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1.そのご期待には添えかねる

ふわっと浮かんでいたものをふわっとかたちにしてみました。

如何せんフワフワした設定ですが、さらっと暇潰し感覚でお目通しいただければ幸い。


グレイス・ルブランは美女である。


自称ではなく、ただの事実として、公平無私なる第三者の目から見ても明らかで疑いようのないことに、彼女は大層美しい娘だと方々で評判の美女だった。所詮は噂、眉唾だろう、と鼻で笑っていた者も本人を目の当たりにすれば掌を返して褒め称える。嘘偽りのない本心から、その完璧な造形美にただただ酔い痴れ平伏する。まさしく人心を惑わせる類の、それはそれは突出した類稀なる美貌の持ち主だった。

天は美しいグレイスに、二物どころかそれ以上を与えた。詳細については割愛しよう、おそらく日が暮れてしまうので。

さて。国で三指に入るであろう大富豪ルブラン家の長子にして、遡れば異国の貴族の血を引いていると噂される彼女とお近付きになりたい人間は多い。年齢や性別に関わりなく、彼ら彼女らはグレイス・ルブランの持ち得る何か―――――或いは、彼女自身を求めてふらふらと周りを飛び回る。幼少期には実の父母がそれなりの篩を用意して不必要な輩を弾いてきたそうだが、上級学校に通い始めたあたりからはグレイス自ら対処することも徐々に徐々に増えていった。

家柄に恵まれた幸運に加えて才色兼備な彼女の人生は輝かしいものに満ちている。誰もがそう信じて疑わない―――――否、疑っていなかった。


「私ね、どうもあなたが原因で近々婚約を破棄されるらしいわ」


平坦な口調で何気なくそう言い放ったのが他でもないグレイスだったので、ギイは思わず開きそうになった口に咄嗟の判断で力を込める。呆気に取られた表情を公衆の面前で晒す無様はどうにか回避出来たけれど、眉間に深く寄る皺だけは隠しようがないのでどうにもならない。

対するグレイス・ルブランは、平然とコーヒーを飲んでいた。

場所は国立上級学校自慢の屋内カフェテリアで、彼女が傾けるカップの中で温かな湯気をくゆらせる液体はそこに湛えられた分量だけで一般的労働報酬の平均時給二時間分に相当する。つまりは結構な高級品だが、そんなことはさして重要ではない。

どういうことですか、と問い質そうとした唇は、しかし実際に動かす前にグレイスの目線に制された―――――周囲の反応を要確認、と彼女は言外に語っている。その程度の意思疎通ならば可能な間柄だったので、ギイは動揺を誤魔化す体を装ってゆっくりとティーカップを持ち上げた。淡いながらも澄みきった黄金色の紅茶からふわりと漂った花のような香りでいくらか心を落ち着けて、流石は春摘みの高級品だと静かな賛辞を産地に送る。

一時的な興味のすり替えや思考の分割化であれば、得意分野と言えなくもない。


(まぁ、ルブラン家のお嬢様、婚約破棄ですって。お可哀想に)

(本当にねぇ………だけど、それはルブラン様の自業自得なんじゃないかしら?)

(そうよねぇ、ご自身もギイ様のせいで、とおっしゃっていたことですし………あら? グレイス様ご自身の行いが招いた結果でしょうに、ギイ様のせいにしていらっしゃるわ)

(見た目が良くても性格が良いとは限らないって本当なのね)

(まったくだわ。お可哀想なのはギイ様よ―――――名門ルブラン家の養子に迎えられた本当に才能のある方なのに、あんな性悪が義理の姉だなんて)


控えめに潜められてはいるが、ギリギリ周囲に聞こえる音量で交わされる女生徒たちの会話には明確な悪意が滴っている。さして隠す気もないらしい当て擦りにギイの頭の芯が冷えた。す、と落ち着きを取り戻したところでストレートの紅茶を飲み込んで、正面のグレイスを見遣る。

暗く沈むような色合いの割には光沢のある茶髪に緑の瞳を持つ彼女は、コーヒーを嗜む唇をこっそりと持ち上げて笑っていた。位置取り及び状況的にグレイスの様子を堂々と観察出来るのは正面に座るギイだけで、白磁に映える金の装飾が美しいカップに阻まれようが見間違えるような距離ではない。


ああ、面白がっていますね。


そんな感想とともに浮かびかけた苦笑いごと表情筋を御しながら、ギイは沈黙を貫いた。それが周囲にどう映るかは正直なところどうでもいい―――――状況を掴むための情報が足りていないと思うなら、持っていそうな連中から引き出せばいいだけなので。


(ギイ様、困っていらっしゃるわ………無理もないわよねぇ、だって『あなたが原因で婚約破棄される』なんて言い掛かりもいいところだもの。言葉に詰まって当然よ)

(グレイス様ときたら見た目の通り、プライドの高いお方よねぇ。絶世の美女と評判の自分より美しい顔立ちのギイ様に嫉妬してるって話でしょう? 性格の苛烈さがそのままお顔に現れていらっしゃるのに気付いてないのよ………男性のギイ様に美しさの面で劣るだなんて現実は、さぞや屈辱なのではなくて?)

(あら? 私の聞いた話と違うわ。ご自分が継ぐと思ってばかりいたルブラン家を、親戚筋でもないところから養子に迎えた義理の弟に取られるのが我慢ならないから、だから彼を追い出そうとつらく当たっているのではなくて?)

(そうなの? ブノワ侯爵家への嫁入りの何が不満なのかしら―――――ご嫡男のオディロン様と言えば、社交界でも名の知れた女性の憧れの的だっていうのに)


ひそひそとした話し声は留まるところを知らないらしい。ギイとグレイスは無言のまま、それらに耳を傾けていた―――――オディロン、という名前を耳にした直後のほんの一瞬だけ、グレイスの澄んだ緑の瞳を苛烈な光が掠めたけれど。

繰り返すが今居るこの場所は国立上級学校の屋内にあるカフェテリアで、学校に籍を置く者であれば誰でも気軽に利用出来る。よって、現在の利用者は彼ら二人だけではなく当然他にも何グループかいたが、不思議なことにその者たちはギイにとって『それなりに見覚え程度はある』同学年の女生徒ばかりだった。


(ブノワ家のご嫡男といえば、侯爵家の執務でお忙しい合間を縫ってルブランの本邸に足繁く通い詰めるほど婚約者にご執心の様子であると方々で評判でしたのに………そんな一途なお方から婚約を破棄されてしまうだなんて、本当にお気の毒ですこと………)

(身勝手な理由でいたずらに義理の弟を虐げるような心根の卑しい女性など、高貴な侯爵家に迎え入れるに相応しくないとのご判断なのでしょう………だって、しょうがないのではなくて? 存在を視界に入れたくない、と養子になったばかりの義理の弟を学生寮に追いやるような我儘を通してしまう方なんですもの。一人娘と甘やかされて育ってきた幼稚さが窺えますわね)

(グレイス様ご自身は毎日首都郊外にあるルブラン本邸から自家用車で優雅にご登校されていますのに………ギイ様、長期休暇で寮が使えなくなる期間以外はほとんど立ち入らせてもらえない、と風の噂で聞きましたわ。それもルブランの本邸ではなく、離れの小さな館の方で一人お過ごしになっているとか)

「まぁ、なんてひどいのかしら! いくらなんでもあんまりな仕打ち! きっとそれがブノワの家のご嫡男の耳に入って幻滅されたに違いないわね、自業自得よ!」


流石にクラスメイトであれば名前くらいは憶えているし、話し掛けられれば応対もする。だが、言ってしまえばそれだけなのだ。さして親しい覚えはない。そして廊下ですれ違った程度の相手に至っては『おそらく同学年だろうな』程度の認識しか持ち合わせていない―――――けれど、お喋りに夢中な彼女たちは、まるでギイと親しい間柄であることを強調するが如くにこちらを擁護してグレイスを貶す。

はて? と内心で著しく左右に小首を傾げつつ、しかしグレイスが笑っているので彼は沈黙を選択した。傍目にはルブランの名を持つ二人で気まずい沈黙を挟みながら飲み物を啜っているだけに見えるだろうが、実際は気まずさなど微塵も感じていないし双方とも普通に寛いでいる。


「ねぇ、皆さまはご存じかしら? ルブラン家のお嬢様ときたら、義弟のことをきちんと名前で呼ぶことすらしないお方ですのよ! 仮にも家族になった者を『あなた』だなんて代名詞でしか呼ぼうとしないだなんて歩み寄る気がまったくなくていっそ清々しいですわ!」

「ああ、そう、そうなのです! ルブラン家のご姉弟はそもそも学年が違いますから、校内であまり会うこともないのは当然なので私も初めて知りましたけれど―――――今日、下級生のクラスにわざわざ足をお運びになったあの方とギイ様の遣り取りをたまたま耳にして驚きましたわ。だってギイ様、義理のお姉様であるグレイス様のことをなんとお呼びしていたと思います? 『レディ・ルブラン』ですわ! 扱いもまるでお嬢様が使用人を相手にしているかのような他人行儀一辺倒で、養子にした義理の弟を下僕と勘違いなさっているなんて本当に嘆かわしい限りですこと!」


熱中し過ぎてどんどんと声が大きくなっていることに気付いていない様子の一団に素早く冷めた一瞥を向け、ギイはようやく掴めて来た事の仔細を整理していた。仕入れたばかりの情報を頭の中だけで組み立てて、ある程のかたちになったところで対面席のグレイスを見遣る。

グレイス・ルブランはギイだけを見て、美しい微笑みを浮かべていた―――――私が何を望んでいるかは言わなくたって分かるでしょう、と言外の圧で語りつつ。

姦しい有象無象の声など痛くも痒くもないだろうが、しかしギイは知っていた。彼女の望みが何であるかなど自分如きには分からないけれど、グレイスが今このような雑音に煩わされている場合ではないことはルブラン家の養子として知っていた。


「僕が原因で婚約破棄―――――とは、何のことでしょうか。レディ・ルブラン」


なので、彼は最適解を最速で選んで口に出す―――――会心の一撃はいつだって、急所を突くに限るのだ。


()()()()()()()が近いうちに破棄される、とはたった今初めて知りましたが―――――僕は何か、知らず知らずのうちにルブラン家のご当主夫妻やレディ・ルブランのご不興を買うような愚かな真似でもしましたか?」


センセーショナルな台詞というのは、総じて意識を引きやすい。

こちらの様子を窺いながらも面白おかしく囀っていた女生徒たちの一団が、頭から水でも引っ掛けられたように一瞬で静まり返ってしまった。不躾な視線がざくざくと自分に刺さるのを感じつつ、ギイは平然とした面持ちで白々しくグレイスの反応を待つ。

絶世と称される美貌を持って生まれたが故に同性から羨望と妬心交じりの感情を向けられやすい彼女は、満足そうに笑う目元で穏やかに緩やかに頭を振った。


「いいえ? あなたは昔から今でも変わらず優秀で、驕ることもなく勤勉で、両親も私もあなたにはおよそ不満らしい不満なんてないわ。だから普通に疑問なのよね―――――私とあなたの婚約が近いうちに破棄される、なんて、そんな話どこから流れたのかしらね?」


「毎日投稿って憧れるものがある」という理由で連作にしましたが短編でも良かったなぁと思いました。まる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] グレース様すてき。 [気になる点] >容姿端麗、眉目秀麗を地で突き進む彼女の人生は輝かしいものに満ちている。誰もがそう信じて疑わない―――――否、疑っていなかった。 眉目秀麗は男性の容姿に…
[良い点] グレイスさんもギイくんも格好良いです。 周りの雑音から情報を拾って考えなさい?と無言で促すグレイスさんに、情報を拾って正解を出せるギイくん。 結婚したら混ぜるな危険、な夫婦になりそうです。…
[一言] グレイスさんはフローレン様と同じような感じっぽいけど、ギイさんは王子様と違って知的っぽい!
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