく相当に神経が図太い。刺激を娯楽として享受する側の瞬発力と無責任さが完全勝利をおさめるかたちで、ポールがうっかりこぼしてしまった情報は『それなりに説得力のある事実』として学校中を席巻していた。

諸悪の根源の自覚がある大馬鹿野郎は罪悪感で即日寝込んだ―――――翌日になって登校したら状況が更に悪化していたことは敢えて言うまでもないだろう。

なにせオディロンの弟であるポール・ブノワが発信者なのだ。加えてギイとも友人であるから、『義弟を虐げる性悪な義姉』だの『本性がバレて溺愛されていた婚約者からも見捨てられることになった女』といった噂にもそれなりの信憑性があった。

実際には兄がグレイス・ルブランとの婚約を解消するという話はまったく聞いていないのだけれど、彼女を『世界一性格が悪い』と断言したあのオディロンの態度から考えれば無いと言い切れない話でもない。

噂を広げるのに腐心したのは主にギイと同窓である学年の女子が大多数だが、グレイス・ルブランに対する妬心とギイ・ルブランに取り入りたい女子の思惑が絡みまくったなんともドロドロした展開など正直冗談ではなかった。優しい友人や兄の婚約者を貶めたかったわけではないのだ。

しかし、そんな話はデタラメだと声を大にして否定したところでブノワ家の関係者である自分が騒げば火に油だということは分かる。

どうしようどうしようどうしようこれどうしたらいいんだろう兄さんに顔向けできないギイごめんグレイス嬢も本当にすみませんボクが迂闊なばっかりに―――――などと、後悔にぺっしゃんこに圧し潰されて今に至るポールは結局状況を打開する術を持たない。

それでも見て見ぬフリなど出来ず、せめてルブラン家の義姉弟のために身体を張れる機会とかあったら名乗りを上げて道化になろうと彼はカフェテリアに潜んでいた。

が。


「僕と貴女の婚約が近いうちに破棄される、とはたった今初めて知りましたが―――――僕は何か、知らず知らずのうちにルブラン家のご当主夫妻やレディ・ルブランのご不興を買うような愚かな真似でもしましたか?」


落ち着き払った友人の声は、ポールの思考を容易く止めた。冗談のようには聞こえない。無責任なお喋り女子集団さえ口を挟めない状況を作り上げたギイの手腕を褒め称えるべきかふざけている場合かと呆れるべきか、しんと静まり返ってしまった学生たちの憩いの場に軽やかな美声が転がった。


「いいえ? あなたは昔から今でも変わらず優秀で、驕ることもなく勤勉で、両親も私もあなたにはおよそ不満らしい不満なんてないわ。だから普通に疑問なのよね―――――私とあなたの婚約が近いうちに破棄される、なんて、そんな話どこから流れたのかしらね?」


あ、ごめんなさい、それボクです―――――呆気に取られて挙手をしそうになった心とは裏腹に、ポールの口から滑り出ていたのはまったく違う台詞だった。


「どういうことだいマイフレンド」


流石に説明してほしい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 色々こじらせていて、迂闊でどじでうっかりさんではあるけれど、根っこは善良なポールくん。 独り言をいう癖があるなら気を付けないと、これから先、お兄ちゃんにも怒られちゃいそう。 [気になる点]…
[一言] あれ?グレイスさんの婚約相手のはポール君の兄ではなく、グレイスさんの義弟だった? 一体何がどうなっているんだ??
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