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11.へたれ仔犬の心身改造計画(4)

  

 ……うう、見えない。誰か土埃避けてくれないかな。


 こっそり[身体強化]で、いまだ粉塵の消え去らないグラウンドの様子を窺おうとすれば、すぐにバレて、キリに額を小突かれた。

 魔力過多で調子が悪いのなら、使って減らすほうが良いだろうに。


「使用する魔力量に比べて、消費される体力のほうが圧倒的に多いのが、今のジェドの体です。肉体の限界点リミッターを解除する[身体強化]なんて論外です。少しは自覚してください」


 私の考えを読んだように、ぴしりとエマが却下する。

 そのとき、「エマ、毛布を持ってきたぞ」と艶のある低声が呼びかけてきた。


「ありがとうございます、ヤンさん」


 横目で仰げば、左目を黒の眼帯で隠した長身痩躯の男がやって来て、上段のスペースで片膝をついた。背の半ばまで伸ばした濃灰の髪を首の後ろで結んでいる。

 副ギルド長のヤンだ。私の試合終了後には姿がなかったが、ギルドのほうで用事を片付けていたようだ。

 意外なほどやさしい手つきで毛布が被せられ、私は小さく礼を言った。


「ここは冷える。早めに切り上げたほうがいいぞ。薬と、食事も消化にいいものを用意させた。時間も少し早めたぞ?」

「さすがヤンさん、有能」

「部屋は、エリアスのところを片付けたから、そこを使うといい」

「客室じゃないの?」

「エマの部屋が隣だから、そのほうが都合がいいだろう」


 挨拶をしたときは言葉を交わさなかったので分からなかったが、舞台役者並みの良い声をしている。深く響くバリトン。事務的な内容なのに、なんだか劇中の台詞を諳んじているようだ。


 薄い青の右目が、訓練場を一瞥して、顰められた。

 そこは、立ち込めていた土煙がやや薄れ、「貴様ら、年長者への礼儀を叩き込んでくれる!」とブチ切れた父の怒声と、「4対1で平然としている奴に向ける礼儀なんざねえっ!!」と応じるウォルターの咆哮とともに、新たな戦局が幕を開けていた。


「あいつら、完全に今回なんのために集まったか忘れてるな。――ボス、止めなくていいんですか?」

「……先に帰るか」

「坊ちゃんが目をきらきらさせて観戦している以上、無理でしょう。さっさと引き剥がしてきてくださいよ」

「中途半端に終わらせると、後が面倒でな」

「ギルド長がそんな弱気でどうするんです」


 敬語のわりに高姿勢のヤンを、ザントゥスがのらりくらりと躱す。

 焦れたのか、ヤンはパンパンと手を叩いてこちらの注意を惹くと、有無を言わさず言い放った。


「ほら、全員突入ー。今ならヴィートを仕留められるかもしれないぞー」

「えー」

「文句を言わない。結界壊れる前に訓練場が崩壊したら、おまえら全員連帯責任で、修理費給料から天引きだからな」

「ちょ、極悪」

「連帯って、ちゃんと責任割合考えてよね?」

「それだけ言える余裕があるなら、ちゃっちゃと行ってこい、グリシナ。ヴィシュ、小僧どもをまとめて蹴散らせ。これだけ時間かけて詰みきれないとか、温すぎるだろ。フィオ、手を抜くな。――キリは」


 調子よく次々と指示を出していた男が、白髪の魔術師を見て、言葉を止める。


「ほどほどで頼む」

「ほどほど、な」

「加減は任せた」


 微妙な会話を交わし、異国の魔術師が着物の裾をひるがえして最下段に向かった。ザントゥスの手を借りることなく、結界の前で白魚のような指をひらめかせる。

 すると結界の一部が色とりどりの光を放って円状に口を開け、冒険者たちの通行を許した。壊したのでも解除したのでもない。魔法陣の一部に、穴が開いたのだ。


 ……なんだあれは……魔術符号の隙間を広げた、のか?


 これまで学んだ魔法学の内容や魔術理論を頭の中で広げるが、該当するものがなくて数秒で諦めた。

 ダメだ。魔石の件といい、ここではこれまでの常識が通じる気がしない。どのみち、ゼロから修行を行なう覚悟で来ているのだ。


 ほうと溜め息をついて、グラウンドへと繰り出していく冒険者たちの後ろ姿を見つめる。

 急に閑散とした観覧席で、ひとり残されていた少年が、ふと振り返り、軽い足取りで近寄ってきた。

 白っぽい巻き毛は、キリの白髪と違い、光によって変化する鈍い光沢を帯びている。乳白の肌に映える大きな瞳は、私よりも青みがかった灰紫。まるで天使のようにかわいらしい少年は、寝転ぶ私を見下ろし、にこりと笑った。


「くー? くーくるっくるっくるっくぅー」

《ふん。非力な身で過大な魔力を宿すからだ。無様な人族ハライトめ》

「くーるるる、くー」

《身の程を知るがよい》


 ……なんだろう。鳩の鳴き声に似た声に混じって、とんでもない台詞が聞こえるんだが。

 

 この少年が発しているのかと、目を見開き耳を澄ませば、クー=クックが首を傾げた。


「くー?」

《ほう、聴こえるか》


 ……腹話術か? 耳の底が軽く痺れるような、妙な感じだ。


「えー……と。聴こえてる、の、かな?」

「あれ? ジェドも聴きとれる人でした? まあ、ご当主様の血を引いていますもんね」


 何気ない口ぶりで、エマが会話に割り込む。そもそも会話が成り立っているのかも不明だが。


「彼の肉声は、人の可聴域を超える音域らしくて、普通は鳥の鳴き声にしか聞こえないんですよ。きちんと聴きとれるのは、古代人種エインシェンツの血の濃い、いわゆる先祖返りの人がほとんどです」

「超音波……?」

「そうですね。ついでに指向性を操作できるので、滅多なことでは聴きとれません」


 エマの説明に、これまで感じていた違和が氷解する。このギルドにいるものは、皆――ピアニー、ナビ、クー=クック。もしかしたらグリシナやフィオーリも、その超人的な能力を生かし、かつ目立たないように冒険者という職業を隠れ蓑にした、先祖返りたちの集まりなのだろう。

 先祖返りでも、最も獣人の血が濃いといわれる父が入り浸っているのだ。もっと早く思い至るべきだった。


「くーくるっくるくくー」

《ヴィートの子にしては、ずいぶんとひ弱だな》

「意地悪言わないの。先祖返りは発現率が千差万別で、魔力操作に難があるのは、クーも分かってるでしょ?」

「くるっくっくくぅー」

混血種アイドクレースはこれだから面倒臭い》


 クーが皮肉げに肩を竦める。おそらく、これが地なのだろう。

 彼も先祖返りならば、能力だけでなく、容姿も普通と違う特徴を引いているはずだ。見かけにごまかされてはいけない。


「あ。ナビやピアは混血ですが、クーは純血種ピュアです。今では天人とか羽人と呼ばれますが、正確には聖羽族セルッサという種族になります」

「くるるるくーぅ」

《貴様らの始祖にあたる種族ぞ。敬意を払え》


 ラベンダー色の虹彩が広がり、瞳がぐっと縦長になる。にやりと笑った口に生えるのは、円錐形の尖った歯。髪に隠れていた耳はざわりと伸びて、真珠色の羽毛を纏う。

 異形の名がふさわしいが、どこか神秘的でもあった。


「こんな偉そうな態度ですが、聖羽族セルッサは見た目の通り、非力で快楽に流されやすい性質なので、一番に人族が愛玩用に狩り尽くした種族でもあります。……ま。だから、こうして純血種ピュアが残ったとも言いますが」

「くー! くるっくるっくるっくー!」

《非力で流されやすいのではない! 美しいものを愛でる豊かな精神を備えた、高貴な種族なのだ!》

「はいはい。ついでに純血種ピュアなので、成長が著しく遅いです。これでも五十歳を超えてますから、それなりに扱ってあげてください」

「くーるる、くるっくくー!」

《それなりとはなんだ! エマは儂の扱いが粗雑すぎる!》


 威張った主張のわりに、見た目はくるくる鳴きながら、我を通そうとする子どもだ。いや、旧弊な言葉遣いさえ除けば、本当にただの我儘な少年にしか思えなくて、私は小さく笑いを洩らした。


「くー!」

《なにが可笑しい!》

「……ごめん。なんだか、かわいいと思って」

「!」


 頬に朱をのぼらせて、クーが絶句する。怒らせたかと気を揉めば、よく響くバリトンが笑い声をあげ、雲のようなふわふわの髪に大きな手が載った。


「なんだ、クー。グリシナに置いて行かれて、拗ねているのか」

「くくー!」

《す、拗ねてなど!》

「坊ちゃんに八つ当たりはよくないぞ」

「あ、ヤンさん。ジェドは名前呼びでお願いします」

「それは失礼……ジェド」


 おどけた仕草で頭を下げるヤンに、私は無言で頷き返す。調子に乗って笑ったりしたせいか、しんどさがぶり返して喋るのが辛い。加えて、掛けられた毛布の暖かさと柔らかさに、睡魔が忍び寄ってきていた。


 ヤンは冷徹そうな外見とは裏腹に、世話好きなのか「聖羽族セルッサは軽いなー」などと言いつつ、クーを片腕にひょいと抱き上げる。


「皆がしごかれてるところを近くで見てみるか」

「くっくーぅ!」

《こ、子ども扱いをするな!》

「はは。相変わらず何を言ってるか分からんな」

 

 どうやら彼は〝聴こえない〟タイプの人らしい。それでも、なんとなく会話が成立しているところが、副ギルド長の手腕なのだろうか。

 

 この場にいる冒険者のほとんどが参入することになった訓練場では、複数の対決が一堂に繰り広げられていた。

 左奥で対峙するのが、ヴィルトシュヴァインとピアニー。そして[岩荊ロック・ソーン]から抜け出したナビだ。

 熊ほどもある大柄な男が手にするのは、戦斧バトルアックス。すでに斧の大きさを超えるそれが、ナビの邪魔をものともせず、ピアニーの鎚矛メイスを撃ち据え、体ごと吹き飛ばす。


「うにゅあああっ!」


 動物めいた叫び声をあげて、ナビが相棒パートナーの元に跳躍した。背中から結界に叩き付けられかけるピアニーの体を、突然、巨大な水の塊が包む。


 ……[水球ウォーターボール]?!


 青い魔力がちらつくので間違いないだろうが、規模が大きすぎる。そのうえ召喚された水の精霊ウンディーネも夥しく、独特の少女に似た笑い声がきゃらきゃらとその場に谺した。

 特大の透明スライムにも見えるそれは、衝撃を吸収して柔らかく結界にぶつかると、ゆるりと破裂する。


「む!」


 水中で向きを変えたピアニーが、ナビとともに鎚矛(メイス)を振りかざして降下した。同時に水の塊が降り注ぎ、ヴィルトシュヴァインの手足と顔面に、生き物のようにびたりと張り付く。

 鎚矛(メイス)の攻撃を、ヴィルトシュヴァインは仰け反り、紙一重で避けた。その首に背後からナビが足を巻きつけ、逆様になって絞めあげる。

 完全に自由を奪われた男は、だが驚異の背筋力で上体を起こすと、次打を放とうと足を踏みかえたピアニーの頭上へ、ナビごとその頭を叩き付けた。

 重く鈍く響く音。衝撃で、水の枷が弾け飛ぶ。


「ふん。まだまだだな」


 呟きとともに、ふたつの体がグラウンドの隅に放り投げられた。

 

 一方、右端でグリフィンとウォルターのコンビと対峙するフィオーリは、向き合うや否や、無数のカード状の魔道具を投げ打ち、二人の出足を奪った。

 グリフィンが、[イフリート]の炎でそれらを燃やして斬りかかれば、フィオーリは両手の中にばちばちと火花を散らして雷を生み、飴細工のようにそれを細長く引き伸ばして受け止める。

 電光は変幻自在に形を変え、片手で持てる棒状にもなれば、しなる鞭にもなって、数合のちに漆黒の刃を絡めとった。暫時足を止めたグリフィンに、瞬く間に詰め寄ったフィオーリの蹴りが、痛烈に叩き込まれる。

 すかさず横合いから、ウォルターが三叉の短剣を手に踊りかかる。が、構えた格好のまま、いきなり硬直した。


「く……そ。てめえ……」


 切れ切れの罵りも覇気がない。

 くせのある前髪から覗くフィオーリの青い瞳が、体勢を崩すグリフィンを顧みることなく、ウォルターへと向けられた。ふわり、とした微笑。

 見ている私の背すじに、悪寒が走った。


 ……な、んだ。あれは。


 金縛りにでもあったように脂汗を浮かべるウォルターとフィオーリの間に、目に見えない何かが、波紋のように広がっている。


 ……魔法陣? いや、魔術符号がまるで見えない。


 なにより恐ろしいのは、フィオーリからほとんど魔力を感じられないことだ。

 ただ、うっすらと感じる力の圧と淡い光。

 それらが一気に膨らむと、見えない盾を振り回すごとく空間が掻き乱され、ウォルターと起き上がりかけていたグリフィンが、声もなく地に叩き伏せられた。


「ばーか。おまえら、気ィ抜きすぎだ。修行やり直せ」


 まさにSクラスの威容を見せつけた形となった一画の手前では、グリシナが父を相手に奮闘していた。

 武器は、金属製の鞭。短い棒を輪で繋ぎ、先端に楔がついたそれを、グリシナは旋回させつつ自在に操り、風切り音をあげて詰め寄っていく。参戦する度胸がないと言っていたが、なかなかの腕前だ。


 調子よく後退してタイミングを測る父より先に、グリシナが動いた。多節鞭が軌道を変え、[鳥羽王]を持つ右腕に絡みつく。双方が静止した、刹那。

 多節鞭の節から刃が飛び出して父の腕を抉り、その腕が後方へと引かれて、太刀ごと鞭が上空に跳ね飛んだ。

 即座にグリシナが退がり、短剣を幾つも投擲する。が、一瞬にして父は間合いを詰め、彼女の腹部に掌底を叩き込んだ。紫紺の髪を舞わせて、グリシナがグラウンドの端まで吹き飛ぶ。


 父は、血の滴る右腕から無造作に多節鞭をむしり取ると、[鳥羽王]を拾い上げた。ふと、その動きが止まる。

 まるでそこだけ時が流れを変えたかのように、ゆっくりした動作で、父が振り返った。


「……見物は終わりか? 師匠」

「皇都で怠けきった体も、ほどよく温もった頃と思うてな。わが不肖の弟子どの」

「ふ。言ってくれる」


 それまで全く気配を消していたキリが、突如として父の前に佇んでいた。彼女の右の指先が、わずかに上を向く。

 空間の歪みは瞬きの間もない。それでも気が付くと白い手には、父のと似た、だが刀身が鮮やかに紅い、異国の片刃剣が握られていた。

 材質は不明だが、刃は血の赤ではなく、紅玉のように透きとおった美しい紅色だ。鍔は銀。柄は白を基調として、まるで彼女自身の色を反映しているようだ。

 

[櫻鏡さくらかがみ]……久しぶりにお目にかかるな」

「こういった余興には必要であろう? 弟子の尻を引っ叩くには最適じゃ」

「年寄りの冷や水、という言葉をご存知か」

「口だけは達者になりおって」

「口だけかどうか――試してみるがいい!」


 一声とともに父が地を蹴る。白の髪と衣装が舞い、紅の光が奔って、[鳥羽王]の一閃を受け止めた。洩れ聞こえるのは、思いの外、重量のある金属音。

 奇しくも黒と白の外観をもつ二人の打ち合いは、速すぎて残影を追うのがやっとだ。時折ぽたぽたと父の右腕から血が落ち、地面に軌道を刻む。

 ふいに。

 太刀を左手に移し替えた父が、キリへ向け、傷のある右腕を大きく振り薙いだ。

 当然飛び散った血は、目潰しのみならず、大量の魔力を帯びているのは明白で。


[闇黒牢ダーク・ジェイル]」


 呪言が紡がれるや、それらと同じく地に落ちた血液からも一斉に黒い光が放たれ、その場に巨大な魔法陣が形成された。

 血を媒介に効果を高めた、闇属性の高等魔術。効果は――中にいる者の魔力の無効化だ。

 ところが閉じ込められたキリは、微笑を浮かべると、左手を軽く頭上にかざす。


[月輪げつりん]」


 詠唱とも思えぬその一言で、掌の上に、黒の魔法陣よりも大きな白銀の陣が現出する。すると、さらさらとまるで吸い上げられるように、黒い魔力が白銀の陣に向けて立ち昇り、形を崩しはじめた。

 謎の魔法陣の符号は、ウマラ文字なのか読むことはできない。だが魔力の色は銀で、治癒の発動を示していた。


 ……そうか。魔力無効を状態異常とみなして、[治癒]で相殺したのか。


 訓練場の三分の一規模の[闇黒牢ダーク・ジェイル]を行使する父も父だが、それを相殺するために、広範囲指定の高等治癒術を用いようというキリの発想も恐ろしい。


「おのれは昔から単純じゃの」

「この程度で師匠を封じ込められると思うものか。ちょうど傷を負ったのでな……いろいろと都合が良かった」


 言いながら父は、服についた埃を払い、頬についた汚れを拳で拭う。そして、血塗れの右腕を一振りし――着衣の裾で拭き取った。

 そこに現われたのは、無傷の素肌。


「さすが師匠。治癒術の腕は一流だな」

「小賢しいことを」


 不本意にも、相手を回復させる形となったキリが、苦々しく舌打ちをした。

 見れば、大規模に展開された治癒術の影響か、倒れていたグリフィンとウォルターが起き上がっている。フィオーリが回収したカードを手に、眉を顰めた。

 にやり、と皮肉な微笑を唇に刷いた父が、太刀を引っ提げ、一歩踏み出す。


「回復も済んだことだし、本気で行くぞ」

「……愚かものめが」

[火炎噴流ファイア・ジェット]」


 苦言に被さるように詠唱が響き、父の左手から、炎の奔流が真っ直ぐにキリに向けて放射された。


「[水輪]」


 キリの左手に、青い魔力の光を灯して魔法陣が生まれ、盾となって炎を防ぐ。


「[風輪]」


 ついで後背に現われた黄色の光の魔法陣が、くるくると回りはじめ、まるで意志をもつ旋盤のように回転しながら滑空して、炎の流れを分断する。


「[地輪][火輪]」

「させるか――[劫火焔獄インフェルノ]!」


 キリの呼びかけに浮かび上がった緑と赤の魔法陣を掻き消す勢いで、父が火属性の最上級魔術を行使する。

 新たに戦いを開始したウォルターたちまでも巻き込みかねないその規模に、私が冷汗を感じた、次の瞬間。


 ド………ンッ!と、耳の傍で圧縮された空気が弾け飛んだに似た物理的な音が、一帯を包んだ。

 訓練場を覆っていた結界が、虹色の欠片を撒き散らして粉々に砕け散る。


「な……に……?!」

「だから、愚かだと申したであろうに」


 どうやら先ほどのキリの治癒は、その場の人間の体力は回復させても、結界に蓄積されたダメージを修復するには至らなかったらしい。

 驚愕の余り[劫火焔獄インフェルノ]を解除した父に、キリが笑顔で止めを刺す。


「[空輪]」


 最後に紫の魔法陣が出現し、それが他の四つとともに父を取り囲んで、さらに大きく複雑な多角形の魔法陣を構築する。

 見たことのない輝きを宿すそれをぐるりと見渡し、渋面を作った父が[鳥羽王]を投げ出して、その場に座り込む。

 ふてくされた顔で胡坐をかく父の前に、魔法陣を踏み越えてキリが歩み寄った。

 おもむろに緋色の太刀の棟を返すと、脳天に振り下ろす。

 ごいん、という鈍い音。


「これで頭が冷えたろう、馬鹿弟子め」

「……クソババア」


 私は、零れそうになる笑い声を毛布に隠した。

 まったく、本当にとんでもない。空を飛ぶ魔法陣も、魔法陣同士から生み出される魔法陣も、子どものように口が悪く拗ねる父の姿も、なにもかも初めてだ。

 堪えきれない笑いの息が、毛布の内側に籠って、ひどく暖かい。


 ……このあたたかさが、ずっと続けばいいのに。


 結界の消えた訓練場は、地面に穴が開いたり壁の一部が崩れているが、まだ充分形を保っていた。冒険者たちがわいわいと何やら言い合い、笑い合い、降りて行ったザントゥスに怒られている。

 深呼吸にも慣れてきた。熱でも眩暈でもなく、穏やかに視界がぼやけていく。

 とん、とん、と毛布を叩くやさしい手のリズムに導かれるように、私は目を閉ざし、睡魔に身を委ねた。



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