9.へたれ仔犬の心身改造計画(2)
すごく、口惜しい。
ものすごく悔しくてたまらないのだが――勝敗が決した後、これまでにない満面の笑顔で、ウォルターが私の手を取って助け起こし。
「よくやったな。初心者にしちゃ上出来だ」
と、髪をくしゃくしゃにする勢いで頭を撫でてきたので、いつまでも憮然とした態度でいるわけにもいかなかった。
それに負けた悔しさ以上に、久しぶりの全力での魔術戦に、いまだ醒めない興奮が全身を包んでいた。体内魔力の急激な低下もあって、頭と体が熱をもったようにふわふわする。
お互い最初の位置に戻って一礼すれば、ザントゥスからも「なかなかご立派でしたぞ」と声をかけられる。
「ボロボロにやられたが」
「はは。Aクラス冒険者が素人に負けては話になりませんからな。これから若様に武術をお教えする身としては、ウォルターも面目が立ったというものです」
その言葉を聞き、エマからそのようなことを告げられていたと思い出す。
最強と名高い[蒼虎]ギルド長の教えを請えないのは残念だが、ウォルターは次期ギルド長ということだし、なにより今回の負けを取り戻す良い機会がもらえたといえるだろう。
……うまくいけば、あの空中を跳ぶ技も教えてもらえるかもしれない。
なんとか前向きな気持ちでザントゥスに剣を返し、観覧席に戻ろうとすれば。
「や、お疲れー。若様ー」
「頑張ったじゃないの。一発も当たらずに終わっちゃうかと思ったのに」
「くー!」
「うん。まずまずの魔術戦だったな!」
「……詰めが、甘い」
「最後の炎すごかったなっ。炎がどーんって! どーんだったなっ!」
「――――は……?」
いつの間にか見知らぬ観客が増えていた。
タオルを持ち、通路に出て待っていてくれたエマが、観覧席の最前列で興味津々の顔を並べる彼らを、苦笑をまじえて紹介する。
「そこの茶髪のへらっとしてるのが、フィオーリ。これでもSクラスです」
「はろー、若様」
「隣の紫髪の美人さんが、グリシナ。Bクラスです」
「ハーイ」
「彼女が抱えてるのが、クー=クック。Cクラスでグリシーの相棒です」
「くー」
「大きいのが、ヴィシュことヴィルトシュヴァイン。フィオの相棒でAクラスです」
「うっす!」
「ピンクのツインテールが、ピアニー。年下に見えますが、うちで唯一の女性Aクラスです」
「……どうも」
「で、くねくねしてる半裸の彼女がナビ。ピアニーの相方でBクラスです」
「やっほーぅ!」
「全員、うちの専属冒険者です。遠方や長期の依頼を受けることもあるので、いない者も多いですが、いる間はみんなにも訓練に参加してもらう予定ですから、なるべく顔を覚えてくださいね」
「わかった」
頷くものの、先に紹介されたウォルターやグリフィンたちとの雰囲気の違いに、戸惑いを隠せない。
ヴィルトシュヴァインのようないかつい男がAクラス冒険者というのは納得できるが、見るからに優男のフィオーリがザントゥスと同じSクラスとは、このギルドの基準がよく分からない。
女性唯一のAクラスだというピアニーは、明らかに小柄な少女だし、クー=クックにいたっては真珠色のふわふわの髪をした、お人形のような成人前の男の子だ。
ナビという女性は――これが一番理解不能だ。
エマは〝半裸〟と評したが、まさにそのとおりで、皇都の基準では初冬と呼んで差し支えない気候にもかかわらず、上半身は布の胸当て一枚。下半身は破れてほぼ意味をなさないレギンスとショートパンツだけで、防護壁の上で奇妙な踊りをしているその足は、なんと裸足だ。
頭をきれいに剃りあげ、体つきも女性というより少年のような伸びやかさで、色気や性別とは無縁に思える。初めて会う種類の人間だ。
……それを言ったら、ここにいる全員がそうなのだが。
ザントゥスもエマも――産まれたときから知っているはずの父でさえ、冒険者としての姿は初めて見るのだ。なにもかも常識を捨てて、新たな気持ちで臨むべきだろう。
訓練場の結界が解かれ、観覧席に戻った私は、あらためて皆に頭を下げた。
「はじめまして。これから一年間お世話になります。至らぬと思いますが、よろしくお願いします。それから……できれば、私のことはジェドと呼んでください」
学院時代、知り合った人になかなか愛称で呼んでもらえずに悶々としていたら、親しくしていた先輩から『貴族でも最上位の華公爵家子息を、許可もないのに愛称で呼べるわけないだろう?』と目から鱗の助言をもらったのだ。
すごく盲点だった。十五年間悩みつづけた挙句の助言を、今ここで生かして、有意義な一年間を過ごしたい。
自分としては渾身の挨拶だったのだが、なぜだか全員が、まるで五歳の子どもを見守るような生温い笑顔となった。
どこで失敗したのかと冷汗を感じていれば、聞き慣れた低声が観覧席の上段から響いてくる。
「ふふ、うちの息子はかわいいだろう?」
「ヴィートさん。かわいいっていうより、なんだかちょっと心配なんだけど?」
「かわいいだろう?」
「……押すわね」
「親馬鹿」
「だいたい、かわいい息子には普通、首輪なんてつけないと思うけど」
「ひねくれ者なのよ。ただの変態とも言うけど」
「ドS」
フィオーリ、グリシナ、ピアニーから次々と辛辣な言葉を浴びせられながらも、冒険者ヴィートを名乗る父は、笑顔を崩さない。
「父上」と声をかけ、敗北の報告に向かうと、「よくがんばった」と頭をぐりぐり撫でられた。
「ご期待に添えず、すみませんでした」
「悔しいか?」
「はい」
「良いことだ。その悔しさを忘れなければ、必ず強くなる」
首輪の防御魔術が再起動させられ、ごわついた手が私の首筋と頬に当てられる。
「少し熱が出てきたか? 座って休みなさい」
「……はい」
「そんな顔をするな。どれ――私が仇をとってきてやろう」
おどけたようにそう言って、父が立ち上がった。脱いだ上着をふわりと着せかけられ、再度休むよう促される。
私はおとなしく、温もりの残るそれに袖を通して、観覧席の中段あたりにいるエマの隣に腰を下ろした。
その間に父は、どこからか指先を切った革手袋を取り出して嵌め、すたすたとグラウンドへ降りていく。
「ザントゥス、結界を張り直せ」
「今回は若様が主役というお話では?」
「だから仇討ちだと言っているだろう。ほら、さっさとしろ」
強引な理屈を押し通す父に、慣れているのか、ザントゥスは仕方ないという顔で肩をすくめ、魔道具のほうに向かった。
グラウンド側から防護壁にもたれかかり、タオルを首にかけて小瓶に口をつけていたウォルターにも、声がかかる。
「ウォル、おまえも用意しろ」
「勘弁してくれよ、ヴィートさん。SS相手に連戦て、ちょっと酷くね?」
「なにしろ息子の仇討ちだからな」
「物騒な言い方すんの、やめてくんない?」
父相手にずいぶんと砕けた口調で受け答え、ウォルターがふと、こちらを見上げた。
「けど、そっちが代理で来るんなら、こっちも代理でいいよな?」
「構わん」
「んじゃ、グリフー! あとよろしくー!」
「……はあ?!」
素っ頓狂な声が、エマの反対隣からあがる。
異国の雰囲気の漂う、黒髪浅黒い肌の若い男――グリフィンだ。
「なんで俺がおまえの代理なんだよ」
「だって、俺の相棒じゃん。相棒は嫁も同然だろ?」
「意味わかんねえよ。つか、嫁とか言うな。鳥肌立つわ」
厭そうに返しながらも、グリフィンは立ち上がり、マントを脱いで席に置く。
冒険者らしい、全身をすっぽり覆うタイプのフード付の外套の下は、ウォルターと似たようなタンクトップとやや細身のパンツだ。肌の色か服装のせいか、ウォルターよりさらに引き締まった、しなやかな印象の体躯だった。
露わになった腰に提がるのは、柄頭に真紅の魔石を嵌めた漆黒の曲刀。目にした途端、肌が粟立ち、禁忌の魔力を秘めた魔道具だと悟る。
私の視線に気づいたのか、グリフィンは、囲むように短い髭をたくわえた口元をにやりと歪めると、身軽く跳躍して最下段に降り立った。
「あの剣は……」
「魔剣です。古代遺物の一種ですね」
「精霊の……火の精霊の気配がするのだが」
ひそひそと囁けば、エマが蜂蜜色の瞳を大きく見開いた。
「鋭いですね。黒の刀剣なので、大抵は地の精霊か闇の精霊と見誤るんですけど……実は火の精霊の一種、岩漿の精霊が憑いてます」
憑いている、ということは、封じられているのではないのだろう。
伝承では魔剣は、魔術の補助である魔道具とは異なり、刀剣類に無理矢理精霊を降ろして縛り、魔力を帯びさせることで、使用者の心までも支配する古代の黒魔術として記載されていたはずだ。当然、現代では、倫理的にも技術的にも創ることは不可能とされている。
しかし、目の前のグリフィンは、まったく精神を支配されている様子が見られない。
「では、彼に魔剣の影響はないのか?」
「グリフの魔力が上回ってますからね。それに、あの魔剣は黒魔術ではなく、刀匠の腕と貴重素材のせいで精霊が憑いた……いわば、えーと、ジェドと同じ系統です」
「……」
鑑定士の言うことなのだから誤りはないのだろうが、人と刀剣を一括りにするのは間違っていると思う。だが、言いたいことは分かった。生誕時、私の魔力と古竜の祝福のブレスから精霊が生じたという現象に近いのだろう。
皮肉を返そうとしたが、グラウンドのほうに視線を戻せば、いきなり視界がぶれた。気分が高揚して気付くのが遅れたが、いつもの〝持病〟が暴れ出したらしい。
逆上せたような熱と怠さが急激に全身にのしかかり、ウォルターと手を打ち合わせてグラウンドに降りていくグリフィンの後ろ姿が、二重にぼやけて見える。
「ジェド?」
エマの呼びかけに応えようとして、一気に吐き気がせり上がる。固く目を閉じて、唇を引き結んだ。
――と。ふいに冷たいものが首筋にあたり、そこから脳天に向けて、すうっとひとすじの冷たい風のようなものが走った。
「落ち着け。ゆっくり、魔力を回すのじゃ」
「……魔力を……まわす?」
「ふむ。やり方を知らぬか。では、ゆっくりと腹から息を吐いてごらん」
どこからか聞こえる掠れた女の声に従い、深呼吸を繰り返す。呼吸をするうちに、先ほどの冷気がじんわりと全身へ沁みてゆき、気持ち悪さが遠のいた。
ようやく声のほうに目を向ければ、鮮烈な緋赤の瞳と間近で視線が合う。
象牙色の卵形の顔に浅く彫り込まれた、年齢不詳の面差し。腰を過ぎる豊かな雪白の髪。布を重ねた極東の衣装。
まるで彼女自身が精霊であるごとくの正体不明の魔術師は、気配もなく右隣に座り、私の首に手を触れていた。
「ありがとう……ございます」
「ふむ。確かにエマの見立ての通り、そなたの魔力量に体がついていっておらぬようじゃの」
「キリ婆。じゃあ、気功術でどうにかなりそうにはない?」
「それは、こやつがおのれの魔力を正しく感じ取れるかどうかによるかの」
芝居を見ているかのような時代がかった喋り方が、妙にこの魔術師に合っていると感じた。
今の楽になったやり方はなんだったのかと聞きたいが、眩暈が治まっただけで熱が引いたわけではないらしく、ふわふわとした倦怠感が続いて、声を発するのが辛い。
キリとエマに助けられ、そのまま階段で横になる。それほど幅が広いわけではないため、落ちる腕が腹の上に乗せられ、頭の下に上着らしきやわらかい布が敷かれる。
下の段にいた冒険者たちが、戸惑った顔でこちらを振り向いているのが見えた。
気まずくて視線を逸らせば、とん、と音がして、ウォルターが上の段でしゃがみ込み、手にした小瓶を差し出してくる。
「魔法薬飲むか?」
「ダメ! ジェドの体調が悪化する」
「体力回復系だぜ?」
「体力回復系だろうと、魔法薬には魔草が使われてるの。つまり魔術作用を働かせるために、偏った属性の魔力を強引に補給するってこと。疲労回復のための代謝を高めたり、内出血や筋肉の損傷を内から修復するの。勉強したでしょ?」
「ゆえに魔力と体力のバランスが悪いこやつには、悪手というわけじゃ」
エマの説明をキリが補足する。
これまで魔力枯渇という経験がない私は、魔法薬を飲んでもそれほど効果を感じなかったので、ほとんど使っていなかった。魔力が潤沢すぎて、怪我もほぼ自動治癒状態だったのだ。
それに体調が崩れる原因を、火と氷という極性の魔力属性のせいと考えていたため、別の魔力を外部から入れるということを過度に警戒していたのもある。実際、他人の[治癒]を受けたときは、気持ち悪くて吐いてしまった。
……なるほど、そういうことなのか。
自分の体のことを他人事のようにそう思いながら、交わされる会話をぼんやりと耳に入れる。フィオーリの声が聞こえた。
「さっき割と魔術を使ったから、魔力が減って、体的には楽になったんじゃないの?」
「こやつの場合は、譬えるなら……細い木の骨組みの上に、大きくて重い瓦屋根が乗っている状態じゃ。屋根の重さが減ろうと、骨組みが緩めば簡単に崩れる。使った魔力は――130ほどじゃな?」
かすかに頷けば、ゆるゆると前髪を梳くように、誰かの手が額を撫でた。
「わざわざウォルに合わせたの? 全力でやっていいって言ったのに……」
「それが貴族の騎士道精神というものじゃろう。それに、使ったとゆうても総量の半分にも満たぬ。体力の消耗が激しければ、なおさらじゃ」
「300超えかよ……ウォルが逃げ回るはずだぜ」
「あの氷柱攻撃はエグかった」
「一度、枯渇まで使わせてみれば?」
「この体力で?」
「魔力を扱う体力と肉体を使う体力は、本来は別なの。生命維持に関わるという意味では根幹は一緒だけど、そろそろ自分で使い分けられるようにならなきゃね。そのためには一度、体内魔力を徹底的に薄めて――って、やっぱ死ぬかな、この子」
「薄めるにせよ、魔力循環を自力で出来ねば無理じゃ。……まったく、だからヴィートにはすぐに儂に預けるよう言うたに、貴族として育てるだの愚かなことをぬかしよって」
「まあまあ、師匠。ヴィートさんには苦ーい過去があるから」
「フィオ、そなたはあやつに甘すぎじゃ」
内容は自分のことなのに、さっぱり分からない会話が周りで矢継ぎ早に飛び交う。考えようとして、ぐらつく景色に、また瞼を閉じる。
「ジェド!」
「うるさいわ、ヴィート。おのれはグリフとそっちで遊んでおれ」
しっしっと犬でも追い払うようなキリの声に目を開ければ、眉尻を下げて覗き込む父の顔が見えた。
心配させてはならないと、頭をそちらへ動かし、できるだけ笑ってみせる。
「いつもの……ことですから、心配には、およびません。父上……」
「うん?」
「私の……仇を、とってくださるの、でしょう? ここで、楽しみに……見ております」
なんだか遺言みたいになってしまった。だが、楽しみなのは本当で、あの父がどこまで本気で戦うのかとか、グリフィンの魔剣がどのようなものなのかも、体調さえよければ最前列のかぶりつきで見たいところなのだ。
懸命にそう言えば、父の唇がわずかに震え、明らかに作り笑いとわかる形に上がった。
「わかった、行ってくる」と囁きが落ち、子どもの頃のように私の頭にキスをして、父が再びグラウンドに向かう。
……かえって、余計な気を回させてしまったかな。
体調が悪いと、思考もろくなことが浮かばない。沈む感情を抑えようと、大きく息を吐く。
頭の上で、風に揺れる草原のようなキリの声が響いた。
「まったく、体調の悪い子に気を遣わせるとは、なんという親じゃ」
「怒らないで、キリ婆。これでもだいぶ関係改善したんだから」
「こうなることが分かっておったろうに、力試しを唆したのはあやつじゃぞ?」
「馬車じゃなくて転移陣で来たから、体力的には余裕があったの」
「転移陣でも、慣れぬ者は体力を奪われる。力試しをさせるのであれば、日を改めるべきだろうに」
「キリ婆。怒ると魔力が乱れるよ」
「これしきのことで乱れはせぬわ」
口論の原因が自分というのがいたたまれない。どうしてこの体は、こうも厄介事を引き起こすのだろう。
産み出してくれた両親も、祝福をくれた古竜も、憑いた精霊たちも、誰一人として私を苦しめようとしたわけではないのに、やり場のない感情が熱とともにぐるぐると全身をめぐる。
いつの間にかきつく握り締めていた手に、冷たい指先が触れた。
「ジェド、呼吸を。深い呼吸を続けてください。楽になるから」
「良いか、そなたは今日より儂の弟子じゃ。必ず治してやる。儂を信じて、呼吸をするのじゃ。息を腹に溜めるように大きく吸って――ゆっくりと長く細く吐け」
ふたつの声に押されるように、深呼吸を再開する。気怠さが減り、眩暈もましになるが、完全には鎮まりきらない。
ぼんやりと眺める視界の端に、きらきらと光る靄が映った。
「ジェド、そなたは常より濃い魔力に包まれておるゆえ、魔術の発動が早く負担も少ない。じゃが、コントロールに欠けておったはずじゃ」
「……はい」
「この魔力をおのれ自身の力で閉ざす。それがこのたびの修行の目的じゃ。よいな?」
「閉ざ、す……?」
「一度その感覚を教えよう。そなたの魔力を少しの間――儂が閉じる」
頭の後ろから覗き込む緋赤の双眼が、鋭い光芒を放つ。
瞬間、辺りに漂っていた光の靄が一斉にかき消え、全身に充満していた熱も倦怠感も、一掃される。
はっと息を詰めて上体を起こす。体が軽い。感じるのは、手の平の痺れと二の腕のだるさ。横腹と膝、左肩の鈍痛くらいだろうか。
……これは、さっきの試合で痛めた箇所か?
これまで感じたことのない爽快感。だが同時に、もっと深いところで繋がっていたなにかが断たれたような、絶対的な孤独感がある。
振り返れば、蛍に似た小さな光の粒に取り巻かれて座るキリが、にこりと微笑んだ。
「どうじゃな? 魔力のない体というのは」
「私の魔力を……消したのか……?」
「最低限を残して一時的に凝集し、圧縮して分離しただけじゃ。ほれ」
差し出されたキリの掌に乗っているのは、両端の尖ったマーキーズ・カットに研磨された特大の宝石――いや、それに似た魔石だ。
上端が燃えるような深い赤で、下端が蒼を秘めた冴えた白。中央部分には虹色の光が踊り、とても美しい――のだが。
分離した、ということは。
「……私は、その、死んだのか?」
「なぜそうなる」
「魔石とは、魔物の死骸から獲得するものでは?」
「なにを馬鹿なことを。魔力を凝れば魔石になるのは、当たり前のことじゃ」
「……」
確かに、魔石は高濃度の魔力の塊ではある。だがしかし。いや、間違いではないのだろうが、その反対というのはどうも、なんだかちょっと理屈がおかしいような。
もやもやしていたら、ひとつ下の段に横向きに腰掛けたエマが、口を挟んだ。
「ジェド。魔力を閉ざすのに、分離する必要はないですからね? 今は、閉ざした状態の感覚さえ掴めればいいんです。こんな芸当が出来るの、キリ婆ぐらいですから」
「そんなことはないぞ?」
「〝人では〟っていう括りをつけておく」
「……む。まあ、そうじゃの」
含んだ答えに、〝人外〟ではできるらしいと察し、ふと父はどうなのだろうと考えた。魔力量1000を超える父は――竜人の先祖返りである。
「そのうち、そなたもできるようになる」
「……え?」
「では、戻すぞ」
「!」
言葉の意味を質す間もなく、巨大な魔石が胸の中央に押し付けられた。
光が弾け、色とりどりの細かな粒子となって、渦を巻いて体内に吸い込まれていく。
感じるのは、熱。痛み。爪の先、髪の毛のひとすじに至るまで、細胞のひとつひとつが押し開かれていくような、激しい奔流。
「魔力の流れを感じとるのじゃ……ジェド。恐れるな。これはそなたの一部じゃ」
「う……あ、くぅ……っ」
「受け入れよ」
自分の中を駆け巡る凄まじい熱と光は、体の中に納まりきらず外へと飛び出し、ひとつ、またひとつと空中を浮遊する光の点と繋がっていく。
その点が結ばれるたびに、体の奥に宿るなにかが目を覚ます。声が聞こえる。
遠くの空の鳥のさえずり。
深い山の梢が芽吹く音。
赤子がはじめて洩らす、笑い声。
海原で飛び跳ねる、名も知らぬ生き物がたてた水飛沫。
地底から噴き上がる、煮え滾った岩漿。
終焉の光を放つ、極大の星。
瀞かなる永久の宇宙。
……ああ、そうか。魔力とは……世界の生命、そのものなのだな……。
光る糸に手繰り寄せられるように、意識が自分に引き戻される。
途端、再び、重く気怠い熱と息苦しさが全身を襲った。
それでも、記憶にないほどの昔から巣食うこの症状は、これまであんなに忌々しく感じていたのに、今はそれほど嫌な気がしなくなっていた。
なぜなら、この病の源は、宇宙と繋がっているのだから。
知らないうちに私はまた倒れていたらしく、現実の視界の先には、薄い雲のたなびく青空が広がっている。
そして――日の光とは別に、黄金の煌めきを放つ光の粒が、無数に集まり、巨大な流れとなって轟々と彼方へと注ぎ込んでいくのが視えた。
「金色の……川だ……」
唐突に記憶が甦り、思わず呟く。
「あれが視えるか、ジェド。あれは――竜脈。この星を支える魔力の流れよ」
「りゅう、みゃく」
「美しいじゃろう? この地は古来より、あの竜脈と共に在った。あれを護り、世界に還元する。それがこの地の役割よ」
父と私にしか視えなかった、金色の川。
独りきりでこのアルバに置き去りにされたと嘆いた、幼い私の心を支えてくれた幻の光景が、今また、目の前に広がっている。
いろいろ聞きたいのに言葉にならなくて、唇を噛む。
右手がそっと握られ、眼差しを向ければ、エマが微笑んでいた。
夜と黎明、黄昏と宵の端境のごとく瑠璃紺の髪。淡い金の瞳は、まるで、この空を貫く光の川の雫を溶かし込んでいるようだ。
清かなキリの声が、託宣のように響く。
「この地で産まれ、この地で祝福されたそなたは、必ずこの地に護られる。――強くなれ。戦え。抗え。乗り越えろ、ジェド。そなたなら成し遂げられよう。
よく――帰ってきたな」
なにかは分からない、熱とは違う燠いものが全身を満たす。
気づけば目尻から滂沱の涙が溢れていて、私は「ただいま、もどりました」と小さく囁くのが精いっぱいだった。




