18.へたれ仔犬の心身改造計画(11)
白魔編、長くなったので2話に分けました。
翌朝、エマの見立て通り、猛烈な吹雪とともに[迷宮の森]に白魔が襲来した。
「ウォル、来た!」
三階から階段を駆け下りつつエマが叫ぶや、すぐにギルドには〝休業〟の札が掛けられ、各所へ伝話鳥が飛ばされる。
ウォルターに召集をかけられた専属たちは、すでにほぼ全員集まっている。例外は冬眠中のナビと、年齢と家庭の事情が考慮されて休みのヒースだ。
ギルドは久しぶりに受付も待合も人で埋まり、ぴりぴりした空気が流れていたが、エマの一声で一瞬にして切り替わる。
「よし。全員予定通りいくぞ!」
「応!!」
地鳴りのような気合いが室内を揺らす。
体格も得意分野も役割もばらばらだが、専属たちは慣れているだけあって、入り乱れながらもテンポよく身支度を整え、打ち合わせを進めていく。
今回の作戦では、三つのグループに分かれる。
ギルドでの待機組、後方支援を行なう騎士団・自治兵団との連携組、そして森での白魔鎮圧組だ。
待機組はキリをリーダーに、薬師のソール、キアラ、見習いのツィーランとロビンが手伝いに入る。三組の連絡役となるクー=クックとグリシナのコンビも、ここに拠点を置く。
連携組は貴族対応に慣れている者を中心に、リーダーをフィオーリ、メイファ、ウィレワール、ハシュトポル、薬師を兼任するケリードーン。これに、客分だが参加を希望したカエルレウムとヴェルメリオが加わる。
鎮圧組はリーダーをウォルター。攻撃の要であるグリフィン、ヴィルトシュヴァイン、ピアニー、ムー、セレジェイラ。そして、エマと私だ。
フェニーチェは下手に動くと影響が大きいため、表には出ず、キリ宅にいる。元よりキリ以外で彼が本気になることはないので、当てにはされていないようだ。
冒険者たちは皆、Sクラスのフィオーリですら、いつもの軽装ではなく薄い金属の部分鎧を身に着け、帯剣して、纏う空気がまるで違う。
かくいう私も薄手の革鎧を胴と脛、前腕に着け、兜と弓矢一式を持たされている。[蒼虎]では初心者でも装備はきちんとしたものを使えというのが方針で、ロビンも私もウォルターじきじきの見立てと値引き交渉の末――それでもギルドに利子なしの借金をすることにはなるが――Cクラスレベルの装備一式を揃えていた。
さすがに学院時代の模擬戦闘時に纏った魔法鋼製の武具とは比べるべくもないが、装甲のような皮膚をもつ魔獣、鎧甲貉の革でできており、物理・魔力とも耐久性はかなりのものという。
準備を済ませた冒険者たちが三々五々出ていく中、身支度を整えたエマが更衣室から現われた。
動きやすいズボンに長靴、腰には短剣と魔法薬などを入れるベルトポーチを提げ、左手首には魔石のついた魔道具の腕輪。紺色の長い巻き毛は一本の三つ編みにして、前に垂らしていた。
いつもの採集の装いとあまり変わらないが、ベストの下に太腿までの鎖帷子を身に着けている。それでも女性的なまろやかな体のラインは明らかで、私は目を逸らそうとして逸らしきれず、グリフィンに後ろ頭を小突かれた。
「気ィ緩めんな」
これは私の気の緩みではなく、エマの服装のせいだと思う。言い訳しようとして、先に鼻を摘ままれた。
「ふがっ」
「おまえがド素人なのは分かってる。が、くれぐれも暴走すんなよ?」
黒づくめの武装と褐色の肌に浮き立つ淡いヘイゼルの瞳は、獣のごとく煌めいている。熾火のように灯る魔力の気配。
それが戦闘への高揚だけでなく、強い責任感の表われであることは知っていた。昨夜、ストレッチのために向かったギルドの武道場で、もう長い間フィオーリと特訓をしていると思しき彼の姿を目撃したからだ。
鼻を摘ままれたまま頷けば、ようやく解放される。
「……足手纏いにならないように努力する」
「おまえは張り切りすぎないくらいがちょうどいい。それと――」
グリフィンが私の耳元に口を寄せ、小さく囁いて去っていく。
思わず脱力した私に「どうしました?」とエマが話しかけるが、そちらを見ることなく、なんでもないと首を振った。
見れるはずがない。なぜなら彼が言い捨てた台詞は。
『エマに変な真似したら、魔物と一緒に斬って捨てるぞ。いいな?』
という、なんとも物騒かつ痛いところを突いたものだったからだ。
そう――私は今回、エマと二人、魔羚羊のタローさんに騎乗しての参戦なのだ。
*
風雪を避け、ギルドの厩舎の庇のある場所に、出発前の騎馬が集められた。普通の馬は一頭もおらず、すべて天馬や魔羚羊といった魔獣のため、防具の代わりに魔石のついた魔道具の首輪をつけている。
ここでの準備が最後になるため、皆と同様、私も念入りに鞍や鐙を調整して、タローさんに跨った。すなわちエマの後ろである。
魔物との戦いの場に女性と二人乗りで臨むなど、呑気すぎるように思えるが、事前の打ち合わせではわりとあっさり決定した。
冒険者初心者の私へのフォローには、戦い慣れているタローさんとエマの両方が必要だろうという、極めて情けない評価が所以だ。
コジローさんといい、どうもこのギルドは動物を戦力に含めすぎだと思う。
が、それよりもまずは目の前に集中だ。
「狭くないですか?」
目の前というより体の真ん前に密着して跨るエマが、振り返って尋ねる。鞍は一人乗り用のため座り心地がいつもと違うが、落ち着かないのはそのせいではない。
私は「大丈夫」と答えつつ、予想以上の密着感に動揺する心を必死で抑えた。
……ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい、近い近い近い。近すぎるだろこれ。いやでも私が手綱を握るから離れると安定しないし、これはしょうがない。この距離はいろいろ拙いけど仕方ない不可抗力。そう不可抗力だ。
「ジェド?」
……心を無にしろ、無にするんだ。何も感じない。くっそ、鎖帷子着てるから平気だと思ったけど、意外と体温が分かるものだな。背中ちっさいし柔らかいし、なによりこのすっぽり収まってる感が超ヤバい。超近い。うなじヤバい。……あ、いい香りがする。
「ジェードっ」
エマがちょっと怒った顔で私の太腿を叩いた。
この状態で動かないで欲しい。本気でマズいから。
「ほら、ちゃんとベルト締めて。振り落とされますよ?」
「ごめん。これ、こっちに繋ぐのでいいのか?」
「そうです」
言われるままに普段はつけない付属のベルトを腰に回して鞍に固定し、さらにエマのベルトの後ろ金具と繋いだ。密着具合は変わらないが、話したことで気持ちがやや鎮まる。
「なんだかエマからいい香りがすると思って」
「石鹸かな? ジェドも同じの使ってるでしょ?」
「それを言ったら、ウォルだって同じ香りがするはずだけど?」
「いい香りのするウォル……」
「ぶっ……あいたっ!」
さすがに気を緩めすぎたらしく、吹き出した直後、兜越しに拳が落ちた。サブローさんに乗ったウォルターだ。
「遊びに行くんじゃねぇんだ。気ィ引き締めろ」
「ご、ごめん」
「返事は〝はい〟だ。今回のボスは俺。トロトロしてると魔物の餌にすんぞ?」
「はいっ」
慌てて答え、私はタローさんの手綱を取った。赤毛のエアレーに跨るグリフィンの視線が痛い。
「ジェド、全部タローさんに任せていれば大丈夫ですから」
エマからかけられた励ましは、なんだか初夜の花嫁に贈られる言葉のようだ。
釈然としない気持ちを殺し、思いの外ふかふかしたタローさんの胴を軽く手のひらで叩く。
「タローさん、よろしく」
返ってきたのは、ブルンという大きな鼻息。それを了承ととり、私は魔道具の魔石に魔力を注いで[守護結界]を起動させ、皆に続いて拍車を駆った。
辺りは昼間ということが信じられないくらい暗く、結界があっても剥き出しの素肌が痛いほどの寒さだ。降りしきる雪に氷片が混ざりはじめたのか、薄闇の中、地面も大気もきらきらと光る白に覆われていた。
「[探照光]」
すぐに視界が利かなくなり、エマが帯状に伸びる魔力の光を灯した。エアレーは夜目も利くはずだから、この光は私たちのためのものだ。
ギルドの門を出、街の城門に差しかかると、ぼんやりといくつかの光が見えてくる
前後して、ちらちらした赤と白の魔力の光に取り巻かれた、鎧の集団の姿が浮かび上がった。騎士団と自治兵団の混合部隊だ。
城門に等間隔に配置された篝火を守るように兵団が並び、騎士団はさらに間隔を開け、騎乗した二人に挟まれる形で、一人が神官の持つ聖杖に似た魔石のついた魔道具を掲げて直立している。
どうやら通常の結界に加え、もう一重、別の結界を張っているようだ。
一際絢爛な武具を纏った白馬の騎士が、われわれに気づいて片手を挙げる。
「お役目ご苦労」
「こちらこそ、御足労ありがとうございます、ランブラー伯爵」
いつにない口調で応じ、ウォルターがサブローさんの足を止める。続いて我々も、その後ろに制止した。距離は開いているが、魔獣が並んだ様子に、騎士団側が僅かにざわつく。
当然だろう。私もギルドの厩舎でタローさんたちを目にするまで、個人で魔獣を使役するなど物語の中だけだと思っていたのだから。
「もうすっかり跡目を継いだ感があるな、[若虎]どの」
「買い被りすぎですよ、騎士団長閣下」
兜で表情は見えないが、二人とも声も態度も穏やかで、皮肉の影はない。良い関係なのが伺えた。
ふとランブラー伯爵がこちらを見た気がしたが、状況が状況だけに会話は簡潔に打ち切られる。
「こたびもまた巨大なようだが……頼むぞ」
「はい。こちらへはフィオたちを置いていきます。遠慮なくお使いください」
「承知した。武運を祈る」
「そちらも」
指先を軽く兜に当てて敬礼し、ウォルターがエアレーの首を返す。黒の一角獣に跨るフィオーリらを残し、私もそれを追った。去り際、兵団の中にカイルらしき姿を見つけたが、挨拶もままならず、会釈だけして通り過ぎていく。
……大変だな。
厚手のコートを着ているが、彼らはこの吹雪の中、結界の内外を警備するのだ。
騎士団が持ち込んだ魔道具の結界のおかげで多少風と雪は緩和されるだろうが、底冷えする寒さは逃れようがない。交替以外では動かずに警戒し続けるのは、かなりの集中力と忍耐が必要のはずだ。
騎士団に至っては、結界用魔石への魔力補給も怠れない。後方支援というものを軽く考えていたが、現実は想像以上の重労働のようだった。
安易に彼らを無責任だと決めつけていた自分が、少し恥ずかしく思えた。
思いを巡らせているうちに森に到着する。手綱を締める前に、自然とタローさんが歩調を緩めた。
北へ、[迷宮の森]へと伸びる一本道の前で全員が一度止まり、ウォルターが持ってきた小瓶から酒を振り撒く。
「大いなる天の父、地の母。祖たる森主。森のすべての精霊、御霊たちよ。御座に立ち入る許しを我らに与えたまえ――」
簡易の祈りは、神だけでなく森そのものに向けられたものだ。[蒼虎]では、通常の討伐も採集も、必要以上のものを決して奪わない。森とそこに棲まう生き物、魔物、そして精霊に常に敬意を払い、訪れる人々にもそれを求めるのだ。
貴族では滅多にみられないこの姿勢を、私はとても好ましく思っている。
軽く瞑目し、同じ祈りを小さく呟く。
「――願わくは、我らに正しき道を示し、命の糧を与えたまえ。この地の賛美と栄光を御名に捧げん。確くここに誓願す」
呟きが、腕の中の声と唱和した。くす、と笑ってエマがこちらを見上げる。
……イイ。この距離感、すごくイイ。
思った瞬間、雪玉が降ってきた。
「わっ!」
「悪ぃ。足が滑った」
足踏みをする赤のエアレーの上から、けろりとした顔でグリフィンが宣う。
どう足を滑らせたら地面の雪が斜め上から降ってくるのか不明だが、雪の塊は寸前で[守護]に弾かれたことだし、警告は素直に受けておくことにした。
どのみち、この席はどうやっても譲れないのだ。
「行くぞ」
ウォルターの一声と同時に、騎獣が走り出す。雪煙をあげ、一直線に森へと突き進む――その瞬間。
「お願い」
エマが、手綱を握る私の手に両手を添えた。
「タローさん、行って!」
ブルルル、と鼻を鳴らし、タローさんが一層力強く地面を蹴り上げる。
そのまま振り下ろされた蹄は、何もない空を蹴り、さらに上方へと駆け上っていく。
つまり。
「空を、飛んでいる……?」
「白魔鎮圧は空中戦です。言いませんでした?」
「聞いてない!」
私は言い返し、強い揺れに舌を噛みそうになって、口を閉じた。
見れば、すでに全員の騎獣が空を翔けている。さらに、ただの大きな馬型魔獣だと思っていたムーの騎馬は、八本の脚を持つ神速馬へと変化し、セラとピアニーが乗った天馬は光を撒き散らしてその形を崩し、孔雀に似た長い首と飾り羽を持つ巨大な瑠璃色の鳥へと変貌する。
……鸞鳥?!
私の知識に間違いがなければ、吉兆といわれる東方の霊鳥だ。その稀少な瑞鳥をセラたちは踏みつけにしているわけだが、見なかったことするのが正しいだろう。
それにしても。
「エアレーが飛べるとは知らなかった」
「風属性の魔獣ですから。冒険者内ではわりと有名な話です」
「博物誌にも事典にも載っていないぞ?」
「改訂版には載りますよ。エリ兄が編者の先生に草稿を強要されてましたから」
重ねられたエマの手のひらから、ほんのりとした暖かさが流れてくる。タローさんに任せるどころではない、手綱を通じ、エマが魔力で指示を出しているのだ。
……うん、悪くない。これはこれでアリだな。
吹雪の中を飛んでいるのだから当然だが、上空は地上以上の悪天候でまったく視界が利かず、こんな呑気なことを口にできる状況ではない。
私の心中を知ってか知らずか、腕の中のエマがまた笑った。
「やっぱり予習は役に立たなかったでしょう?」
「もっとしっかり止めて欲しかった」
昨夜、私が白魔について尋ねたところ、案の定ウォルターとは話が噛み合わず、エマにも『状況は毎回違うので、精霊召喚に集中したほうがいいですよ』と諭されたのだが、トレーニング時間が空いたこともあり、過去数年分の白魔鎮圧に関するギルドの記録を借りて読んだのだ。
毎年恒例のためか、記録は簡潔を極めていた。
書かれていたのは日付、参加人数、ギルド・騎士団・兵団のリーダーの氏名、被害内容、眷属の種類と数、そして、白魔の基になった魔物の名だ。
肌を刺す冷気が一段と強まり、結界を通してなお骨の髄まで震えるほどの極寒となって吹きつける。
この冷気は物理的なものだけではない。[探照光]に照らされた先、吹雪の中心と見える雪煙の渦には、不気味な燐光を放って暴れ狂う眷属たちを従えた、巨大な白の魔物の姿があった。
森の木々を薙ぎ倒して悠然と進むそれは、小山ほどもある超大型の四足魔獣だ。
……確かにこの規模では、地上からの攻撃は厳しいな。
タローさんはすでに上昇を止め、空を蹴るたびに足元に淡い黄色の魔法陣をきらめかせつつ、進路を水平に進んでいる。
エマが、私の手を強く握った。
「ジェド、大丈夫ですか?」
「ああ。今さら引き返す気などない」
正直に言えば、内心恐ろしくてたまらなかった。だが、私が引き返したところでウォルターたちは戦いを止めないだろう。そして鎮圧が失敗すれば、この魔物は街を襲うことになるのだ。
そうなれば街は凍りつき、おそらく人々は――魂を喰われる。
……瘴魔。
〝白魔〟とは、よく名づけたものだ。瘴魔は、魔物が瘴気の穢れを受けて凶暴化した最終形態だ。
ヒースが言っていた死霊か不死者系という説明は、瘴魔と似るがまるで非なるものだ。前者は死にかけた魔物に闇の精霊が干渉したもので、日光に弱いため人への影響は少ない。しかし後者――生死を問わず、瘴気に侵された魔物が変化した瘴魔は、規模も影響も千差万別で、共通することといえば生き物を喰らうのではなく、生けるものすべての精気を啜り尽くすといわれる性質だけだ。
そもそも、瘴気の正体すら不明なのだ。
……それでも私に出来ることがあるなら、やるしかないんだ。
丸い結界の光に包まれた冒険者たちが、ウォルターの号令を受け、一丸となり雪煙へ突っ込んでいく。
眷属は、どうやらここへ辿り着く途中で白魔が喰らった魔物の魂が悪霊化したもののようだ。雪狼や魔羚羊、一角兎といった魔物の頭だけが狐火となって浮かび、吹雪とともに襲いかかる。
「哼ッ!」
「せいっ!」
魔箆鹿に跨ったヴィルトシュヴァインが豪快に戦斧を、鸞鳥から飛び降りたピアニーが鎚矛を揮って、次々と悪霊を叩き潰していく。
一方、ピアニーに続いて宙に躍り出たセレジェイラは、片手に一振ずつ細身の剣を持ち、縦横無尽に舞うがごとく悪霊を一刀両断する。足元にはライムグリーンに煌めく魔法陣――氷と風の複合魔術だ。
……氷を足場にしているのか。
[空中浮揚]に近いが、おそらく彼女は氷属性持ちなのだろう。現在空中に無数にある氷の粒子を膜状に広げることで、風の渦で生み出した揚力を効果的に受け止めているのだ。
褐色の肌に銀がかった薄紅の髪という色彩ながら、まるで彼女は氷の精霊だ。
細身の双剣を胸の前で交差させ、低く呼びかける。
「凍牙――月華」
双剣の刀身が、キン…と青白い光を帯びる。魔力の高揚と同じくして、彼女の背後に長い髪を頭頂で束ねた女性が、守護天使のごとく陽炎となって浮かび上がり、ふっと消えた。
みるみる周囲の大気が氷晶へと変わり、煌めくダイヤモンド・ダストとなって天へと立ち昇りはじめる。
「[氷刃]」
簡潔な呪文は、だが絶対的な威力をもって放たれる。いくつもの巨大な氷の鎌が、生き物のようにしなりながら旋回し、悪霊の群れを切り裂いた。
同時にセラ自身も群れの中心に身を投じて、自在に動きまわる氷刃の隙間を縫い、悪霊を斬り伏せていく。叫びをあげて散り散りとなる悪霊たちを、ウォルターらが周囲で仕留めるが、数が数だけに思うように減らない。
そのとき。
傍らで、肌が粟立つほどの魔力を感じた。
「全員退がれ! 巻き込まれんな!」
ウォルターの怒号が終わる前に、全員が身を翻してその場から離れる。
魔力の主であるムーが、神速馬に騎乗したまま、詠唱の最後を口にした。
「――偉大なる御業をここに示したまえ。[天の火]」
咄嗟に私は、結界に魔力を込めた。来たるべき衝撃に備えてエマを両腕に抱き締める。
瞬間、大気が裂けるすさまじい音とともに、目が眩むばかりの閃光が身をくねらせて横様に駆け奔った。
「く……っ!」
悪霊たちを一掃する衝撃が、余波となって守護結界と私の鼓膜を揺らす。必死で手綱とエマを胸に引き寄せ、その場に留まった。
ベルトがあって良かった。少なくとも墜落死だけは免れる。身内の攻撃を浴びて落命など洒落にならない。
なにしろ[天の火]は、光焔とつくが、実際は雷霆――邪を祓う神の雷なのだ。
「上空で感電死なんて勘弁してくれ」
「さすがに雪では通電しないと思いますよ?」
力を入れすぎたのか、私の腕をタップして抜け出したエマが冗談めかす。
だが、今の私に冗談に興じる余裕などなかった。
眷属が一掃された先には、小さな雪山のごとく白魔がはっきりと姿を現わしたのだ。
丸い胴に頑丈な四肢。巨大な頭部に太く伸びる一本角――王獣。雪と霜に覆われた長い毛は、まるで氷河から切り出されたごとく荒々しく、まさに人知を超えた存在だ。
しかし瘴気を帯びているのは明白で、影とも光ともつかぬギラついた霧のようなものが、不気味に揺らめいて全身を取り巻いていた。
洞穴のごとく真っ黒な両眼が、こちらを見る。
吼、という咆哮が響き、地吹雪が巻き上がったかと思うと、氷の精霊が悲鳴にも似た高笑いを響かせ、群れを成して押し寄せてきた。
……瘴気は精霊まで狂わせるのか……!
光の点でしかない下級精霊では、人間に直接危害を加えることはできない。だが、かれらは自然を司るものたちだ。
そしてなにより、人の使う魔術の使役対象でもある。
「ちっ……」
舌打ちをしたセラが、展開していた魔法陣を打ち切った。彼女自身はすでに鸞鳥の背にいるが、次の攻撃に備えていたのだろう。氷属性の彼女には面倒な状況だ。
……やはり、ここは私が出るべきか。
思えば、通じたようにエマが私を振り仰いだ。この角度かわいい。……などと余計なことを考えたのが悪かったか。周囲の気温が、ぐん、と下がった。
氷の精霊を撒き散らして吹き上げられた地吹雪が、上空の吹雪と同化し、螺旋を描きながら大きなひとつのうねりとなる。
それは燐光を放つ大蛇と化し、中空にとぐろを巻いて、我々と白魔との間に立ちはだかったのだ。
「なんだありゃ?! 雪蛇か?」
「白魔が二体いるなんざ、聞いたことねえぞ?」
「白魔じゃねえよ。あれも眷属だ」
ヴィルトシュヴァインとグリフィンの会話を打ち切り、ウォルターが断じる。
琥珀色の双眸が、こちらを見た。
「ジェド、頼めるか」
「……分かった」
頷き、私は長く息を吐いた。これほど巨大な相手とは予想外だが、眷属であれば、倒すことで白魔本体の魔力を削ぎ落とすことができるはずだ。
手綱をエマに任せ、軽く目を伏せ、詠唱を開始する。
「我、ジェラルド・ヴァレリウスが命ず。神聖なる盟約に依りて結ばれし精霊よ」
唱えはじめた途端、胸の中心がかっと熱くなった。そこから溢れ出た何かが急速に全身を巡り、外へと放射されて、空中に巨大な魔法陣を描き出していく。
「其は太古に灯りし、原始の焔。大地より産まれし灼熱の精霊なり」
「え、ちょ、ちょっと待ってください」
「我がもとに来たりて敵を討ちはらえ。其の名は――朱王」
エマの慌てた声が聞こえた気がしたが、私は構わず召喚を完了させた。完成された魔法陣が閃光を放ち、朱と黒に彩られた竜が躍り出る。飛竜ではなく、頑強な体躯に鋭い爪を備えた四肢と、皮膜のある双翼を持った真竜の姿だ。
目の前のスノーボアを意識したせいか、三階建の家ほどの大きさがある。ぐん、と魔力が抜けていくのが分かった。
「行け、朱王!」
「ダメです、ジェド。止めさせてください!」
雪を次々に蒸発させながら眷属のスノーボアに飛び掛かる朱黒の竜を見送れば、なぜかエマに怒鳴られた。
「精霊を召喚しろと言ったのはエマだろう?」
「そうですけど、なんで[原始の火]を喚ぶんですか! この状況をよく見てください!」
「この状況だから、ではないのか?」
「この状況で、火の精霊が有利になれる要素がひとつもないではないですか! 貴方にはもうひとり居るでしょう? この狂った精霊たちよりも強力で、彼らを総べることができる精霊が!」
「あー、……くっ、なんだ?!」
唐突に、魔力が大量に奪われる。見れば、朱王の吐き出した炎のブレスが、スノーボアの吹雪に阻まれ、少しずつ先から凍りついていく。
「な……!」
「戻りなさい!」
怯んだのか、朱王の火焔が一瞬途切れる。その隙をつき、スノーボアがかっぱりと口を開け、一際強力な冷気の塊を吐いた。
「戻れ、朱王っ!」
『キュゥ!』
朱黒の竜が舞い戻り、猫サイズになってエマの腕におさまったと見るや、私は再度召喚を行った。
「神聖なる盟約に依りて結ばれし精霊よ。其は永久の虚空に漂いし、絶対の氷塵。深淵より産まれし氷結の精霊なり。我がもとに来たりて敵を討ちはらえ。其の名は――青龍!」
再び目の前の空間に描き出された魔法陣から、蒼白の蛇竜が出現する。
細長い体形はスノーボアにも似るが、羽毛質の翼と鬣の生えた、神秘的な姿だ。もちろん地上のどの竜とも違う。その肢体を鞭のようにしならせ、清冽な魔力の光を振り撒いて、瘴気を帯びたものどもに踊りかかる。
火の精霊の朱王と異なり、水の精霊の一、氷の精霊の上級精霊である青龍にとって、今の極寒の環境は居心地が良いらしい。
凍りつく大気を裂き、青龍は凄まじい速度で氷の精霊の群れを喰らい尽くすと、勢いのままスノーボアに飛びかかった。
風音に似た威嚇の声をあげ、スノーボアも吹雪を吐いて応戦するが、青龍にダメージがないのは明らかだ。長い体と翼の先についた鉤爪を生かし、相手に絡み付いてねじ伏せる。
……なるほど。毒を持って毒を制す、というわけか。
氷の魔物相手なら対極である火の精霊を使うのが常套だと思っていたが、どうやら甘かったようだ。呪文で命じただけならこうはいかなかっただろうが、今回は契約精霊だ。契約者との結び付きがあるので、瘴気の影響も受けにくいのだろう。
とはいえ。
「あんな状態の精霊や魔物を食べて大丈夫なのか……?」
「身の裡に入れることで浄化するらしいですよ?」
他人事のように言うエマを覗き込めば、彼女の腕に抱き込まれて丸くなる朱黒のミニ竜と目が合った。ふと、記憶が甦る。
「エマ。確か私と来る前、『精霊を視ることができない』と言っていなかったか?」
「視ることはできませんよ? 今はジェドの召喚で実体化していますから」
「だが声を聴くことはできると?」
「あー……そうですね、はい」
エマが気まずげに目を逸らし、ごまかすように朱王を撫でた。
オレンジがかった赤の胴体と黒い背面を持つドラゴンは、大きければ迫力があるが、小さいと可愛いというか情けないというか。よほど寒かったのか、丸い腹を見せた赤ちゃん抱っこ姿で、ぴるぴる震えている。
「無理をさせて悪かった」と顎の下を撫でてやれば、猫のように目を閉じて顔を寄せてきた。
「エマも昔は視えたんだろう? 昔、ふたりを紹介してくれた」
「憶えていたんですか? ……ええ。でも途中から視えなくなりました。適性がなかったんでしょう」
「精霊と心話で話せる人が、適性がないとは思えないけど?」
指摘すれば、痛いところを突かれたのか、エマがぐっと詰まった。
甘く見てもらっては困る。これでも精霊学の成績は上位をキープしていたのだ。
ふたりに従者教育を受けるよう諭したときは、召喚した状態だったので気に留めなかったが、今の状況で肉声を聞き逃すなどあり得ない。
しかも心話は、頭の中で声が響く独特の感覚で、慣れない者が簡単にできることではない。さらにエマが過去に精霊たちの訴えを私に伝えてくれた事実を考えると、以前は精霊と自由に交流できていたのだと見当がつく。
精霊と交流できる人間は限られており、汚れない幼い子のほうが精霊に気に入られやすい傾向があるのは確かだ。だが、視えることよりも意思疎通を行なえる人間のほうが希少で、平民でその素質があった場合、神殿が迎えを寄越してもおかしくない状況だ。
[鑑定]スキルどころの問題ではない。
「貴族でも滅多にいないんだけどな?」
「そ、そうナンデスカ……?」
エマの目が分かりやすく泳ぐ。一体、他になにを隠しているのか。
しかも、契約で繋がった朱王から流れてくる感情は『このひとコワイ。コワイけどイイひと。マスターのミカタ。ヤワラカくてフワフワでキモチイイ』だ。
後半はちょっと朱王を叱らないといけない案件だが、上級精霊に怖がられながら慕われるという状態が謎すぎる。
問い詰めようと口を開いたとき、別のほうから荒々しい感情が流れ込んできた。
「あ、ほら! 雪蛇が消えますよ!」
エマが指を差した先では、青龍が蛇の喉笛に喰らいつき、体を巻き締めたまま大きく頭を振り回して、その首を一気に刈り取っていた。
『……やった! この胸糞悪いモノを消し去ってくれたぞ……!』
伝わる感情は、歓喜。戦闘の興奮が混じる獰猛な思念に流されぬよう、私は息を吐いて気を鎮めた。
これまで契約精霊たちの感情は、ぼんやりとしか感じ取れなかったが、今回はまるで混線していた回路がほどけたように明確に伝わってくる。波立つ感情を抑えつつ、青龍へ意識を向けた。
『よくやった、青龍。だが、油断はするな』
『無論です、御主人様。ですがアレは、我には少々厄介かもしれません』
淡い光の点となって消えゆくスノーボアの欠片を振り払い、青龍が黄金の双眸で白魔を見据える。
青龍によって周辺の氷の精霊が根絶されたせいか、すでに吹雪は止み、雪雲も薄らぎはじめている。
だが、差し込む淡い陽光を拒むように、荒れ果てた森を覆うように、瘴気を纏った白魔は超然と佇んでいた。




