22.へたれ仔犬の心身改造計画(15)
魔力を感じて窓を開けると、ウォルターが赤毛の魔羚羊に跨り、雪空へ駆け出していくところだった。グリフィンの騎獣のアズセナだ。
騎士館はアルバ城下にあるため、徒歩だと一時間弱かかるのだが、ちゃんと迎えを寄越させていたらしい。
……グリフィンはアズセナと契約してるってわけじゃないみたいだな。
契約した魔獣は、主人以外に背を許さないと言われる。
すぐに雲間に消えた残影を眺め、私は屋根の上の精霊を仰いだ。
「青龍。退屈じゃないのか?」
問題ない、というように尻尾が左右に揺れる。氷属性の精霊らしく、この大雪でテンションが上がるのか、ここ数日大きな蛇竜の姿から戻らないのだ。
見れば、家の周囲は降雪が少ない代わりに、青龍の魔力に触れて無数の氷片がきらきらと舞っている。いわゆるダイヤモンド・ダストだ。
……これって、家的に大丈夫なのか……?
思ったが、先ほどのウォルターの『考えても分からないことは考えるだけ無駄』という言葉を思い出し、思考を打ち切った。
窓を閉めると、思ったより体が冷えていた。ぶるっと身を震わせて、外気とともに入り込んだ氷の欠片を払えば、ロッキングチェアにいたコジローさんが恨みがましい目で私を一瞥した。
濃紺の猫は弓なりになって伸びをすると、椅子を飛び下り、暖炉のすぐ前でごろりと寝ころぶ。縞のある腹を見せ、上目遣いでさらに一瞥。
〝撫でろ〟ということらしい。
積雪と比例して冬仕様に磨きがかかったコジローさんは、現在モフ度が最高潮だ。見た目も、秋の1.5倍増しで貫録充分である。
背中よりもふわふわした腹毛を堪能しつつ、指先で梳くように撫でてやると、気持ちいいのかコジローさんの体がにょーんと伸びた。
その横で、青龍とは逆に小さな姿のままの朱王が、そっと腹這いになる。控えめな自己主張に私は笑って、火蜥蜴の背中と猫の腹を両手で撫で回した。
ふいに、玄関のノッカーが鳴る。
窓の青龍を見れば、反応がないので知人なのだろう。家の結界も作動していない。
応答してドアを開けると、雪を被ったカイルがフードから顔を覗かせた。
「忙しいところ悪いな、ジェド」
「どうしたんだ、カイル。寒いから入って」
「ああ、お邪魔するよ」
実家なのに律儀にそう言って、カイルは外套を脱いで雪を落とした。外套を受け取ろうとした瞬間、ふわりと魔力が舞い、雪が蒸発する。
熱、風、と瞬時に消えた魔法陣を読み解こうと私が固まっていると、外套をコート掛けに掛けたカイルが首を傾げた。
「ジェド? 寒いから中行くぞ?」
「ちょっと待って、今のなに?」
「ん? [乾燥]。貴族じゃあんまりやらないか?」
「だって無詠唱……!」
「んー。その、詠唱しないと魔術が使えないっていう理屈がよく分かんないんだよなぁ」
はは、と朗らかに笑い、カイルが大きなバスケットを持ったまま、リビングに向かう。暖炉の前で寝そべる二匹に「元気にしてるか?」と声をかけ、それぞれをわしゃわしゃと撫でた。
うん、シラー家で朱王がペット扱いなのは、もう気にしない。
バスケットから漂う香ばしい匂いにつられ、コジローさんが鼻をひくつかせて首を伸ばす。
「それは何を持ってきたんだ?」
「アップルパイだよ。今日は雪が酷くなりそうだから、キアラと一緒に夕飯を御馳走になろうかと、エマに言っておいたんだけど――伝わってなかったみたいだな?」
「うん。残念ながら、ウォルとも擦れ違いだ」
「ああ、アズセナに乗ってくのを見た」
「……あ、伝話鳥だ」
タイミング良くというか遅かったというか、外から飛び込んできた白い鳥が私の手に止まり、紙に戻ると同時にエマの声を響かせた。
『ちょっと遅くなります。夕飯はカイ兄とキア姉も一緒なので、先に来てたらゆっくりしててもらってください』
「了解。カイルはもう来てる。ウォルは騎士館に行くから、夕飯はいらないそうだ」
「先に仕込みをしておくから、ゆっくり帰って来い。二人とも気をつけろよ」
私が声を吹き込む横で、カイルが付け足す。軽く魔力を注ぐと、紙はまた鳥に戻って飛び去った。
「仕込みって何をするんだ?」
「それは貯蔵庫になにがあるかによるな。とりあえず、これを隠しておこう」
「隠す?」
「摘まみ食いされないように」
カイルがローテーブルに置いたバスケットから、布に包まれた一抱えほどのものを取り出した。バターとシナモンを含んだ極上の甘い香りが、ふわっと一帯に立ち込める。
ふらふらと近づく二匹の目の前で、それが戸棚に収まり扉が閉められると、香りが一気に薄れた。ちょっと残念な気持ちでいると、カイルがくすっと笑う。
「三人して、おあずけくらった顔してるな」
「さんにん、て」
私?と自分に指を差せば、またも笑われる。
そんな顔はしていないはずだと、足元を見れば、「えー」という顔で戸棚を見つめるやつらがいた。
……あ、うん。気持ちはすごく分かる。
「だって、すっごくいい香りだった。さっき、おやつを食べたばかりなんだけどな」
「林檎はうちの特産だからな。今晩のデザートまでお楽しみだ」
器用に片目を瞑ってそう告げ、カイルは未練がましい視線を送る二匹の前で手を叩く。
「ほら、おまえたちも行った。夕飯まで我慢だ」
朱王はのそのそ暖炉の前に戻ったが、コジローさんは台所の椅子に座り直した。これからここで何が起こるか想定済みのようだ。
「おとなしくしてろよ? コジローさん、また太ったんじゃないか?」
「冬毛仕様だからじゃないか?」
「それに誤魔化されて、年々大きくなってる気がする」
しゃべりながら、カイルは慣れた仕草でエプロンをつけ、手を洗う。
「私も手伝っていいか?」
「いいけど、ジェドは何かの途中だったんじゃないのか?」
「裁縫に手こずってて、今逃避中」
裁縫道具の入った籠と一緒に、無造作に置かれた衣類の山を見、カイルがなるほどと頷く。
「危ないから針を外して、そのまま仕舞って来い。手が空いたら、あとで一緒にやろう」
「分かった」
ウォルターにカイルには頼るなと言われたが、この流れで断るのは難しそうだ。
どうしようかと悩みつつ、やりかけの一式をローテーブルの下段に収め、台所に戻る。すると白いエプロンを渡され、着るように言われた。
「これって」
「ジェドは初心者だろ? 初心者はそれが一番」
「……」
どう見ても女性用エプロンだが、重要なのは胸当ての有無らしい。
全面、縁にフリルが付いているんだが。
「フリルに何の意味が」
「ん、気合い?」
かえって気が削がれそうな気がしたが、おとなしく身に着けた。どうせ二人だけだ。コジローさんの楽しげな視線は見ないふりをする。
「じゃあ、今日のメニューな。メインはラムとキャベツのキャセロール。付け合わせは、レンズマメのクスクスと温野菜のサラダ。サラダは蕪と人参とブロッコリー、カリフラワーだ。で、デザートはアップルパイ」
「リース風だな。美味しそうだ」
「美味しいものに国境はないからな」
リース公国は北西に接する連合国で、美食の国として知られる。アルバレスは、交易都市という位置づけにはないが、冒険者たちが出入りするせいか異文化交流がわりと盛んだ。
なんと今回の料理は、元料理人という冒険者直伝だという。
「ずいぶん思い切った転身だ」
「刃物の扱いは上手いぞ?」
「はは、なるほど」
「じゃ、時間のかかるものから準備しようか」
カイルの教え方は上手かった。おそらくエマやウォルターにも同じように教えていたのだろう。野菜を切るだけでも、部位での味の違いや特徴を説明しながら、繊維の方向に対する包丁の刃の当て方や角度を丁寧に教えてくれる。
私が蕪と人参と格闘している間、カイルはキャベツを洗って葉を剥がし、ラム肉を薄く切ってバットに並べ、塩胡椒、白ワインに漬けた。
大きめの砂時計をひっくり返し、コジローさんの前に置く。
「砂が落ち切ったら教えてくれよ?」
「なおん」
さすがのコジローさんもまさか、と思い、私はカリフラワーを小房に分けながら、ちらちら窺う。が、予想に反して、最後の砂が落ちきったところで、コジローさんがテーブルに前脚をかけて「なおん」と鳴いた。
カイルが素早く砂時計をひっくり返す。
「ありがとう、コジローさん。もう一回頼むな?」
「……んなぅ」
コジローさんの鳴き声がおかしいのは、カッテージチーズをひとつまみ貰って、もぐもぐしているからだ。
再び砂時計が落ち切って、コジローさんが二度目のもぐもぐをしている間に、カイルはキャセロール用の深皿に油を塗り、キャベツとラム肉を交互に重ねていく。
「忘れてた。ジェド、オーブンに火を入れてくれるか?」
「私で大丈夫かな……?」
「なんでだ?」
「魔道具は壊しそうだから、なるべく触らないようにしてるんだ」
「そうなのか?」
魔力制御の訓練のおかげで、たいぶ適正な魔力量で魔術が発動できるようになってはいるものの、平民用魔道具の〝軽く魔石に魔力を籠める〟という使用方法がどの程度か怖くてあまり試したことがないのだ。
特に家庭用のものは複数の陣を組み合わせていることが多く、一度壊すと[復元]で直せないというところも腰が引ける。
キャセロールから手が離せないカイルが、一瞬困ったように眉を寄せ、私に目配せをした。
「ジェド、あの小さい子に頼めないか?」
「小さい子……って、朱王?」
「ああ、火の精霊だろ? 最適じゃないか」
それはそうだけど。
オーブンって精霊的にどうなんだろうと疑問に思いつつ、私は濡れた手を布巾で拭い、暖炉の前にいた火蜥蜴を腕に抱えて連れてきた。
「朱王、このオーブンを温めたいんだけど」
「170度で頼む」
『キュ』
心得た、というように返事をして、朱王がオーブン右端の魔石に小さい手のひら――火蜥蜴の手は人間に似て指が四本ある――を当てる。
魔石の色が赤に変わり、触れてもいないのに、温度調節のダイヤルがカチカチと回った。
「お、さすがだな」
「ありがとう、朱王。温まるまで見張り番を頼む」
『キュ!』
人や猫なら加熱したオーブンに触れると火傷するが、精霊なら平気だろう。私は朱王をオーブンの上に乗せ、頭を撫でてやった。
「その子、こんなの食べるかな?」
と、ようやく手を洗ったカイルが私に差し出してきたのは、数個のクルミ。に、何かが白くコーティングされたもの。
「クルミのしょうが糖がけだよ。俺の非常食。ジェドも摘まんでいいぞ?」
「へえ」
かさついたひとつを噛み締めると、しょうがの香りと砂糖の甘さとクルミの風味が口いっぱいに広がった。
「ん! 美味しい!」
「小腹が空いたときにいいんだ。体もあったまるしな」
「まさか、これも手作り?」
「当然」
手のひら大の革製の蓋付ケースをぱちんと締め、カイルがそれを懐に戻す。
「ウィスキーの小瓶でも入っていそうなケースなのに」
「それは別で持ってる。救護者の気付け用だな」
「自治兵団って、わりと職務内容が広いんだな」
「酔っぱらいの保護とか喧嘩の仲裁とかな。市民を守る仕事もいろいろだ」
クルミのしょうが糖がけは、朱王にも好評だった。興奮のあまり尻尾の先が、びびびと震えていた。人間のものを味わうのは初めてなのだろう。
どちらが特殊だとかは気にしない。気にしたら負けな気がする。
『キュ!』
「お、もう温まったか。早いな」
「ありがとう、朱王……って、まだそこにいるのか?」
「はは。じゃあ、今日は君にオーブン係をお願いしようかな」
カイルが、表面にパン粉を散らした深皿を熱したオーブンに入れる。
「今入れたやつが、ぐつぐついって端の方が茶色く焦げてきたら、火を止める。三十分くらいかかるからな。頼んだぞ?」
『キュ!』
会話、成立してる。
クルミのしょうが糖がけをもう一欠片もらい、尻尾を震わせている精霊を見て、頭を抱えたくなった。本当、誰に似たんだ。
「ジェドに似て素直でいい子だな」
「似てるか?!」
「褒めたんだ」
言い合いながら、二人で手を洗って調理に戻った。
魔道具のコンロを点け、魔法陣の浮かび上がったところへ水を張った鍋をセット。浸水していた豆を投入し、煮立ったところで灰汁をとる。しばらくしてクスクスを入れ、塩とオリーブオイルを回しがけて蓋をする。すかさず、砂時計を反転。
「コジローさん、任せた」
「なう」
「ジェドは、時間が来たらすぐに木べらで混ぜてくれ」
「分かった」
カイルは深鍋に少しだけ水を張り、脚付きの台を入れ、私が切った野菜を綺麗に並べていく。ブロッコリー以外を入れ、蓋をしてもうひとつのコンロを点火した。緑の野菜は火を通しすぎると色が悪くなるらしい。
そうこうしているうちにコジローさんタイマーが鳴き、私はクスクスにかかりきりとなった。その間カイルは、盛り付け用の皿をテーブルに並べ、使い終わった包丁やバットを洗っていく。
「カイル、結構いい感じな気がする」
「……ん。いいな。美味しい」
「……ほんとだ」
木べらについたのを摘まんで二人で笑い、火を止めた。レンズマメのクスクスは盛り皿に移し、空いた鍋を私が洗う間に、カイルは刻んだバジルとにんにく、カッテージチーズをボウルで混ぜ、ディップソースを作る。
料理って段取りなんだなと感心していると、ちょうど朱王がキャセロールの出来上がりを告げた。
「カイル、出来たみたいだ」
「火、止めてもらってくれ」
「出来上がり見なくていいのか?」
「止めても余熱でもうちょっと火が通る。そしたら取り出す」
「分かった」
野菜もあらかた火が通ったようだ。エマたちが帰ってきたときにちょうど良くなるよう、火を落としてじっくり蒸すらしい。
「ジェドが手伝ってくれたから、思ったより早く出来たな。助かったよ」
「半分も手伝えてないけど」
「そんなことはないさ。おまえたちもありがとな」
耳の後ろを掻いてもらい、コジローさんがごろごろいう。
「じゃあ、もう一品おまけを頑張るか」
「え」
「ジェドが喜ぶものだ」
カイルは笑って、冷蔵庫から生クリームと牛乳を取り出すと、砂糖と一緒に分量を量って鍋に入れ、コンロで加熱しはじめた。甘い香りがする黒いスティックを裂き、本体ごと中身を追加する。
私は朱王を肩に乗せ、傍らから覗き込んだ。
「何を作ってるんだ?」
「今に分かる。他のものを準備するから、混ぜるの代わってくれ」
「分かった」
カイルが準備したのは、エマがポタージュを作ったりするときに使う、撹拌の魔道具だ。
その横に濡らした布巾を畳んで置き、鍋を乗せるように言われる。
「じゃあ、ここからはちょっと裏技な?」
にやりと笑い、カイルは鍋の両脇に手をかざして、軽く魔力を込める。[冷却]の陣が起動し、見る間に布巾と鍋が温度を奪われていく。
「ジェド、その黒くて長いのを取って、小皿に避けてくれ」
「これは?」
「匂いを嗅いでみろ」
「……バニラだ。本物、初めて見た」
バニラ、牛乳、冷やす、とくれば、目の前で作られようとしているのは。
「アイスクリーム?!」
「んー、急いで作るから、ちょっと柔らかめになっちゃうかもな?」
「うわ、すごい。アイスって、こんなふうに作るんだ」
「今までも料理人のひとが手作りしてたんじゃないのか?」
「そういう魔道具で、ささっと作ってるのかと」
「確かに貴族だったら、その可能性はあるな。人数多いだろうし」
「ふふ、楽しみだな」
「アップルパイに添えると美味いんだ、これが」
熱々のアップルパイに冷えたバニラアイスが添えられている一皿が瞬時に脳裏に浮かび、思わず生唾を呑みこんだ。
本当、カイルは料理神だ。
徐々に冷やされていくアイスクリームの原型を眺め、私は大事なことに気づく。
「カイル、無詠唱!」
「あ、やっぱりバレてたかー。あはは」
鍋をかき混ぜつつ[冷却]を発動させ続けるカイルが、悪びれもせず笑う。
「貴族の詠唱って、最初に名乗るじゃないか」
「〝我、○○が命ず〟ってやつだな」
「そうそれ。だけど、精霊に〝力を貸したまえ〟ってお願いするんだよな?」
「人間の都合で、自然法則を飛び越えた現象を精霊に具現化してもらうのが魔術だからな。責任の所在を明らかにするために、名乗って魔力を譲渡して依頼するのが正しいと教えられてきたんだけど?」
「うん。でも命じるだろ?」
「それは私も昔から疑問で……実は〝請う〟に変えてやってみたことがあるんだが、うまく発動しなかったから、なにか意味があるんだと思う」
「うーん。それは精霊の暴走かもな」
「暴走?」
意外な言葉に戸惑っていると、カイルが手を止め、私を見た。
「やれって命令されるのと、お願いって言われるのと、どっちがやる気になると思う?」
「お願いされるほう?」
「そう。ジェドの魔力は精霊に人気だからな。お願いって言われて張り切った精霊が殺到して、逆に渋滞を起こして発動しなかったんじゃないかな。うまく発動しなかったのって、タイミングが遅れて暴発しなかったか?」
「なんで分かるんだ」
「ジェドはもうちょっと、自分がどれだけ精霊に人気か自覚した方がいいぞ?」
カイルは言い、今度は鍋全体に[急速冷却]を掛ける。
立ち昇る冷気に驚き、朱王がオーブンの上に避難した。
「魔術は最初、古代人種のものだっただろう? 魔力の豊富な彼らは、精霊と同等あるいはそれ以上の存在だったと言われる。だから精霊に〝命令〟できた――っていうのが、キリ婆の仮説」
「聞いていなかったな」
「あとで話すつもりだったんだろ。……で、古代人種のものを見様見真似で会得した人間の魔術は、ちょっと歪んでるんだ。というか、歪んでると考えた方がいい」
「つまり?」
「魔術の本質をきちんと考え直すのが大事ってこと」
カイルは[急速冷却]を止め、木べらで鍋の中身を砕きはじめる。
「ほら代わって」と言われたので、木べらを受け取り、シャーベット状のそれにがつがつと先端を突き立てた。砕き終わると、撹拌の魔道具に移し替える。
「魔力は固有のものだろう?」
「うん」
「なら、魔力を放つだけで、充分名乗りになるだろう?」
「あー……そう、かも?」
「詠唱は、魔法陣を描くためのもの。精霊に依頼する内容は魔法陣だ。つまり、魔力で魔法陣が描ければ――おしまい、だろ?」
カイルの指先が、ぽちりと魔道具のボタンを押す。
軽く流れる魔力と発動する魔法陣――そうだ。魔道具は詠唱を必要としない。
「俺も複雑な魔術や攻撃魔術で絶対に外したくないときは、詠唱するよ。だけど日常で使用する分には、なくても充分」
「理屈は、なんとなく分かった。だけど詠唱をしないと不安っていうか――」
「ジェドの言いたいことも分かるよ。けど、ジェドも基本的なものなら、ほとんどの魔法陣が空で描けるだろう?」
正直、勉強だけはできたので、中程度の魔術くらいまでなら何も見ずに描ける。魔力の暴走が怖いので、詠唱前には一度、魔法陣を頭の中で正確に思い浮かべるほどだ。
……あれ? これってもしかして……。
「カイル。私は詠唱をする前に、間違えないように魔法陣を頭で思い浮かべて魔力を込めていたんだが、これって――」
「二重に発動していた可能性があるかもな?」
「……」
「あくまで可能性だぞ?」
撹拌の魔道具がウィンウィンと音を立てる中、私はキッチンテーブルに両手をついてうなだれた。
撹拌を止め、容器の蓋を開けて中身を再び鍋に戻しつつ、カイルが気にするなと慰めてくれたが、心中はそれどころではない。
「失敗しないように慎重にやっていたことが裏目なんて……」
「早めに分かって良かった」
「ちっとも早くない」
「まだ修行中だろ? 大丈夫だ――ほら、味見」
できかけのアイスクリームが一匙、小さなスプーンで差し出される。
みぞれのような白いそれは、溶けかけのバニラアイスの味がした。現金なもので、凹んでいた心が、少しだけ上向きになる。
同じく味見をしたカイルが「もう一回かな」とつぶやく。小皿に避けたバニラの莢に狙いを定めるコジローさんに味見の残りをやり、その隙に小皿を戸棚に収めた。
もう一度カイルが、鍋に[急速冷却]を掛ける。
単純な氷魔術なのだが、その淀みなく無駄のない魔法陣を羨望の眼差しで眺めれば、カイルがふっと笑みを洩らした。
「ジェドはもう少し、自分と周りを信じてもいいと思うぞ?」
「え?」
「魔術は一人でできるものじゃない。精霊と一緒に行なうものだ。……よく目を凝らして見ろ。周りに精霊はたくさんいる。好奇心が強くて人間のすることに興味津々のやつらが、いろんなところに居て、こっちの様子を窺ってる。ジェドなら――分かるだろう?」
カイルの金茶の瞳が、魔力を帯びて金粉をまぶしたように煌めいている。
ふっと周りの空気が変わるのが分かった。
小さな――まだほんの光の玉にすらならない精霊たちが、世界に光を灯すように、キッチン、壁、床、空気の中に無数に潜んでいた。目で見たというより、心で視えたというほうが近い。
「彼らに言葉は通じない。だから、どうしたいかをはっきり的確に魔法陣で指示してやればいい。指示をしたら――あとは彼らを信じろ」
「彼らを、信じる」
「そう。魔法陣を彼らに委ねろ。おまえが描くものなら、誰も傷つけたりしない」
やってみろ、と眼差しで促され、私は一番基本的な[光]を試すことにした。
欲しいのは、指先ほどの優しい光。
六大元素の記号を外周に、中央に〝光〟の文字を配した、手のひら大の魔法陣を脳裏に思い描く――すると。
思い描いた魔法陣が私の指先で光を放ち、ふわりと小さな光の玉が灯った。
「できた……」
「ん、できたな。良かったな、ジェド」
「だけどこれ、魔力を使わなさすぎて、なんだか不安なんだけど」
「今までどれだけ魔力注いでたんだよ。……ほら、精霊が楽しそうにしてる。問題ないよ」
カイルが再び鍋の中身を砕き、撹拌器に移し替えながら、何気なく言う。
「カイル、精霊が視えるのか?」
「ん? ああ、うちの家系はだいたいな」
なるほど。では、エマだけが特殊というわけでもないのか。
「ジェドも視えるだろ? ちゃんと精霊の反応をみながら魔術を使うと、魔力制御もしやすくなるぞ」
「なるほど、そうか……そうだよな」
魔術は精霊に依頼するものということは知っていたのに、魔力制御ばかりに気をとられて、精霊の反応なんて考えたこともなかった。というか、精霊は視えないのが普通なので、学院の授業でもまったく触れられていなかった部分だ。
意識を凝らせば、魔法陣は私の手のひら全体を包む光の膜の上に浮かんでいて、その周りを白い光の粒のような精霊がきらきらと舞い飛んでいるのが分かる。
「ふふ、綺麗だな」
「あんまり褒めると、別の子が拗ねるぞ?」
「それは困る」
今度は私に撹拌器のボタンを押させてもらった。魔石に繋がるそれを何も考えずに押しただけだが、押す瞬間、ほんのわずかな魔力が指先から流れるのを感じた。
起動する[動力]の魔法陣に纏わりつくのは、地の精霊の下位属性にあたる力の精霊。鋼のように鈍く輝く光の粒だ。
ふと、精霊がざわめいた。はっと [光]を打ち切れば、入れ違いに外から飛び込んでくる伝話鳥。
私宛かと思えば、カイルの腕に止まり、紙がエマの声を発する。
『カイ兄、ごめん! ウォルがいないのと、カイ兄が今日御飯作ってくれるっていうのがバレちゃった。医療院を早めに閉めて、ディー先生とトマ爺とバトーさんが急遽参加です。大丈夫かな?』
「……三人追加、だと……?!」
温厚なカイルの額が、ぴくりと引き攣る。
ディー先生とトマ爺は医療院の医師で、バトーさんはマッサージなどを行なう治療士だ。女性医師と老医師はともかく、バトーさんことバトラコスは元冒険者で、心は女、体は筋肉を自称する2メートルの巨漢である。
私は恐る恐る声をかけた。
「足りない、よな……?」
「ああ。ジェド、キリ婆の訓練まで後どれくらい時間ある?」
「三十分くらい」
「遅刻は厳禁だから、実質二十分ってとこか。よし、じゃあ手伝ってくれ」
「分かった」
「――エマ、了解した。十五分後で頼む。気をつけて来いよ」
飛び立つ伝話鳥を見送りもせず、カイルは撹拌器を止め、平たい容器に中身を移していく。容器に蓋をして、私に手渡した。
「ジェド、これを外の子に頼んで、マイナス20度になるよう冷やしてもらえるか?」
「わ、分かった」
アイスクリームを青龍に預けて戻れば、カイルが貯蔵庫から材料を抱えて現われたところだった。
「ラム肉がもうないから、あり合わせと芋で増量するぞ。ジェドは芋を剥いてくれ」
「了解」
「君はこのお皿の保温を頼む」
『キュ』
オーブンから取り出されたキャセロールに、朱王が張りつく。
「コジローさんは……後でお願いする」
「なおん」
「励ましてくれてありがとうな」
夕飯は一応、ウォルターの夜食もしくは朝食を見込んで、多めに作られていたらしい。しかし、四人から七人に増えたため、それに対する配慮はまるっと削られることになった。
「いないやつに食べる権利はない」という長兄の判断だが、かろうじてアップルパイが一切れ確保されたところが、弟に対する愛情なのだろう。
かくしてカイルの指揮の下、全員総体制で臨んだ結果、クスクスと温野菜が倍に増量され、味噌ベースのピリ辛ディップソースが追加となった。もうひとつ追加された、じゃが芋と牛ひき肉のキャセロールは、目下オーブンでこんがり焼かれ中だ。
アイスクリームも無事にできた。
カイルが「外の子にも味見させてあげるか?」と言うので、青龍にスプーンで差し出したら、ぺろりと食べた。丸い目をぱちくりさせたあと満足気に細めていたので、美味しかったのだろう。
うん、うちの子たちが餌付けされるのは、逃れられない運命だと思おう。なにしろ契約主が、すでに餌付けされ済みなのだ。
「ジェド、裁縫教えてやれなくてごめんな? もうちょっと時間ができると思ったんだが」
「大丈夫。なんとかやるよ」
「たいしたことなければ、キリ婆んとこ行ってる間に、俺がやっとくけど?」
「あー……実はウォルに、カイルに頼るなって言われてて」
「はっは~ん? ってことは、ウォルの分もあるってことだな?」
「なんで分かるんだ」
「だてに二十年以上もあいつの兄貴やってないって。……分かった、任せろ。おまえが怒られないようにしといてやるから」
「あ、ありがとう?」
「キリ婆のところに行く前に、少し腹に入れとけよ?」
「うん」
私が摘まみ食いをしながら魔術訓練の支度をしているところへ、エマたちが来客を連れて帰ってくる。フリルのエプロンを外し忘れて出迎えてしまい、「似合う」と爆笑されたのは、お決まりというやつだ。
エプロンを脱ぎ、私は入れ替わるようにキリの家に向かった。外套を着た肩に、少しだけ小さくなった青龍が巻きつく。
ここ最近の移動手段である [雪原滑降]と[氷板]を詠唱しようとし、思いついて無詠唱を試せば、いつもよりすんなり魔術が展開した。
……よし、いい感じだ。
数が多くて少し怖いと思っていた氷の精霊も、雪に大喜びしているだけだと思えば、かわいくも感じる。
キリにも「なにかを掴んだようじゃな」と褒められ、充実感いっぱいだ。
一時間の訓練を終えて家に戻ると、まだ来客は食事中だった。カイルが私の分を温めなおしてくれ、ひさびさに賑やかな食卓を囲む。
アップルパイのバニラアイス添えは、店のものが食べられなくなるくらい、絶品だった。
そして。
来客たちも帰り、四人でリビングでのんびりお茶を楽しんでいる頃、ウォルターが帰宅した。
夕飯を食べてきたはずのウォルターは、カイルの手料理がほとんどなくなっていることに落ち込み、アップルパイとバニラアイスでなんとかご機嫌を取り戻した――のも束の間。
「どういうことだ、ジェド。てめえ、カイ兄に頼んだな?! あれほど頼むなって言っただろーが!」
繕われたパンツを握り締めて叫ぶ男が一人。
裂けていたお尻の部分には、オレンジ色を基調とした端切れで、かわいらしいライオンの顔が丁寧に縫いつけられていた。
「か、かわいいじゃないか」
「そうだぞ、ウォル。あんなに裂けてたら繕うくらいじゃだめだから、ちゃんと継ぎ当てしたんだ。機能的でかわいい。いいじゃないか」
「だけど……!」
「おまえが、エマやジェドに押し付けて、自分でしないのが悪い」
一も二もなくカイルが言う。キアラがこっそり教えてくれた。
「カイくん、裁縫もできるんだけど、弟と妹用に子ども用品ばっかり作ってたから、継ぎ当てをするともれなく動物さんになるの。手が勝手に動いちゃうんだって。不思議でしょ?」
「はは」
それがどこまで事実なのかは判断しかねるところだ。なにしろ私のシャツとズボンは綺麗にかがられ、完全に元通りなのだ。
兄の悪戯なのか純粋な厚意なのか、いずれにしろ二十四歳の弟には、精神的ダメージが大きかったようだ。
「俺の勝負パンツ……」
「それ履いて、繕いもの上手な嫁でも探すんだな」
「逆に見つかんねえだろ」
「エマ。勝負って、なにを勝負するんだ?」
「えーっと……」
「嫁を探す勝負だな」
「そんなものがあるのか?」
「ねえよ! つか、これは俺がAクラスに上がった時に履いてた、幸運のパンツなの! なのに、こんなにかわいくなっちまって……」
「Aクラスに上がった時? 何年前だよ」
「三年前くらい?」
「そのパンツ三年物なの?! 捨てなさいよ!」
「捨てねえよ! おまえ、これを履いてたら迷宮での古代遺物遭遇率、爆上がりなんだぜ?」
「ウォル、そんなことやってるのか?」
「ゲン担ぎは大事だろ?」
「ライオンは聖所を守る聖獣と言われる。守護のモチーフでもあるんだ。勝負はともかく、〝幸運〟は落ちないんじゃないか?」
「ジェド、おまえ天才……!」
「しまったな。三年物のパンツの寿命を延ばしてしまった」
「次破れたら即捨てる」
「なんでエマが決めんだよ」
「この家の洗濯と裁縫とアイロン掛けをわたしがやってるから?」
「……やべえ。反論できねえ」
「ウォルくんも、もうちょっと家事のお手伝いしないとね?」
ソファの上で五人が思い思いにくつろぎ、飲んで騒いで喋りつくして。
暖炉の前では、火蜥蜴と猫がだらんと寝そべって。
屋根の上では、蛇竜がとぐろを巻いていて。
普通とはかけ離れていたが、確かにそれは、ひとつの家族の団欒の形だった。
外の雪はまだしんしんと降りつづいて、春の来ることなどまるで想像できなかったけれど――時は、確実に過ぎようとしていた。




