7、誰かしら、自分をみている
「それで、何にするわけ?」
愛達と真凪はオフィスの中にいた。
真凪は自分の作業机の椅子に座り、その横で愛達は机の上に並ぶものを眺めていた。
いつもながらの散らかりぶりだ。整理しようが、一日経てば元通りだ。
「何ってことはない。ただ」
「ただ……?」
「君が近いということだ」
ハッとなって、愛達は真凪から離れた。
頬を赤く染める。
「まぁあどうでもいいけど」
「ど、どうでもいいの?!」
と、突拍子のない声をあげる。
「別に。それよりも僕はこれをしなくちゃいけない」
真凪は机の上に載っかる分厚い書類を叩いた。紙にしては、鈍い音がする。
約五十枚、任された書類だ。全てここにある書類は、自分の口が招いたもの。やらないわけにもいかない。
「まだこれも終わってないの……」
呆れながら、一枚の紙を手に取る。
『隊員調査』というものだった。書くことは、この頃の不満や良かったこと。
簡単なメンタルチェック。不満が多ければ、精神内科に連れて行かれる。
この仕事柄、メンタルが傷つくことはよくあるうえのことだった。
「あ……」
と彼はまるで今まで気づかなかったような声を出す。
「はぁあー……。あんた、自分からやるって言ったんでしょ」
「そうだけど……こ、これにはわけが!」
「またあんた、『未来の遺産』のことでー、とか言うつもりでしょ」
「…………」
真凪は何もない中を見あげている。
「図星かい!」
思わず愛達はツッコミそうになる。彼女は関西出身なのだ。
「愛達。これにはふか~い、深い訳があるんだ!」
「友達だから、大体予想できるからいいけど、他の人には通じないからね」
「恩に着る!」と顔の前で手を合わせる。
オフィスには、彼ら以外誰もいない。この時間、午後七時。
普通の隊員なら食堂か、どこかで夕食を食べている時間だ。
いつもなら、この時間でも誰かしらいるはずのオフィスも見計らったように、彼ら以外いなかった。愛達にとっては好都合だった。恥ずかしいところを誰にも見られないからだ。
しかし――
そのオフィスを出て、角を二つ曲がった、左から三番目の部屋には人がいた・集まっていた。
娯楽用のシアタールームだった。座席は十五席。その半分の席がうまっていた。
モニターには、真凪と愛達がデカデカと映っている。
「愛達さんってこんな表情するんですね。初めてみました」
と無理やり連れてこられた隊員の一人が、とりあえず感想をいった。
「ここにいる奴らのほとんどはそうだろうな。まぁあ、俺は先週も見たがね」
ここの大半を連れてきた張本人の、船利がそういった。
「それって、あなたにではなく、真凪隊員に対してですよね」
「あ、当たり前だろ! お、俺にしてくれれば……そ、それはそれで」
船利盛は熱弁するが、誰もそれを聞く相手はいない。
にやけるのを見て、辺りで「キモイ」の一言が連発する。
「おい! ここにいるやつら全員キモいわ!」
「いや、頭一つあなたが一番気持ち悪いです」
冷静な声で一瞥すると、見るものも一つしかないモニターに目を戻す。
これでも先輩なのだから帰るのも、と罪悪感を感じさせる。
映像を通している小型のロボットは天井の角に張り付いていた。約一センチ。角には、光はそれほど入らないため、わかりづらい。それを狙ってのことだった。
音は机の裏に貼った録音装置が拾っている。漏らしがないように、周囲にも貼っていた。
「ここまでする必要はあるのか」と竹枝は船利に聞いた。
すると彼は
「当然だろ! 楽しみであり、俺の生きがいの一つなんだぞ!」
当然のように言った。その言葉が嘘だと思いたかった。
最初は憧れもあった、それも今では……。
固唾を飲んで一秒とも見逃さないとしている、船利をみた。
ただのキモイおじさんだ。目を再び開けようと、その光景は変わることはなかった。
「一番大事なのはこれなんじゃないの?」
『難民捜索』という肩書きの紙だった。リトラクターが主没してから、行方不明になった人の捜査だった。老若男女、全てに当てはまる。彼らが連れて行った、と巷では言われている。だが、それはなんの根拠もない言い訳に近かった。リトラクターに見せかけた、誘拐、殺人事件とも言われ、未だにどちらかは分かってはいない。
問い合わせが多かったためか、こうやって報告書が作成された。
誰がするか、誰だろう。この紙を渡されたのは、一人しかない。
「そうなんだよな~!」
頭を抱える。そう任されたのは自分であり、自分以外は誰一人といない。
なぜ一人なのだと、問いたかったが忘れていた。ここにくるまで忘れていたようなものだった。
「どうすんの」
「やるしかないだろ、普通こういうのは十人ぐらいでするもんだ。なのに」
「隊員は一人。大丈夫、調査には隊員以外ならたくさんいるから」
「とは言ってもな……」
「し、心配なら私が付いて行っても……!」
もじもじしながら言う彼女を見て、先に動いたのは、他ならない。
船利盛。座っていた彼だが、見た瞬間に立った。自然と、体の組織が電気信号で反応するように。目線はモニターを一瞬たりとも離れていない。
「出来ればそうしたいが……無理だろうな」
「私が言えば」
咄嗟に言うが、責任者の名前を出せばそれもなくなるだろう。
「これの責任者は誰だと思う?」
どんよりと真凪は、机の上に突っ伏せながら言った。
「篠部隊長か」
「そう、隊長だ。どうだ、これでも行きたいと思うか」
「うーん……どうしよう!」
今度は愛達も悩み始めた。
今を逃せば、もうないかも知れない。そう思った。
しかし、責任者はあの篠部隊長だ。厳しいに決まっている。それに、あの人のことだ。真凪以外には認めはしないだろう。
「私はやっぱりやめておくよ」
可哀想だが、自分は巻き込まれたくはない。
「まぁあそうなるよな」
突っ伏せるのをやめると、その紙を手に取った。
「いつからするわけ?」
「今週中……にはッ!」
「って言うけど、これ」
紙の右端の部分をみた。そこには期限がキッチリと書いてあった。篠部隊長らしい。
『明日の夜まで、遅刻厳禁。出さなければ……』その次に書いてあったのは、グーの形をした絵文字だ。彼にしては可愛らしいと思ったがすぐさまその考えを改めた。
殴る? いやいや、あの人は自分の口からは殴らないと。……いやもしかしたら、誰もいないからいいだろうといいって半殺し程度殴るかもしれない。
そうあるかもしれない考えを思うと、背筋が冷たくなった。
「はぁ~。どうやら、やるしかないらしい」
「明日は何もないからできるね! やったね!」
自分をおちょくるように言ったセリフだとすぐさま悟った。
何が、やったね、だ! 全然良くないし、終わる気もしないわ! 殴られるの覚悟だわ!
そしてその言葉で、興奮のあまり壁を殴る男もいた。
船利盛、彼以外にありえなかった。他は寝たり、デバイスをいじっていた。真剣に見ていたのは、残念なことに彼しかいなかった。
「あぁああああああ! あの野郎! あの野郎ゥ! 生で! 生で……! あ、あんなことを言わせやがって……!」
気づくと船利の姿は、席からいなくなっていた。代わりにどこか壁を叩く鈍い音が聞こえた。それは遠くかと思ったがそうではない。
――船利が頭を打ち付けていたのだ――
何をやっているのだと、後輩の隊員たちはみていた。中には写真を撮るやつもいる。だがそんなことは気にしなかった、気づかなかった。今の彼は、無我夢中に考えることしかできなくなっていた。
ぶつくさと、同じ言葉「ああ! あぁ! くそ、憎い! 憎いぞ!」と言っているが、その後に小声で「……俺もされたいのに」と呟いていた。
映像は続いている。
「それ俺をおちょくっているだろ?!」
「おちょくってませーン、からかっただけでーす」
「やっぱそうじゃないか!」
「からかっちゃいけない規則でもあるの?」
「そ、それは……」
それを言われては、何も言えない。奥の手を言いやがった。
「はい、私の勝ち~!」
「まぁあ俺は負けでも勝ちでいいわ。オメデトウ、オメデトウ、愛達さん」
棒読みでいう。彼女を褒める気など一切ない。
ここからまだ続けても、愛達が調子づいて何を要求されるか分からない。以前それで金銭的に痛い目をみたことがある、それも二度だ。これ以上はダメだ。俺が死ぬ。
「私をおちょくっているのかなー、ねぇねぇどうなの。ねぇねぇ」
殺気を感じ、すぐさま立ち上がり距離を取る。
今度は彼女がどうかなる、いやどうかはしていない。言い過ぎた、カチンときたのだろう。絶対にされることがある、今日の朝を思い出せ、真凪透。こいつは女性だが、女性でない部分がある、それはよく知っていることだ。
それがとうとう牙をむく。
「一つ言っておく。俺は」
「悪くない、かなー? 私はか弱いんだよ」
言葉を分かったように言った。どうやらもうダメだ。
愛達は感情に支配されている。助けるすべは、自分の身を捧げる。悲しいがそれしかない。
だが、それは最後の手。初手で出してはつまらない。
思いついたことが二つあった。
・逃げる
・女性相手に戦う
逃げるが最善だ。彼女は女性とみない方がいい。手を組んだらおしまいだ、その豪力にまず自分なら負ける。それは一度実践済みだ。
となると、いつ逃げるかだ。タイミングが重要だ、間違えばゲームオーバー。ゲームだ、これは。彼女から逃げるゲームだ、なおコンティニューはない。裏ワザ、攻略法は存在するかもしれないが、まだ発見されていないだろう。
一回きり、自分にとって。
「すまなかった、本当にっすまなかった!」
「え……」
予想外だったのか、優しい声を出した。素の彼女ならこんな感じだ。怒るとあんな感じに冷たく、這い寄ってくる。
最初はこれでいい、あとは――
「俺が悪かった! 悪いのは俺だ! さぁあ、何でもしろ! 殴るなり蹴るなり、今の俺なら何でも許してやる!」
両腕を広げそういった。こう言って、まだしようとする女性はどうかしている。ある意味、これは降参を表している。
「そこまでしなくていいって! 私も悪かったよ、言い過ぎた……」
と彼女は正気を取り戻し言うに違いない。そうだ、そうに違いない!
真凪は彼女がそう言うと思い、口が開くのを心待ちにした。
そうすれば、俺は何の怪我もなくここから脱出できる。
唇が動く。生唾を飲み込んだ。
「え、そうなの。なんだー、つまんないな。まぁあ無抵抗ならいいけどね」
反応と違うじゃないか! おいおい、どういうことだ! これは! 話と違う、普通なら悪かったと謝る部分を「つまんないな」だと?!
ハッとなり、あることを思い出した。
――こいつは女性でない部分がある
そうか。感情までもがそうだったとはな、一つ攻略法が増えたな。
冷静になり、目の前をみた。すると、彼女は殴りかかってくるところだった。
「――おっとっとー!!」
寸で避ける。彼女はやっぱりか、といった表情をする。
「あれあれ? 避けないンじゃなかったけ?」
「前言を撤回します。そして――」
背中を向け、走る体制になった。
「逃げますッ!」
オフィスを駆け抜ける。誰もいないのが、救いだった。いたら出来なかっただろう。
鍛えていたせいかが出たか。距離を離した。
愛達は一瞬時が止まったように動かなかったが、それは違った。
どこから行けば捕まえられるか、考えていたのだ。
説明すると、このオフィスには出入口が二つあった。真凪はもう一方に向かう、たどり着く場所はどちらも同じだ。今追いかけても、捕まえられない。
そうすると、答えは一つだった。近い出入り口から出るというもの。反対方向よりも断然近い。彼女がいるというので、避けていた。
歩いてでも、そこに間に合い合流出来ると彼女は判断していた。
彼女が別の方から行くことが分かると、速度をあげた。絶対に間に合わせないように。
だが、彼がコーナーを曲がろうとしたときに問題が起こった。
何かが足に、つまづいた。止まることは出来なかった、スピードを殺すことのないまま勢い良くこける。
音に気づいた愛達が、こちらを向く。
すると、笑いながら近づいてきた。動くことはしなかった、覚悟を決めた。
「ドジだね」
ただそれだけ言った。
「元より私、痛めつける気なんてなかったのに、むきになって逃げちゃって。子供みたい」
いやいや! 最初のアレは確実に顔に一発当てようとしたろ!
それより何に引っかかったんだ?
頭を下に向けると、それはあった。小型のカメラだった。固定の監視カメラは別にある。ではなんだ? 丁寧にコードが外へと続いていた。これの持ち主がそこにいるんだろう。
「ん? なにそれ」
と足元のものに気づくと手に持ち上げた。
「こ、これって……」
「撮っていたんだろう。誰だか分からないが、丁寧にコード付きだ」
「私たちのことを……?」
おそるおそる愛達は訊いた。
それに怯える彼女でもないだろう、別に問題発言はしていない。
すると彼女は持ったカメラを握力で粉砕した。
「ワーオ……」
自然と呟いていた。
「じゃ、じゃあまた明日―」
「あ、ああ」
返事をすると、彼女はコードを見ながらその場を後にした。
良かった、何もされなかった。撮っていた彼には悪いが、どうか痛めつけられてくれ。
「これってやばいんじゃ……」
隊員の一人が言うと、彼らは急いでその場から出て行く。キモイ先輩のことなど、知ることはない。痛めつけられても、彼なら大丈夫だろう。マイナスからプラスに変換してくれる。
依然として、彼のする行動は変わらない。壁に頭を打ちながら呟く、それを続けていた。
彼女が来るとは思ってもいない、いつか思ったのかもしれないが悪い意味ではない。
これは悪い意味でやってきているのだ。
「絶対に許さない、誰がやろうと知ったことか。私は私の出来ることをするだけ」
彼女も何かに支配されたように、つぶやきながらコードを辿っていた。徐々に距離は短くなり、ついにコードが出ている部屋を発見した。
「……ここね」
ドアなど彼女にとってないに等しい。開けられたものを彼女は蹴り破った。
中の男は夢から覚めたように、愛達の方を向いた。
「あなたが、これの持ち主?」
「え、ええそうです。それがどうか」
「どうかした? じゃなくて」
粉砕したカメラをみせた。
「これで何していたの?」
微笑みながら、首を傾けた。
「言ってもいいのですか?」
「ええ。どうぞ、どうぞ、言ってください。その口から何もかも洗いざらい」
「私が――」
まるで刑事と犯人のようになっている場所で、後ろから足音が聞こえた。
まずい、誰かくる。こんな私を見られては。
いつもの日常とこの場面どっちか、それは前者だった。
後ろを振り向くと、篠部隊長が立っていた。その横には、ポツリと真凪もいた。
「何をしている」
真凪が流石に自分では無理だと思い、呼んだのだろう。
「い、いえ私は」
「じゃあその手に持つのはなんだ? 機械のように見えるが」
言われて、手を後ろに隠す。
「これは何でもありません! 拾っただけです」
「もう一つ聞きたい」
「はい、なんでしょうか?」
「あの男はなぜ倒れている?」
視線を向けた先では男が、知らぬ間に倒れていた。その股間部は濡れていた。
「きょうは――」
「してません! 私がするような人間だと思いますか!?」
これは流れが悪い、変えなければずっとこういったキャラだと見られ続けてしまう。
男性を痛め気持ちがいいキャラ――ドSキャラが定着してしまう。
「どうなんだ、エース候補」
「え、それはですね」
そうだった、彼がいた。彼は私の本当の姿を知っている。言うに決まっている。
「彼女は凄いです。パワフルで、もう男性が勝てないぐらい、そんでもって硬いものを破壊しちゃうくらい。でも……」
「優しくて可愛い人なんです」
続けていった。それがフォローしたように感じなかった。
「パワフルねー……」
篠部はじっと、愛達を下から頭の先までみた。
「そうには見えないと思っておこう、後の『優しくて可愛い人』とだけ聞いたことにしておこう」
「し、篠部さん」
尊敬の眼差しをおくった。
彼の行動で少しは態度を変えようと思った。
「だが、やることは変わらん」
指差した先には、破損したドアがあった。
「どうするんだ?」
「べ、弁償します……。私の責任なので」
「はぁあ……」
と篠部は大きなため息を吐いた。
「こいつはどうする、変態なのか?」
「変態です!」
愛達は断言した。
見たところ、彼女の言うとおりだろう。まず、自分のことを撮影することもあるまい。同じ男性同士だ、興味を持たれては困る。
「一緒にこい、愛達。あと、お前はエース候補なのだから倒れた人ぐらいは運ぶのが使命というものだろう」
皮肉を込めて、篠部は言った。
これでエースになれればいいが、なれないだろう。助けることはそうだが……。
「はぁあ~……何で俺まで」
「トホホな状況なのは私も同じだ、お前たちの隊長なのだからな」