最初の会話
時計に目をやると、六時半を過ぎていた。
納期が二日後に迫っている図面を完成させる為、朝からパソコンの前。
疲れを覚えた孝雄は、「今日は、一日誰とも喋ってないなー」と独り言を言いつつ、
眼前のショートホープに手を伸ばした。最後の一本のタバコに火を点け、部屋を見渡す。
雑然と置かれたカタログ類。テーブルには、飲み残しのインスタントコーヒとタバコの空箱。
納期に迫られた時の場景は、ここ二、三年、少しの変化も見せていなかった。
それはまるで、成長の止まった自分を見るようだった。今夜も徹夜の予感。
気分転換がてら、コンビニまで夜食の買出しにでも行こうかと思い、右手のマウスは、
CADの終了ボタンへ向かった。
彼の間借りしている事務所から、コンビ二まで1キロ近くある。
車で行けばよいのだが、それでは気分転換にならないと思い、夜食買出しは、徒歩を原則としていた。
外は、真夏の熱気を残し、一日中CADと格闘している孝雄にとって、町行く人はどこか心浮れ、別世界の人種の様に感じられた。
自分の生活の異常さを、実感する瞬間でもある。
しかし、その事は彼にとって苦ではなかった。
歩いて10分ほどのこの距離が、正常な生活に引き戻してくれそうな気がした。
もっとも気分の上だけだが。
遠くに、街のホットステーションの看板が見えてきた。
孝雄は、少し足を速めた。少しタバコを吸いたくなった為。
駐車場は車であふれ、入り口付近には、若い男女が地べたに腰を下ろし談笑していた。
多分高校生だろう。
それらの間を通り抜けドアーを開けると、間一髪いれず
「いらっしゃいませ!今晩は!」の挨拶。
何時来ても、マニアル化された応対は、反応が早く機械的だ。
混み合う店内を回り、迷う事無く、カップ麺、おにぎり、お茶等数点の夜食を取り揃えた孝雄は、レジに向かった。
二つあるレジはどちらも二、三人が列をなし、その片方の後に並び、レジを打つ女性に目をやると見知らぬ顔だ。
どうも新入りのアルバイトのようだ。二十歳前後だろうか?
バーコードリーダーの取り扱い、商品価格の復唱、がどこかぎこちない。
初めてのバイトなのだろうか?ぎこちなさの中に真剣味が見られ好感が持てた。
変わった事に、夏だと言うのに長袖のシャツの上に半袖のコンビニのユニホームを羽織っている。
「冷房の効きすぎか?それとも今はやりのファッションなのか?」などと考えていると
ついに孝雄の順番になる。
手にした数点をカウンターに出し
「これにあと、ショートホープ二つお願いします」
「え?ショートホープ?」と言いきょとんとした顔をしている。
どうも彼女は、ショートホープが解らないらしい。
「タバコ。24番のケースに入っているタバコを2個お願いします」と孝雄。
動揺しつつ後ろを振り向き24番のケースを探す彼女。
24番のケースより先にHOPEの文字が目に留まったのか、26番ケースのショートホープのレッド指差し
「これですか?」と振り向く。
「そのケースの隣の隣ケースの青い矢のあるタバコ」と孝雄
ようやく24番ケースのタバコにたどり着いた彼女に安堵の表情。
それにつられて孝雄からも思わず笑みがこぼれた。
これが、孝雄と彼女の最初の会話だった。