第三話 重力操作、ちょうどいい負荷だ
「──獣臭いなぁ。せっかくの聖域が台無しじゃん。俺様の村で何してくれてんの?」
間の抜けた、それでいて傲慢な声が響いた。
教会の門の影から、一人の男が歩み寄ってくる。
見た目は二十代前半。いかにも高価そうな、装飾過多な軽鎧を身に纏い、腰には宝石を埋め込んだ剣を下げている。
だが、その歩き方は重心が浮いており、一目見て「鍛えていない」ことが丸分かりだった。
「あ……レオン様……!」
リリスの顔が、恐怖で瞬時に青ざめる。
レオンと呼ばれた男は、俺が焼いている熊肉を蔑むような目で見下ろし、鼻を鳴らした。
「聖女ちゃんさぁ、新しい愛人でも召喚したわけ? 趣味悪すぎない? そんな筋肉ダルマ、今どき流行んないよ。ステータス画面、見たことある?」
レオンは空中に指を走らせる。
そこには、彼にしか見えない「ステータス」が表示されているのだろう。彼は勝ち誇ったように、俺を指差した。
「お前さ、レベル1じゃん。称号も……『変態』? ぷっ、ウケる。悪いけどさ、この世界は『数値』と『権能』が全てなんだわ。俺の【重力操作】があれば、お前みたいなノロマ、指一本で潰せるんだよね」
男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、右手を俺に向けた。
「とりあえず、その汚い肉ごと地面に這いつくばりなよ。──『重圧』!」
突如、俺の肩に目に見えないほどの「重み」がのしかかった。
周囲の地面がメキメキと音を立てて沈み込み、リリスは悲鳴を上げてその場にへたり込む。
だが。
「……ふむ」
俺は、炙っていた肉の焼け具合を確認し、最後の一口を口に運んだ。
咀嚼し、嚥下する。
うん、消化吸収が始まっている。良い感覚だ。
「おい、聞いてんのか……? なんで立ってられるんだよ。通常時の十倍の重力だぞ……!?」
レオンの顔から余裕が消え、焦りが混じり始める。
俺はゆっくりと立ち上がった。
確かに、この負荷は悪くない。まるで、一トン近いバーベルを背負ったままスクワットをしているような心地よさだ。
「お前が『間引き対象』の第一号か。……礼を言うぞ」
「は、あ……?」
「今の俺には、食後の軽い運動が必要だったんだ」
俺はミシミシと音を立てて、重力圏内を「普通に」歩き出した。
「な、なんで……なんで動けるんだよ! 重力だぞ!? 通常の五十倍……いや、百倍にしてやるッ!!」
レオンが血走った目で両手を突き出す。
彼の周囲の石畳が凄まじい圧力で粉々に砕け、ミシミシと不気味な音を立てて地盤沈起を起こしていく。聖女リリスは、その余波だけで呼吸すらままならず地面に這いつくばっていた。
だが、俺は一歩、また一歩と、その重力の渦中を平然と進む。
「……なるほど。広背筋と大腿四頭筋にいい刺激がくる。この負荷、自重トレーニングとしては最高だな」
「バ、バケモノかよ……っ! くるな、こっちにくるなぁぁ!」
レオンが腰の剣を抜こうとした。だが、自分の魔力で増幅させた重力に腕が追いつかず、指先が震えるばかりで鞘から抜くことすらできない。
道具に頼り、自らを鍛えることを忘れた者の末路だ。
俺はレオンの目の前で立ち止まり、静かに拳を握り込んだ。
筋肉が収縮し、鋼鉄が擦れるような音が鳴る。
「食後の運動にしては、少し強度が足りなかったが……」
「ひ、ひぃっ……!」
「さぁ、現実に帰る時間だ」
俺の言葉に、レオンの顔が絶望に染まる。
この世界で手に入れた富、権力、女。その全てを失い、退屈で窮屈な「元の世界」へ戻される恐怖。彼にとっては、死よりも受け入れがたい現実なのだろう。
「嫌だ……! 嫌だ、嫌だぁぁぁぁぁぁ! 俺はここの王なんだ! あんなゴミみたいな世界に、誰が戻るかよぉ!!」
泣き叫ぶレオンの顔面に向けて、俺は最短距離で拳を突き出した。
「──正拳」
ドンッ、と。
空気が爆ぜる音が教会に響き渡った。
派手なエフェクトも魔法陣もない。ただの純粋な質量の移動。
レオンの【重力操作】という概念ごと、俺の拳が彼の顔面を捉えた。
「が……っ、は…………」
レオンの体が、まるでゴムまりのように弾け飛ぶ。
教会の門を突き破り、空中で数回転した彼の背中に、突如として眩い光の紋章が浮かび上がった。
『──不適合勇者、レオン。権能を剥奪し、現世へ強制送還する』
空から響く無機質な声と共に、レオンの体は光の粒子となって霧散していく。
彼が最後に残したのは、この世の終わりを嘆くような、情けない絶叫だけだった。
静寂が訪れる。
俺はゆっくりと拳を引き、乱れた呼吸を整えた。
「……ふぅ。いいパンプアップになった」
呆然と立ち尽くしていたリリスが、震える足で歩み寄ってくる。彼女の眼には、今しがた起きた「奇跡」がはっきりと映っていたようだった。
「……消えた。レオンの魔力反応が、完全に消滅しました。……那由多様、今のが『間引き』です」
「死んだのか?」
「いえ、神々による『強制送還』です。彼は今ごろ、自分が元いた場所……日本の自室か、あるいは路上か、召喚される直前の場所へ戻されたはずです。もちろん、神から与えられた力も、この世界で得た富も、全て失った状態で」
リリスは、レオンが消えた空を見つめながら、少しだけ複雑そうな、けれど晴れやかな表情で言った。
「彼らにとって、これ以上の屈辱と絶望はないでしょう。……那由多様。あなたの『筋肉』が、神の理不尽さえも上回ることを確信しました」
「……そうか。なら次だ。次のターゲットはどこにいる?」
筋肉が冷めないうちに、次のセット(間引き)に移る必要がある。
俺はまだ、プロテインのゴールデンタイムを終えたばかりだ。
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