表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/28

17.へたれ仔犬の心身改造計画(10)

  

 雪が降ろうが嵐になろうが、決められたメニューをこなすのが、キリの修行だ。

 本来この鍛錬は、日の出とともに行なって魔力の流れを整えるものだという。だが、私がそれをすると魔力が活性化しすぎて倒れたので、夕刻からの開始になったのだ。


 ギルドから戻るや、作り置きのオートミールマフィンに厚切りハムを挟んで齧りつき、牛乳で胃に流し込む。着替えの入った袋を肩に掛け、その上からぶ厚い外套を着込んで毛皮の長靴を履くと、私は携行用の提灯ランタンに火を点け、訓練場裏のキリの自宅に向かった。

 まだ柔らかい雪をぎゅっぎゅっと踏みしめれば、いつもの倍以上の時間がかかって辿り着く。

 雪に覆われた小さな木戸の向こうに姿を現わすのは、青白く輝く魔力のドーム。


 ……相変わらず、すごいな。


 規模は、家一軒分。魔法陣も構造式も視えず、構成される無数の光の点のひとつひとつが魔術符号ということしか分からない。圧倒的な技術だ。

 木戸を押し開いて中に入ると、外からは小さなログハウスにしか見えない家は、この地域に似つかわしくない広い庭を備えた異国の木造家屋へと変貌する。本を伏せたような茅葺き屋根には雪が積もり、趣のある美しい佇まいを隠していた。

 私は玄関の庇の下で雪を払い、脱いだ外套を左腕に掛ける。扉を叩こうと手を挙げた瞬間。


「――遅いっ!」


 目の前の引き戸が、すぱーん!と音を立てて開け放たれた。

 見れば、土間の向こうの上りかまちで、白髪緋眼の小柄な女性が着物姿で仁王立ちしている。


「遅参いたしまして申し訳ありません、師匠」

「む。おぬし、歩いてきたのか?」

「はい」

「融通のきかぬやつじゃな。この雪の中を歩いてくるとは思わなんだぞ?」


 魔力制御が完全にできるまで、最低限の基礎魔術以外の使用禁止を言い渡したのは、他ならぬキリだというのに。魔術で雪の中に道を作る方法はいくつかあるが、一般的な[解凍サーイング]でも、範囲指定を必要とする火と風の複合魔術だ。

 私は不平を堪え、それでも言い訳が口を突いて出る。


「まだお許しをいただけておりませんので」

「魔術を使わずとも、ウォルにでもおぶさってくれば良かろうに」

「これは私の修行です。他人の力を借りるなど――」


 言いかけ、矛盾に気づいて語を切った。そもそも私の修行は、エマやウォルターら周囲の協力がなければ成立しない。

 キリは、私の気まずさを察したようだが追求せず、中に入るよう促した。


「なに、この雪で埋もれておらぬか案じただけじゃ。無事ならば良い」

「私はそれほど未熟に見えますか?」

「おぬしは、どれほど精霊に好かれておるか自覚が足りぬのじゃ。今も氷の精霊クリオスどもが手ぐすね引いて待ち構えておろうに」


 はっと背後を振り向けば、来た道すら分からぬ真っ白な雪景色の中、小さな鈴を震わせたような精霊の笑い声が無数に響いた。時折ぱちぱちと青白い火花が散るのは、キリの結界に阻まれているせいだろう。

 結界がない状態を想像し、私はぞっとした。

 契約精霊の一体が氷の上級精霊であることが影響するのか、アルバに来て以降、小さな光の玉となって舞う精霊の目撃回数が尋常ではないのだ。

 エマ曰く『魔力垂れ流し状態』のせいだと思うのだが、どんなに歓迎されても、精霊の棲まう星霊界に引きずり込まれるのは御免だ。


「……精進します」

「してくれぬと儂が困る」


 素気無く応え、キリが踵を返す。奥へ去ろうとする背に、慌てて声をかけた。


「師匠! 私、このまま水汲みにまいりますので」

「水汲みならば済んでおる」


 緋色の瞳に促され、私はようやく土間に立ち込める湯気と、かまどの上でくつくつと煮える羽釜の存在に気がついた。羽釜の周囲には、湧きあがる泡に木蓋がことこと踊る様を楽しげに見守る、獣耳と尻尾の生えた小さな影たち。

 われわれが狗童コボルトと呼び、キリが式鬼しきと呼んで使役する、獣頭人身の――魔物と括るには実体が薄く、精霊とするにはいささか生臭い――存在ものだ。

 いたずら好きだが、キリの言うことはよく聞き、この家の家事を手伝っている。


「時間がないのだ。遅刻のうえに、さらに雑事で時間を無駄にしてはならぬ。さっさと着替えて道場へまいれ」

「はい」


 火を消したランタンと外套をコボルトが持ち去る。室内を照らすのは、これもキリが使役する鬼火で、たまに火鼠ひねずみが紛れているので要注意だ。

 私は長靴を脱いで室内に上り、いつも使っている畳部屋の一間で、白の道着に着替えた。魔道具の首輪はそのままだ。これから行なうのは魔術訓練だが、掛けられている術程度では影響がないらしい。


 紙を張った建具で仕切られた極東特有の風通しの良い室内は、結界の影響か、ほんのり温かい。

 窓を見れば、固く閉ざされた雨戸が激しい風にかたかた揺れている。キリの実力では結界内の天候など自在だろうに、過度の干渉を嫌うため、戸外は変わらず風雪が吹き荒れているようだ。


 小さな屋根のついた渡り廊下を通り、別棟の道場へ向かった。入り口で一礼。板張りの室内は清廉な空気に満ちて、コボルトも入れない。

 右手奥の高座には、すでにキリが正座して待ち構えている。

 私はキリの真正面の板間で膝をつくと、両手を前について叩頭した。


「ご指導よろしくお願いします」

「うむ。では、まずは準備からじゃ。立て」

 

 立ち上がり、キリに言われるままに手足の力を抜き、肌をこすり、ゆっくりと体を動かしてほぐしていく。

 気を高める行為だというが、残念ながら私はまだ、体が内側からほんのり温まるくらいしかわからない。それでも、呼吸法、瞑想と続けていくと、ほとんどその場を動かないのに、終わる頃には汗がしたたり落ちるのだ。


 東方では、魔力≒気=自然エネルギー。魔力回路≒経絡となる。

 同等イコールでないのは理由がある。大陸以西――神聖王国を基準とした西側諸国では、この世で魔力を持つものは人間、亜人(古代人種)、魔物、魔石だけとするが、東方人は、〝気〟は自然界のあらゆるものに満ちていると考えるのだ。

 つまり魔力は気の一形態に過ぎず、気が凝縮、活性化された状態だという。


 修行をはじめて間もない頃、キリは私に、こんな話をした。


『人は本来、魔力を操る術を持たなんだ』

『え……そうなのですか?!』

『それが証拠に、人には経絡けいらく、すなわち魔力回路はあっても、おぬしらが〝魔力器官〟と呼ぶ魔力を蓄える臓腑がなかろう?』


 魔力器官は、植物型や虫型でも魔物なら等しく有する、魔力を貯留する体内器官だ。魔物を倒す際は、心臓よりもむしろこちらを先に狙って魔力を封じることが肝要といわれる。また、直接魔力を流して、魔石として取り出すことが可能だ。

 今ではほぼ絶滅したとされる古代人種エインシェンツは、人に似た身ながらこの魔力器官を持っていたとされ、巨大な魔力と長命な寿命に反して、魔物に近い原始的な種族と位置付けられている。

 魔法史の講義では、人は古代人種から派生し、魔力器官がなくとも魔力が行使できるよう進化した――神殿の言い分では〝神により御業を授けられた〟――と習っていたのだが。


『無垢なる存在であった人族ハライトは、魔力を持たず、短命ではかなき種族であった。しかし、何も持たぬゆえに古代人らの精を受け、血を継ぐ子を産むことができた。そうやって年月をかけ、ゆるりと人は魔力を纏うものへと形を変えたのじゃ』

『本当、なのですか?』

『おぬしが信じるかどうかは、儂が決めることではあるまい。ま……これを儂に語ってくれたのは樹霊族ペタルの長老じゃ。耄碌はしておろうが、嘘はあるまいよ』


 緋色の瞳を悪戯そうに煌めかせ、くすくす笑われれば、こちらも思わず半眼になる。が、真実なのだと直感した。少なくとも、私の知らなかった歴史の一側面なのだろう。


 そして私の知らなかったことが、もうひとつ。

 私がこれまで使ってきた魔術は、魔力を介して精霊に呼びかけ現象を引き起こすもので、キリはこれを精霊魔法と呼ぶ。

 対して、魔力そのものを操り、実体化する術――自律魔法が存在するというのだ。最初に訓練場で見たフィオーリの魔術がこれにあたる。


『それを知るには、まず気を正しく扱えねばならぬ』


 と言われるものの、キリの家の掃除や身の回りの世話からはじまったこの修行も三ヶ月になるというのに、自分を包むふわりとした魔力は分かるが、それを〝集める〟や〝動かす〟という段になると、想像はできても実感できないのが現実だ。


 これまでは呪文を正しく唱え魔法陣を描けさえすれば、おのずと魔力が流れていっていた。また魔力の制御は、術ごとに使用する魔力量が決まっているため、自分の体内魔力の残量を確認しつつ、術の発動を打ち切ることでコントロールするだけだったのだ。

 魔法陣に流れていく魔力を感じ、さらに意図的に出力を操作するとなると、かなりの集中を要する。三ヶ月の悪戦苦闘の結果、基礎魔術の使用時に流れる魔力の量を、これまでの十分の一に減らすことはできるようになった。が、その程度だ。

 

 途中から高座を下りたキリが、手本を見せたり、私の体勢を修正したりしながら、時どき魔力を流して何かを探っている。


「ふむ。やはり一度魔力を減らさぬと、どうにもならぬか」

「封魔具を使うということでしょうか?」

「いや。あれは放出量を抑制するだけで、保有する魔力量を減らすわけではない。森へ連れてゆき、魔物と総当たり戦でもさせるか……」

「…………師匠」


 それは魔力が減る以前に私の命運が尽きると思うのだが、思案に沈んだキリは反論など耳に入らないようだ。

 そうこうしているうちに、母屋からコボルトの鳴らす銅鑼の音が響いた。修行時間の終了である。

 高座に戻ったキリと改めて対面し、一礼。道場の床に雑巾がけをしてから退室すれば、母屋では早くも良い匂いがたち込めていた。


「お疲れさまです、ジェド。今日の夕飯は鶏団子鍋ですよ」

「早く汗拭いて着替えて来い。ぐずぐずしてると全部食っちまうぞ」


 ばたばたと厨房と部屋を行き来して食事の支度をしているのは、エマとウォルターだ。


「なぜ二人がここに?」

「寒いときは鍋に限るからな! 人数多いほうがいいだろ?」

「う、うん」


 答えになっているような、いないようなウォルターの言い分に曖昧に頷く。会話が微妙に噛み合わないのはいつものことなので、気にせず私は着替えに向かった。

 コボルトが用意してくれた熱いタオルで汗を拭い、着てきた服に身を包むと、気が緩んだのか盛大にお腹が鳴る。

 エネルギー消費が激しいのか、アルバで修行をはじめてから食欲が増えて仕方ないのだ。汗で湿った道着を袋に押し込め、私は匂いに誘われるように、縁側に面した広い一間に足早に駆け込む。


 そこでは板間の真ん中に囲炉裏が切られ、掘り下げられ灰を敷き詰められた長四角形の中央で、赤々と薪が燃えていた。

 天井から吊るされた自在鉤には鉄鍋が掛かり、くつくつと美味しそうな音を立てている。角の膳の上には煮物の大鉢。囲炉裏を囲む炉縁はわずかに高く平たくなっており、各自の小鉢と箸――ひとつだけフォークが並べられていた。

 円座の敷かれたその席に、私はいそいそと腰を落ち着ける。


 私の右隣、鍋に一番近い手前の席にエマ。長方形の短辺の左にウォルター、右にキリという並びだ。コジローさんの姿はない。猫の彼は狗童コボルトと仲が悪く、留守番となったようだ。

 向かいの長辺には、白金プラチナから鮮やかな薔薇色へと色を変える長髪を背に流した着物姿の男が、胡坐を組み、難しい顔で鍋を睨んでいる。

 公私ともにキリのパートナーであるフェニーチェだ。ランクはSS――といっても、父と同種ではない。彼は本当の意味で人外なのだ。


「フェイ。睨んでも鍋は早く出来上がらぬぞ?」

「お豆腐はもう煮えたんじゃないかなあ。……お。リーキとチコリーもイイ感じ。よそってみる?」

「ん」


 フェニーチェの小鉢に、エマが木製のレードルで鍋の具を掬い移す。湯気がもわりとたって、いかにも熱そうだ。


「鶏団子は?」

「いらん」

 

 即答するフェニーチェに、芋の煮物で一杯やりはじめていたウォルターが吹き出した。


「共食いはマズいだろ」

「フェイが来てるなんて予定外なんだもん。出汁も鶏ガラでとっちゃったよ」


 エマの発言に、私は思わず鍋の中を覗き込む。

 精霊に近いフェニーチェは、どうやら人とは別に、鳥の姿を持つようなのだ。

 清酒を嗜んでいたキリが、「いらぬなら儂が貰う」と小鉢をエマに差し出す。


「共食いなど珍しくなかろうに。鶏なれば猛禽の良い餌じゃ」

「……われを畜生と一緒にするでない」

「似たようなものであろ」

「そーそー」


 パートナーにまで言われ、フェニーチェの端正な顔に険が漂う。精霊と同じく瞳孔も光彩も黄金の濃淡で染めあげられたその眼に睨まれたら、即座に謝ってしまいそうだ。が、ウォルターもキリもいつもの調子で笑っている。慣れとはすごい。

 人外である本人も、着物を着たり、一緒に鍋を食べるくらいには人に馴染んでいるのだから不思議はないのだろう。箸使いは私より上手だ。

 それ以上文句を言うことなく、息を吹きかけて冷ましつつ、崩れやすい豆腐をはふはふ食べている。


「火、通ってる?」

「ん」

「鶏団子もいけそうだね。フェイが来るなら、湯豆腐にしたのに」

「豆腐は何に入れても美味い」

「そーですか」


 豆腐はキリの手作りだ。故郷の味を再現しようと、醤油、味噌に続いて手を出したそうだが、アルバで採れる大豆の種類と水質の相性が難しいらしく、いまだ試行錯誤中という。

 キリがほぼ毎日コボルトに手伝わせて作るため、現在ギルド内では常に豆腐が流通している状態だ。とはいえ、飽きられることはない。人外のくせに、食べ過ぎて逆にどっぷり嵌まったフェニーチェがいい例だ。

 豆腐は栄養価があるわりに淡白で味を変えやすく、もたれにくいので、出来た端から売れていく。最近では〝和食〟に目覚めた[タイガーテール]の亭主も駆けつけるし、なぜか変装したうちの料理人の姿――桶買いするから当然目立つ――もあった。菜食主義のソールは、皆と取り合うのが嫌で、とうとう自分で豆腐作りを始めてしまった。

 罪深きは食への執念である。

 

 私も鍋をよそってもらうと、息を吹いて豆腐の欠片を口にした。熱い塊が口の中でほろりと崩れ、スープと絡み合う。


「あふ」

「火傷すんなよ」

「や、鍋は熱々が一番でしょ」

「おまえは自重しろ、猫舌娘」

「冷酒で中和するから大丈夫」


 軽いやりとりをしながら、ウォルターもエマも口と手が止まらない。

 ほろほろの豆腐も美味いが、イイ感じにとろけた野菜もしんなりした茸も、ふわふわの鶏団子も味わい深いスープもどれも最高で、私は夢中で小鉢の中身をかき込んだ。

 食べるよりも飲むほうがメインのキリは、猪口ちょこを口に運びつつ、丁寧に箸で切り分けた団子を一口食べ、ふむと頷く。


「鶏団子、美味いな。葱と生姜か?」

「あとニンニクと味噌と醤油ちょっと垂らして、塩胡椒とつなぎに卵。肉屋のおじさんが冬仕舞いで在庫を空にするからって、ちょっと良い部位使ってミンチ作ってくれたの」

「おまえ、ミンチぐらい自分で作れよ」

「あー、今すごくウォルをミンチにしたい」

「おい」

「ウォル、気をつけろ。朝起きたら、首から下がミンチになっておるやもしれぬぞ?」

「いくらなんでも途中で気付くだろ。つか、すんなよ?」

「あんまりイイ出汁は出なさそうなんだよねー」

「問題そこかよ! しかも何気に失礼!」

「だって脂身少なくて肉が硬そうだし?」

「確かに、ウォル汁は不味そうじゃな」

「……ごふっ」


 思わず吹き出した。汁ってなんだ、響きが不穏すぎる。

 フェニーチェが、明らかな不快感を漂わせた。


「貴様ら絶対にそれに豆腐を入れるなよ。豆腐に対する冒涜だ」

「ほら、エマ。おまえが変なこと言うから、フェイの機嫌が悪くなったじゃねーか。食事中になんてこと言うんだよ」

「ほんと、食事中になんてこと言うかな、ウォルは」

「もう少し話題に気を遣えよ、ウォル」

「俺かよ!」


 納得いかねえ、とぶつぶつ言いながら、ウォルターは酒も煮物も鍋も、ものすごい勢いで平らげていく。

 私も会話に加わりたいが、油断するとウォルターに鶏団子を取られ、フェニーチェに豆腐を取られ、エマに野菜を取られるのだ。吹き出る汗を拭うのも、もどかしい。

 ちなみにキリの式鬼たちは、かりかりに炒った米にバターと砂糖をまぶした〝あられ〟を大鉢に盛ってもらって、こちらも争奪戦である。甘味が好きなのだ。


「あ、ジェド。少しお腹空けといてくださいね。締めがあるので」

「締め?」

「残りの出汁にご飯投入して、雑炊にしようかと」

「絶対空ける」


 飯を柔らかく煮た雑炊は、ポリッジに似た、出汁の風味の効いた胃腸にやさしい一品だ。寝込んだときにエマが作ってくれて以来、私の好物である。米、最高。

 来た当初は、ここまで量を食べることができずに苦労した。食べなければ体力が持たず、すぐに体重が落ちるため、食事の回数を増やし、味付けを毎回変えたり少量で栄養のとれる食材を取り入れたりと、随分とエマが工夫してくれた。

 今ではあまりの食事の充実ぶりに、エネルギー補給というより、食事のために運動している気がするほどだ。


 ほとんど具のなくなった鍋に出汁と調味料を追加し、木のひつに保存していた冷や飯を入れて一煮立ち。馴染んできたところへ軽く溶いた卵を回しがけ、蓋をして火から下ろす。

 艶のある黄金色に包まれたそれに、胡麻油を数滴と香りのよいハーブの葉を散らせば、見た目も華やかに食欲をそそった。


「はいどうぞ」

「いただきます!」


 がっつりいきたいが、熱いので少しずつフォークの先ですくって食べる。味のベースは鍋と同じはずなのに、くだけた米粒に卵が絶妙にからんで、超絶旨い。

 自分の小鉢の雑炊に梅干しをのせ、キリがくすりと笑う。


「ジェドは、すっかり餌付けされたようじゃな」

「餌付けって言わないで。胃袋を掴んだって言ってよ」

「おんなじだろ」


 ウォルターの言うとおり、どう表現しても私がエマの料理にやられているのは事実なので、異論はない。

 ひょっとしてエマは不本意なのかと、ちらりと彼女を窺えば、なにを誤解したのか私の小鉢に雑炊を追加してくれた。そうじゃない。美味しいから食べるけど。


「そういえば、フェイは今日どうして来たの? 突然なのはいつものことだけど」

「竜脈の乱れが気になってな」


 フェニーチェは答え、するすると雑炊を箸でかき込む。味はお気に召したらしい。


「それって白魔のせい? 毎年来てるでしょ?」

「それも一因ではあるが……それだけではおさまらぬ。地脈はどうだ? 森はおのれらの管理下であろう?」


 フェニーチェの問いに、エマは眉を寄せて腕を組んだ。


「うーん。確かにざわついているとは思うけど、特に異常は感じないんだよね」

「なにかあるときはジェド絡みだもんな」

「うん。正直そっちに気をとられて、森のほうまで意識が回っていないかも」

「情けない。人の身で管理すると決めたのだ。もっと気を張れ」


 気まずげな顔をする兄妹に、私も肩身が狭くなる。キリが助け船を出した。


「だが、儂もそれほど異常は感じぬぞ? 常のような周期的な変動ではないのか?」

「まだなんとも言えぬ」


 ず、とスープをすすり、フェニーチェが小鉢越しに、黄金の双眸をこちらに向けた。


「黒の子が覚醒したかと危惧したが、そうではなさそうだしな」

「フェイから視て、ジェドは竜人の血が濃いと思う?」

あれ・・の子だしな。それに竜人の資質は、血よりも魂の質が問題なのだ。天命に近い。ゆえに、目覚めるときは爆発的に発現する」

「じゃあ、ジェドはこれ以上魔力が増えるのかよ?」

「当然だろうな」

「体は大丈夫なの?」

「無事ではないが死にはせぬ。竜人は、地脈や竜脈などの自然の滞留魔力からの体内変換効率が異様に高いのだ。真の竜人なれば、肉体の半分でも残存すれば再生する」

「魔力器官を破壊してもか?」

「無論。ある程度の残骸から、骨も脳も心の臓も魔力器官も再構築が可能だ。世界の守り手として創造された種族なのだ。当然だろう?」


 私は無言で息を呑んだ。

 竜人は、その呼び名から〝竜に変化できる亜人〟と誤解されがちだが、真実は、最強の魔物が竜であるように〝古代人種最強の種族〟という隠喩的な命名なのだ。

 伝説では、鋭い爪と真実を見抜く目、鋼より硬い皮膚を持ち、口から火炎を吐いて空を飛び、強力な魔力とすべての魔術を網羅する叡智を備えた種族というのだから、人の形をした竜と呼んでも差し支えないのかもしれない。

 彼らは百年戦争の敵対相手でありながら、戦場へは巨人兵ゴーレムを送り込んできたため直接相対したものは少ない。ゆえに荒唐無稽な逸話も多い謎の種族だが、フェニーチェの話を聞く限り、伝説も誇張ばかりではないのだと悟る。

 ウォルターが複雑な表情で鼻を鳴らした。


「その最強種族が、なんで滅亡寸前になってんだよ」

「人間の理屈は知らぬが、神の理屈では彼らがおのれの役目を放棄したからだ。ゆえに加護を失った」


 役目を放棄とは、厭な響きだ。

 竜人の国である神聖王国には、かつて最初にして唯一の神樹が存在し、かの国は世界各地に散る古代人種たちの頂点として君臨していたという。

 ロザリオン帝国の祖は、弾圧されていた人々に同情した竜人の若者が――あるいは勇気ある人族の若者が竜人の国に乗り込んで――神樹の一枝を得て西の孤島に流れ着き、見る間に成長した新たな神樹から啓示を受け、大陸に渡ったことに由来する。


 ……それもすべて神の意志だとすれば恐ろしいな。


 神への祈りというのは日常だが、その存在を実感したことはない。だが、急にそれが血肉を纏ったもののように思え、私は胸騒ぎを抑えきれなかった。

 だいたいフェニーチェは、なぜ〝神の理屈〟を知っているのか。

 剣呑な思考に落ちていく私とは全く別の思いに至ったらしいエマが、小鉢の中の雑炊をつつきながら呟く。


「滞留魔力からの変換効率か……考えたことなかったなー。そっか。ジェドの魔力回復が異様に早いのは、そういうわけなんだ」

「ヒトが意識して魔力変換をおこなうのは稀だからな。魔力器官がなく、体内に留めおける力が弱いゆえ、変換を意識することがない」


 魔力変換とは初めて聞く言葉だ。

 魔獣や魔草、魔石を喰らって魔力を高める魔物と違い、人の保有魔力や魔力回復の要因は不明とされ、魔法薬ポーションも長年の試行錯誤から生み出されたものでしかない。

 その仕組みが解明されれば、飛躍的に魔術が進歩しそうだ。


 ……それに自分が良いように利用されそうで、一抹の不安を感じるが。


「ふうん、変換効率と魔力器官に直接関連はないんだ」

「魔力変換は感受性の問題だからな」

「ひょっとしてジェドの体調が崩れるのは、魔力器官がないせい?」

「その可能性はあるだろうな。変換して体内に取り込んでも貯留できぬのだ。負担がないわけがなかろう」

「……最近は体調がいいが?」


 こっそり反論を試みれば、全員の視線が私に集中した。


「キリの指導の賜物であろう。うつけものが」

「まあまあ、フェイ落ち着いて。――ジェド。実感は薄いかもしれないけど、ちょっとずつ魔力を動かして、余剰分を周囲に還元できるようになってきてるんですよ?」

「多すぎるゆえ動かしても分かりにくいのと、わずかでも使うと同時に魔力が流れ込むゆえ、ほとんど変わらぬように思えるのは仕方ない」


 エマのフォローにキリも口添え、難しい顔で箸を置いた。


「しかし厄介じゃの。森にでも放り込んで一度大幅に魔力を減らそうと思うたに、変換効率が良いのではすぐに回復してしまうではないか」

「逃げられぬように縄をつけて森の入り口にでもぶら下げておけば、魔物が適当に喰ろうてくれる」

「フェイ、さすがにそれは……」

「だが、このままではどうにもならぬぞ? 魔力が膨れあがって肉体が崩壊するのを待つよりは、早目に手を打って肉体を再構築させたほうが良い」


 人外の男は軽く〝再構築〟と言うが、先ほどの理屈では肉体の半分がない状態である。それはもう、修行が辛いとか痛いというレベルではない。


「ちなみに再構築にかかる時間は……?」

「さて。一年もすればできるのではないか?」

「長っ」

「細胞から作り変えるのだ。ヒトも産まれるのにそれくらいかかろう?」

「その間に残りの体も魔物に喰われちまわないか?」

「竜人として覚醒した後なれば問題ない。森に棲まう魔物程度では、竜人の肉を欠片でも口にした時点で爆散する」

「爆散……」


 魔力格差のせいだと察するが、それ以上は頭が思考を拒否した。

 うん、無理。早く魔力制御を身につけたいが、強引に先祖返りを起こさせるのは、肉体的に可能でも私の精神的に無理だ。

 エマとキリに眼差しで訴えれば、困ったような微笑が返る。まさか、と体を強ばらせると、私の頭に大きな手が乗って、わしわしと撫でられた。


「さすがにそれはやめとくわ。再構築後にジェドが別人格になったら困るからな」

「ウォル」

「まあ、ヒトとしての感覚は消えるだろうな。だが、そうでもせぬと、いつまでもこのままだぞ?」

「フェイは、ほぼ寿命なしのくせに焦りすぎだ」

「ヒトの身は有限なのだ。キリの時間を無駄にするわけにいかぬ」

「あーはいはい」


 どうも私の状態に期限があるというより、キリが私にかまけているのが気に食わないだけらしい。

 そういえば、最初に会った時も『貴様、キリの足は引っ張るなよ』と警告を受けた。つまりこの一連の説明は、なるべく早く私からキリを引き離したいフェニーチェの思惑なのだろう。

 「弟子は師匠に迷惑をかけるのが仕事じゃ」と、キリが流してくれるのが心強い――否。私を見る黄金の瞳がますます険を増すので、むしろ私のことは放っておいてくれるべきだと思う。

 しかし、そう都合よく話題が逸れてくれるはずもなく。


「キリ婆。わたし、ひとつ試してみたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「今回の白魔鎮圧にジェドを連れて行こうと思うの。上手くいけば、どーんと魔力を減らせるはずなんだよね」

「そりゃ大型の攻撃魔術でも連発すれば、魔力は減るだろうけどさ」

「制御が不安定な人にそんなことさせないよ」


 口を挟んだウォルターを一蹴し、エマはぺろりと唇についた米粒を舐めとった。フェニーチェとは違う、それでも不思議に惹かれる蜂蜜色の瞳が、私を見上げる。


「契約精霊を召喚してもらおうと思って」

「ジェド、そんなのいんのか?!」

「う、うん。二体ふたりいるけど」

「いいな。なんか楽しそうだな、それ」


 契約精霊の存在を知らなかったらしいウォルターに私が説明している傍らで、ゆっくりと雑炊を食しつつ、キリとエマが話を進めていく。


「なるほどな。召喚している間は魔力を供給し続ける、というわけか」

「そう。ついでに精霊に白魔鎮圧の手伝いをしてもらうと、さらにジェドは魔力をとられるし、わたしたちも助かる。一石二鳥ってわけ」

「果たして、そう都合よくいくものか」

「……エマ。かれらは今、手が離せないと思うが?」


 力ある精霊は、必要とあれば召喚なしに人界で実体化できる。

 二体いる私の契約精霊たちは現在、私同様修行ということで、皇都の父の侍従の下で従者教育を受けている最中なのだ。いろんな意味で心の籠もったエマの説得の成果だ。


「大丈夫ですよ。ジェド大好きなので、喚べはすぐに来ます」

「勝手に修行を抜けたりして、クエンティンに叱られないか?」

「なにを恐ろしいことを! 先に断りを入れておくに決まってるじゃないですか!」

「父に?」

「クエンティン様に、です。ご当主様への連絡はジェドに任せます。首輪通信を入れておいてください」

「これは護衛代わりの魔道具で、通信具ではないのだが」


 抵抗を試みたが、やはり聞き入れてもらえることはなく。

 キリが首の魔道具についた魔石に魔力を送り、父を呼び出して、さっさと許可をもぎとってしまった。


「で、本当に上手くいくのか?」

「契約に縛られているから、魔力が暴走することはまずない。だけど、魔力が減った好機をジェドが上手く生かせるかは……五分五分ってところかな」

「儂が教えたとおりにすれば問題ない」

「念のため、今日の夜の訓練は控えめにしといてくれる? ウォル」

「ストレッチだけにするか」

「……わかった」

「キリ婆、いざというときのフォローはよろしくね」

「うむ、任せろ」


 力強く頷いて引き受けてくれた師匠と対照的に、フェニーチェは今にも室内に吹雪を巻き起こしそうな表情になっている。が、見ないことにした――というか、目が合った瞬間に殺られそうなので、見ることができないというほうが正解だ。


「ごちそうさまでした」


 空になった食器と鍋の前で手を合わせ、皆でそそくさと片づけに入る。

 じゃれつくコボルトたちを躱しつつ、使ったものを洗って拭いて布巾に包み、空の鍋に入れ子にして大きな風呂敷でまとめれば、一抱えほどの荷物になった。

 私の分の荷物も持ち、三人でいとまを告げる。


「じゃ、キリ婆、フェイ。また明日な!」

「おやすみなさい」

「失礼します」

「ああ、気をつけて帰れよ」


 笑顔で見送るキリは、だがすぐに隣の部屋から伸びた男の手に、引き込まれるように姿を消した。大丈夫だろうか、と不安になるが、馬に蹴られるのは御免だと三人で顔を見合わせ、キリ宅を後にした。


 風はおさまっていたが、まだ雪は降り続いている。来たときの足跡は、すっかり隠れてしまっていた。道なき道を眺めて途方に暮れる私をウォルターが呼ぶ。


「ジェド、なにしてんだ。こっち来い」

「……なにこれ」

そり


 魔力の光球に照らされた玄関前にあるのは、子どもが遊ぶような小さく荷台が平たいものではなく、馬に牽かせる大きさの浅い箱型の木製橇だ。

 どうやら二人は、積もった雪を解かすのではなく形状を変化させてスロープを作り、橇で滑ってやって来たらしい。

 なにそれずるい。


「だってジェド、準備している間に出て行っちゃうから」

「遅刻しそうで焦ってたんだっ」

「ほら、喧嘩してねえで乗れ。エマが一番前、ジェドは真ん中な。後ろは開けとけ。――[雪原滑降ダウンヒル]」

「ジェド。顔は自分で死守してくださいね?」

「え、か、顔?!」

「いっくぞー」

「うわああああっ」


 来たときとは逆の高低差を作った簡易スロープの完成度が高かったのか、それとも大人三人+荷物の重量をものともしない橇が優秀だったのか。

 ウォルターによって勢いよく蹴りだされた橇は、氷の精霊クリオスの笑い声を撒き散らしながら、雪と闇で閉ざされた視界を容赦なく切り進み、ものの五分で家に辿り着いた。


 五分で済んでよかった。さっき食べたものがひっくり返りそうになっただけでなく、エマの忠告が間に合わなかった私の顔面は、見事に雪と氷が貼りつき、無残な有り様だったからだ。


「おい、エマ。本当にこいつ、白魔鎮圧に連れてくのか?」

「う、うん。が、頑張りましょう、ね……?」

「……そりは、なしでおねがいします……」

 

 ぼふ、と口にへばりつく氷の欠片を息で除け、私は呻くようにそう言った。

 課題ばかりが積まれていくことに落ち込む余裕などなく――こうして、今日の私の修業は終了を迎えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ