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「おとうさん! おとうさん、どこですか!」
エプロンドレスを身に纏う女性は、高齢の父を探していた。家の中はくまなく探したが、自室にも、テラスにも、その姿は確認が出来ない。家の中にいないという事は、もしかしたら曾孫の少女と共に、アカシアの花畑にいるのかもしれない。身体が悪く、床に伏せがちの父は齢九十にもなるが、体調がよいとすぐに周囲の目を盗んで外出してしまうから困ったものだ。
アカシアの花畑は、家から二キロ先にある。そこまで迎えに行っても良いのだが、自分もそう積極的に動いてはいけない身分なのだ。
女性の娘は出産を間近に控えていた。助産婦もじきに来宅する手筈になっているため、今家から離れるわけにはいかないのだ。
女性がどうしたものかと庭先を往復していると、数十メートル先の並木通りから、少女のはしゃぐ声が聞こえた。
聞き覚えのある声に、思わずポストの位置まで駆け寄る女性。
「おとうさん! どこにいっていたんですか? 何も言わずにいなくなるから心配したんですよ。娘のお産ももうすぐですし、おとうさんにはもう少し長生きしてもらわないと」
女性の捲し立てるような言葉に、杖をついた老父は苦笑を浮かべる。老父の傍らには少女。彼女はもうすぐお姉さんになる。
少女には先に家へ行くように話をつけ、女性は老父の身体を支えるように肩に手を回し、老いて軽くなった父と共に家へ戻る。
春先の暖かな風が頬を撫で、香りをさらっていく。
足下に注意をしながらテラスの階段を登る。すると、老父は女性にテラスの椅子に座らせるように指示を出す。
お気に入りのロッキンチェア。父はここから外を眺めるのが大好きなのだ。
父の指示に従い、老父を静かに椅子に座らせる。
「おとうさん、私、娘の様子見てきますから、ここにいて下さいね。もうすぐ陽も暮れます。寒くなるといけませんから、しばらくしたら中に入りましょ。ね?」
女性の問い掛けに、老父は僅かに手を挙げ、破顔で答える。
女性は産気づいている自分の娘の元へ行く。
老父は、キイキイと音を鳴らしながら、お気に入りのロッキンチェアを前後に揺らす。
一回鳴ったら、1。
二回鳴ったら、2。
三回鳴ったら、3。
椅子が鳴るたびに数を数える。
どこか、遠い昔に楽しかった思い出。
老人は静かに目を閉じた。
了




