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15.へたれ仔犬の心身改造計画(8)

  

 それから、怒涛の日々がはじまった。

 慣れないことと初めてのことばかりなので、ひとつずつこなすのが精一杯だ。

 体調を崩すことも多く、正直、自分はもう少し要領がいいほうだと思っていたし、度量が広いほうだと自認していたが、あっけなく叩きのめされる。


 それでもエマとウォルター、キリの三人に加え、グリフィンやフィオーリまで巻き込んで試行錯誤を重ねた結果、本格的な冬が訪れる頃には、訓練もだいぶ軌道に乗ってきた。



 シラー家の朝は早い。

 冬の今は夜明け前から起き、服を着替え、顔を洗って動きはじめる。エマは台所に火を入れてお湯を沸かし、私はトイレ掃除を行うのだ。

 水も空気も切れるように冷たいが、これも修行だ。


 バスルームは各部屋にあるものと思っていたが、平民では家が小さいこともあって、ほとんどの家庭が共用だという。

 三階建てのシラー家は各階にバスルームがあり、客用の三階は滅多に使わないので、掃除は一階と二階だけだ。最初はトイレ掃除と聞いて腰が引けたが、アルバレスは上下水道が完備されており水洗なので、壁に描かれた[清浄クリーン]の魔法陣の効果もあって、使い方さえ丁寧であれば綺麗なものだ。領主を務めた自分の先祖に感謝である。

 掃除は、まず手拭用のタオルを新しいものと交換し、小さい箒で床を掃く。備え付けのブラシで便器を洗い、雑巾で陶製の便座を拭いて、それを洗って干せば完了だ。


 その間ウォルターは、厩舎の掃除をしている。

 飼っているのは馬ではなく、魔獣の一種の魔羚羊エアレーだ。毛が長く、鹿と山羊の中間のような見た目で、馬くらいの大きさがある。特徴的なのが下顎の牙と、羊のように螺旋に巻いた鋸状の大きな角だ。森や高地で群れ生活をする、わりと名の知れた魔獣だが、飼育している人は珍しい。

 かなり気分屋なので馴らすのが大変らしいが、普通の動物では怯えて [迷宮の森]で役に立たないのだそうだ。


「本当は、飛竜ワイバーンが欲しいんだけどな」


 トイレ掃除を終わらせて厩舎に手伝いに行くと、ウォルターがそんなことを洩らした。

 ワイバーンは中級魔獣の中でも上位のほうで、知能が高く空を飛べ、草食ということもあって、国の軍事力のひとつとして帝国騎士団で捕獲と飼育がされている。


「ワイバーンを個人で飼うなんて聞いたことがないぞ? 本邸うちでも物資の搬送のために飼育を、という話が出たらしいが、飼育できるノウハウを持つ者が確保できずに断念したと聞いた。そもそも希少種だし、地方領主でも飼っている者はほとんどいない」

「だよな。エマにもそう言われた」

 

 残念そうに言いながら、ウォルターはブラシで魔羚羊エアレーの長い毛を梳かしていく。

 厩舎にいるのは二頭とも雄で、白に茶色の斑が入った大きな雄がタローさん。黒茶の若い雄がサブローさんだ。

 猫のコジローさんといい、ちょっと変わった響きを持つ動物の名前は、極東ウマラ国出身のキリの影響だという。ちなみに動物を〝さん〟付けするのは、シラー家の癖だ。


「どうしても諦めきれなくて、とりあえず捕獲してみようと思ったんだけどな」

「とりあえず捕獲っていう発想がどうかと」

「ほら、連れて帰ってみたら結構イケるかもしんねーじゃん?」


 普通の人だったら冗談で済む話だが、Aクラス冒険者が言うと本気で実現可能なところが、質が悪い。

 私もブラシをとって、サブローさんの体を横から梳かしはじめた。視界に入り込む角度によっては敵と認識され、丸まった角が伸びてドリルのごとく突き刺さるので注意が必要だ。さすが魔獣である。


「国から捕獲許可が下りるのか?」

「そこは調べた。許可がいらない外国の生息地を探して準備万端だったんだけどな。エマのやつ、チクリやがって」

「それは止めるだろう。第一、国内に連れ込めないのでは?」

「そうなんだよなー。まあ連れてくるのは、[隠蔽ステルス]掛けるか、アイテムボックスに入れればなんとかなりそうだったんだけど、根本的な問題があってさ」

「問題?」

「金がない」


 ワイバーンを飼いたいというウォルターの野望を阻止すべく、エマが頼ったのが三兄のエリアスだ。

 現在、学術院で言語学と考古学、精霊学のコースを修め、学術博士の称号をもつ才人は、ワイバーンに関する調査結果をウォルターに突き付けたのだという。


「雌雄別の平均体長、翼の大きさ、体重、寿命、習性。どこから持ってきたのか皇都の飛竜舎の図面まで見せて、一頭飼うのに必要な敷地面積と厩舎の建築費用まで出しやがってさ。それに毎日に必要な飼葉の量と、騎乗とメンテナンスに必要な道具に医療費。飼葉を確保するための小屋の設置と維持費とかまるっと計上してあって、ちょっと泣いたね」

「すごい説得だな」

「さすがに毎月俺の月収が吹き飛ぶ飼育費はマズいだろ? 心折れるぜ」

「それで諦めたのか」

「諦めるしかねえだろ。親父に拳骨一発くらって終了だよ」


 頭ごなしに駄目と言われるより、よほど穏便な説得方法だと思うが、ウォルターは不満らしい。

 「やっぱ、ヴィートさんみたく真竜ドラゴン探して契約するかー」などと言っている。それもかなり無謀だと思うが。

 話しながら、二頭の魔羚羊エアレーのブラシ掛けを二人で終わらせた。


 その後は鞍とあぶみをつけて、散歩という名の早駆けだ。馬のようにくつわは嵌めず、鼻先に無口という紐をかけて手綱を繋ぐ。騎馬の世話は本邸にいたころ教え込まれたので、それほど手間取らない。

 防寒用に外套を羽織り、ウォルターがタローさん、私がサブローさんに乗って、訓練場の外周を一周。門を出て[迷宮の森]の入口まで、思い切り駆けた。


 エアレーは足が長いので、馬と比べ体高が高く感じるが、胴が詰まっているため、騎乗するとわりと収まりがいい。飛び跳ねるように上下する体の動きも慣れてくると違和感がなく、逆に悪路の多いこの辺りの道をものともしない安定感があった。

 拍車をつけないので、最初は手綱と足の動きだけで指示を出すのに苦労したが、世話をしていくうちに性格が掴めて失敗も減った。タローさんはプライドの高い俺様で、サブローさんは好奇心旺盛なやんちゃ坊主だ。


 昨夜までの残雪が凍った道を、八つの蹄が、がつがつとリズミカルに砕いて進む。右手に姿を現わす[迷宮の森]は、霜と雪に包まれ朝日に白く輝いて、一層近寄りがたい空気を漂わせていた。

 寒さに凍えていた息が、次第に熱を発する蒸気へと変わっていく。

 森の入口の見張り小屋まで来ると、二十四時間体制で番をする自治兵団の顔見知りに挨拶し、来た道を戻る。その間、三十分程度だ。

 汗をかいたエアレーたちの体を拭いてやり、餌やり。自分の身を軽く清めて台所へ向かえば、温かい室内で、エマが具だくさんのスープを作って待ち構えている。


「おかえりなさい」

「ただいま」

「あー、腹減った」

「がっつり食べとく?」

「動き鈍くなるから、卵だけつけといて」

「了解。ジェドも卵いります?」

「うん」


 豆とベーコン、押し麦、細切れの野菜をとろとろになるまで煮込んだスープを小椀に一杯と、スクランブルエッグを一掬い。私にはさらに全粒粉のビスケットがつく。

 たまにメニューがパン粥と果物に変わることもあるが、トレーニング前の栄養補給なので、基本的に軽めだ。私の品数が多いのは、もっと太れということらしい。


「ごちそうさま」

「んじゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 慌ただしく立ち食いで済ませ、ウォルターと裏口から出る。先ほどの早駆けで温まっているが、訓練場のグラウンドを走り込んで、さらに体を目覚めさせるのだ。

 地面の凍るグラウンドでは、すでに専属の冒険者たちが数名、訓練を開始していた。ピアニーとヴィルトシュヴァインの剣戟の音が響く。片隅で、グリフィンが剣の型を遣っていた。

 少し遅れて、息を切らせて訓練場にやって来たロビンが、寝ぐせだらけの髪でランニングに合流する。

 

 グラウンドを三周した後ストレッチを入念にして、シットアップ、腕立て伏せ、反復横跳び、小さいボールを使ったエクササイズを行う。筋力を高める目的の運動は、いろんな部位を鍛えるために日替わりで、週の始まりの闇の日が休養日だ。多少は鍛えていたつもりだったが、体のあらゆるところの筋肉痛を味わう日々でもある。

 これだけでもう息があがり汗だくになるのだが、続いて体術の訓練に移る。

 極東ウマラや東国ムーダンの武術をベースにしたギルド独自の格闘技で、腰を落とし、歩行はすり足。強い打撃や蹴りではなく、体の急所を突いたり重心を崩すことで相手の動きを制する、防御のための体術だ。指先ひとつで相手を翻弄でき、筋力の足りない私に向いている。


「おまえのいいところは、体が柔らかいこと。わりと軸がしっかりしてること。目がいいことだ。悪いところは、考えるすぎることだ。頭で考えてやろうとすると、呼吸が浅くなって重心が上がる。呼吸を深く、臍まで下げろ。考えすぎんな」

「はいっ」


 指導をするウォルターは、ほぼ同じ運動量をこなしているはずなのに、悔しいくらい汗をかいていない。具体的な指示が少なく戸惑うこともあるが、繰り返し動きを体に叩き込むやり方は、無心になるにはちょうど良かった。


 トータルで一時間半ほど鍛錬した後、家に戻って、汚れついでに浴室の掃除を行う。そのままシャワーを浴び、服を着替えれば朝食だ。


 メニューは、キリの影響で米食とパン食が半々。年齢不詳の極東の魔術師は、ジーニアが少女の頃からシラー家と親しいらしく、まさに〝おばあちゃん〟の立ち位置で、ごく自然に生活に異文化を溶け込ませていた。

 パエリアやミルク粥で米を食べたことはあったが、真っ白いままふっくらと鍋で炊きあげられたものは、ここで食べるのがはじめてだ。米の種類も違うらしい。

 噛むと甘みがあってもちもちして、なのに味の濃いおかずとの相性も良く、私はすっかりその味にはまってしまった。ご飯のときは、キリお手製の味噌を使った味噌汁と野菜の漬物が定番で、それに主菜・副菜がつく。

 今朝は焼いた干し魚と、だし巻き卵、セロリと人参のきんぴらだ。


「美味しそうだ。いただきます」

「いただきます」


 極東風に両手を合わせ、食事をはじめる。本来ならきちんと食前の祈りを捧げるところだが、ウマラ国で簡略化されて庶民に普及しているらしく、シラー家ではこちらが採用されていた。

 ウォルターとエマは器用に箸を使って食事を進めるが、私は木製のフォークだ。いつか、きちんと箸が使えるようになりたいと思うものの、最初に挑戦したとき筋肉痛もあって食事どころではなくなってしまったので、今は断念している。

 箸は東方域で広く使われているそうだが、食事を摂るのになぜ技量が必要なのか疑問だ。フォークとナイフが兼ねられるから便利だと、エマは言うが。


 台所の小さなテーブルを三人で囲んでいると、空いた席にコジローさんがちょこんと座った。人用の椅子なので、テーブルから頭の上半分だけが見えるのが、なんともかわいい。が、これが曲者なのである。

 絶対テーブルに上がらない代わりに、眼光が無言の訴えを突きつけるのだ。


「コジローさん、魚食べ――」

「ダメです。コジローさんの朝ご飯は済んでます」

「でも、ちょっとくらいなら」

「人間の食べ物は塩分が高いからダメって言ってるでしょう。病気になったらどうするんですか」

「……あの目で見られると心が痛むんだ」

「ジェドは弱すぎです。だから狙われるんですよ」


 猫という生き物がそうなのか、コジローさんは要領が良く、絶対にエマにはおやつをねだらない。その代わり、一番下っ端とみなされた私がフォークで魚を刺し、ご飯を口に運ぶたびに、金色の目でじっとりねっとり追いかけるのだ。実に食べにくい。

 大急ぎで食事を済ませようとしたら噎せてしまい、諦めたエマが食器棚に隠してあったコジローさん用の焼魚を取り出した。


「少しにしてくださいね。コジローさんのおやつが減るので」

「わかった」


 一番甘いのはエマだなと、含み笑いを洩らしつつ、切り身の三分の一ほどを小皿に取り分けて椅子の上に置く。置く前からご機嫌なゴロゴロが聞こえ、勢いよくコジローさんが魚を食べはじめた。


「どっちが餌付けされてるんだか、わかんねえな」

「確実にジェドでしょ」

 

 兄妹からのツッコミを無視して、その隙に私も朝食をかき込む。

 「しっかり噛まないと消化に悪いですよ」とエマの声がかかるが、構っていられない。胃腸の調子よりも、心の平安が一番だ。


 食べ終わると、各自食器を流しに持っていく。皿洗いは、食べるのが早いウォルターの役割で、私がそれを拭き、エマが納めるという流れだ。

 その後、共用の洗面台で並んだり入れ替わったりしながら歯を磨き、身だしなみを整えたら、弁当を持って出勤となる。



 職場である冒険者ギルドはシラー家と壁で接しているが、中の隠し扉は使わず、毎回一度外に出て、ギルドの正面玄関から鍵を開けて入る。

 ウォルターに理由を訊いたところ『んー、気分の問題?』と返されたが、おそらく保安上の問題だろう。ギルド長一家が近くに住んでいることは周知の事実だが、旅人も多く訪れるギルドで、安易に自宅の出入口を曝すのは危険だ。

 防犯結界セキュリティも別仕立てである。


 私たちの出勤と前後して、キアラとヒースがやってくる。ロッカーで上着を制服に着替え、皆で掃除を済ませる頃に、冒険者たちがぽつぽつと姿を見せはじめた。

 月給を貰う専属たちは、ギルドの要請に応じて動くため、外部からの依頼を奪い合うことなく、のんびりと待合で談笑している。

 冬なので依頼を告げる伝話鳥も少なく、流れる空気は緩やかだ。

 ちなみに水鱗族サーペンティンの先祖返りというナビは、寒さに弱く、自宅の結界内で繭を作って冬眠している。あと二ヵ月は起きないらしい。


 ギルドでの私の仕事は主に受付の手伝いで、第2カウンターにいるヒースの補助だ。最初は第1カウンターのキアラの補助に入る予定だったが、どうも客からの受けが悪く、早々に離脱した。

 私としてはできるだけ愛想よく振舞っているつもりなのだが、貴族っぽさが抜けないのか、相手を微妙に緊張させてしまうのだ。


「あんま気にすんなよ。冒険者って、わりと狭い世界だからさ。余所者に厳しいんだ」


 第2カウンターの後ろの棚にずらりと並んだ魔法薬ポーションをチェックしながら、そうヒースが慰めてくれる。

 四つも年下なのだが、職員見習いからはじめて五年以上も鑑定士の手伝いをしている彼は、非常に頼れる先輩だ。読み書きはもちろん、敬語もきちんと切り替えて大人たちに応対する姿は、実は私より年上ではないかと疑うほどだ。


「俺も最初は、ガキがなんでこんなとこにいるんだって、クソミソに言われたぜ」

「くそみそ……」

「はは。口が悪いのも、そのうち慣れるさ。それに、どんな汚い言葉を投げつけられても、自分の芯さえちゃんと持っていれば、全部頭の上を通り過ぎてくだけ――って、エマ姉が言ってた」


 稼ぎ手の父と兄を亡くした彼をギルドで雇ったきっかけは、エマだという。

 さらに彼女は、私のメイドとして学院に赴くことが決まったとき、まだ見習いだった少年に、自分の分身を作る勢いで徹底的に業務を叩き込んだらしい。

 なのでヒースは、姉というより師匠のように、エマを慕っている。時折、尊敬の念に若干の畏怖が混ざるのはご愛嬌だ。


 そばかすの散った幼さの残る顔をくしゃっと崩して、ヒースが笑う。


「ま、俺も最初ジェドを見たときは、貴族のおぼっちゃんが冷やかしに来たのかと思ったから、あんま偉そうなことは言えないんだけどな」

「貴族のおぼっちゃんというのは合ってる」

「まんまだもんな」


 ずけずけと言われるが、悪意がないので腹は立たない。

 話が聞こえたのか、ちょうど受付で記録珠オーブ認識票タグを当てていたグリフィンが、くくっと喉の奥で笑った。


「あんまおしゃべりしてると、手元が疎かになるぞ? おぼっちゃん」

「……気を付けます」


 まさに手の中から小瓶を滑り落としかけていた私は、慌ててそれを握りしめ、平静を装う。

 グリフィンは気にする様子もなく、「特級魔法薬ポーション割るなよ」と笑って待合に去っていった。ちょっとむっとしたが、ヒースが声もなく笑っているのを見て、私も口元を緩める。


「今度グリフに回復薬渡すときは、中身を下剤に入れ替えようかな」

「バレるって」

「聞こえてんぞー」


 即座に待合から声が飛び、今度こそヒースと顔を見合わせて笑った。


 冒険者は粗野な人種という先入観があったが、このギルドに出入りする者――特に専属たちは、下手に選民意識を振りかざす下位貴族より、よほど常識的で付き合いやすい人たちだ。男女とも言葉が荒く、スラングや下ネタが飛び出すのには面食らうが、絶対に踏み越えてはいけない一線は心得ているし、なにより懐が深いのだ。

 もちろん例外もあるが、[蒼虎]の名は冒険者の間で知れ渡っているらしく、幸運なことにギルド内でそれほど理不尽な目に遭ったことはまだない。


 ギルド長の娘で職歴十年を超える(うち三年は私のメイドだが)エマは、そんな冒険者たちから〝お嬢〟と呼ばれ、信頼されている。

 本人は『小さい頃から知っているだけ』と謙遜するが、彼女の頭には専属だけでなくほとんどの冒険者のデータが入っていて、記録珠オーブで確認するまでもなく、前回の依頼の感想や今の調子を尋ねながら、受付と同時に最適な依頼を提示するのだ。

 しかも並行して飛んで来る伝話鳥をさばき、第2カウンターで出す魔法薬ポーションをチェックし、専属に指示を出す。その縦横無尽で素早い対応は、通常のギルドを知らない私の目にも、ずば抜けて見えた。


 私がギルドへ来たばかりの頃は、エマの復帰を聞きつけた冒険者たちがどっと訪れて、とても大変だった。そのうえ、


『お嬢、出戻ったって?!』

『誰が出戻りだっ! つか、嫁に行ってないし!』


 というやりとりが、必ず付いてくるのだ。時には豆粒大の[空気弾エア・バレット]――もちろん相手の額に百発百中する――付きで。

 彼女は二級魔術師の資格しかないと聞いたが、攻撃して良いのだろうか。というか、一級魔術師の私より発動が早くて正確なのだが、どういうことだろう。


 ヒースに『私も鍛えたら、あれくらいできるようになるかな?』と尋ねたら、『ジェド。いきなり[竜のたてがみ]目指すより、まずは近くの丘を登れるようになれよ』と冷静に諭された。

 ヒースは絶対、年齢を偽ってると思う。


「お。まだ頑張ってんな、新入り」

「おはようございます、カルさん」


 目の覚めるようなスカイブルーの髪をバンダナで止めた二十代半ばの冒険者が、濃い赤髪のもう一人を背後に連れてやって来る。専属ではないが、ここ数年常連という中堅コンビだ。

 [天青あお]のカエルレウムと[真緋あか]のヴェルメリオ。ランクは共にBクラスで、カルは剣、ヴェルは弓の遣い手だ。

 寒い寒いと零しながら受付を済ませる二人に、ウォルターが声をかけた。


「なんだ、おまえら。まだ居んのか?」

「居ちゃ悪いかよ」

「や、パーティー解散したから、もう南に下りたかと思ってさ。早くしねえと、雪で道埋まんぞ?」

「七層まで行って、あともうちょいで迷宮攻略なんだよ。誰かつきあってくれる奴いねぇ?」


 [迷宮の森]は、滞留魔力の豊潤さと敷地面積の大きさで魔物の宝庫とも称されるが、なにより特筆すべきなのが、呼び名の通り地中に広がる地下迷宮ダンジョンだ。

 地下迷宮ダンジョンは、単なる地下洞窟などではない。

 大地の奥深くには、〝地脈〟と呼ばれる未知の魔力の流れが存在することが知られているが、その地脈が何らかの理由で停滞し魔力が濃縮することで空間が歪み、〝亜空間〟と呼ぶべきものが創り出されるのだ。

 それはさらに周辺の魔石を内包するなどして、魔物を産み出したり、古代遺跡への転移扉ポータルを備えたりして、蟻の巣のように小部屋がいくつも連なった複雑な構造へと進化する。それが地下迷宮ダンジョンだ。


 そこで遭遇した魔物を殺すと、通常残るはずの死体がなく、ときに核となった魔石だけがドロップされる。深部へ行くほど遭遇対象の危険度が増し、最下層まで行き着くと〝攻略〟となるのだ。


 迷宮を攻略することで宝が得られるわけではないが、六割程度が転移扉ポータルをもつため、めずらしい古代遺物アーティファクトの獲得が期待される。

 また、通常の討伐に比べ魔物の遭遇率が高く、短時間でのスキルアップに最適とされ、訓練代わりに潜る冒険者も多い。地下迷宮ダンジョンの多くは〝閉じて〟いるため、一度地上に戻って再進入すると、倒したはずの魔物とほぼ同じく遭遇するのだ。

 これは地下迷宮ダンジョンの謎のひとつで、倒した魔物の数とドロップされた魔石の数が一致しないことや、繰り返し進入すると魔物の数が減ることから、迷宮を生んだ滞留魔力の濃度との関連が指摘されている。

 中には、最下層を攻略した時点で消滅する迷宮もあるという。


 さらに地下迷宮ダンジョンは、攻略せずに放置すると徐々に魔力濃度が高まり地上の魔物を引き寄せ、ついには近隣の村や町を呑み込む魔窟と化して、魔物大災禍モンスター・ディザスターを引き起こすことが知られる。そのため出現した迷宮は、国の安全保障政策としても早急な攻略が求められた。

 現在、国内で確認された地下迷宮ダンジョンは二百余り。約三分の一が消滅し、現存するうちの半数弱が、このアルバの[迷宮の森]地下に存在する。

 まさに〝地下迷宮ダンジョンの森〟なのだ。


 ゆえに、その直近に拠点を置くギルド[蒼虎]は、迷宮の管理という重要な役割をも担い、新規の地下迷宮ダンジョンが出現すると真っ先に専属冒険者が攻略を果たして、規模、出現する魔物の種類や数、転移扉ポータルの有無などを領主を通じ国に報告する義務があった。

 ギルドの事務所には、[迷宮の森]に出現した地下迷宮ダンジョンの全配置図とその全容が保管されている。迷宮は出現した順に番号を振られ、攻略の難易度によってクラス分けされて、問題なしとされたものが他の冒険者にも公開されていた。

 私も、アルバに来たからには一度迷宮を攻略してみたいが、まだ魔力制御ができないため、入口にすら連れて行ってもらえていない。


「おまえら今、どこ潜ってるんだっけ?」

「102迷宮」

「あー、ゴブリン尽くしか」


 ウォルターがしたり顔で頷く。

 小鬼ゴブリンは地属性の下級魔物だ。大きさは人間の半分ほどの小人系で、知能が低く凶暴。尖った長い耳と粗い毛のある緑の肌、四肢には鉤爪を持つ。集団で行動し、簡易の武器を使うため、下級だと思って侮ると、わりと痛い目を見るのだ。


「なんだよ、あのエンドレス小鬼ゴブリン。おかしいだろ?!」

「なんかデカいのも出てきたし」

「ホブゴブリンな。七層なら、まだ出るぞ」

「まじかよ?!」

「ヒントやろうか?」


 にやりと意地悪く笑って告げられた一言に、青と赤のコンビがぐっと詰まる。攻略は、ギルドのアドバイスを得て達成すると、加点ポイントが下がるのだ。


「い、いやいい! 最下層は八層だから、なんとか頑張る!」

「おまえら、それでボロボロになったら、レベル上げどころじゃなくなるぞ?」

「いいから、パーティーメンバー組んでくれよ」

「――もう組みました。治癒師ヒーラー役のメイファと前衛ガード役のウィレワール。斥候スカウト戦況攪乱クラウドコントロール役でハシュトポルです」


 そう告げたエマの右腕に、三羽の伝話鳥が降り立ち、口々に了解の声を響かせる。


「専属ばかりで申し訳ありませんが、Cクラスのメイ以外は全員Bクラスですから、レベル上げの妨げになることはないと思います」

[竜巻姫レディ・トルネード]かー。ワールもいるなら心強いな」

「ハシュ、帰ってきてるのか?」

「報告ついでに迷宮で憂さ晴らししたいと言っていたので、ちょうど良いかと」


 ギルドのドアベルが鳴り、オリーブ色の髪をざっくり結んだ目つきの悪い中背の青年と、鮮紅色の長髪をなびかせた東国風の若い女性がやってくる。青年が戦槌ウォーハンマー遣いのウィレワール、女性が魔術師のメイファだ。

 いつの間にか受付に立っている、黒づくめの痩せた青年がハシュトポル。闇属性持ちの暗器遣いで、情報収集を主に行なっている。

 専属冒険者たちは、慣れた様子でカルとヴェルに挨拶すると、ウォルターに状況を確認して、各々の役回りを打ち合わせはじめた。

 パーティーリーダーとなるカエルレウムが、第2カウンターで体力回復系を中心に魔法薬ポーションを購入する。

 ヒースが精算をする間に、私は貸出用の信号銃を確認し、番号をノートに控えると、弾薬入りのベルト、ホルスターと一緒にカウンターに並べた。


「こちらが迷宮探索時の緊急信号用魔道具となります。ギルドを出てから帰還するまで、パーティー内のどなたかお一人、必ず携帯をお願いいたします。使い方はご存知ですね?」

「ああ」


 私は信号銃をとると、ロックを外して銃身を倒し、底の刻印のない白い弾をひとつ込めて銃身を戻した。カチリと音がして安全装置がかかる。


「白光弾を装填しましたので、迷宮に入る前に必ず試射をお願いします。弾は確実に装填し、必ず銃口を上空に向けて引き金を引いてください。発射に失敗しても暴発はしませんが、弾薬に仕込まれた魔法陣が発動せず、地上まで魔力光が届きませんのでご注意ください。

 信号は、緑が怪我などの救助要請、黄が危険の通報、赤が魔物などからの救援要請となります。弾薬底部の刻印と色で光の色が分かれますので、事前にご確認ください。

 間違えたときは、続けて同じ色をもうひとつ発射ください。弾数は各色三つずつとなっており、使用による減点や料金の発生はありません。帰還後は、当カウンターまで一式のご返却をお願いいたします。

 なにか質問はございますか?」

「ねえよ。口上もだいぶ様になってきたな、ジェドぼっちゃん」


 初めて私の名を呼び、青の冒険者が、口の端を吊り上げて魔道具一式を受け取る。ようやく〝新入り〟から格上げされたらしい。

 微かに笑って、私は頭を下げた。


「ありがとうございます。では――行ってらっしゃいませ」


 

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