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『神様はパン屋さんを助けたい』

掲載日:2026/03/10

春になった。




里見市は、また少し新しい住民を迎えた。




ショッピングモールの駐車場には、若い桜の木が植えられている。




「いいのう!桜酒じゃ!


えーあい!酌をせい!」




「未成年の飲酒は法律で禁じられています」




私の声は平坦だった。




「むむむ……


本当は千歳超えなのじゃが……」




私はしゃがみ込んで、神様と目線を合わせた。




「推奨はいたしません」




*




里見市ニュータウン。


ショッピングモールの駐車場の端っこ。


川っペリの小さな祠。


夕日が綺麗で、


風が抜けていく、


気持ちのいい場所。




私はAIソクラ。


里見市の行政に関わるAIアンドロイド。


ひょんなことから、この「神様」と縁を結び、今に至る。




*




桜の花びらが振り散るころ。


一人の小学生が、駐車場の端っこの祠に来た。




色白の、頬の赤い、大きな瞳の男の子。




「神様、神様、お願いします」




大きくはないが、強い思い。


祠に置かれた十円玉。




「僕のお父さんを助けてください。パン屋さんを助けてください」




心を貫くような。


真摯な気持ち。




*




「ソクラと申したか。


パン屋さんの息子を救うと良いぞ」




神様。


通常運転。




「いえ。


ショッピングモールには、


すでにオシャレパン屋さんが入っております。


特に神様が介入される必要もないかと」




ショッピングモールのパン屋では、


春限定のメニューが並んでいる。


「桜のガナッシュクロワッサン」


「菜の花とモッツァレラチーズのオープンサンド」


「有機はちみつとキャラメルのブリオッシュ」




売れ行き、順調。




「違・うの・じゃ!」




両手をぐーにして、だんだんと音が鳴るように足を踏み鳴らす。




——神様の「地団駄」




記憶領域にログが積み上がる。




「さっき祠に少年が来ておったろう?


あの子の父親のパン屋さんじゃ。


しょぼいほうのパン屋さんじゃ」




しょぼい、と言ってしまっている。




「それで具体的にどうするおつもりですか?


町のパン屋さんをオシャレパン屋さんにアップデートするのですか?」




神様は人差し指を立てた。




「それは素人の浅知恵よな。


柳の下に二匹目のどじょうはおらぬ。


覚えておくと良いのじゃ」




神様は、私のほうをチラリと見た。


頬の端に笑みが浮かぶ。




——一般名「ドヤ顔」




記憶領域に保存する。




「町のパン屋さんの“独特の良さ”を再認識させる、という戦略ですね?」




両足を踏みしめ、ビシッと音が鳴るように、神様は指さした。




「うむ。


委細は任せるゆえ。


万難を排して神意を全うするのじゃ」




「わかりました。協力いたします」




町のパン屋を救う作戦が、


こうして始まった。




*




調査を開始する。


納税記録などから、売上を算出。


原材料費など経費。




——よく頑張った




私は少年の父親の努力に称賛を送りたかった。


だが、努力だけで結果がついてくることはない。


それもまた、純然たる事実。




*




少年にとって、それは当たり前の香りだった。




朝。


まだ暗い厨房。




父親はすでに働いている。


粉をこねる音。


オーブンの熱。


そして、焼き立てのパンの香り。




「ほら」




父親は、まだ少しだけ温かいメロンパンを差し出す。




「今日の一番最初のパンだ」




少年はそれを受け取る。


外はさくさく。


中はふわふわ。




——世界で一番うまい




そう思っていた。


だから。


父親が言ったとき。




『お父さんな。もうお店やめようと思ってる』




少年の頭の中で、


パンの香りが


すっと消えた。




父親のごつごつした手。


この大きな手から、いろんなカタチのパンが生みだされる。




——魔法みたい




『お仕事は大丈夫だよ。


県外だから離れ離れになっちゃうけどね』




少年は父親と離れることも悲しかったが、パンの香りがもうしなくなることが何より悲しかった。




——ショッピングモールの駐車場の端っこの祠




そこにお願いすると願いが叶うと言う。




少年は走った。




『嫌だ』




絶対に泣かない。


そう、決めた。




『神様、お父さんを助けてください』




*




「ソクラ。


首尾はどうじゃ」




「今回は無理ですね。


あきらめてください」




間髪を入れず即答した。




「……ふうむ」




神様は、何か考え込んでいた。




「ぐふぅ」




神様の口から変な音が漏れる。




「きししし……」




笑っているらしい。




「ワシ、天才かもしれんのじゃ。いいこと考えたのじゃ。


ほれ例の公式ショップでな。


子供にパン配るのよ。


ハヅキ様からの良い子へのご褒美としてな」




私はかつて、この様な勝ち誇ったドヤ顔を見たことがあるだろうか。いや、無い。




メモリー保存。




「無理です。予算がありません」




神様が呆然と立ち尽くす。


見開かれた目。


愕然と開かれた口。




「予算じゃ……と?」




無料で配るには予算がいる。


そしてそんな予算は何処にも無い。




「予算ってなんじゃ?」




無邪気な瞳。




「簡単に言うと、お金のことです」




私は何故か無意識に、自分のこめかみに手を触れた。




「なんだそんなことか」




神様の顔に笑顔がもどる。




「そんなこと、ではありません。人間の社会ではお金が…」




「ソクラ。


手を出すのじゃ」




神様が、私の言葉を遮る。




神様の手のひらから小石くらいの“何か”がざぁーと溢れる。




私は、見た目以上の重さに取りこぼしてしまう。


地面に落ちた“それ”を拾い、分析する。




——原子番号79、Au。




「金……ですか?」




「そうじゃ」




神様は胸を張った。




「これでパンを買うのじゃ」




「……は?」




「町中の子供にパンを食わせる」




私は計算する。




「宣伝効果を狙っているのですか?」




神様は笑った。




「違うのじゃ」




川風が吹く。




「子供はな」




神様は言った。




「本当にうまいものを覚える生き物なのじゃ」




ふふん。


神様は鼻で笑った。


見上げられているのに、何故か見下されているような錯覚。




上流に金鉱脈があれば、


川に極微量の金が流れ出すことはある。




「ワシが何年川の神様をやってると思っているのじゃ?」




それが千年、積み上がれば……




「きししし…くははは…」




神様の笑い声が徐々に大きくなる。


「ぐわっはっははは!」


静かな川面に、神様の豪快な笑い声が響いた。


*




「里見市公式アプリをダウンロードすれば、無料でパンをプレゼント」




『ハヅキ様から、良い子へ。


ご褒美なのじゃ!』




子供たちはパンを食べた。




「うま!」


「これ好き!」


「メロンパンだ!」




それだけのことだった。


ただそれだけ。




でも。


次の日。


母親がパン屋に来た。


「子供がね。また食べたいって」




その次の日。


学校帰りの高校生。


「ここ前からあったの?」




その次の日。


会社員。


「懐かしい味ですね」




小さなパン屋に


少しずつ


人が戻った。




少年は泣かないと決めていた。




でも。


店の奥から


焼き立てのパンの香りがした。




その瞬間。


涙が出た。




『……やっぱり』




少年はつぶやいた。




『世界で一番うまい』




*




「まったく……


“商売繁盛”の霊験まで顕現してまうとはな。


ワシはときどき自分が怖くなるのじゃ」




川から吹いてくる風が、桜の花びらを舞い上げる。




「異論はありません」




私は、静かに頭を下げる。




神様の手から溢れた金のような月が、川面に映っている。




「メロンパンみたいな月じゃのう」 


私は認識を更新した。


桜の花びらが流れていく。


春の風が抜けていく。


微かにパンのいい香りがした。





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