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14.へたれ仔犬の心身改造計画(7)

  

 ……罰を受けるべき人間が、こんなに恵まれて本当にいいのか。


 澱のようなこの想いは、だが、今私を受け入れようとしてくれる人たちに向けるべきものではない。

 一瞬にして去来したいくつもの感情を呑み込むように、緩んだ唇を引き締める。


 それを知ってか知らずか、「ほら、リベンジしてみるか?」と、カイルが酒瓶を差し出してきた。礼を言って、グラスに少しだけ赤ワインを注いでもらう。

 ふわり、と爽やかな果実の香りが鼻腔をくすぐる。恐る恐る口に含めば、軽い渋味が舌を刺激し、豊かな味わいと共に酒精が喉を滑り降りていく。

 なんとなく今日のメニューでは、ミートボールのシチューに合いそうだ。


「どうだ?」

「……うん、美味しい」

「それは良かった。一個クリアだな」


 カイルの台詞にウォルターが噛みつく。


「クリアって、薬の探査はどうなんだよ?」

「それはキリの魔術を習ってからだろ? どうやら魔力制御ができてないみたいだし」

「分かるのか?」

「ん? まあ、そうだな」


 私の問いに、カイルが言葉を探しながら説明した。


「その首の魔道具で多少ごまかされてるけど、今のジェドは上質な魔力の塊が服着て歩いてるって感じだぞ? たぶん今までは皇都の結界内にいたのと、魔力量が多い人たちに囲まれていたから、それほど目立たなかったんだろうけどな。

 こっちに着いて早々、魔物に攫われかけたのもそのせいだろ?」

「うぐ……っ」


 唐突に振られた話題に、口からワインを吹き零しそうになる。

 まさか、数時間前に起きた出来事を知られているとは思わなかった。


 実は今朝、転移陣で着いたアルバの城からギルドのある下町に移動する途中、街の様子が見たいと、エマと馬車を降りたのだ。

 魔境と称されるアルバの危険性は聞かされていたものの、街の結界も首輪に掛けられた防御魔術もあるので問題ないと高を括っていたのが拙かった。

 馬車からでは見過ごしてしまう庶民の暮らしぶりが物珍しく、私がきょろきょろしていると。突如、肩に違和感を覚え、次の瞬間には足元からぐんぐん地面が遠ざかっていったのだ。


『うわああああっ!』

『ジェド!』


 私を攫ったのは、ハーピーだった。女性に似た上半身と猛禽の下半身と翼をもつ鳥形の魔物は、どうやら子育ての真っ最中らしく、餌として狙われたらしい。

 すぐさまエマが鞭で追い払ってくれ、事無きを得たのだが。


『な、なぜ魔物が街の中に』

『この辺りは魔力濃度が高いので、魔力レベルではなく、人への害意の有無で防御機能が働くんです。低級の魔物は普通、魔力のおこぼれを狙うくらいで、人に危害を加えることはありませんから』


 その状況で自分が餌認定されたこともショックだったが、それよりも、エマに鞭で叩き落とされたハーピーが、騒ぎを聞いて集まってきた街の子どもたちに石礫を浴びて飛び去っていく様子に心が砕けた。


 まだ乾かない生傷を抉られた気分でテーブルに突っ伏すと、悪びれない笑い声が周囲で湧いた。

 笑いに眉尻を下げたカイルから、慰めの声がかかる。


「ハーピーって、普段は人を襲ったりしないんだけどな。よっぽどジェドが魅力的だったんだな?」

「う、嬉しくない」

「魔力制御できてないんだから、用心しろってことだ」

「けど、ジェドの魔道具発動しなかったんだな?」

「うん、それはわたしも油断してた。考えてみたら、ハーピーって子育てに生き餌使うんだよね。だから傷つけないように、そっと攫う気だったんじゃないかと」

「後で食う気はあっても害意はないってか。盲点だな」

「それと、魔力量が多いから低級な魔物は警戒して近寄らないだろうと踏んでたんだけど、子育て中の母親の本気を舐めてた。ジェドってば、よっぽど美味しそうなんだよ。ナビが、いい匂いって言ってたし」

「魔物ホイホイになりそうだな。迷宮に連れてくか」

「本気で喰われるからやめて」


 〝ホイホイ〟ってなんだろうと思ったが、ろくな回答が返って来ない気がしたので、訊くのはやめておいた。代わりに重要なことを尋ねる。


「魔力制御って、どうやるものなんだ? これまで私が習った魔力の扱い方とは違うんだろう?」

「ええ。魔力を出力調整するという大まかな意味では同じですけど、私たちの言う魔力制御は、根本的にアプローチの仕方が違います」

「さっき、キリ婆が完全におまえの魔力を閉じてたろ? あのレベルまで持っていくのが、俺たちの言う魔力制御」

「貴族は、魔力量で相手のレベルを推し量る習慣がありますから、本来は閉じる必要がありませんし、完全に閉じられる人は希少なんですけどね。アルバに来たからには、ジェドには習得してもらいます。体も楽になるでしょうし」

「制御できると、魔力の使い方が変わるぞ? ほら」


 カイルが手を伸ばし、私のグラスに軽く指先を触れる。一瞬、糸のように細い魔力がワインとグラスを駆け巡ったかと思うと、すぐに消えた。


「探査完了。な?」


 魔法陣が浮かぶどころではない魔力の使い方に、私はしばし凍りつく。

 ウォルターが、ぱたぱたと目の前で手を振った。


「おーい、ジェド?」

「……えっと。今のは……」

「魔力探査。魔力は自分の一部なんだから、毒の有無なんて自分の魔力伸ばして引っかかる分だけ振り払えば充分だろ?」


 カイルは事も無げに言うが、これまで習った魔術とのあまりの違いに思考が追い付かない。分かるのは、術として展開する[走査スキャン]とは、まったく別物ということだ。

 エマやキアラに目を遣れば、驚いた様子はないので、これが通常なのだろう。


「すごい、です」

「はは、すごいわけじゃない。俺たちみたいに魔力量が少ないと、節約のためにどうしても小手先の技が上達するんだ。ちなみに、もっとこっそりやろうと思ったら、グラスを持った時に下のほうだけ探査する。不純物はだいたい底に沈澱するからな」

「グラスに仕込まれてる場合もあるので、本当は全体を視たほうがいいんですけどね」


 そう言って、エマも自分のグラスにふわりと魔力を走らせて見せる。魔力の光の煌めきすら、瞬きのうちに見逃してしまうほどの微かさだ。

 なるほど、これができるのであれば、ウォルターの魔術展開の速さも頷ける。


「皆、できるものなのか?」

「ギルドの者は大体。私は[鑑定]があるので、ほとんどしませんけど」

「ずるいよなー、鑑定」

「ウォル、いつも探査してないじゃん」

「余所に行ったときはしてるぞ? あとは何かあったら、根性で消化するし」

「ウォルの胃腸の強さは魔力制御と関係ないだろ。ジェド、見習うなよ?」

「う、うん」


 どうもウォルターが口を挟むと、微妙に本題がずれるようだ。私は、にこにこしながら会話を見守っているキアラに話を向けた。


「キアラ……さん、も、できるのか?」

「呼び捨てでいいよ。わたしはあんまり魔力がないから、魔力探査するとすぐに疲れちゃって、魔道具に頼りっぱなしなの」


 ふんわりした見た目そのままのかわいらしい声で答え、キアラが恥ずかしそうに左手を見せた。薬指に、淡褐色の魔石をあしらった指輪を嵌めている。細密に刻まれた守護の魔法陣からは、カイルの魔力が感じられた。

 金色のリング部分も魔法鋼のようだから、左手で触れた中に害をなすものがあると、反応する仕組みなのだろう。


 ……それ以上に〝虫除け〟って意味が強いんだろうな。


 まったく隠蔽されていないキアラの指輪の魔法陣と、カイルの左手に輝く揃いの指輪を交互に眺め、私は温厚に見える年長者の意外な一面を知った気分になった。


「……うん。ご馳走さまって言っておこうかな」

「うう、やっぱりそう思うよね……。わたし、うっかり屋だから、心配されてこうなっちゃっただけなんだけどね」

「キア姉、カイ兄を選んだ時点で避けられない事態だから、そこは諦めて」

「おい」

「結婚して六年も経つのに、なに今さら恥ずかしがってんだよ、キア姉」

「何年経っても慣れないんだもん」


 ゆるく結い上げたうなじから耳の先まで赤くして、キアラは手のひらではたはたと自分を扇いだ。

 貴族では、婚姻の証としてピアスを贈るのが一般的なので、平民との違いを感じる。だが母の装いを思い起こせば、装飾品は九割がた父の魔力を纏っていたので、夫婦ならばそういうものかとも思う。


「夫婦仲が良い証なのだから、恥ずかしいことではないだろう。独り身からすると見せつけられた気がするけど、うちの両親も似たようなものだし」

「ごふっ」


 フォローのつもりで言えば、なぜかカイルが噎せた。

 エマとウォルターが爆笑する。


「あー。ヴィートさんと同じレベルか……」

「やべえな」

「カイ兄、自重したほうがいいかも」

「だな。ちょっと反省した」

「……なにか問題が?」

「いえ。嫁大好きっていう二人の共通項をあらためて認識しただけです」


 私の疑問に、エマが笑いを含んだ顔で答えた。なるほど、と私は頷く。

 両親は、子どもの私からすると万年恋人同士のようだが、赤の他人から見てもかなり仲睦まじく映るらしい。実際そうなのだが。


「あのレベルは、なろうと思ってもなかなか難しい気もするが」

「おまえが言うか」

「私を叱るのはだいたい父なんだが、そこで母が私の味方に入ると、なぜか父が拗ねるっていう謎の状況が生まれるんだ。叱られた内容がうやむやになるのはいいんだけど、最終的には二人の世界に入ってしまうので、置いてきぼり感が酷い」

「……うん、ものすごく想像がついた」

「俺も、子どもができたら気を付けるようにしよう」

「是非そうして欲しい」


 わりと真面目に言ったのに、どうもエマのツボに入ったらしく、グラスを握りしめたまま笑い沈んでいる。


「エマ、笑いすぎだ」

「ごめ……突っ込みどころが多すぎて……」

「けど、ジェドもかわいがられてるだろ? 首輪も監視魔術付きだし」

「監視魔術については、諦めている。家族全員を把握しないと気が済まないみたいだから」

「それはなんというか、ご愁傷様だな」

「うん。成人して親元を離れたらなくなるものと思っていたが、エマの話を聞く限り、学院でも手を変え品を変え監視していたようだし、口を出されるわけではないから、もう放っておこうかと」


 魔術を使えるようになって間もなく、ひそかに張り巡らされた監視魔術に気づき、一時は父に信頼されていないのかと悩んだこともあった。が、学院卒業後ここへ来るまでに父と何度か対話を重ね、ただ単に心配性なだけだと思い知ったのだ。

 首輪に見えるチョーカー型の魔道具に仕込まれた監視魔術に関しては、四六時中見張られているようで嫌な気もしたが、これまでも側近の目が絶えずあったことだし、今回は直接父に状況が伝わるので変に曲解される心配がなくて良いと、開き直ることにした。

 さすがに、幼い弟妹たちの身の回り品に監視魔術が仕込まれていることに気がついたときは、若干引いたが。


「魔力が潤沢すぎるのも良し悪しだな、と思う」

「や、単に家族が好きすぎなだけじゃね?」

「うーん。家族が好きなのか、ただの我が儘なのか判断に迷う」

「……ま、迷うんだ……くくく」

「エマ、笑いすぎだと言うのに」


 たしなめるが、いろんな事情を知りすぎている三つ年上の女性は、息を引きつらせながら椅子に丸まるようにして笑い転げている。こんなに笑い上戸だとは知らなかった。

 他の三人は、むしろ笑っているエマを見て笑っている感じだ。

 その笑みをふっとおさめ、カイルがためらいがちに問いかけてきた。


「ジェド。プライベートなことを聞くようだけど……ご当主様の過去について、どれくらい知ってる?」

「過去?」

「ああ。子どもの頃のこととか」


 唐突な問いに、私は少し黙って考えた。

 父は、過去をほとんど話さない。爵位を継ぐときに起きたいざこざや戦場で武勲を立てた自慢話も、人づてに聞くほどだ。

 特に祖父――先々代アルバ公爵に関しては触れてはならぬものと、幼い頃から父や側近たちの態度で感じとっていた。


「母上……私にとって祖母にあたる方を早くに亡くし、父上とは疎遠で、おじい様に養育されたこと。後は、成人と同時にアルバの城に移り住み、学院卒業後も爵位を正式に継ぐまでアルバを拠点にしていた……というくらいかな」

「うん。まあ、それくらいが妥当か」


 曖昧に頷くカイルに、エマが難しい顔をする。


「カイ兄、今その話が必要?」

「ジェドがこれからアルバで過ごす以上、早めに話しておいたほうがいいと思う。変なところから耳に入るより、俺たちの口からのほうが情報も正確だしな」

「確かに、ギルドにいるとヴィートさんの話題はどうしても出るからな」


 ウォルターの後押しを受け、エマが黙り込む。不穏な空気に戸惑うが、私にはどうしようもなく、次の言葉を待った。

 ふいに、とす、と音がして、左隣の空き椅子にコジローさんが飛び乗った。前足を伸ばし、おもむろに私の膝上に移る。思いのほか小さな足の裏で、ふみふみと私の両太腿を一周すると、紺色の縞猫はようやく満足げに座り込んだ。

 食事中だが体を撫でてやれば、ゴロゴロとご機嫌な音が響く。

 エマが口を開いた。


「ジェドは、ご当主様の昔の噂を聞いたことがありますか?」

「噂はあったが、あまり気にしないようにしていた。荒唐無稽なものも多かったし、誹謗中傷に耳を傾ける暇があるなら、目の前の相手と真摯に対話しろと母に教えられていたから」

「正しい教えだな」

「さすがだな」


 私の答えに、カイルとウォルターが口々に賛同する。


「分かりました。これから言うことは、私たちもほとんど又聞きなので、まったくの真実とは言えませんが、ある程度の裏付けは取っていると承知したうえで聞いてください」

「わかった」


 わりと物事をはっきりと言う彼女にしては、やけに慎重に念を押してくる。

 エマは、前の席の兄二人と眼差しを交わすと、息をひとつ吐いて話しはじめた。


「ご当主様は、ほぼ完全な先祖返りです。その強大すぎる魔力のせいで、母君は出産時に御命を落とされました。父君にあたる先々代との軋轢は、ここから始まったと推察されます。さらに、あの方を養育できる者が見当たらないという理由で、ご当主様は産まれて間もなく皇都邸宅地下の封術牢――精密結界を施した牢に入れられました」

「な……」


 驚愕のあまり言葉を失う私から、そっと目を背け、エマが淡々と続ける。


「かつて貴族の間では、魔力を暴走させた者は家の恥ということで、魔術塔には送らず、各家の地下や離れに設けた封術牢に幽閉するのが一般的だったようです。今は法律で禁じられていますし、お屋敷の地下牢も埋められましたけど」

「……」

「ご当主様の場合は、幽閉というより、封印と言ったほうがふさわしい状況だったようです。普通でしたら数日で死んでもおかしくないはずですが、幸か不幸か、ご当主様の膨大な魔力が命を繋ぎました。どれほど経った後かは知りませんが、赤ん坊が生きていることに気づいた先々代が、ようやく魔力耐性のある使用人に世話をさせることを許したそうです。もちろん食事もすべて結界越しで、牢からは出られませんが」


 私は、相槌を打つこともできずに、唇の内側を噛み締めた。

 貴族でも成人未満の子の生殺与奪は、すべて親の手の内にある。戦時中は口減らしのため、魔力量の少ない子は、産まれるとすぐに殺されたとも聞く。

 それでも、父が受けた仕打ちは世話などではない。緩やかな殺人行為だ。


「様子がおかしいと先代様――先々々代の弟君にあたる現マキシマ男爵が、なかば押し入る形でお屋敷を訪れ、その惨状が明るみになったのが、ご当主様が八歳の頃。父親の手元から引き離すことに成功したのが、十二の成人のときだったと聞いています」

「まあ、その頃には、地下牢の結界なんて余裕で壊せてたらしいけどな。あの方の魔術は、生き延びるためと、自分の魔力を押し潰そうとする結界に対抗するために独自に編み出されたものだ。ものすごい努力だよ」

「魔術に関してはまだ自己流でなんとかなったのですが、問題はその他です。父親の元からすぐに離せなかったのも、会話すら困難だったことが原因とお聞きしました。言葉、文字、生活習慣のすべてが欠けた状態だったそうです」

「先代様が死に物狂いで教え込んだらしい。それでも、ここへ来たときはまだ獣のようだったと、じいちゃんが言ってた」


 衝撃的な内容を補足するカイルの言葉に、引っ掛かるものがあった。


「ここへ……?」

「そ。ヴィートさんは、ここで他の冒険者と一緒に、じいちゃんに怒鳴られ小突かれながら、読み書きと一般常識を勉強したってさ。だから、平民の常識と貴族の常識がごっちゃになってるんだ」

「学院に行って、やっと貴族としての取り繕い方を学んだとおっしゃられていました。基本的に、頭も要領もいい方ですので」

「そういった意味で、あの方は完全な〝貴族〟ではないんだ。貴族の子として育てられたわけでもなく、まして嫡男としての教育は全く受けていないからな。だからジェドには〝貴族として〟最高の教育を受けさせることにこだわったんだと思う」

「今は爵位を取り上げられましたが、プリスタイン伯は、ご当主様の代わりに白華公家の嫡子候補として教育を受けた方です。そんな相手にご自分の息子を預けるというのもどうかと思いますが、良かれ悪しかれ骨の髄まで上位貴族の気質に染まった方でしたので、適任と判断されたのでしょう」


 血統を残すという慣習に従い、祖父は一族のプリスタイン伯爵家の長女を妻に娶った。その妻の末弟であるステファン大叔父が、戦争などで相次いで兄を亡くし、爵位を継ぐことになった経緯は聞いていたが、まさかアルバ華公爵の跡取り候補と目されていたとは。

 大叔父は、つい先頃、現皇帝の失脚と白華公の爵位奪取を試みて失敗し、父に断罪を下されたばかりだ。

 謀反としか呼びようのないその行動は、私には唐突なことに思えたが、実は根深い確執があったのかもしれない。

 父の幼少期といい、貴族とは、闇を抱えずにはいられない存在なのだろうか。


 冷たくなる指先を、膝上のやわらかな温もりで、なんとか紛らわす。小さく低く、断続的に響く猫の喉を鳴らす音が、張り詰めた静寂を埋めていく。

 黙り込んだ私を気遣うように、声の調子を落としたカイルが語りかけた。


「こんな形で話してごめんな? だけど、ご当主様は当時ほぼギルドの居候状態だったらしくて、この界隈では過去にまつわるいろんな話が公然の秘密なんだ」

「……大丈夫だ。気を遣ってくれてありがとう」


 口元だけで笑って見せれば、エマもウォルターも微妙な表情を返した。


「本当は、ご当主様の口から直接聞くのが一番いいんでしょうけど……」

「迂闊に触れられないって感じだからな。俺たちも、まともに直接は訊いたことがない」

「そうか」

「詳しい話が聞きたければ、うちの親父かキリか……フィオに訊くといい」

「あいつはヴィートさんびいきだから、話を盛りがちだけどな」

「フィオって……あの、Sクラス冒険者のか?」

「フィオーリは、この街生まれの平民ですが、来たばかりのご当主様に助けられて以降、なついて付き纏ってるんです」

「若そうに見えたが?」

「あれでも三十半ば過ぎてんぞ?」

「え……!」


 てっきりカイルと同じくらいかと思っていたが、それより十近く年上らしい。母と同世代だ。


「うちのじいちゃんが生きていれば、いろんな話が聞けたんだけどな。わりと早くに亡くなったからな」

「おじい様ならご存知だろうか?」


 私にとって曽祖父の弟にあたるマキシマ男爵ヴィヴィアン・ヴァレリウスは、八十を超えても矍鑠かくしゃくとした偉丈夫で、祖父の急死後、父が爵位を継ぐまでの間、繋ぎの公爵を務めた人物でもある。


「先代様は、貴族としてご当主様の後ろ盾になることに執心されていたからなあ。アルバでの様子をあまりご存知とは思えないけど、尋ねてみるのもいいかもしれないな。俺たちの知らない、いろんな裏話をしてくださりそうだ。城にお戻りになってるんだろう?」

「ああ。大叔父上の代わりに、代官を務めてくださるそうだ」

「パワフルだな」

「年寄りをこき使うとは何事だ、と父に文句を言っていたらしい」

「そんな台詞が出るのが、お元気な証拠だ」


 父と繋がりの深いこのギルドでは、どうやら先代領主であるヴィヴィアンのこともよく知られているようだ。敬語とくだけた話し方が混ざり、良い関係が築かれているのが窺える。

 カイルが、ワインの残るグラスを揺らし、独り言のように洩らした。


「……ま、そんなわけだから、俺は、ご当主様がおまえや奥方様に執着するのも仕方ない気がするんだ。たぶん、ご当主様が一番欲しがっていたのが――〝家族〟だから」


 その言葉に、ふと幼い頃の父との会話を思い出す。

 あれは、そう――父に『わたしにおじいさまはいないのですか?』と尋ねたときのことだ。


『いない、な。私の家族は先代ヴィヴだけだ』


 答えた父の瞳の昏さを、私は単純に〝いない〟ことへの哀しみだと捉えていた。

 そこには本当は、どんな感情が籠められていたのだろう。


『ちちうえは、さみしくないのですか?』

『寂しくなどないさ。それに――』


 何かを言いかけ、父は止めた。その代わり、少しだけその瞳に温かさを取り戻して、小さく微笑んで私の頭を撫でたのだ。


『今は、おまえたちがいるからな。……ジェド。おじいさまが欲しいなら、先代ヴィヴを〝おじいさま〟と呼んでやれ。きっと喜ぶ』


 ……私はちゃんと、父の望む〝家族〟になれていただろうか。


 上位貴族の至上〝四華公爵家フォー・ローゼズ〟の一人として、また国政を司る宰相として、一分の隙もなく振る舞う父が、獣のように言葉を発せなかった姿など想像もつかない。

 一体、どれほどの努力をして、そこから這い上がったのだろう。


 ……それに引き換え、私はなんて甘えた子どもなんだ。


 どんなに与えられていたかも気付かず、庇護を束縛と感じて、思うままにならない体に苛立ち、失望し、勝手に孤独に浸って――腹立たしいほど滑稽だ。

 思えば、私はすべて誰かのせいにしてきたのではないだろうか。学院での失態も、皇太子のルーファスの言うことに従い、あの少女の言動に流され、距離を置いた婚約者たちに自分から歩み寄ることもしなかった。

 その失態の償いすら、父にお膳立てしてもらって。


 ……この一年が上手くいかなければ、私はまた、父やギルドの皆のせいにして済ませるのか。


 それだけは、絶対に厭だ。

 父ほどではなくとも、私が、自分自身でこの先にあるものを掴み取りたい。


 想いに沈んでいると、膝の上のコジローさんが「なおん」と一鳴きして、私の手にくいっと頭を擦りつけてきた。


「気を遣ってくれてるのか? ありがとう」


 要求されるままに耳の間を撫で、顎をくすぐれば、誘われるように笑みが零れた。同時に、ふっと周囲の空気がほぐれたことに気づき、慌てて顔を上げる。


「すまない、なんだか私のせいで――」

「ジェドのせいっていうより、強引に話を振ったカイ兄のせいですけどね」

「さっきまで寝込んでた相手に、ちょっと酷いよなあ」

「調子に乗っちゃったのねー」


 エマ、ウォルターの弟妹に加え、妻のキアラからも言われ、気まずげにカイルが肩をすくめる。


「俺も詰め込みすぎたとは思ってるって。でも、必要だろ?」

「カイ兄、反省が足りない」

「反省してくださーい」

「……すいませんでした」


 グラスを置き、両手を膝について、カイルが深々と頭を下げる。周りは皆くすくす笑っていて、私も顔をほころばせ「気にしていない」と告げた。


「それより、父の冒険者の話を聞かせて欲しい」

「いいぞ。ネタがありすぎて、どれから話すかって感じだけどな」

「どうせまた遊びに来んだから、本人に直接聞けばいいんじゃね? 酒も飲める年になったんだし、お屋敷にいるより話しやすいだろ」

「時間はまだありますしね」

「そんなこと言ってると、一年なんてあっという間だぞ?」

「プレッシャーかけない!」


 シラー家の兄妹たちは本当によく喋る。あっちこっちへ転がる話を戻し、突っ込み、蹴飛ばしながら、テンポよく会話していく。

 話すうちに少し小腹が空いてきて、私はミートパイを一切れ皿に取った。ゴロゴロいいながら首を伸ばすコジローさんにミンチの欠片をあげ、私も一口食べる。

 すっかり冷めてしまっているが、味が濃くて、これもワインによく合った。


「おじい様もよくここへ来るのか?」

「いや、それはさすがに目立ちすぎるから遠慮していただいてる」

「奥方様なら、年に一度はいらっしゃいますけど」

「母上が?!」


 驚きに声をひっくり返せば、当然の顔で四人が頷く。


「城の転移陣、奥方様のためだって聞いたぞ」

「父上の趣味ではなかったのか?」

「半分はな。でも自分一人だけだったら、契約竜に乗って来るだろ。ヴィートさん、自由人だからな」


 酒を含みつつ、ウォルターが教える。

 転移陣は通常、荷物や郵便の授受のために使用されるが、皇都の屋敷とアルバの城を繋ぐ転移陣は、人の転移も行える精密な術式が組み込まれた、他に類を見ない代物なのだ。

 一応魔術塔へは話を通してあるようだが、犬猿の仲のため詳細は公表していないらしい。当然、華公爵家の側近や使用人でも知るものは限定されている。


「昔一度、奥方様を竜に乗せて連れて来たら、すっげー怒られたらしくてな」

「スピード出しすぎなんだよ。あのときは新婚なのにもう離婚かと、親父が慌ててた」

「速度だけの問題じゃないの。ご当主様は運転が乱暴なんだってば!」

「バルさんのせいじゃなく?」


 〝バルさん〟は父の契約竜の名前、だと思う。父が呼んでいた名は〝バルク〟だったはずだ。


「バルさんは悪くない。ご当主様の運転が容赦なさすぎるの。馬車なら最短で五日かかる距離を半日で強行とか、すっごかったんだよもうっ!」

「あれはエマが、馬車に乗るのが嫌だって言ったからだろ」

「滞在日数二日なのに、移動に往復十日なんて、体もたないんだもん」

「おまえは乗り物弱すぎ。いい加減、馬車酔い克服しろよ」

「うう。せっかく乗り心地のいい馬車の開発を手伝ったのに、タウン用っていって駅馬車に使わせてくれないのが悪いんだ……」


 エマが呻いて、少し前の私と同じく、テーブルの隙間に額を落とす。

 落ち込んだように見えるが、テーブルの下でコジローさんの体を指で突いて遊んでいるので、それほどでもないはずだ。


 それにしても、母もエマも父の契約竜に乗ったことがあるのか。二人とも肝の据わった女性なので、嫌がるのを意外に感じる。父の契約竜は、軍で騎竜として使われる飛竜ワイバーンではなく、おそらく古竜なので、魔術も安定して使用できるはずなのだが。


「私も小さい頃に乗った記憶があるが、楽しかったぞ?」

「街の上空を優雅に空中散歩というんなら、私も文句は言いませんよ。結界で防風・耐圧してるからって、急旋回とか錐揉み状態で自由落下とか、ぜったい、二度と、便乗なんてしません!」


 拳を握り、ぷうと頬を膨らませて、エマが宣言する。

 真剣な眼差しがなんだか可笑しくて、吹き出すのを堪える。が、我慢できずにコジローさんを抱えたまま肩を震わせた。


「もう! 結構切実な話なんですよ!」

「……ごめん。エマの笑い上戸が伝染ったみたいだ……くくく」

「なんで私が病原菌扱いなんですか。言い訳のふりして貶めないでくださいよ!」

「くく……あはは、だめだ。苦しい」

「この、残念お坊ちゃんめ……!」

「あははは」


 どうも変なスイッチが入ってしまったらしい。笑い続ける私に居心地が悪くなったのか、コジローさんが膝から降りて、前の椅子のほうに向かった。

 ウォルターとカイルが、ぼそぼそ会話をしている。


「カイ兄、ワインに何か入れた?」

「入れねーし。けど、次はもうちょっと軽いのを試したほうがよさそうだな」

「だな」


 腹筋が引きつる寸前までいって、私はようやく笑いを収めた。すっかり機嫌が悪くなったエマに、ワインを注ぎ、食事を取り分けて愛嬌を振り撒く。

 「デザートが食べたい」と言い出したので、キアラが保冷庫から四角い深皿に入ったカスタードプディングを持ってきてくれた。

 それを崩さないように小皿に盛りつけて差し出せば、ようやくエマの口元が緩む。


「んー、幸せー。……あ、ジェドも食べてくださいね?」

「うん。少しいただこうかな」

「つか、今日の主役ジェドじゃね?」

「いいのいいの。ほら、キア姉も遠慮しないで」


 なんだか、すっかりシラー家のペースに巻き込まれている。

 これから先この勢いについていけるのかと一瞬不安がよぎったが、自分で決めたのだからと腹を括った。

 決意をこめてプディングを掬って口に運べば、とろける甘さに、胃袋がほだされる未来が簡単に予想できてしまった。

 

 ……あれ? わりと馴染めるの、かな?


 そんなことを考えていると、キアラが、にこやかに衝撃的なことを口走った。


「だけど、ジェドくんがイイ子そうで良かったー。これから当分、三人きりだもの。エマちゃんたちと仲良くやってね?」

「……え」


 厭な予感を覚え、目の前のウォルターに問い直す。


「三人きり?」

「俺とエマとおまえ――と。コジローさんを入れて、三人+一にゃんだな」

「し、使用人は?」

「いるわけねえだろ。家事はエマ。俺は外の仕事。おまえの仕事は……とりあえず、トイレ掃除と風呂掃除な」

「…………ふろそうじ」

「がんばってね、ジェドくん」

「何事も挑戦だ。しっかりやれよ、ジェド」


 若夫婦からの気軽な励ましに、手に持った私のスプーンから、ぽとりとプディングの欠片が皿に落ちた。

 遠慮のない四人の笑い声が、室内に弾ける。プディングのおこぼれにあずかろうと、足元でコジローさんが、「なーお」と鳴いた。


 私のギルド初日の長い、長い一日は、こうして幕を引いた。



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