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老人はベットの上に横になりながら、その横に座る吾輩を撫でた。
……小腹が減った……
「ミャー」
吾輩は喉を鳴らしながら老人の手にまとわりついたが、彼女は困った顔をするだけだ。
「ごめんねぇ……まーたんにエサをあげたいけれど……ごめんねぇ……ヘルパーさんに頼んであるから、待っててね」
老人は最近ベットから起きない……吾輩は仕方がないのでベットから飛び降り、
昨日逃してしまったネズミの所へ行く事にする。
冷蔵庫の下を覗いたが、ネズミが居ない……匂いはするが……姿が見えない、何処だろう……不覚だ。
昨日、彼と家で遊ぶ為、お持ち帰りして追い掛け回して遊んでいたが、飽きてきた頃……老人に話しかけられて油断し、冷蔵庫の下へ逃げられてしまったのだ。
『ガチャ』
冷蔵庫の隣にあるドアが開き、最近エサをくれる人間が部屋に入ってきた。
「お婆さん、キャットフード買って来ましたよ……まーたん、ご飯ですよ」
我輩は皿に盛られたエサで食事を済ませて窓に乗り外を見た。
「まーたん、また外に行くのかい?良いわねぇ……私は足が痛くて、うらやましいわぁ」
「ミャー」
「お婆さん、お風呂の時間ですよ〜」
老人はヘルパーと共に風呂場に向かった。
我輩は食事と熟睡以外は外に出る……この部屋にはそれ以外の用事は殆どない。
……若い時は老人とオモチャで遊ぶ事もあったが、今はそんな事しない、
ゴミ置場とドブを覗けばネズミがワンサカ見つかるし、林にはバッタやトカゲも居る、米屋の前で少し隠れていれば、鳥なんかも取れるだろう……
老人ももう少し外へ出たら楽しいのに……何故か最近は何時も家に居る。
吾輩はブロック塀の上にジャンプで乗移り、座って毛繕いを行う。
……しかし吾輩は周囲への警戒は怠らない。
外は楽しい事ばかりではない……
若い時には人間の持つ、エアガンという小さな木の実を飛ばす銃に撃たれた事もある……
幼児の持つ銃は大した威力はないが、大人の持つ銃の中には強力な物も存在する、銃口を向けられる前に逃げなくてはいけない。
それに老人の住んでいるアパートの住人達には変な奴も多い。
みんな月に一度はお婆さんの部屋に封筒を持ってきては帰っていく。
老人はその封筒の中身を必ずタンスの裏に隠し、偶にヘルパーに渡している。
今日も塀伝いに歩き、隣の部屋を覗く。
隣の住人は頭を掻いては、必死に机の上に乗るテレビに向かって話しかけていた。
「クソォ〜クソッコロコロコロコロコロコロコロコロコロス」
左手でボタンを押しながら右手で何かを持ち机をさすっている。
「はっ?クソが!ぜってぇオートエイムだろ!ざっけんなよ!……ん?……てめぇ!クソ猫が!見てんじゃねぇ!」
無精髭の少年は窓を開けて吾輩に怒鳴り散らすが、既に少年の射程外に逃げているのでゆっくり観察する。
……テレビの画面は窓とは逆に向いている為確認出来ないが、彼はきっとテレビに映るネズミは取ることができないと理解出来ずに必死に追い続けて居るのだろう……
そう言う我輩も1歳頃までは追い続けていたから気持ちは分かる、吾輩はもう気が付いたがアレは本物ではない……
彼も外に出て実際に追えば本物と偽物の違いが分かるだろうに……
彼は今日もテレビの中のネズミが欲しくて鳴き続けていた……こうして外に誘っても怒鳴るばかりで窓から出ようとしないのだ。
我輩は暫く少年の喜怒哀楽の激しい表情を観察し、その場を離れる。
さて……今日もネズミでも取って家で遊ぶか……
ゴミ置場の横にそっと体を伏せてかなりの時間じっと待っていた。
ネズミ達がドブからゴミ置場に近づいて来る……本命は若い奴だ。
捕まえたい!……その衝動に駆られるが、興奮する自分をじっと堪えて獲物を絞る。
大人は警戒心が強く、吾輩の射程内に入ることは殆どない。
初老鼠は射程外に居るが動きが鈍く、捕まえることは可能……しかし捕まえた後にすぐ動かなくなってしまう。
老鼠はそもそも吾輩がいる事に気がついていて出てこない……まぁ捕まえても初老よりつまらないだろうが……
若い鼠は良い、警戒心が低いものが多く、吾輩の射程を測ることが下手ですぐに侵入する。
少し爪で傷付ければ暫くは元気に走り回るので家で遊ぶには持ってこいだ。
吾輩は狙いを定めてじっと待った……若い鼠は射程内ギリギリの所にあるゴミ袋を漁っている…………今だ!
吾輩は全力で走り、落ちている肉片を嗅いでいた若い鼠に爪を引っ掛け、叩き上げる。
爪は彼の太ももに引っかかり、鼠はもがきながら空中を舞っていた。
鼠が地面に落ちてバウンドしている隙に吾輩は近付き、彼の喉元に喰らいつく……決して殺す力ではないが鼠にとってはもがいて逃げれる力でもない。
甘噛みと本噛みの中間……野良の奴らはすぐに食べてしまうが、吾輩の目的は遊びだ。
観念して動きの止まった鼠の強い鼓動が牙に伝い、吾輩の心は興奮で満たされていく。
嚙み殺したい!……いかん、少し冷静に……ここで殺しては面白くない。
塀を再び登って歩き出した。
もう隣の彼はテレビを観るのをやめたらしい。
自分の部屋に戻り、周りに障害物の無い場所に鼠を離して追い掛けた。
鼠は必死に逃げ回り、小さい隙間に入ろうとするが、それは許さない、
隙間に入ろうとする瞬間、吾輩は爪で彼を引っ掛け咥えて最初の場所に戻して離す。
それを2,3回繰り返して段々動きが鈍くなってきた。
飽きてきたな……そろそろ殺そうか……楽しみだ。
「あらあら……何をしているのかと思ったらまーたん、又鼠を連れてきて!」
ヘルパーは事もあろうに吾輩の前で横たわる鼠を掴もうとする。
パンチで必死に抵抗するが、ヘルパーは吾輩をその重い体でブロックし、鼠を持ち上げて風呂場に持っていく。
クソッ!しまった!……ヘルパーは風呂場のドアを閉めて吾輩を閉めだした。
『ジョボボボボボボ』
不覚だ……再びドアが開き、急いで風呂場に入った時、既に鼠は水で満たされたバケツの中で溺れ死に、上から落ちる水に叩かれクルクル回っていた。
……もう彼の命は失われてしまった……
2度と吾輩にその命を摘み取ることは叶わない……
暫くそこを離れることができなかったが、ベットに横になり少し寝る事にする。
「じゃあ、お婆さん……また明日来ますからね」
「ヘルパーさん、いつもありがとうね」
もう夕刻、窓からは夕日が射している。
『……お主も悪よのぉ……ワッハッハ』
部屋は老人の観るテレビの音だけになっていた。
『クソッ!俺だってなぁ!分かってんだよ!あんな失敗でクビなんてよ!あんなの失敗にはいらねぇ!クソッお前らとは違うんだぁぁ!』
隣のヒゲ少年が壁を叩きながら鳴いている。
「まーたん……大丈夫……」
老人の手は少し震えていた、その時は何故だがわからなかったが、隣のヒゲ少年が廊下に出て吾輩の部屋のドアを叩く。
『おい!ババア!居るんだろ!』
「帰って!」
老人は必死に叫んでいた。
『クソッタレェ!』
ヒゲ少年がドアの中央をバールで叩き壊して手を出し、ドアの鍵を開けた。
吾輩はその音に驚き、ベットの下に滑り込んだ。
「おいババア!金出せ!持ってんだろ!何処だ!」
「ないよぅ、ギャ!」
ヒゲ少年がベットに近づいてバールで老人の頭を何度も叩く。
「出せぇ!ださねぇと!……オラ!言えよ!オラ!」
「グブッ!」
ヒゲ少年の繰り出すバールの金属音が部屋に響いていた。
吾輩は恐ろしくてベットの下で小さくなっていたが、老人は既に死にそうになっていたのだろう。
ベットの下から見えるのは老人の力無く垂れた腕だけだった。
「なんだ?」
また誰かが部屋に入って来たようだ。
「あっ!うわぁぁ!もう、殺ってるぅ!」
「なんだてめぇ!ぶっ殺すぞ!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
ベットの周りが光に包まれ、吾輩は身動きが取れなくなった。
「くっ!うっ!なんだこの光!てめぇ……何をした!」
「えっと……えっ……未来から来た……キミを……過去に送る」
「ああ?……なんだと?何言ってんだ!」
「あ……あっと……えっと……犯罪者は……過去に送る……」
「はぁ?」
「えっと……」
暫く静かな時間が過ぎた。
「おい!何でこっちにいる!もう済んだのか?……おい!何をやっている!」
「あ!川崎さん!……間に合いませんでした……」
「何で殺されているなら再びやり直さなかった!時空座標の固定までしてるじゃないか!」
「なんだぁ?てめぇも!全員ぶっ殺す!俺を離せ!クソッタレェ!俺は有名企業に勤めていたんだぁ!」
「このまま送るぞ……」
「川崎さん……」
「仕方がないだろ……失敗は絶対に許されない……説明は俺がする!光の檻内の遺伝子鑑定を急げ!」
「はい!」
「せて……まず君には状況を聴取する権利があるが聞くかね?」
「うるぜぇ!何なんだ!クソッタレェ」
「聴取権利を行使したとみなす……
君は今からこのアパートの住人の殺害と両親の殺害を行った後、
女性宅に忍び込んで強盗殺人を数件繰り返す……それも猟奇的にね……
この時代の警察は不祥事を隠蔽する為、
真面目に捜査しない、
君は罪を償う事が無いまま寿命を終えた
私達は未来警察でそんな君に刑を執行しに来た、
未来では君の様な犯罪者は過去に送り、罪を償わせる事になっている
過去に500年以上スリップするとバラシアパー崩壊が起きて異世界に飛ばされてしまう……つまり君は今から異世界へ永遠に追放される」
「まだやってねーことで裁くってのかよ!」
「その通りだ」
「川崎さん!遺伝子が2人分あります!」
「くそっ!貸せ!何てことしてくれたんだ!無実の老人を……ん?この遺伝子パターン……本当に人間か?」
川崎と呼ばれるその男はベットの下の我輩を覗き込んできた。
「まったく……猫を巻き込んだな……お前はきちんと仕事ができないのか……しっかりしろよ!」
「おい!テメェ!ベットの下に何がありやがった!」
「お前が知る必要は無い、これが遺伝子から割り出したお前の能力だ、良く読んで理解する事だな」
周囲の光が眩しくなり、瞼を再び開いた時には草の上に立っていたが、吾輩はそろりとベットの下から出た。
周囲は見た事無い場所で草原だった。
ベットの上でヒゲ少年が叫んでいた。
「何だよ猫がいただけか……くそっ!何だってんだ!何が本だよ!……
ふ、ふははは!【マジカルバレット】!」
《ジャコ》
「猫!試し撃ちしてやるぜ!」
吾輩は振り向きギョッとした……ヒゲの持つ銃の銃口が既にこちらを向いている。
吾輩は急いでベットの下に隠れるが、ヒゲ少年は離れてこちらに銃を向ける。
「おうおう!逃げるかよ?ちょうどいいぜ!ベットに対して打つとどうなんだろうなぁ!」
ヒゲの放った弾丸はベットを貫通し、吾輩の前足をかすった。
傷口が熱い!……吾輩は全速力で林へ逃げ込み、身を潜める。
傷口が酷く痛む。
「逃げるかよ!【セキュリレーダー】!」
ヒゲは小箱を召喚して何かを確認し、こちらにゆっくりと近付いてくる。
「無駄だよ〜ん……レーダーは既にお前を捉えているぜ!」
再びヒゲの弾丸が飛んで来る。
弾丸から逃げて近くの林に隠れる。
「まーた逃げやがってよぉ〜、出ておいでよ……ギャハハ!」
恐ろしい……吾輩は自分をなだめる為に毛繕いを始めた。
背中を舐めて尻尾の付け根を噛んだ。
緊張していたからか普段より強く噛んでしまった、その瞬間……何故だか冷静になった。
このまま逃げてばかりで生き残る事が出来るのだろうか……何だこの尻尾は?これは我輩のものでは無い……
吾輩の噛んだ所から尻尾が二本生えていた。
吾輩は自分の能力を理解した。
「ねーこ!オラ!」
ヒゲは猫の居る草むらを撃ちまくった。
猫は飛び上がり、着地地点を狙うが猫はヒゲの思惑とは違う動きをした。
猫の尻尾が近くの木を貫いて空中で止まり、片手片足を木に添えて猫がこちらを見ている。
「我輩を何故攻撃する?食うのか?遊びたいのか?」
「はぁ?しゃべる猫か……ギャハハ!やってやるよ!その尻尾がテメェの能力だな?オラ!」
「遅い!」
猫は尻尾をしならせ、ヒゲの銃を叩き落とし、牙で喉元を狙う。
「遅いのはそっちだぜ!【フラッシュボム】!」
突然、ヒゲの手からコロンと飛び出した箱から閃光と爆音が飛び出して、吾輩は訳も分からず地面に落ちた。
ヒゲは吾輩の腕を強く踏み付けて銃口を向ける。
「オラ!行くぜ!」
《ドドトドドド》
ヒゲの銃から放たれた弾丸が吾輩の尻尾をズタズタに引き裂いて穴だらけにする。
「ヒヒヒヒ……最後はこのバールで殺ってやるよ」
ヒゲのバールが我輩の腹に突き刺さり、激痛が走る。
「ヒヒヒヒ!どうしたよ?痛っ!」
吾輩は最後の抵抗としてヒゲのバールを持った腕を引っ掻いた。
「テメェ!もう許さねぇ!」
「最初から許す気は無いだろう?それよりその腕……どうする気だ?」
「な……グァァァ!」
ヒゲは腕を抱えて地面に叩きつけられ、
吾輩はそれを観察しながら、傷ついた体は尻尾から順に静かに再生ていく。




