20.岩戸
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
膝を抱えて座って居たエナは、そのノックに反応する事すらしなかった。
そんなエナはずっと、とある人物の事を考え、忘れようと頑張っても忘れられない思考のループに陥っていた。
ニジハラ サクヤ、それがここ数日、エナの頭を占領している人物の名前である。毎日挨拶し、食事の時に会話し、冒険者ギルドでやった仕事の話とか、何て事の無い話をしてくれる人。
――初めて会った時、私の事を天使だと言った人。変な人に声を掛けてしまったと思ったものの、本心から褒めてくれているのが分かって、悪い気はしなかった。
――異世界召喚を旅行と言い切った人。そんな考えを出来る図太い人なのだと呆れたと同時に、面白い人だと思った。
――自分と年の近い異世界人。私は自分の歳と近い人とこうやって話す機会がいままであまりなく、とてもたのしかった。
――彼が冒険者ギルドに行くと言った時、もうこの人と話す機会は無いのだろうと思った。
異世界人は異世界人でパーティーを組む事が多く、異世界人の多い宿に拠点を移すものだと思ったのだ。
そんながっかりした私に、夕食代の銅貨5枚を渡し、行ってきますと言った彼。そんな彼がただいまと言ってくれるのが嬉しかった。
ここ数日、別のお客様の対応で彼と話す機会が無かったのだけれど、彼はそれでもここに帰ってきてくれている。
明日こそは、明日こそは彼と話したい。私はいつからか、彼と話す事が毎日の楽しみになっていた。
そんな中、信じられない噂を耳にした。彼が仲良くしていた女の子を傷付けたというのだ。
ショックだった。私が話していた彼は優しい人で、そんな事をするような人ではなかったはず。
きっと間違いだ、彼と話せば分かる。そう彼を信じる心と、彼が自分を放置して他の女の子と仲良くしてる姿を想像し、モヤモヤしてしまう自分に嫌気がさした。
「エナちゃん、俺だよ、サクヤだけど」
扉の前からは、私が今一番声を聴きたかった人、そして、今一番声を聴きたくなかった人の声が聞こえる。
大丈夫、きっと噂は嘘だ。いつもの通り私は笑顔で彼に「おかえりなさい」と言い、彼が「ただいま」という。そこには彼と私の笑顔があるだけで、幸せな時間がまた始まる。
「……何しに来たんですか?」
そんな私の考えとは反対に、私の口から出てきた言葉は辛辣なものだった。
「……サクヤさんは、他に大事な人が居るんじゃないですか!? こんな私になんて構っていないで、その人の所に行けばいいんです!!」
違う、違うの!!
彼が私の事を心配してくれているのが分かる。やっぱり彼は優しい人なんだ。他の女の子を傷付けたなんて噂も、きっと嘘なんだ。または、何か事情があるんだ。
扉の前の彼はどんな表情をしてるのだろうか……。
少しの間があり、彼か声を上げる
「ごめん……やっぱりエナちゃんは俺ともう話したくないんだね……」
違う!!
本当は嬉しいの!!
「エナちゃんが笑顔になってくれるなら、俺はどうなってもいい……。ここを出て行けと言うなら、俺は……」
彼から聞こえた言葉に、体の芯が凍るような冷たい物が体を貫いたような感覚に陥る。
「……じゃあ、俺は行くね?」
ダメ、今彼を追いかけないと、私は一生後悔する!!
私は慌てて、部屋の扉を思いきり開ける。
――バタン!!
暗かった自分の部屋の扉が開き、開いた扉から明るい光が差し込む、そしてそこには……
「エ、エナちゃん?」
数日会わなかっただけのはずなのに、ずっと会いたかった人がそこに居た。
「……サクヤさん……何でそんなに傷だらけなんですか……?」
「俺が皆を悲しませた罰だね……自業自得だよ」
あはは、と困ったような顔で苦笑いをする彼。
前と変わらない笑顔、この笑顔は前から変わらない優しい笑顔で……。
「っ!!」
私はそのまま、彼の胸に飛び込み、胸元に顔を埋める。
本当は笑顔で彼を迎えたかった、だけど……今の私はきっとひどい顔で、彼に見せられる顔じゃない。だけど、今は彼から離れたくない。
彼の胸に顔を埋めていると、頭を優しく撫でる手の感触が……
「ごめん……辛い思いをさせて……」
彼はそう言いながら、ずっと私の頭を撫でてくれる。
「……大丈夫です、今は無理だけど、明日からはまた笑顔で……だから……もう少しこのままでお願いします……」
私が彼をどう思っているのか、それは私にも今はまだ分からない。だけど、許されるなら、私を優しく撫でてくれるこの手、そして、私を受け入れてくれた彼から今は離れたくない、そう思ったのだった。




