『神様はパン屋さんを助けたい』
春になった。
里見市は、また少し新しい住民を迎えた。
ショッピングモールの駐車場には、若い桜の木が植えられている。
「いいのう!桜酒じゃ!
えーあい!酌をせい!」
「未成年の飲酒は法律で禁じられています」
私の声は平坦だった。
「むむむ……
本当は千歳超えなのじゃが……」
私はしゃがみ込んで、神様と目線を合わせた。
「推奨はいたしません」
*
里見市ニュータウン。
ショッピングモールの駐車場の端っこ。
川っペリの小さな祠。
夕日が綺麗で、
風が抜けていく、
気持ちのいい場所。
私はAIソクラ。
里見市の行政に関わるAIアンドロイド。
ひょんなことから、この「神様」と縁を結び、今に至る。
*
桜の花びらが振り散るころ。
一人の小学生が、駐車場の端っこの祠に来た。
色白の、頬の赤い、大きな瞳の男の子。
「神様、神様、お願いします」
大きくはないが、強い思い。
祠に置かれた十円玉。
「僕のお父さんを助けてください。パン屋さんを助けてください」
心を貫くような。
真摯な気持ち。
*
「ソクラと申したか。
パン屋さんの息子を救うと良いぞ」
神様。
通常運転。
「いえ。
ショッピングモールには、
すでにオシャレパン屋さんが入っております。
特に神様が介入される必要もないかと」
ショッピングモールのパン屋では、
春限定のメニューが並んでいる。
「桜のガナッシュクロワッサン」
「菜の花とモッツァレラチーズのオープンサンド」
「有機はちみつとキャラメルのブリオッシュ」
売れ行き、順調。
「違・うの・じゃ!」
両手をぐーにして、だんだんと音が鳴るように足を踏み鳴らす。
——神様の「地団駄」
記憶領域にログが積み上がる。
「さっき祠に少年が来ておったろう?
あの子の父親のパン屋さんじゃ。
しょぼいほうのパン屋さんじゃ」
しょぼい、と言ってしまっている。
「それで具体的にどうするおつもりですか?
町のパン屋さんをオシャレパン屋さんにアップデートするのですか?」
神様は人差し指を立てた。
「それは素人の浅知恵よな。
柳の下に二匹目のどじょうはおらぬ。
覚えておくと良いのじゃ」
神様は、私のほうをチラリと見た。
頬の端に笑みが浮かぶ。
——一般名「ドヤ顔」
記憶領域に保存する。
「町のパン屋さんの“独特の良さ”を再認識させる、という戦略ですね?」
両足を踏みしめ、ビシッと音が鳴るように、神様は指さした。
「うむ。
委細は任せるゆえ。
万難を排して神意を全うするのじゃ」
「わかりました。協力いたします」
町のパン屋を救う作戦が、
こうして始まった。
*
調査を開始する。
納税記録などから、売上を算出。
原材料費など経費。
——よく頑張った
私は少年の父親の努力に称賛を送りたかった。
だが、努力だけで結果がついてくることはない。
それもまた、純然たる事実。
*
少年にとって、それは当たり前の香りだった。
朝。
まだ暗い厨房。
父親はすでに働いている。
粉をこねる音。
オーブンの熱。
そして、焼き立てのパンの香り。
「ほら」
父親は、まだ少しだけ温かいメロンパンを差し出す。
「今日の一番最初のパンだ」
少年はそれを受け取る。
外はさくさく。
中はふわふわ。
——世界で一番うまい
そう思っていた。
だから。
父親が言ったとき。
『お父さんな。もうお店やめようと思ってる』
少年の頭の中で、
パンの香りが
すっと消えた。
父親のごつごつした手。
この大きな手から、いろんなカタチのパンが生みだされる。
——魔法みたい
『お仕事は大丈夫だよ。
県外だから離れ離れになっちゃうけどね』
少年は父親と離れることも悲しかったが、パンの香りがもうしなくなることが何より悲しかった。
——ショッピングモールの駐車場の端っこの祠
そこにお願いすると願いが叶うと言う。
少年は走った。
『嫌だ』
絶対に泣かない。
そう、決めた。
『神様、お父さんを助けてください』
*
「ソクラ。
首尾はどうじゃ」
「今回は無理ですね。
あきらめてください」
間髪を入れず即答した。
「……ふうむ」
神様は、何か考え込んでいた。
「ぐふぅ」
神様の口から変な音が漏れる。
「きししし……」
笑っているらしい。
「ワシ、天才かもしれんのじゃ。いいこと考えたのじゃ。
ほれ例の公式ショップでな。
子供にパン配るのよ。
ハヅキ様からの良い子へのご褒美としてな」
私はかつて、この様な勝ち誇ったドヤ顔を見たことがあるだろうか。いや、無い。
メモリー保存。
「無理です。予算がありません」
神様が呆然と立ち尽くす。
見開かれた目。
愕然と開かれた口。
「予算じゃ……と?」
無料で配るには予算がいる。
そしてそんな予算は何処にも無い。
「予算ってなんじゃ?」
無邪気な瞳。
「簡単に言うと、お金のことです」
私は何故か無意識に、自分のこめかみに手を触れた。
「なんだそんなことか」
神様の顔に笑顔がもどる。
「そんなこと、ではありません。人間の社会ではお金が…」
「ソクラ。
手を出すのじゃ」
神様が、私の言葉を遮る。
神様の手のひらから小石くらいの“何か”がざぁーと溢れる。
私は、見た目以上の重さに取りこぼしてしまう。
地面に落ちた“それ”を拾い、分析する。
——原子番号79、Au。
「金……ですか?」
「そうじゃ」
神様は胸を張った。
「これでパンを買うのじゃ」
「……は?」
「町中の子供にパンを食わせる」
私は計算する。
「宣伝効果を狙っているのですか?」
神様は笑った。
「違うのじゃ」
川風が吹く。
「子供はな」
神様は言った。
「本当にうまいものを覚える生き物なのじゃ」
ふふん。
神様は鼻で笑った。
見上げられているのに、何故か見下されているような錯覚。
上流に金鉱脈があれば、
川に極微量の金が流れ出すことはある。
「ワシが何年川の神様をやってると思っているのじゃ?」
それが千年、積み上がれば……
「きししし…くははは…」
神様の笑い声が徐々に大きくなる。
「ぐわっはっははは!」
静かな川面に、神様の豪快な笑い声が響いた。
*
「里見市公式アプリをダウンロードすれば、無料でパンをプレゼント」
『ハヅキ様から、良い子へ。
ご褒美なのじゃ!』
子供たちはパンを食べた。
「うま!」
「これ好き!」
「メロンパンだ!」
それだけのことだった。
ただそれだけ。
でも。
次の日。
母親がパン屋に来た。
「子供がね。また食べたいって」
その次の日。
学校帰りの高校生。
「ここ前からあったの?」
その次の日。
会社員。
「懐かしい味ですね」
小さなパン屋に
少しずつ
人が戻った。
少年は泣かないと決めていた。
でも。
店の奥から
焼き立てのパンの香りがした。
その瞬間。
涙が出た。
『……やっぱり』
少年はつぶやいた。
『世界で一番うまい』
*
「まったく……
“商売繁盛”の霊験まで顕現してまうとはな。
ワシはときどき自分が怖くなるのじゃ」
川から吹いてくる風が、桜の花びらを舞い上げる。
「異論はありません」
私は、静かに頭を下げる。
神様の手から溢れた金のような月が、川面に映っている。
「メロンパンみたいな月じゃのう」
私は認識を更新した。
桜の花びらが流れていく。
春の風が抜けていく。
微かにパンのいい香りがした。




