屋根裏部屋を出る準備
フローラ視点
屋根裏部屋の小さな窓から差し込む光は弱く、埃を含んで白く霞んでいた。
静かな午後、下の階からメイドたちの立ち話が聞こえてくる。
「奥様……伏せっておられるらしいわよ」
「まぁ……あの方が? 流行病じゃなければいいけど……」
その言葉に、胸がきゅ、と締めつけられた。
継母とはいえ、病に伏すのは心配だ。
母が流行病で他界した時の記憶は、今も胸の奥底に残っている。
(どうか……母のときのようなことには……)
さらに、近頃のお父様は目に見えてお痩せになっていた。
執務室に立ち寄るたび、書類の山と疲れた横顔ばかりが目につく。
(ご心痛が……どれほどのものなのかしら)
邸の中は常に張りつめた空気が漂い、
フローラは屋根裏部屋から下へ降りることもほとんど許されず、
外で何が起こっているかなど知るすべはない。
ガチャリ。
ノックもなく、乱暴に扉が開かれた。
いつものメイドだ。
「伯爵様がお呼びです。早く」
冷たい声音に、フローラは静かに頷き、スカートを整えて階段を降りた。
――執務室。
「揃ったか」
お父様は疲労の影を濃く落とした顔で椅子に座り、テーブルの書類に片手を置いていた。
ルキナが鼻をつまむように笑う。
「あら、お姉様も呼ばれてたの? やだ、臭うわ」
フローラは微笑とも沈黙ともつかない表情で一礼し、声を落とす。
「……どのようなお呼び出しでしょうか」
「うむ。その……事情があってな。明日、迎えが来る。準備をしておけ」
ルキナの顔色が変わった。
「う、嘘でしょうパパ!!」
伯爵は重く息をついた。
「悪いようにはならないはずだ」
「フローラだけでよかったじゃない!!
なんで……なんで私もなのよ!!」
室内の空気が凍りつく。
伯爵の怒声が響いた。
「いい加減にしろ!!」
ルキナがビクッと肩を震わせ黙り込む。
フローラは静かに一歩下がり、丁寧に礼をした。
「……準備をして参ります。失礼します」
――屋根裏部屋。
薄暗い天井の下、古いベッドの横に腰を下ろした。
部屋は簡素で、持ち物もほとんどない。
ただひとつ。
母が最後に渡してくれた小さな銀のブローチだけが、布の袋に大切にしまわれている。
フローラはそっとそれを取り出し、指先でなぞった。
(お母様……どうしたらよいのでしょう)
返事はない。
けれど、触れた金属の冷たさが、胸の奥にたまった気持ちを揺らし――
ぽたり、と涙が落ちる。
(明日……私はどこへ行くの……?)
知らない未来に連れて行かれる恐怖。
けれど、ここに残ってももう居場所はない。
ただひたすらに、
母の面影だけを胸に抱きながら、
フローラは静かに涙を落とした。




