6.飼い主様の多忙な日常(5)
舌打ち交じりの罵りと、敵意を剥き出しにした視線に、ジェドの肩がびくりと震える。
「ロビン。年上の人に汚い言葉を使うのは、よいことではありません」
続いてやってきた、少し年かさの少年が、穏やかに咎める。
ジェドと共にカウンター内に戻れば、おかっぱの後ろだけを伸ばして一本の三つ編みにした若葉色の頭が、深々と下げられた。
「おはようございます、エマさん、ジェドさん。連れが無礼をして申し訳ありません」
「おはよう、ツィラ。パートナーのお世話、お疲れさま。嫌になったら、いつでも言っていいのよ?」
「いえ、これも私の課題ですから」
表情の乏しい細面を上げ、ツィラことツィーランが首を振る。二年前に東国ムーダンからやって来た彼は、[蒼虎]の専属冒険者になることを目標にしているのだ。
冒険者は本来、仕事を請けながら世界各地を転々とする職業だが、〝専属〟という立場になると、文字通り所属ギルド以外からの依頼を請けることができなくなる。代わりに、企業でいう〝正規職員〟と同等の扱いとなり、保険や各種手当はもちろん自身の等級に応じた月給を得ることができる。各依頼を遂行した分は、成功報酬の二~三割を基本給に上乗せされる仕組みだ。
これは、祖父である[烈虎]スタンレーが、腕は優れているものの不安定な身分である冒険者たちに後ろ盾を与え、かつ根を下ろす場所を作りたいと考えてはじめたものだ。貴重な戦力を自国に留め置く利点から国の後押しも受け、今では少しずつ他のギルドにも導入が広がっている。
うちの専属になるには、Dクラス以上であること。加えて、法律、動植物、魔法、算数程度の計算問題から地理、国語まで幅広く網羅した筆記試験と面接に通らなくてはならない。これらはすべて、ギルドが優秀な人材を確保するためだけでなく、ともすれば、いいカモにされがちな冒険者たちに己自身を守る力を会得させるためだ。
したがって、一見ただの無法者に見えるうちの専属たちは皆、どこへ出しても恥ずかしくない教養を身につけている。おかげで富豪や貴族からの依頼が引きも切らない。良い循環、というべきか。商売上手な祖父である。
ツィーランはすでにDクラスなので、ランク的にはいいのだけど、問題は言語と習慣だ。墨と筆の東国文化で生まれ育った彼は、一から熱心に勉強を重ね、今では言葉遣いが多少怪しいものの、三年の就労ビザが切れるまでには専属になれるだろうと、ギルド長からも見込まれている。
[蒼虎]ではどんなに上級だろうがソロを認めていないので、同じく専属を希望する自国の下位貴族の出であるロビンと組ませたのだが、その彼よりも礼儀作法は完璧なのだから、感心するばかりである。
一方で。
この国で生まれ育って、教育も受けているはずのオレンジ髪の少年は、なぜだかその好条件をひとつも活かしきれていない残念ぶりを披露し続けている。
「お世話ってなんだよっ。おまえが俺のランクアップを邪魔するから、仕方なくコイツと組んでやってるだけだっ!」
「……おはようございます、ロビンさん」
「話を逸らすな! だいたい、おまえ――」
「おはよう、ございます。ロビンさん」
苛立ちを隠さずに言葉を遮って繰り返せば、さすがに気付いたのか、ようやくロビンは小さな声で「おはようございます」と口にした。
夏に冒険者登録をしたばかりの彼はどうやら、その頃いなかった私が、突然現われてギルドで大きな顔をしているのが気に食わないようなのだ。加えて、どう見ても貴族のボンボンであるジェドを連れ込んで(笑)いることに、嫌悪感を抱いているらしい。
この三ヶ月間、顔を合わせればこの調子なので、いい加減こちらの忍耐が尽きそうなんですけど。君、まだEクラスですよね?
「挨拶もできない方に、ランクアップ申請は受け付けかねます。地道に依頼をこなしてランクアップをするのが嫌なら、さっさと冒険者は諦めて、貴族は貴族らしく生きる道を探されてはいかがですか?」
「そ、そいつだって貴族だろう?!」
「そうです。ですが、彼はすでに学院を卒業して、社会勉強のためにここで働いているだけだと、前から申し上げているはずですが」
「だからといって、そいつを特別扱いするのはおかしいだろうっ! う、ウォルターさんから直々に訓練を受けたりして……っ」
完全な言いがかりである。
だいたい、勝手に家を出奔して冒険者になったロビンと、ご当主さまの預かりものであるジェドの扱いが同列なはずがない。なにより問題なのが、ロビンが平民の新米冒険者としては傲慢すぎ、貴族の子息としては身分差をわきまえていないという矛盾具合に、まったく気が付いていないということだ。
まあ、男爵家子息ごときが華公爵家子息の顔を知らなくても仕方ないのだけど、これだけ魔力差が歴然としているにも関わらず、上位だと思わないのがおかしい。
そのうえ、ジェドの容姿はわりと目立つというのに、自国の宰相長子のデータを把握してないとは。
「……まったく、この国の貴族はどうなってるんだか」
「エマちゃん。それ、むしろジェドくんに跳ね返ってる」
ぼそりと口をついて出た愚痴に、素早くキアラのツッコミが入った。義姉よ、いろいろ気を遣わせてすまぬ。
こほりと喉を整えて、会話に意識を戻す。
「ロビンさん。ギルドが誰かを特別扱いをしていると感じたなら、それは相応の理由があってのことだと察するのが社会人というものです。そんな考えすら浮かばないのであれば、社会常識を学ぶために、帝国学院に入学されてみては?」
「お、おまえ、俺を追い出すつもりか?!」
「いいえ。厳格で閉鎖的な縦社会の中で、三年間みっちりきっちりご自分の立場をその身に叩き込まれて、さらにご家族とお話し合いをされた後でも、冒険者としての道を選択するのは可能だと申し上げているだけです」
「……学院はそんなに怖いところではないよ?」
「ジェドは黙っていてください」
「はい」
ぴりぴりする空気を和ませようとしたのか、口を挟んできたジェドを一言で片づけ、私は何を言っても響きそうにない目の前の少年を見つめた。
冒険者とギルド職員の違いから説明したところで、理解不能だろう。彼には圧倒的に、他者を受け入れようという姿勢が欠けている。
「はっきり申しあげて、あなたはうちの専属に向いていません。これ以上ギルド職員や他の冒険者を侮辱するような態度を続けるなら、記録を移しますので、他のところに行っていただけますか」
「俺はこの[蒼虎]の専属になりたいと言っている!」
「ならば四の五の言わず、依頼を達成してください。あなたのレベルに合ったものを適切にこなすのであれば、こちらも文句を言いません」
「依頼、依頼と言うが、採集ばかりではないか! これではいくらこなしても、ランクアップできないだろう!」
「今は季節柄、討伐依頼がないのだと何度もご説明したはずですが」
確かに、魔物を狩る討伐依頼のほうが危険度が高く、加点が大きいため、ランク上げには向いている。
が、冬は動物の活動量が低下する。魔物も例外ではない。冬眠したり、温暖な地を求めて移動するのだ。冬は冬で特異な魔物が現われるのだが、今シーズンはまだその兆候がない。
なので、森が荒らされる前にできるだけ薬草類を確保しておきたいという大人の都合があるんだ、ド阿呆め。
「EクラスがDクラスになったところで、専属試験に合格できるとは限りませんが」
「合格するに決まっている!」
「でしたら、私と戦いますか? 私Dクラスですから、勝てばランクアップできますよ?」
ランク上げには、現ランクに合った依頼をこなして加点を貯めて達成する場合と、上位ランク者の立会いの下、希望の上位ランク者と一対一の決闘をして勝利する場合の二種類がある。後者の場合は、勝った相手と同ランクが得られるため、飛び級を望むものはギルドに決闘の申請をするのだ。
ま、大抵はこてんぱんにやられるんだけど。
ロビンは若く、まだEクラスになって日が浅いため、決闘申請は却下するようギルド長から言われていたのだけど、これだけ言って聞かないのであれば、物理的に説得するしかない。懇切丁寧に、完膚なきまでに。
目を輝かせて「本当か?!」と気負いこむオレンジ髪の少年に、獲物が引っ掛かったと黒い笑みを浮かべていたら、思わぬ邪魔が入った。
「なんの騒ぎだ」
先ほどまでの外套の代わりに、ノースリーブの上からギルド職員の紺の上着を引っ掛けたウォルターが、奥から現われる。どこからかやり取りを聞いていたのだろう、濃い琥珀色の瞳が苛立ちを帯びていた。
途端、借りてきた猫並みに澄まし顔になるロビンを横目に、私は説明をする。
「どうしてもロビンがランクアップをしたいというから、私が相手になろうかと思って。許可いただけますか、ギルド長代理?」
「止めろ。若者の未来を潰す気か」
「潰さない。叩きのめすだけ」
「同じだ」
とす、と柔らかく拳が私のつむじに落ちる。頭を冷やせという合図だ。
それを加勢ととらえたのか、ロビンが頬を紅潮させてウォルターに訴えた。
「でも、何事もやってみなくては分かりません。一度くらいチャンスをください!」
「だめだ」
「でも……っ」
「だめだと言っている。俺の言うことが聞けないのか」
「……いえ。すみません、ウォルさん」
さっきまでの強気が嘘のようにロビンがうなだれる。長いものに巻かれるというより、この少年、ウォルターの信奉者なのだ。趣味が悪いったらない。
それでも、まだ納得しきれていないロビンの顔を見て、ウォルターがダメ押しのように私に質問を放った。
「エマ。おまえ、こいつをどう叩きのめすつもりだった?」
「え? Eクラス相手にそんなに非道なことはしないつもりだったけど?」
「いいから、教えてやれ」
「魔力持ちだから、多少は魔術使ってもいいかなーと思ったけど、[火球]しか使えない相手に無茶はできないから、とりあえず地系か空間系で足止めして鞭でしばいて場外に放り出すか――剣術がまあまあみたいだから、数合打ち合って、その間に本人の周りに結界めぐらして[火球]を撃たせて自滅させるか――とか、それくらいだよ?」
彼は経験が浅くて計画性が皆無だから、こちらがちょっと複合的な要素を仕掛けると、簡単に崩れるはず。闇系統の魔術で攪乱して、少しずつ追い詰めるという手もあるのだけど、それだと精神的ダメージが深そうなので選択肢からは除外した。
という説明をすれば、ウォルターは額に指先を当て、ツィーランとジェドは苦笑し、ロビンは表情を強張らせた。
チビで童顔で女っぽい体型をしている私が、やっと鑑定士でギルド長の娘だという事実を思い出したらしい。遅いよ。
「ものすごく甘い攻撃だと思うんだけど? なるべく怪我させないようにしてるし」
「それ以上はやめとけ。……うん、まあ、そもそもおまえがDクラスから上がってないっていうのが問題なんだよな」
「なんでわたしのせい」
「いい加減、Cクラスにしとけよ。依頼加点、つけてない分が溜まってんだろ」
「これ以上、面倒事はいらない。それに、ランク上げてわたしの給料が上がったら、ギルドで自由になるお金が減るんだけど、それでもいい?」
「……その話は保留で」
「よし」
すぐさま意見を引っ込めたウォルターが、咳払いをひとつして強引に話を進める。
「とりあえず、決闘はなしだ。いいな?」
「はい」
「ロビン。体を動かしたければ、朝のうちに訓練場に来いと言ったはずだ。ジェドと一緒にしごいてやるぞ?」
ロビンが気まずそうに、視線を下に逸らした。ギルドのすぐ近くで部屋を借りているはずだが、一人暮らしがはじめてなせいか、早起きが苦手なようだ。
「それから、採集が嫌なら行かなくてもいい」
「本当ですか?!」
「ああ、好きにしろ」
喜色を表すロビンとは対照的に、周囲の顔色は悪くなる。ウォルターの発言は、新米冒険者を擁護したのではなく、むしろ突き放したのだと分かったからだ。
おず、とツィーランがロビンの後ろから手を挙げた。
「あの、私は薬草の知識が不足しているので、できれば勉強のために採集に行きたいのですが」
「ああ、もちろん構わない。代わりに誰か空いている奴をつけよう」
「――じゃ、俺が行く」
立候補したのは、これまで全く気配を消していたグリフィンだ。まさかのAクラスからの申し出に、ツィーランが藍色の眼を丸くする。
「よろしいのですか? 私、Dクラスですが」
「パートナーは組めないが、指導料なしのただの案内係でよけりゃ、問題ないさ。ウォルがギルドに詰めっぱなしだから、俺も体が鈍りそうだ」
「あ、ありがとうございますっ!」
「――いいよな、ウォル?」
「ああ、頼んだ」
「ツィラ、今日一日よろしくな」
「は、はいっ」
笑顔で握手を交わし、グリフィンは依頼ボードから根こそぎ用紙を奪っていく。依頼ランクは、自ランクの上下1級まで請け負うことが可能だ。ツィーランが受けられるE~Cクラスの採集レベルなら、Aクラスの者では十件は軽い。
ましてやグリフィンは、雪に強い火属性で、一級魔術師の資格も持つ。採集は量と質が命だが、ツィーランも空間系の魔術を使うため、相性は良いはずだ。
救いの手を差し伸べてくれた兄貴分に、私もひとつサービスをしておく。
「二人とも、森へ行く前にケリーのところに寄ってみてくれる? そろそろ大きな依頼があると思うの」
ギルド専属の薬師兼植物狩人の名前を出せば、折よく鈴を鳴らして、当の本人が艶のある藍黒色のベリーショートを覗かせた。
「いらっしゃい、ケリー」
「おはよう、お嬢。依頼したいんだけど……って、あれ? なんだかみんなお揃いだね? お邪魔だった?」
「いや、いいタイミングで来たってだけの話だ」
ウォルターが苦笑して、ケリーの手からメモを取り上げる。
「植物羊の毛か」
「うん」
植物羊は、上質な綿が採れる魔草の一種だ。数メートルになる茎のてっぺんに花を咲かせ実を結ぶのだが、この果実が金色の羊そっくりで、熟すと殻を割り、メェと鳴いて現われる。植物なので放っておくと、どこまでも羊が肥大化するらしいが、果肉ならぬ羊肉が美味なようで、いまだ手毬サイズ以上の個体に巡り合ったことはない。
これが群生すると、何頭もの小さな羊が、メェメェ鳴きながら草の上でふわふわと揺れていて、ものすごくシュールなのだ。
「大体いつも生まれてすぐに他の魔物に喰われちゃうんだけど、今なら捕食者が少ないから、狩どきなんだよね。脱脂綿、少なくなってきちゃって、師匠のご機嫌が斜めなんだ。報酬の分け前はいらないから、僕も一緒に行っていいかな?」
「今からグリフとツィラが採集に出るところだ」
「ほんとだ、いいタイミング」
朱の刺青で彩った眦を細め、ケリーが童顔を笑みくずす。
ウォルターたちと同年代のはずだけど、細身の体型もあいまって、少年のようだ。先ほどまでの殺伐とした空気が清められた気がする。
「ロビンは行かないの?」
「ああ。……そういや、植物羊の肉って美味いんだったよな。ケリー、報酬追加するから、ついでに持ち帰ってくれるか?」
「いいけど、結構な量狩るよ? 一年分まとめて採るから」
「問題ない」
「問題ある! すっごく問題あるってば、ウォルッ!」
即座に抵抗したけど無駄だった。
誰だよ、こいつをギルド長代理にしたやつ! うちの親父か!
「いいじゃねーか、肉が増えるんだぞ?」
「今朝買い物したばっかだよ! 冷蔵庫に入んないよ!」
「アイテムボックスに入れときゃいいじゃん。腐んねーし」
「ウォルのに入れてよ。わたしのは嫌」
「俺、アイテムボックスに物入れない主義なんだよな」
「は?」
「めんどくせーじゃん、忘れるし」
「忘れるな!」
物入れなかったらアイテムボックスの意味ないだろ!と拳を震わせていたら、支度を済ませたグリフィンが「とりあえず俺のに入れといてやるから、適当なとこ見つけとけ」と頭を撫でてきた。
どっちが実の兄なんだか、分かりゃしない。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってまいります」
「行ってくるねー」
「気を付けて!」
三人を見送れば、たちどころに気まずい空気が舞い戻った。
ようやく自分の立場の不味さを理解したのか、ロビンが蒼褪めた顔でウォルターに声をかける。だが、返ってきたのは、拒絶の一瞥だった。
「う、ウォルさ……」
「採集に行かないと決めたのはおまえだ。今日はもう用はない。帰れ」
「でも……っ」
「二度も言わせるな。帰れ」
青緑色の勝気な瞳を一瞬潤ませ、ぐっと下唇を噛むと、ロビンは身を翻して事務所を出て行く。
キアラが呼び止めたそうな顔を見せたが、余計なことはするなと首を振った。