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25.飼い主様の多難な事情(1)

  

 朝起きたら、いきなり愚兄が言い出した。


「今日は温泉行くぞ」

「は?!」


 馬鹿なのか、こいつ。いや、馬鹿なのは知ってた。


「なに、いきなり」

「やっぱ寒いときは温泉じゃん?」

「温泉はいいけど、なんで今日なの」

「明日親父たち帰って来んじゃん。そしたら行けねえだろ?」


 それはそうだけど。


「でも準備とか」

「おまえ、服脱いで湯に浸かるだけなのに、なんの準備がいるんだよ?」

「女子にはいろいろあるの! それに今、タローさんとサブローさんいないじゃん。どうやって温泉まで辿り着くの?」

「ん。アズセナとドナー借りたら行けんじゃね?」

「おお……!」


 ……ウォルがまともに考えてる……!


 ほんの一瞬だけ兄を見直した。0.1秒くらい。


 今話題にしてる温泉は、[迷宮の森]外れの山中にある自然に湧いた露天風呂で、いわゆる秘湯というやつだ。傷ついた獣や魔物も入ったりするワイルドさ満点のところだけど、地元の有志が丸太小屋で脱衣所やトイレを完備してくれていて、もちろん無料。知る人ぞ知る穴場だ。

 問題はただひとつ。かなり危険な山道で、護衛なしでは絶対に辿り着けないのだ。

 今回はウォルターが言い出したことだし、アズセナとドナーを借りるならグリフィンとヴィルトシュヴァインもついてくるわけで――Aクラス冒険者が三人。護衛としては完璧だ。


「行く! 何時?」

「明るいうちに帰ってきたいから、昼前には出ねえとな」

「分かった、お弁当作る。……あ、他にも声かけていい?」

「二頭立てだから、あんま乗せられねえぞ?」

「そうだね……」


 悩んだ結果、リーザとピアニーに声をかけることにした。今のところ独り暮らし(冬眠中のナビはいないも同然とする)で、急な誘いも受けやすいと睨んだのだ。

 兄夫婦を誘ってもいいけど、平日なのでカイルは仕事のはず。あの二人、基本的に夫婦が揃わないところへは出掛けないのだ。夏にキアラを女だけの日帰り温泉旅行に誘ったら、速攻ダメ出しをされたことがある。キアラではなく夫のカイルに。

 すごくイイ笑顔で、『俺のいないところで嫁の肌をさらす趣味はないぞ?』と有無を言わさず拒否された。おにいちゃん、妹はドン引きですよ……。


 早速、ピアニーに伝話鳥を飛ばす。伝話鳥が使えないリーザへは、メモを書いて届けてもらうことにした。

 コジローさんに、と書いたメモを手に暖炉を向けば、熾したての炎の前で無心になって座る猫がいた。なにがあっても動くもんかという決意をもふもふの背中に感じ、仕方なく他をあたる。


「誰かいるかなー?」


 窓を開ければ、日に日に早く明ける空がオレンジ色の朝焼けに染まり、雪景色をきらきらと照らしていた。

 雪に覆われた木立に向け、指笛を鳴らす。

 一瞬の間の後、どこからともなく大きなシロフクロウが窓辺に降り立った。

 真っ白な雄。黄色の精霊の光が舞い、昔から見かけるだと分かる。魔物ではないのだけど、精霊の多いこの辺りでは普通の動物が長寿になることがあり、そういう子にはたいてい精霊が憑いている。どっちがどっちの理由かは不明だ。


「これをリーザに届けてくれる? 返事がもらえそうだったらもらってきて」


 折りたたんだメモを差し出すと、嘴に咥え、シロフクロウが飛び立つ。モフ足もかわいいけど、羽ばたきの音がしないところがフクロウの恰好良さだよね。

 あ、ちなみに〝お願い〟はフクロウにではなく、に憑いてる精霊に対してだ。精霊は人語が分からないから話しかけるのは無駄という人もいるが、魔力を介せば会話は可能なので、私は普通に話している。傍目にちょっと痛い人に見られるのが難点だ。気にしないけど。


 窓を閉め、貯蔵庫から追加の食材を持ち出す。昨晩のスープとパンを温めなおし、遅ればせながら朝食の支度にとりかかっていると、ジェドが起きてきた。


「おはよう。ごめん、寝坊した」

「おはようございます。ふたりはもう帰ったんですか?」


 姿の見えない契約精霊について問えば、寝癖のついた髪を撫でつつ、ジェドが頷く。


「朝早くクウェンティンから呼び出しが入った。昼までには戻ると言っていたけど」

「完全にうちが自宅化してますね……」


 ふたりともジェドの出生時に現出したのだから、この地が実家と言えなくもないのだけど。くつろぐのはともかく、とうとうやつらは御飯どきに反応するようになってしまった。

 従者教育をさせておいてなんだが、ここまで人に馴染む精霊も初めてなので、彼らの性質が歪まないか不安になる。

 私の不安をどうとったのか、ジェドが表情を曇らせた。


「迷惑、かな……?」

「いえ、そっちは全然。精霊的にどうなのか、ちょっと心配なだけです」

「あー……うん。でも従者教育に差し障りはないようだし、本人たちもご機嫌だから、問題ないと思うよ」


 本人たちがご機嫌っていうのが一番問題な気がするけど。という感想は、ぐっと堪えて「そうですね」と返す。

 不安を伝播させて、余計に不安定になられてもいけない。純粋な存在である精霊は、嘘がつけないだけでなく、抱いた感情によって魔力や存在そのものが左右されると言われる。意思疎通はできても、彼らを人の基準に当て嵌めてはいけないのだ。

 

 ふいに、ぱたたと軽い羽音が聞こえ、伝話鳥が帰ってきた。『行く』という簡潔な返事がピアニーらしい。

 厩舎の掃除がないので、暖炉前でコジローさんとのんびりしていたウォルターが、それを聞いてこちらに顔を向けた。

 

「リーザから返事は?」

「まだ。フクロウだから気づいてもらえないのかも。寝てたらアウトだし」

 

 これが冬じゃなかったら、リスとか小動物にお願いして本人まで直接届けてもらうのだけど、いかんせん冬眠中。フクロウは早いが、窓の外までが限度だ。一長一短である。


「あいつもいい加減、伝話鳥ぐらい覚えりゃいいのに」

「無理言わないの」

「魔力は充分だろ」


 魔力量や技術の不足ではなく、伝話鳥=魔術=貴族のものと敬遠する人は多い。この辺りは僻地なのと冒険者が多いので、わりと伝話鳥が飛び交っているが、普通の街では郵便屋さんか、足自慢の子どもによるお駄賃目的の口伝えだ。

 状況をよく分かっていないジェドが首を傾げる。


「……どこかに行くのか?」

「おう。温泉行くから、おまえも準備しとけよ」

「温泉?」

「おまえ温泉初めてだったな。でっかい風呂だ。楽しみにしとけ」


 適当な説明を耳に流しつつ、私は解凍してしまった小ぶりのウズラを前に、しばし悩んだ。フクロウが戻って来なかったら、これをどう消費すべきか。お弁当に丸ごとのウズラは入れにくい。

 そのとき家の結界が軽く震え、窓の外に白い影が降り立った。勢い込んで窓を開ければ、目を細めたフクロウが、千切れかけたメモを咥えて佇んでいた。

 駄目だったかと残念な気持ちで紙を広げると、どうやら私のメモに裏書きしたらしく、リーザの字で『行くけど、フクロウで連絡はやめて。マジで心臓止まるかと思った。迎えはアーケードの前でよろしく』と書いてある。

 

 ……ごめん、リーザ。何も考えてなかった。


 伝話鳥は手のひらサイズで、昔は拡声器のように伝言を大声で喋ったため嘴が誇張され、雰囲気は全身真っ白なカワセミだ。ゆえに、とてもかわいくない。

 シロフクロウは色こそ同じだが、大きさもシルエットも違う。が、〝白い鳥が突然報せを運んでくる〟というシチュエーションが、リーザのトラウマを刺激したようだ。本当ごめん。

 フクロウに罪はないので、「ありがとう。ご苦労様」と声を掛け、用意していたウズラを持ってくる。ふわりと飛び立つに、長生きしろよと心を込めて放れば、見事に両足でキャッチ。そのまま森の奥に飛び去った。

 その光景に癒される暇もなく、私の背後で男どもの声が上がる。


「ちょ、エマ。俺の昼飯やってどうすんだよ!」

「いつの間にフクロウを使役していたんだ? エマ」


 まったく、こいつらは。

 握り潰しそうなリーザのメモをエプロンのポケットに入れ、笑顔で振り向く。


「ウォル。昼のお弁当でウズラとか寝惚けたことを言うなら、本当にウォルの分は一羽丸ままだけにしてあげるから覚悟して」

「や、それはちょっとさすがに食べにくい……」

「ジェド。あれは使役ではなく、ただ単なる〝お願い〟です。気のいい森の仲間が親切に力を貸してくれただけ、ですので、間違えないでくださいね?」

「え、でもなんだか魔力を感じたような……」

「間違えないでくださいね?」

「え、は、はい」

「で。なんで二人とも訓練の時間なのに、まだここでくつろいでいるんですか? ほら――さっさと走ってくる!」


 軽く脅せば、びしっと背筋を伸ばした二人が、互いに罪をなすりつけ合いながら裏手から出ていった。

 スープとパンが中途半端に食べ残されていて、急がせすぎたかと時計を見れば、いつもの予定より二十分も遅れていた。ダメじゃん。

 今日は医療院の手伝いを入れていなくて助かった。親が帰って来るので、家の掃除の予定だったのだ。掃除までは行き着かないかもしれないが、七人分のお弁当を作るには充分間に合う。

 温泉だ、温泉。


「よし。巻きでいくか」


 呟き、私は気合いを入れて腕まくりをした。



 敗因はいろいろある。

 発端は、私が前にユリアン様が言っていた〝手羽先の甘辛煮〟というやつを、どうしても食べたくなったことにはじまる。

 ジェドの弟であるユリアン様は、御年五歳だが、前世持ちの中身四十代おっさんだ。どうやらアルバここで食べた和食が前世の琴線に触れ、いろいろと好物を思い出したらしい。

 〝手羽先の甘辛煮〟というのも、そのひとつだ。手羽先は骨があって肉が少ないから食べにくそうと思っていたのに、美味しさを熱く語られて、肉屋さんで手羽先を見かけたときに思わず大量買いしてしまったのだ。


 で、今回、腹ぺこジェドを含めた男四人の胃袋を満足させるメニューを考えて、これしかないとぴんときた。

 だって、かりっと焼いた手羽先に甘辛いタレを絡めて軽く煮たら出来上がりなんて、簡単で超絶おいしそうじゃないですか! 他の材料は、出汁に醤油に清酒に砂糖に小麦粉に白胡麻――すべてオッケー。問題は手が汚れることだけど、温泉で洗い放題だからいいかとスルーした。

 後は、和食ならパンよりご飯だよねと、鍋に大量に米をセットして、うきうきと弁当作りに勤しんでいたら。

 朝の訓練中に、なんとフィオーリの乱入が決定。計八名となったのだ。

 移動中の軽量化と防御は任せてと伝言を受けたけど、問題は移動手段ではなく、食事だ。しかもフィオーリが来るなら、絶対に『雪見酒~』とかいって変な方向に盛り上がるに決まっている。

 すぐに本人には『酒とつまみは自分で持ってきて』と連絡を入れたけど、なおざりな返事しか来なかったので、不安が倍増した。

 これは、この前カイルに急遽、来客三人の夕食を追加でお願いしたツケが回ってきたとしか考えられない。おにいちゃん、本当ごめんね。御飯、超美味しかったよ、感謝。


 作らないといけないのは、男五人を含めた大人八名分のお弁当+つまみ。


 ……間に合うのか……いや。やるしかない……ッ!


 目をカッと見開いて、気合いを入れ直す。

 そして、魔道具と小手先の魔術を駆使しまくって調理したことが――第二の敗因だ。


 結果。


 約30cm四方の、いわゆる重箱と呼ばれる容器に敷き詰められた食事が六つ。

 全部並べると、ゆったり四人掛けのテーブル一面を一分の隙もなく埋め尽くす量のお弁当の完成と相成ったわけである。


「……はあっ?!」


 久しぶりに見たなー、ウォルターのぽかーん顔。

 大円になった目が、みるみる逆ハの字に吊り上がった眉の下に引っ込み、私を睨む。


「てめえ、なに考えてんだ! 今から温泉行くんだぞ!」

「えっと、だから、お弁当?」

「弁当ってレベルじゃねえだろうが! 何人分だよ!」

「八人でしょ。分かってるって。大丈夫」


 ぐっと右の親指を突き上げれば、その指を変な方向に曲げられた。


「いたいぃ~」

「おまえが寝惚けてるからだ」

「だって、足りなくなるよりいいと思ったんだもん~」

「そりゃそうだけどよ……」


 私の指をぺいっと放して、ウォルターがため息を吐く。

 まあ、うん。ウォルターの言いたいことも分からなくはない。

 私も途中、出来た料理の粗熱をとるのにお皿を並べて、ちょっと多いかなとは思った。思ったんだけど、もう考えるのが面倒になったんだよね。てへっ。


 八人分のお弁当ということで容れ物を探していて、昔家族でハイキングに行ったときによく使っていた重箱が出てきたのだ。

 揃いとみられる赤と白の陶製の蓋付きの器は、たぶんキリがくれたウマラ国のもの。季節とか行事によって使い分けていたと思うけど、当時ひとつの重箱で大人三人と子ども四人が満足できたのだから、両方使えば大人八人分いけるんじゃね?――と思ったのが、第三の敗因だ。


 とにかくお重の中身を埋めることを頑張ったのだけど、よく考えたら私が子どもの頃って、カイルはわりと大人に近い。しかもウォルターは昔からよく食べた。

 そうすると、数を考えておにぎりを握ったはずなのにお重がスカスカで、ペペロンチーノとバジルのパスタを追加するとか、やっちゃうよね? 仕方ない。

 おつまみゾーンを作ろうとして、途中から隙間が気になって、味濃ければいいだろみたいなおかずのチョイスになって量を増やして誤魔化しちゃうとか、あるよね? うん、仕方ない。

 そうして出来上がったのが、迫力ある三段重ねの重箱×2だ。

 

 まず赤の重箱。

 一段目にハムとチーズと胡瓜を短冊に切って並べ、ポテトサラダに南瓜と豆のサラダ、出汁巻き卵。

 二段目に手羽先の甘辛煮とパプリカのマリネ。色どりに茹でたブロッコリー。

 三段目にはぎっしりの煮物。


 次に白の重箱。

 一段目に、ほぐし焼鮭と刻んだ菜っ葉の漬物の二色のおにぎりとパスタ二種類。

 二段目にかつおぶしとピーマンの炒め物、ピリ辛もやし、ポテトのベーコン巻き、茸のチーズ焼き、一口大のタラの野菜あんかけ。

 三段目は口直しに、煮リンゴのケーキとヨーグルトとブルーベリーのゼリー。カットした生のオレンジとリンゴと黄色いシーベリーをこれでもかと詰めてみた。


 正直、あー、やっちまったなーとは思った。思ったけど、今さら引き返せない。

 それに重箱は重ねて風呂敷に包んでしまえばかさが減るし、お弁当なのだから、ぶっちゃけ準備は他にもある。

 大事な水分補給用に、冷水を10リットルほどウォータージャグに用意。寂しいので、大きめの水筒にお茶も作った。

 取り分け用の小皿とコップ、お手拭は人数分。フォークと箸は多めに。お腹を壊したとき用に胃腸薬と痛み止めと傷用の軟膏。各種魔法薬ポーションも、もちろん持って行く。

 あと忘れちゃいけないのが、アズセナ用のブランデーとドナー用のスピリタスだ。

 それから――。


「エマ。エマ、ちょっと落ち着こうか」


 なぜか温泉未経験のジェドに止められた。さっきまで『外のお風呂にみんなで入る』と聞いて動揺しまくってたくせに。


「ものすごい量だけど、そりに乗せられるのか?」

「それは、ウォルがアイテムボックスに入れてくれると……信じてるよ?」


 両手を握ってにっこりアピール。

 文句のひとつも言われるかと覚悟したけど、もともと自分が行くと言い出したからか、ウォルターはため息をひとつ吐いて、愛用のリュックを持って来た。

 アイテムボックスの本体は、実は、飾りに見せかけてぶら下がる紫の魔石だ。空間の精霊カオスと親和性の高い石で、魔法陣を通じて呼びかければ、その対象物(無機物に限る)の袋がアイテムボックスになるという優れものだ。

 まあ、凄いのは魔石でも魔法陣でもなく、精霊だけど。


「とりあえず、水は却下な」

「は?! お風呂入るのに飲み水は必須でしょ?」

「水筒くらいみんな持ってくんだろ。喉が乾いたら雪食え、雪」

「……分かった。水はわたしが持ってく」

「状態保存の布も却下。アイテムボックスに入れんなら意味ないだろ」

「えー、この風呂敷、重箱とセットなのに!」

「おまえ、もじゃさんの負担考えろよ。アイテムボックス内に他の陣入れんな」


 もじゃさんというのは、家族内での空間の精霊カオスの通称だ。滅多に人界に姿を見せない彼らは、まんまるのもじゃもじゃなのだ。大きいのから小さいのまで、色も紫のグラデーションでわっさわさだ。

 アイテムボックスは、魔道具というには彼らに頼りすぎているので、おとなしく頷いた。


「分かった。じゃあ、他のにくるみ直す」

「まんまでいいだろ。もじゃさん信用しろよ」

「だって、せっかくきれいに詰めたんだもん。出し入れするときに傾いて崩れたら嫌だから、包み直す! ウォルは先に他のを収めといて」

「わかったよ」


 しぶしぶウォルターが承知した。

 私がばたばたと押し入れを開け、風呂敷代わりになりそうな布を探している間に、水筒と小物類がリュックに消える。


「酒も置いてくぞ。飲ませたら、あいつら動かなくなるからな。特にドナーじいさん」

「んー、人間だけ食べてたら悪いかなーと思ったんだけど、じゃあ止めとく。どうせ、フィオたちがお酒持ってくるだろうし」

「何の話だ?」

「だって、フィオなら『雪見酒~』とか言って、温泉浸かりながら酒盛りしそうでしょ?」

「……アリだな。よし、酒は持っていくか」

「待てコラ」


 止めたけど無駄だった。仕方なく薄手のキルトで重箱を包みながら、「酒、酒~」とご機嫌で貯蔵庫に向かう長身を黙って見送る。

 欲望に忠実な男だな。他人ひとのことは言えないけど……てか、兄妹だった。やれやれ。

 魔石に触れて開錠し、重箱を抱えてリュックに収めようとすれば、キルトの結び目を持って、ひょいとジェドが持ち上げてくれた。


「このまま入れればいいのか?」

「お願いします」

 

 アイテムボックスは便利だが、間口に物理的な制約がかかるのが難点だ。一部でも入ってしまえば、あとはもじゃさんが受け止めてくれるのだけど。本当に優秀な子たちなのだ、空間の精霊カオスは。

 荷物が亜空間に収納される独特の感覚に、ジェドが目を見開く。


「すごい。本当に消えた」

「アイテムボックスは初めてでした?」

「自分で使うのは。……あ、でも馬車には乗ったから、入ったことはあるのか」


 アイテムボックスそのままではないが、馬車の揺れをなんとかしたくて、試作品としてアルバ華公爵家の馬車内部に空間魔術を仕込んだのだ。

 亜空間と同じように、界層の薄皮一枚を切り開き、生体を受け入れても大丈夫なバルーン状の疑似空間を作り上げた。この維持に莫大な魔力が必要なため、商品化への道のりはまだ遠い。


「皇都内、特に公的機関では空間魔術の使用制限が厳しくてね。事前に申請したもの以外の品物や個数をアイテムボックス内に入れていると即捕まる……って、エマは知っているか」

「ええ。学院に入るときに、長ーい申請書、書きましたから」

「それが面倒でアイテムボックスを持たない貴族も多いみたいだ」


 数多くの使用人を動かせる貴族は、自分の荷物量なんてまったく無頓着だからね。頭を悩ませるのは使用人側だ。

 結果として、平民だが魔力が多めの冒険者や、財力のある商人がアイテムボックスを活用する層となる。空間魔術は特殊なので、使用するとすぐに走査魔術や防犯結界に引っかかるため、そういう意味では魔力量の限られた平民のほうが管理されやすいのだ。


「私も授業で理論を習っただけだ。アイテムボックスを使いたくて冒険者登録をした者もいたと聞いたよ」

「そんな簡単に大物は狩れないでしょうに」

「はは。期待外れだったと怒っていたらしい」


 ジェドはアイテムボックスが気になるらしく、魔石の飾りを指でくるくる弄っている。

 刻まれた魔法陣は簡潔で、亜空間での物品の保持と管理者・使用者の登録だ。うちでは紛失などに備えて、使用者に必ず家族を加えることにしている。使用者登録をすれば、管理者の許可はいるものの、他人のアイテムボックスを使えるし、その管理者の魔道具から自分のアイテムボックスにアクセスすることも可能なのだ。超便利。

 管理者と使用者以外が魔石に触れたり、あるいは本人が何もしなければ、アイテムボックスはただのリュックとして、荷物――今回はウォルターのタオルと替えの下着と洗面用具――が入っているだけとなる。


 そう説明すれば、ジェドがめちゃめちゃ笑顔で「アイテムボックスの中を覗いてもいいか?」と聞いてきた。

 どうぞと袋を開ければ、尻尾を振りそうな勢いでジェドが顔を突っ込み、ばっと跳ね起きる。


「……なにかと目が合った」

「もじゃさんでしょうね」

空間の精霊カオスって初めて視た……」


 目をきらきらさせたジェドはもう一度袋を覗き込み、ややあって、しょんぼりと顔を上げた。


「……もう視えない」

「恥ずかしがり屋なので、すぐ隠れるんです」

「うう、もうちょっとはっきりした姿が視たかったな……」


 袋をちょっとだけ閉じ、また開けて覗いてを繰り返すジェドが遊んでいるように見えたのか、コジローさんが傍にやって来て、同じように袋を覗きはじめた。

 気がつくと、いつの間にかその両脇に、朱黒のミニ竜と蒼白の有翼蛇が並んでいる。

 ……お早いお帰りで。君たち真似っ子してるけど、状況分かってないよね?


 ようやく貯蔵庫から出てきたウォルターが、二本の酒瓶とお気に入りのグラスをいくつか持ったまま、その様子を見て呆れ顔になった。


「なにやってんだ、おまえら」

空間の精霊カオスが視たくて……」

「無理に視ようとすると、もじゃさんに嫌われんぞ?」

「うう、もじゃさんのもじゃ具合が視たかった……」

「また今度にしろ」


 素気無く流し、ウォルターは無造作に酒瓶とグラスをアイテムボックスに投げ入れる。普通のリュックだったら確実に悲劇な案件だが、かちゃりとも音がしない。さすがだ。

 亜空間内で、一生懸命もじゃさんたちが投げ込まれたものを受け止めているのだと思うと、ちょっと微笑ましくもある。


 名残惜しい顔をするジェドとよく分かっていない三匹の前で、ウォルターがリュックを閉め、魔石の飾りを胸ポケットに仕舞った。


「おまえ、これから温泉行くって分かってんのか? 支度はできてるんだろうな?」

「荷物はできてるよ。公衆浴場みたいなものなんだろう?」


 他人と湯船に入るという状況が苦手なのか、むっとした顔でジェドが返す。


「ジェド、気が進まないなら無理に行かなくてもいいんですよ?」

「いや、気が進まないとかじゃなくて、その……一緒にっていうのが……いやでも、そういうものなら私は別に構わないんだけど……でもやっぱり気になるっていうか……」

「……」


 もごもごと言い訳を並べるジェドを見、ウォルターを見、私はおもむろに口を開く。


「ジェド。男湯と女湯は分かれてますからね?」

「…………え?!」

「ばーか、エマ。今バラしたら、つまんねーだろうが」

「ウォルッ」


 ジェドが怒鳴るが、ウォルターは涼しい顔だ。まったく、男同士の遊びには付き合っていられない。

 それよりも温泉だ、温泉。

 魔法薬ポーションで魔力を回復して気合いを入れ直す。火の元、水回り、戸締りを確認し、コジローさんの飲み水とトイレも準備。ちょっと早い昼食も出しておく。


「お留守番お願いね」

「なう」


 留守番のお駄賃の前払いということで、茹でたチキンが載って豪華だ。

 ごろごろいいながら早速食べはじめるコジローさんの後ろで、当然の顔をして並んでお座り?して待つ二体の精霊にも、小皿を差し出す。

 熱々の煮リンゴのシナモンがけが朱王用、ブルーベリーヨーグルトのシャーベットが青龍用だ。


「君たちもお留守番。コジローさんの言うことをよく聞いてくださいね?」


 そう告げれば、いそいそと小皿にすり寄って来たふたりの動きが、ぴたりと止まった。

 ガーン!という効果音がつきそうな勢いで私を見、すがるようにジェドを仰ぐ。


「すまない。今日は[迷宮の森]近くに行くから、連れて行けないんだ。他の精霊を刺激してしまうかもしれないからね」

「コジローさん用に居間の暖炉だけ火を落としきらずに行くので、換気と火の管理をお願いします。あと、結界はいつも通りですが、お家の警護もお願いしますね」

「頼んだぞ」


 ジェドに撫でられ、火と氷の精霊はしぶしぶ小皿の中身を食べはじめた。食べ終わったら御主人様が行ってしまうのが分かるのだろう、ジェドの手や足にすりすりしつつ、不満たっぷりにおやつを食べきる。


 精霊なんだし、そんなに嫌そうに食べるなら次からおやつをあげるもんかと悪魔が頭をもたげる。が、よく考えたら、昼からジェドと一緒にいたくて急いで用事を済ませて来たのにすぐに離れ離れ、という状況も可哀想だ。

 食器を片づけ、名残惜しそうにジェドに纏わりつく精霊たちに、そっと声を掛ける。


『完全に隠れられるならついてきてもいいけど、行くのは温泉。地下の熱源に温められた熱水が湧き出ている場所よ? 水であって水の領域ではなく、火であって火の領域とも異なる。強いて言うなら、山の精霊オレアデス鉱物の精霊オリクトの領域だけど、本当に行きたい?』

『それは……人は大丈夫なのか?』

『地中の微量な成分が体にいいのよ。薬湯にも浸かるでしょ? それと同じ』

『にんげんムズカしい……』


 魔力で率直な状況を教えてやれば、ふたりともやっと落ち着いた。そうだろうとも。君たちと温泉の相性は微妙だと思ったんだ。

 本当は火の精霊サラマンダー水の精霊ウンディーネがいれば、温泉に行かなくても作れる気もするんだけど、いかんせんふたりは仲が悪い。勿体ないことだ。


 ようやく精霊たちを引きはがすことに成功し、ジェドが荷物を持ってくる。私も自分のリュックをアイテムボックス化して、ウォータージャグを詰めた。

 コジローさんのモフを愛で、施錠する前にもう一度振り返る。


『じゃあ、留守番お願いね。なにかあったらすぐに連絡する』

『承知』

『わかった』


 神妙にうなずいた彼らは、だが、窓辺で揃って見送る様子は捨てられた仔犬(爬虫類系だけど)そのもので。

 情けない顔で半立ちになった彼らの尻尾を、左右の前脚で押さえつけて立つ濃紺の猫の姿に、今後の力関係の縮図を見た気がした。


 やっぱりコジローさんは最強なのである。



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