糸を操る手
夜会の混乱が落ち着いた頃、俺は執務室へ戻り、椅子に深く腰を沈めた。
窓の外では、まだ街の灯が瞬いている。
ユノの失態はすでに王都中に駆け巡ったはずだ。
伯爵家の威信は大きくひび割れた。
だが、まだ足りない。フローラの涙には遠く及ばない。
「さて、次は……伯爵アレスだ」
影がすぐさま気配を整え、跪く。
「最近、新しく事業をはじめたはずだ……」
「リネンですね。麻布の生産と流通を、一手に握ろうと」
欲張りだな。
地位に傷がついた今、焦りから利益を急ぐだろう。
そこを突くのは、あまりにも容易い。
「では、新しい商会を開け。綿と絹を流行させて……伯爵を資金難へ落とせ」
「御意」
影は短く答えるが、その声の奥には、ほんの僅かに引きつった気配があった。
やり方が鮮やかすぎて恐ろしい、という感情だろう。
しかし俺は続ける。
「そして――忘れるなよ」
姿勢を正した影に、ゆっくりと指示を落とす。
「伯爵へ高利で“貸し付けてやる”のをな」
影の背中がピクリと震えた。
「……貸し付け、でございますか」
「当たり前だろう。困った時に差し伸べられる手ほど、相手を縛れるものはない。伯爵は喉から手が出るほど資金を欲しがるはずだ。
その瞬間、我らが差し出すのは“助け”ではなく“枷”だ」
「承りました」
影が姿を消すと、部屋はしんと静まり返った。
外の風がカーテンを揺らし、机の上の蝋燭が小さく揺れる。
フローラはまだ知らないだろう。
自分を屋根裏に追いやり、虐げてきた家が、今、少しずつ沈んでいっていることを。
俺の手で。
彼女を幸せにするための“世界調整”が進んでいることを。
綿と絹の流行が広がる頃。
伯爵アレスは、きっと気づくだろう。
助けてくれると思った手が――
自分を沈める錘であることに。
くく……楽しみだな。




