21.へたれ仔犬の心身改造計画(14)
もともと私は、性的なことに関心が薄い。
精通が来てほどなくして、貴族子息の例に洩れず閨の手ほどきを受けたが、知らない相手と肌を合わせる違和感や、上手くできているかが気になって、浅い快楽を拾うのが精いっぱいだった。
大叔父の教育方針が、男女の体の仕組みや女性の扱い方に終始してくれて助かった。同年代の側近候補たちは、私の〝教育〟にかこつけて随分愉しんだようだが。
関心が希薄なのは精神面も同様で、恋愛対象は女性だと思うが、会話するなら教師と討論したほうが有意義だし、食事をとるなら家族と和やかに過ごしたいし、遊びに興じるなら気の置けない友人たちと楽しみたいと思ってしまうのだ。
子どもなのだと友人に揶揄われたが、そもそも人付き合いが苦手なのだから仕方ない。他人に距離を詰められると、どうしても居心地が悪いのだ。
これをこじらせたのが学院時代で、まがりなりにも華公爵家嫡男なのだから人付き合いくらい無難にこなせなくてはというプレッシャーと、些細な関わりすべてを色恋か権力争いのどちらかに結びつけたがる周囲への不信感に、私のストレスは加速度的に溜まっていった。
ついには自身の立場を投げうち、平民上がりの男爵令嬢に逃げ道を求めるほどに――彼女は媚を売るが、自己愛が強すぎて恋愛を求めてこなかったから。
巻き添えとなった元婚約者のナタリアには、本当に申し訳ないことをしたと思う。
おそらく私は、女性というか、恋愛に対する苦手意識が根深くあるのだと思う。
ウォルターのついた嘘は、当たらずとも遠からずというわけだ。
この苦手意識の根幹は、育った環境にあるのだと、私は見ている。
父をはじめとしてアルバ華公爵家の係累は、みな厳格な一夫一婦制を重んじる家柄だ。上位貴族のくせに甲斐性がないと皮肉られることもあるが、あの骨の髄まで貴族気質な大叔父でさえ―― 一晩限りの相手がいなかったとは断言できないが――浮名とは無縁の人種だ。
本妻と愛人の確執や複雑な後継争いが起こるよりましだと思うのだが、不義や不貞を純愛や自由恋愛といった言葉に置き替えて用いる貴族社会においては、少数派といえる。
さらに私は、母によく似た淡い色彩と女性めいた容姿のうえ病弱だったせいか、幼い頃から、男女を問わず他人から妙な関心を持たれたり、執着をされたことが間々あった。
嫌だと思っても子どもゆえ断ることもできず我慢したが、今考えると明らかに児童虐待だ。髪を撫で睦言のようなことを囁いてきたり、四六時中見つめてきたり、必要以上に世話を焼いたり、私の行動を制限して家族と引き離そうとする者もいた。
ついには家族の悪口を吹き込まれ、泣きながら朱王と青龍に打ち明けたことで両親に伝わり、幸いその者たちは私の周辺から一掃されたが、代わりに警備体制が厳重になり、社交界に戻る準備をしていた母は私につきっきりとなった。
警戒を増したのは精霊たちも同様で、契約もしていないのに守護者となって、私の周りの人間を選別した。おかげで私も、倒錯的なものも含め、私によからぬ感情を抱く者を見抜けるようになったことは僥倖だ。
だから、今のように四六時中誰かと一緒にいて、嫌にならないどころか恋愛感情を抱くなんて、完全に予想外だった。卒業式直後の会話があまりに強烈だったので、吊り橋効果か摺り込みではないかと、我ながら疑ったりもした。
毎日顔をあわせるのに目が合うとどきどきして、名前を呼ばれると嬉しくて、彼女の言動に一喜一憂して。少しでも離れるとつい姿を探して、他の人に笑顔を向けているとその視線の先に回り込みたくて――この感覚の意味を知りたくて、余計に彼女の傍にまとわりついた。
決定的だと思ったのが、聖誕祭のときだ。
二人で盛装して参加した夜会には、美しく上品な令嬢はいくらでもいたのに、まるでそれが背景のように色褪せ、離れていてもエマだけが輝きを放って浮かび上がり、どうしようもなく目が吸い寄せられている自分に気が付いたときは、むしろ歓喜した。
元婚約者にもバレるほどだ。私は相当、溺れてしまっているらしい。
性的な欲求については、体調の波が収まるのに反比例している気がするので、肉体的な問題なのだと思う――たぶん。
男性の生理だと聞くことだし、他の者よりも遅めにやってきたのだと自分を納得させている。理性で制御しきれないところがツラいが、なんとかタオルをドアに結ぶところまではいかずに済んでいる。
秋に修行が終わるまで、そういうことはしたくないと思っているが、同時に自分の想いを伝えて彼女の心を射止めるのは、今の間しかないのだとも考えている。
私が〝平民〟である今のうちに――それでも、緩くとも主従の立場を守ろうとするエマは、私の気持ちを伝えたら拒否する可能性が高い。いや、拒否されるのならまだいい。
万が一にでも、身分差を楯にとった命令なのだと、彼女が感情を押し殺して受け入れたりしたら、目も当てられない。
私が欲しいのは、エマの心だ。
告白して、彼女の態度が急変するくらいなら、有耶無耶な関係のままでもいいかと考えたりもする。
同時に、この想いがもし叶って、エマから恋愛感情を向けられたときに、私の心が醒めたとしたら――。
あるいは、有耶無耶のうちに彼女が他の男を選んだとしたら――。
学院時代と比べものにならぬほど、私は壊れ、暴走するのではないだろうか。
……なんのことはない。私自身が一番、私の心を理解しきれていないのだ。
平民の生活に慣れることや、武術や魔術の訓練よりも、このことが私の最大の課題のような気がした。
*
ウォルターは、私のナイフを含め、小刀やクナイと呼ばれる小型武器、鏃などを研磨し終えると、「腹が減った」と台所でなにやら作りはじめた。
私も裁縫の手を止め、バターの香りに釣られて台所に顔を出す。
「手伝おうか?」
「じゃあ、これ軽く焼いてきてくれ」
「ん」
朝のパンの残りをざくざく切ったものを皿に載せて渡され、私は暖炉に向かった。鉄製の扉を火掻き棒で開け、入り口の灰を避けて縁にパンをバランスよく並べる。時々ひっくり返すのがコツだ。
香ばしい匂いが漂い、焦げ目がついたところでパンを皿に引き上げる。
「あっつ」
「火傷すんなよー」
フライパンを持ったウォルターが、皿を片手にリビングにやってきた。バターをたっぷり使ったソーセージ入りオムレツを半分皿に盛りつけ、私の皿からパンを半分取って、空いたところに残りのオムレツを投入する。
胡椒のきいたエマ特製トマトケチャップを添え、濃いめの紅茶を淹れると、三時のおやつどころではない軽食が出来上がった。
オムレツは、ふわとろ熱ウマで、ぱりっと焼いたパンとの絡みが最高だ。本当に、ウォルターは意外な男である。
……というか、みんな特技多すぎじゃないか?
エマが料理神と崇めるカイルのスペックの高さは言うに及ばず、細かい作業が苦手というウォルターでさえ、このレベルなのだ。
シラー家は代々[蒼虎]のギルド長を担い、アルバ華公爵家の御用も務めているのだから、家政婦くらい雇えばいいと思うのだが、どうも他人を家庭内に入れることに抵抗があるらしく――その気持ちは分からなくもないが――どんなに忙しくても、家族で家事を分担してこなすのが常なのだという。
エマが不在の間の料理担当は、なんとザントゥスだったというから驚きだ。
余談だが、母親である薬師のジーニアは、家族全員一致で料理禁止の厳命が下るほど、壊滅的な腕前らしい。ちなみに彼女が調合した薬は、病人が飲むと悶絶する不味さだが、健康な人が飲むと何ともないという不思議仕様だ。
私は怖くて、まだ試してはいない。
話を戻そう。
つまるところ、騎士団にしても遠征で兵食が必要になることだし、貴族という特権階級に甘んじていられないかもしれない私としては、料理くらいできたほうが良いのではないかということだ。
「どうした?」
「……私も料理を習うべきなのではないかと思って」
「は?」
早くもオムレツを平らげ、パンの切れ端で皿を拭っていたウォルターが、眉を顰め、睨むように私を見た。うりっと指先で額を小突かれる。
「おめーは今、それどころじゃねえだろ。やるべきことからやれ」
「それはそうだけど……」
武術訓練も魔術訓練も、できたと思ったらすぐ次の壁に当たって、果てがないのだ。まだ三ヶ月だから仕方ないとは思うものの、平民として生きるなら必要なスキルは他にあるのではないかと考えてしまう。
「将来のために、いろんなことが出来るようになっていたほうがいいかと」
「おめーは考えすぎなんだよ。考えても分かんねえことは、考えるだけ無駄だろ?」
「ウォルはシンプルだな」
「立ち止まって解決することのほうが少ねえからな。悩んだら、とにかく動く」
「なるほど」
頷き、あ、と気づく。
「じゃあ、私もとりあえず料理を習――」
「今、やるべきことを、やれ」
びしっと指を差されたのは、中途半端に投げ出された繕い途中のズボン。上手くいかずに解いては縫ってを繰り返しているうちに、訳が分からなくなってしまった状態である。
「……縫い物って苦手だ」
「おう。ひとつ苦手なものが分かって良かったな」
「キアラに聞こうかな」
「今、エマと一緒に医療院の手伝いじゃね?」
「……」
「カイ兄には頼んなよ?」
「なぜだ? 縫い物も上手そうなのに」
「カイ兄は……あれだ。いろいろ頼ってるから、あんまり頼むのも悪いだろ? 兄離れだ、兄離れ」
「ふうん」
腑に落ちなかったが、日頃からカイルにちょくちょくフォローしてもらっている身としては、そんなものか、と頷くほかなかった。
食べ終わったウォルターが、皿を持って席を立つ。
「じゃ、俺、騎士館行ってくるわ。戻りは夜になるから、エマに夕飯いらないって言っといてくれ」
「分かった」
依頼が減る冬限定で、専属冒険者たちはアルバ騎士団に稽古をつけるのが慣例だそうで、グリフィンやヴィルトシュヴァイン、ピアニーらが参加している。
ウォルターは、休業の間も平日は非常時に備えてギルドに待機しているため、今回はほとんど参加していないが、いい加減体が鈍るのだろう。今日はもう夕方近いし、緊急の要請は来ないと踏んだのかもしれない。
私も稽古の見学をしたかったが、領主の息子が顔を出すと騎士たちが動揺して怪我をするかもしれないからやめてくれと言われてしまった。その代わり、ギルド長が戻ったら、特別枠で参加させてもらえることになっている。
「留守番頼んだぞ。夜の訓練までには戻る」
「うん。気をつけて」
「おまえも指を血だらけにしない程度に頑張れ。カイ兄には頼むなよ?」
「分かったって」
毛皮の外套を纏ったウォルターが白い世界に出て行くのを見送れば、ばたんと閉じられた扉の内側が、やけに広くなった気がした。




