ポリティカル・コレクトネスな三匹の子豚
『昔、昔、ある所に、ポリティカル・コレクトネスな動物の国がありました。
そこでは草食動物も肉食動物も、皆が平等です。勿論、残酷な肉食動物が草食動物を襲うことは稀にありましたが、それも法律で厳しく禁止されている事です。かつては肉を食べていた肉食動物も、今は化学の発展により、味も栄養も肉にそっくりな食料が開発され、草食動物との共存が可能となったのでした。
そんな国の、ある地域に、豚の家族がいました。父さん豚は悲しい事件により命を失ってしまいましたが、母親と三匹の子豚の四匹でたくましく暮らしていました。
ある日、母豚が子豚たちに言いました。
「あなたたちも十分大きくなりました。もう家を出てゆき、それぞれ自分の家を作りなさい。そして、自分の力で生きてゆくのです」
子豚たちは、「遂にその時が」と、密かに蹄を握りました。「うん。頑張るよ」口を揃えて言いました。
「時には協力することも大事ですからね。防犯には気を付けるのよ」
母豚はそう言って、三匹の子豚を送り出しました。
三匹は母親の助言に従って、家を作る前に三匹で話し合いました。専らの議題は、どのような家を作るのか、です。
「僕は煉瓦で作ろうかな。大変だし、お金もかかるけど、一番安全だ」と、一番小さい子豚。
「僕は木で決まりだ。大変だけど煉瓦よりマシだし、比較的安価だ」これは、二番目の子豚。
「お前らは馬鹿だな」
自分の理想の家を語る下の兄弟に向かって、冷ややかに長男の豚は言いました。
「兄さんはどうするのさ」下の兄弟たちは口を尖らせます。
「俺は藁で作るぜ。何だって、安いし簡単だ」長男豚は自慢げに言いますが、これを聞いて、下の兄弟たちは慌てました。
「兄さん、いくらなんだって危ないよ」
「そうだよ。今は法律で禁止されているったって、草食動物を襲う肉食動物だっている」
しかし、長男豚は兄弟の説得に耳を傾けません。「大丈夫だよ。イザとなれば逃げればいい」
「ほら、母さんも言ってたじゃないか」
「父さんのことを忘れたのかい」
しつこい兄弟に、長男豚はイライラとしました。そして、遂に怒りだしました。
「俺に自衛をしろって言うのか?それなら悪さをする肉食動物に動物を襲うなって言えよ」
下の兄弟たちは呆れ果て、兄弟会議はお開きになりました。
別れた各々は、家造りに取り掛かりました。長男豚の家は一晩で出来ました。次男豚の家は二週間かかりました。三男豚は家の完成に一ヶ月を費やしましたが、取り敢えず、皆ここに独立を成し遂げたのです。
その頃、隣町で悪い狼が出没していました。その狼は、草食動物を狙って襲い、食べてしまうのです。素早く、力強い狼には警察も手を焼き、逮捕する事が出来ませんでした。
その狼は人、いえ、動物知れず、獲物を求め街々を移動していました。鳥も食べたし羊も食べた。そろそろ豚が食いたいな。そう考えていた所、せっせと働く三匹の子豚を見つけました。
狼は舌なめずりをしつつ、こっそり三匹をつけました。頃合を見計らって、草むらから飛び出しました。
協力して仕事をしていた三匹の子豚は、突然の狼の襲撃に仰天しました。しかし、そこはやはり草食動物の勘か、狼が驚く程の速さで逃げ出しました。
狼は逃げる三匹の中から、一番肥えた長男豚に狙いを定めました。
一目散に走る長男豚を追っていると、やがて長男豚は藁の家へ逃げ込みました。
長男豚は家へ飛び込むと、一息着きました。しかし、外では狼はしめしめと舌なめずりしています。
どうせ食ってしまうのなら、安心している豚めをもっと驚かせてやろう。そう考えた狼は、胸いっぱいに空気を吸い込み、ぷうと藁の家を吹き飛ばしてしまいました。
長男豚は大慌て。しかし、彼の逃げ足は速く、すたこらと逃げ出しました。
狼は悠々と長男豚を追います。時々、わざと「ガオー」などと言ったりして、豚の反応を楽しんでいました。
長男豚は、次男豚の家をめがけ必死で走ります。その甲斐あって、間一髪、木の家に逃げ込むことが出来ました。
目前で長男豚を逃した狼は、少しばかりの悔しさを噛み締めつつ、それでも余裕たっぷりです。
それで、藁の家と同じように、木の家に息をふきつけました。先の家よりも手が、いや、息がかかりましたが、それでもやがて木の家はガラガラと崩れてゆきました。
今度こそ安心だと油断していた長男豚も、逃げ切ったと思えば急に狼と共に現れた兄に辟易していた次男豚も、ビックリ仰天大慌て。再び駆け出す二匹を、やはり狼は追う。極限状態の二匹は速い。やがて、三男豚の煉瓦の家が見えてきた。
三男豚は、急に駆け込んで来た兄たちに驚き、その後ろを走ってくる狼に大慌て。扉を閉ざし、木の棒を立て掛けて、やっと三匹は安堵のため息をつきました。
「やあ、助かった。コレで大丈夫だ」
そう言う長男豚に、三男豚は言いました。「まだ油断は出来ないよ。家には煙突があるからね。そこから入ってくるかもしれない」
表では、先と同じように息をふきつけてもビクともしない煉瓦の家に音を上げ、ちょうど狼が煙突に目を付けたところでした。
「大きな鍋にいっぱい水を入れて、お湯をわかそう」
三男豚はそう提案し、暖炉にまきをくべました。
その頃狼は家をよじ登っています。煙突に辿り着いた時には、その下にある大鍋で水はグツグツと煮あがっていました。
さて、どのように料理してやろうかと舌なめずりする狼は、まさか自分が料理される羽目になろうとは思いもしません。もったいと、それから勢いをつけて、煙突へ飛び込みます。そのまま、煮えたぎる湯にダイブした狼は、断末魔の叫びをあげて、絶命しました。
さて、上の二匹はしばらく恐怖に震えていました。下の子は比較的冷静なものでしたが、やはり狼の死体を目の当たりにして、平常心という訳にはいきません。
しかし、その恐怖心もやがては過ぎ去ります。代わってその空白を埋めるように、三匹の中に怒りが湧いてきました。
「どうして僕たち草食動物がこんな目に合わないといけないんだろう」と三男豚。
「そうだ。そうだ」と次男豚。
「この世界は狂っている。狂わせているのは、肉食動物だ」これは、長男豚。
三匹の怒りのやり場は、初めは狼に向かっていましたが、それもやがては行き場をなくし、肉食動物全般へと及びます。少し考えれば、全ての肉食動物が悪い訳ではないと気がつくものですが、平常心を失った彼らには怒りしかない。特に長男は、元々感情的であったので、止まらない。
そして、ここに肉食動物からの弾圧に徹底抗戦する草食動物の運動が始まりました。
リーダーは長男豚です。手始めに彼らは、隣街へとおりました。そこではちょうど、例の狼の被害があったので、彼らの運動は瞬く間に民衆へと広がりました。そして口コミやらなんやらで、隣町から隣町へ、運動は拡大してゆきます。
何せん、草食動物は肉食動物に比べ圧倒的弱者です。弱者への哀憐は大きなパワーを生み出します。ここはポリティカル・コレクトネスな国ですから、尚更です。ポリティカル・コレクトネスとは弱きを助け強きをくじくものなのです!
三匹の豚は、もはや子豚ではありません。肉食動物による搾取に抗った戦士です。彼らに敬意を表し、その運動は「三匹の子豚運動」と呼ばれました。
三匹の子豚運動の広まりは留まることを知りません。そして、広まるにつれ、その運動は暴走を始めました。数が増えればどうしても、悪いヤツが混じってしまうものなのです。得てして悪いヤツの声は大きく、大きな声に従う事は簡単です。そして、多くの者が安楽に身を委ねてしまうこともまた、世の真理なのです。ゆく川の流れは絶えずして、しかしもとの水にあらず。古の歌人は言いました。しかし、流れゆく川が絶えぬ限りは、それに身を預ける者もまた絶えることはないのです。
本物の肉の味を知らない肉食動物までもが粛清の対象とされ、危害が加えられました。抗議デモの最中に、何故かお店が襲撃され、物を盗まれたりする事も増えました。遂には殺しまで起きました。
しかし、「三匹の子豚運動」に異を唱える者はいません。何故なら、その運動は弱きを助け強きをくじく運動であり、ポリティカル・コレクトネスな運動だからです。それに異を唱える者は、悪い動物なのです。
このような事件も起きました。「三匹の子豚運動」への批判を投げかけたある草食動物が、肉食動物に与し草食動物に仇なす「名誉肉食動物」であると、侮辱され、仲間から疎外されたのです。
自分の店が運動に伴う暴動により損害を受けたという声も、ポリティカル・コレクトネスの前に無意味でした。「草食動物は抑圧されてきた。それを思えば店の損害など微々たるものだ」そう、肉食動物だけでなく草食動物にすら言う者がいました。
そんな「三匹の子豚運動」の状況に、発足者の一匹である三男豚は疑問を抱いていました。しかし、あまりに巨大になってしまった運動を前に、なすすべはありませんでした。
「三匹の子豚運動」の暴走は、国内を不安定にしました。治安は悪化はおろか、表現も必要以上に草食動物に配慮しなければ徹底的に叩かれ、衰退しました。やがて動物の共通言語は無くなってゆき、皆がそれぞれの種固有の言葉しか迂闊に話せなくなります。なぜなら、その共通言語は肉食動物優位の世で作られた、忌むべき文化だからです。犬はワンワン、猫はニャー、そんな風に、各々が各々の仲間内だけで暮らす事が目立たず幸せに生きる道だと穏健で平和的な者達は、そう考え始めたのでした。
もはや草食動物は非力な動物ではありません。最強の弱者です。誰もが何かに恐怖する世界が訪れました。弱者は強者を恐れ、強者も弱者を恐れました。そのような世が平和なわけがありません。非常な不安定と、それに伴う不安が国を脆弱にしました。
そんな国になってしばらくした頃、突然猿の大群が国に押し寄せてきました。実は猿ではなく、それのさらに進化したヒトという動物です。
ヒトは、動物たちが諍いを起こしているのを見て、これは好機と攻めてきたのでした。
既に文化は衰退し、動物たちに抗う術はありませんでした。草食動物は肉食動物に、肉食動物は草食動物に、お互い不信感を抱いていましたから、結束することも出来ません。あっという間に国はヒトに制圧され、動物たちはヒトの隷属下に置かれました。
草食動物はヒトの餌であり労働力たりうる家畜として、ヒトに危害を与えうる肉食動物は害獣として、それぞれ支配されました。
ヒトは個々がそれぞれとても賢く、であるが更に、連帯しました。ですので新たに出来た国は繁栄の一途を辿りました。ヒトはとても賢明ですので、無益な争いはしません。例えば、ある属性に悪い者がいたとしても──草食動物にとっての肉食動物のような──その属性全ての者が悪では無いと、彼らは知っています。不当な暴力は何の利も産まず、爆発的な感染力をもって不利益を発生させるだけだと知っています。そして、例え弱者であろうと、その暴走、それに伴う暴力は悪であり、止めなくてはならないと、理解しています。
ヒトの世界はその後もずっと続き、ポリティカル・コレクトネスなままに、人々はその繁栄を謳歌したとさ。めでたし、めでたし。』
「坊や、もう寝なさい」
子供に絵本をせがまれた母親が、本を読み終え言いました。
「うん」
坊やはうつらうつらと目を瞬かせて、答えました。
「ママ、明日も平和だったらいいね」
母親は子の言葉に目を細め、言います。
「平和はあなたが作るのよ。さっきのお話のヒト、その末裔が私たちなのだから──出来るでしょう?」
母親の言葉に、子は答えません。すー、すー、と、静かな寝息だけが聞こえてきます。