辺境の地
辺境の地に続々と開拓団がやって来る。
開墾が始まって早3年、初めの頃と比べれば田畑も町も出来上がったものだけども、やはりまだまだ開発の余地は多いにある。そんな土地に思いを馳せて、家族で、企業で、単身で乗り込んできた者たちの村。
ここに住み着いてしまえば国籍もない。開拓団のただ一つの目標は『立派な星に育てあげること』。
寂しくなりゃ、夜空を見上げればいいじゃないか。遠くでキラリと懐かしき地球が見えるのだから、何も心配することなど無い。
「日本に帰りたいなぁ」
机に真っ白な紙を広げ、鉛筆を転がしながら智也は窓から星空を眺める。
父親の都合とはいえ、辺境の星に移住することは智也にとって不本意であった。こんなことになるはずではないと、ひとりで唇を噛み締める。
突然の辞令。
『小惑星開拓部第1グループ長に任ず』
早い話がリストラだ。日本の本社から子会社に出向させられた。小惑星開拓の為に設立された関連会社。まだまだ開けていない土地では物価が安い。その分、給料も多く出さなくてもよい。子会社、つまり別会社だから給与も本社勤務より落とすことも出来る。開拓費用は経費で落とせ。出来るだけ抑えて。会社の命令だ。
表向きには夢あるお仕事。智也の父親は黙ってこの星に家族を連れて移住することにしたのだ。
開拓団の指揮を執る智也の父親は帰宅が遅くなることが、日本にいるときより多くなった。
日も落ちたひと時、父親の帰りがきょうも遅い。夕飯もそれにあわせて遅くなってきた。
夕飯を待つ間、智也は真っ白な紙にコマをきり、がりがりと絵を描き始めた。ふきだしの中には青臭いセリフ。ストーリーがご都合主義なのはご愛嬌。時間を忘れて机に向かっていると、母親が智也の部屋にやって来た。
「智!また紙の無駄遣いして!」
智也は母親の金切り声に反応して紙を裏返す。マンガを描くことが気に入らないらしい。
中学生になって智也は母親という人物がとんと苦手になってきた。
「ここは東京と違って、紙は手に入りにくいんだからね」
「母さん、勝手に入ってこないでよ」
「何言ってるの。きょうは久し振りに地球からの配給がきたんだから、夕飯は懐かしいものにするよ」
「知ってるよ。母さんの仲間が送られて来たんだろ」
智也は母親のふくよか過ぎる体型を見て、精一杯の反抗を示した。
確かに物価は安い。それは生活に必要なものだ。しかし、文化に関するもの、とくに紙は地球からの物資の供給のみでまかなわれているので、湯水のように使うことをはばかられる。それほど、この星での文化は地球よりも育っていないと言うことだ。
智也はこれ以上マンガの続きを描くことが出来なくなり、部屋を出て星空を全身で受けることにした。
澄んだ空気が星空を名優に仕立て上げる。
夜、表に出て見上げるだけで、酔いしれるほどの舞台を鑑賞できるなんて、中学生の智也には贅沢すぎる。だが、それが許されるのもこの星の住人の特権だ。
地球でも見慣れたオリオン座は嫌でも目に入ることに、ちょっとうんざりしていると隣に住む娘がやってきた。
「どうしたの?トモ……。浮かない顔をしてるじゃない」
「いや、なんでもない」
「なんでもないことじゃないわ」
「アリサさんには関係ないし」
「隠し事をするなんて、この星じゃハグをしない恋人同士ぐらい罪なことね」
アリサと呼ばれた娘の髪が家の灯かりに照らされて、昼間よりもブロンドの金色がきれいに見える。
同じ地球からやって来た彼女は智也よりも年上、地球ではハイスクールに通っていた。しかし、小惑星開拓者求むの広告を見て、一人身でやって来たのだ。クラスメイトにも会えず、ホームパーティも開けないこの星を開墾することを一生の仕事に選んだ理由は「土地にわたしの名前を刻みたいから」だと言う。
「良いニュースと悪いニュースがあるわ。まず、良いニュース」
「……」
「わたしたちの村に腕利きの技師が来る契約が結ばれたこと」
「知ってる、学校でも話題になってた」
「悪いニュースはトモがそれを全然喜んでいないことよ」
新たな技師の赴任はこの星を飛躍的に開発させる。しかし智也は父親の境遇を見ていたせいか、彼にとっては星の開発には全く興味を持ってなかった。ただ、マンガを描いて暮らしてゆきたいだけだった。
インターネットも繋がらず、本も手に入りにくいこの星は智也には窮屈すぎる。だが、アリサにとっては毎日この星が開けてゆくのを見るのが楽しくて、そして自分たちが頑張った分だけ自分たちのものになることが嬉しかった。アリサは自分たちの開拓団に誇りを持っていたからだ。
「そう言えば、トモの母国ではクリスマスのお祝いの後、もうひとつ大きなパーティがあるんですって?」
「え?あったけ」
「冬コミよ。コミケ」
「……やめてよ。そんな話」
「自分たちで描いて、印刷して、ホームパーティのようにみんなで集まって売る『同人誌即売会』。文化としてもビジネスとしても素晴らしいわ。まさにクールジャパンね」
隣人ゆえ、智也はアリサに日本のマンガをしょちゅう貸していたせいかどうか分からないが、アリサはそういう日本の文化に興味を持っていた。
地球ではそんな華やかなパーティが開かれようが、辺境の星に住む彼らにはどう足掻いても手に届かないものであった。
「ぼくなんか、この星にいらないヤツだし」
「そんなことないわ、トモ。これからこの星もだんだん成長して、やがてトウキョウみたいな街へと発展するわ。その日までトモはマンガを描き続けるべきよ」
「マンガ描いていたら母さん、怒るし。父さん、本社から飛ばされるし」
「本社での出世を望むなんて、トモはやっぱり日本人ね。でも、トモのパパは立派なビジネスマンよ。今回の技師との契約もあなたのパパの仕事の結果だし」
ただ、マンガが描きたい。
それだけ。
ほかは望まない。
彼らが住む星でも夜は肌寒い。智也は思わず身震いをした。
「トモ、ママの温かいミソスープが待ってるわよ。いいにおいがここまで届いてくるわ」
智也は「ホントは豚汁なんだけどな」とアリサに聞こえないように呟いた。
おしまい。