第0話 その狐、のじゃペドにつき
──深く深く心も体も傷付いた1匹の狐が、暗い森の奥で静かに体を横たえる。
狐はこの世に生れ落ちて、今し方力が尽きるまで孤独だった。
父の背中も知らぬ。
母の温もりも知らぬ。
同族にも忌み嫌われ。
空腹と温もりに飢えて人里に下りたところ、致命傷を受けて山へ逃げ帰った。
人間が放った矢が心臓を貫いたが止まりはせず、流れ出る血によって穏やかだが苦しい死が迫っていた。
狐は自身が何が為に生まれて来たのかを問いながら、涙を流した。
(狐は……狐は……)
遠くなる意識の中で、孤独の悪夢が蘇える。
目の前が徐々に暗くなり、どれだけ呼吸しても体が更に重くなる。
最後の力を振り絞って空気を求めて大きく息を吸った瞬間──世界が停止した。
『──まだ生きていたいか?』
どこかから聞こえる声に、狐は本能的に同意する。
呼吸をする感覚も自身の心臓の鼓動さえ停止させられた世界で、もはや生物としての本能だけが機能していた。
『──良かろう。そなたの願い、代償をもって叶えよう。その姿、貰い受ける』
止まった世界に狐を中心としてヒビが入り、砕け散る。
逆再生のように砕け散った世界が元に戻ると、狐だったモノは別のモノに置き換わっていた。
「──っはぁっ?!」
暗い世界から忽然と引き戻された狐は、激痛によって悲鳴にならない声を上げ。
「──うぐぅぅぁぁ?!」
心臓に突き刺さる矢を、死に物狂いで掴み、引き抜く。
更なる激痛がその小さな体を引き裂くが、とりあえず呼吸が出来るようにはなった。
「誰かいるんですか──?!」
まだ胸は痛むが、動けないようではなさそうだった。
むくりと上半身だけを起こして、音のする方向に耳と視線を向ける。
足音を聞く限り、先ほど狐に対して矢を射った男であることに間違いはなさそうだ。
反撃をしなければ、という意思だけが湧き上がり、反射的に駆け出して草むらを掻き分けて声のした方へ進む。
草むらを抜けて街道へ出た瞬間、大きく踏み込んで素っ頓狂な顔を向けてくる男へ飛び掛る。
男が片腕でガードしようとしたので、その腕目掛けて噛み付く──が、違和感が襲い掛かる。
口が思ったより開かないし、勢いが付き過ぎて顎が外れた気がした。
意思に従って動く前足(?)は自慢の毛並みはどこへ行ったのやら、つるつるすべすべしていて肌色をしているし、顎の力も腕力もそれほど強くないし、爪を突き立ててみてもあまり痛くなさそうだった。
「がぅうぅぅうぅぅぅぅぅぅぅ──?!」
強がって声を出してみるものの、声も今までに聞き覚えの無いものだった。
びっくりして顎が外れたまま男から離れてみると、やけに目線が高い気がした。
いつもはどう頑張っても肩が草むらに隠れる程度の目線が今は前の2倍か3倍の高さで見下ろせるくらいだった。
たった今気が付いたが、狐は後ろ足だけで立っていた。
見下ろすとこれまた自慢の毛並みがどこかへ行ってしまったのか、つるつるした肌色しか見えない。
自分の背中を確認しようと肩越しに振り返ると、見慣れた金色の毛を纏う尻尾がそこにあったが、その根本はやはりすべすべした肌色だった。
狐は混乱して頭を抱えながら、一歩、また一歩と男から後ずさり、ふと自分の耳に触れた。
フカフカしたいつもの──。
狐の足が大きめの石に引っ掛かり、体が後ろへ倒れる。
男が手を伸ばしながら駆け出すが間に合わず、ゴチっという鈍い音と共に世界が暗転する──。
「──────」
意識を取り戻すと、そこはどこかの家の中のようだった。
フカフカした毛布に包まれ、言葉では言い表せないぽえぽえした感覚に包まれていた。
話し声が聞こえるのでそちらに大きな耳を傾けると、先程の弓男とアーマーを来た男が立ち話をしているようだった。
「身分のわからない獣耳尻尾付きの全裸幼女……しかも町の外れにいたんだよな? よく連れ帰って来たもんだ、お前も」
「いやですね、事情がありまして……」
ばつが悪そうにアーマー男から視線を逸らした弓男が、こちらを見た。聞き耳を立てていることに気付かれただろうか。
ぽえぽえした表情こそ変えていないが、額を冷や汗が伝い、毛布の中でぶわっと尻尾の毛が逆立つ。
「まあ、意識が戻ったら本人に聞いて見てくれ」
言って手をひらひらさせながらアーマー男は家を出ていった。
「──まあ、私もあんな血塗れの女の子をお兄ちゃんが背負って帰ってきたものだから、びっくりしちゃったな」
顔を動かして見る訳にもいかないので、声の方に耳を向けると、声の感じからして少女だと思われる。
「でも、あれだけ血塗れだったけど怪我がなくて安心したなー。何かの返り血でも浴びたのかなぁ?」
「──あのですね、驚かないで聞いてほしいのですがね、フィリア」
男は少し間を置いて話を続ける。
「僕は確かにフォックステイルの心臓を射抜いたんです。でも、そのフォックステイルを追い掛けたら、草むらからこの娘が飛び出してきて。僕はなんてことをしてしまったんだと震えたわけです──いえ、今でも手が震えています」
「きっと何かの勘違いだよ? だってこの娘、お風呂で綺麗にしてあげた時はどこも怪我して──」
「血塗れだったのは僕の矢が心臓に刺さっていて、それを引き抜いたからなんですよ! 僕の目の前でその傷は塞がったんです!」
男の怒鳴り声が煩いので両手で耳を塞ぐ。
何を言っているのかわからないが、何か感情が高ぶっているらしい。
「これが切っ掛けになって魔物の大群が押し寄せてきたら僕はもう──!」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。さっきケイスさんが言ってたでしょ。邪気は感知されなかったって。だから、とりあえず目が覚めるまで私たちで面倒をみてあげよう? もう治ったけど、お兄ちゃんが怪我させたんでしょ?」
「そうですね……」
話声が止むと、足音が近付いてきた。
意識が戻ったことを悟られると何かされそうなので、わざと力を抜いてまだ気を失ってますよアピールしておく。
そうしていると上半身を起こされ、また寝かされる。
後頭部に柔らかい感触と、温もりが伝わってきた。
少女の腿を枕に寝かされたようだ。これもまたぽえぽえする。
「見て、お兄ちゃん。なんか幸せそうな顔してる!」
「それなら良いのですがね」
言って弓男が近付いてくる。
弓男が一歩近付いてくる度に本能が逃げろと囁く。
気配的にすぐ側に来たと感じた瞬間、目を見開いて視界を確保して、弓男に飛び掛かる。
「なっ──!」
弓男がまた咄嗟に腕でガードしてるのでそこに噛み付く。
先程のぽえぽえ気分から一転して狂犬の如く噛みついたつもりだ。
が、お腹が鳴ってとても間抜けな状態になってしまった。
(お腹が減ったのじゃ~・・・・・・のじゃ???)
心の中で思うと、弓男は辺りを見回して、少女の方を向いた。
「──今、何か言いました?」
「ううん、言ってないよ。それよりもお兄ちゃん痛くないの???」
弓男は狐が噛み付いてぶら下がったままの腕を軽々と動かす。
「もがもがもがもがぁぁぁぁ──!!!」
狐は全力で噛んでいるつもりだが、全然効いてる気もしないし顎が疲れてきた。
「よしよし、大丈夫大丈夫!怖くないよー!」
少女が頭を撫でて落ち着かせようとしてくる。
狐の面目丸潰れだが、とりあえず今は敵意はなさそうなので、噛み付くのをやめて床に降り立ち、歯形の残る腕を両手で押さえてペロペロと舐める。
これでこちらも敵意がないことは伝わったと思うのだが。
「──きゃっ! お兄ちゃんのエッチぃ!」
──バチン、と少女の平手が飛ぶ。
「なっ、急に何するんですか!だったら服を貸してあげてくださいよ!」
「そうだった!ごめんね!!」
少女がドタバタと走っていった。
今気が付いたが、狐は大部分の毛がどこかに行ってしまって、肌色の皮膚が見えていた。自分の体に繋がっているのだから、これは自分の体なのだろう。
「──へくちっ」
くしゃみした狐を見て、弓男が改めて毛布で包んでくれた。
人間のすることはよくわからない。
何か皮の切れっぱしのような物を下腹部に履かせ、その上からさらに大きな皮を着せてきた。
毛皮が無くなったので体温が失われるのを防ぐ代わりにはなりそうだ。
「良かったぁ! 小さい頃の私の服がぴったりだね!」
少女は狐の脇の下に両手を突っ込むとそのまま持ち上げてクルクル回った。
そろそろ目が回るので止めてほしい。
「──こらこら、フィリア。止めなさい。困っているでしょう?」
ウルウルした目で弓男に救出を訴えたが、伝わっていないようだった。
「見て見てお兄ちゃん! このワンピース似合ってるでしょ? この娘の為に尻尾の穴を開けてあげたの」
「いいんじゃないですかね? いつまでも裸という訳にもいきませんしね」
二人のやり取りを見ていたら鼻先を何か良い匂いが掠めた気がしたので、思わず鼻をスンスンする。
「早く下に降りて夕飯にしましょう」
「そうだね。行こう!」
少女が狐の手を引いて駆け出す。
手を引かれて、最初に目にした、意識を取り戻した部屋に連れてこられた。
「さあさあ、どうぞ。お兄ちゃんの特製シチューとパンだよ!」
少女が手を指す先には器に入った白い液体と、茶色い固まりがある。
良い匂いはそこからしているようだ。
少女に案内され、椅子に座らせられる。
少女と弓男も席につき、二人が何やらポーズをとる。
狐にはわからないので美味しそうな白い液体に指を突っ込み──思わず飛び跳ねた。
椅子が後ろに倒れ、尻尾の毛が逆立つ。
──熱いと感じて思わず逃げてテーブルから距離を置いた。
「え?! 大丈夫?!」
少女が慌てて駆け寄って来て、狐を水場へと連れていく。
少女に抱えられて水の入った桶の中へ手を突っ込まれた。
「──熱かったねー。大丈夫?」
一瞬のことなので特に問題はなさそうだ。
少女から解放されて、再び席につく。
席についても二人がまだ水場にいるので振り向くと、困った顔をしていた。
「もしかして、言葉が通じてない……?」
「実は僕も思っていたんですよ……」
「見た目は五歳くらいなのにねぇ……」
何か深刻そうな顔をした二人だったが、良い匂いを目の前にして、口の中に唾液が広がる。
本能に従ってまた手を伸ばす。
「あ、ダメだよ!」
少女が側に来てまた脇の下に手を入れて狐を持ち上げながら椅子に座り直し、膝の上に下ろされた。
少女は銀色の何かで液体を掬って息を吹き掛けて、狐の口元に運んできた。
「はーい、あーん」
口を開けて銀のそれごと受け入れる。
口は大きく開けたつもりだったが、犬歯が銀のそれに当たりカチャカチャと音を立てた。
液体は程よく冷めていて、狐の舌でも問題なさそうだった。
「はーい、良くできました」
「フィリア、赤ん坊をあやすのではないのですから……」
弓男は呆れるような顔をするが、そのまま席について食べ始めた。
少女が口元に運んでくる液体を口に含み、飲み込む。
たまにホクホクした白い塊や赤くてちょっと堅い塊もあったが難なく飲み込んだ。
茶色い塊も千切って狐の口元に運んで来るが、こちらは銀のそれを使わないらしい。人間の考えていることは良くわからない。
「わふぅ……♪」
お腹が満腹になった狐は、意識が戻る前から用意されていた毛布に飛び込んだ。
このぽえぽえする物は狐のお気に入りになった。誰にも譲らない。
「しかし、なんです? 行動が動物っぽいと言いますか何と言いますか」
「かわいいよね!」
「フィリアは能天気で良いですね」
「えーなにそれー!」
話し声が煩いので耳を両手で塞ぎながら、襲い来る睡魔を受け入れていく。
まだ狐の置かれている状況が理解できないが、それはそれ。これはこれ。
胸一杯のぽえぽえを抱いて、今は眠る──のじゃ。
狐の容姿に関する部分で10歳→5歳に変更を行いました(進行に問題が出てくるため。ペドという単語について問題があるというのは否めない)