第三話:兄と弟
翌日からエウェルたちは残りの霧の悪魔の討伐と交易路周辺の魔除け作業にあけくれた。霧の悪魔の巣も見つけ次第焼き払い、小物であろうと魔物は全て駆除し、交易路から魔物の気配が消えたのは、出発から十日目の夜のことだった。
最後の負傷者が大鷲に乗せられて旅立つと、ノイクラッグ兵達はホッとした表情を浮かべた。エウェルがこのまま一度都へ帰還するのかと考えていると、ある兵がランヴァルトに駆け寄り、耳打ちした。ランヴァルトはあからさまに眉を潜めたが、すぐに元の表情に戻ると隊に一度食事を取るよう指示を出した。
すぐに保存食が配られる中、エウェルはトモエが深刻な表情を浮かべていることに気がつく。
「どうした?」
「……私、足手まといになるんじゃないかって。自分から魔女を倒そうって言ったくせに、ごめんなさい」
弓に自信があることに変わりはない。しかし初めて本格的な戦闘を経験したトモエは自分が井の中の蛙であることを痛感させられた。式神もいるが、大鷲のように戦闘向きではなく、せいぜい人一人を乗せて飛ぶのが精一杯だ。
「魔物の弱点を見つけたのはトモエだ。あれがなきゃ今頃大鷲部隊は全滅してたよ」
「……」
「帰ったら誰かに稽古つけてもらおう。私も一緒に頼むからさ」
「……うん」
その頃、部下からある報告を受けたランヴァルトはあまりの怒りに持っていた羊皮紙を握りつぶした。彼の側近である老兵ファーガスが視線で諌めると、頭をガシガシと掻き、「長は常に冷静に」とボソッと口にする。
「大公がきちんと対処する。お前の役目は、部下たちを都に連れ帰ることだ」
「……わかってる」
ここから歩いて一日もしない距離にある、かつての貿易の中心都市キアス。部下の報告では領主の城には領民の生活を賄えるほどの農場があるにも関わらず、領民は痩せほそり、ボロを纏っているという。この厳しい環境ではどんな時でも皆が家族のように助け合うのが常識だ。領主ともなればなおさらだというのに、この非常時にそんな愚か者がいたなんて。腑が煮えくり返るのを我慢しながら伝書鳩を飛ばすと、ランヴァルトは隊に撤退の号令を出した。
隊が都に凱旋すると、人々が歓喜の声で彼らを出迎える。大公であるデクランも隊の健闘を讃え、戦死者への弔辞を示すと彼らを労うための宴を催した。エウェルとトモエも宴に加わり、終わった後は久しぶりのベッドでゆっくりと作戦の疲れをとった。
城が人々の寝息で満ちる頃、デクランとランヴァルトは城の一番高い塔を登っていた。二人が到着すると、遠くから大きな羽音が近づき、大きな影が落ちたかと思うと二人の目の前に城を覆うほど大きな年老いた鷲が現れた。
「偉大なる大鷲、此度は我らへの助力感謝する」
『あの虫共には我らの巣も荒らされた。当然のことをしたまでよ』
「それで、話とはなんです?」
『魔女の娘の旅についてだ。月の神の息子ランヴァルト、お前も彼女らについて行け』
偉大なる大鷲の言葉に二人は眉を上げた。デクランには実子が二人いるが、ランヴァルトは依然公国の継承者の一人であり、軍の指揮官の一人である。
「偉大なる大鷲、我らは交易路を取り返したばかりだ」
『魔女は日に日に力を増している。そう遠くないうちにこの大陸は魔物共に覆われるであろう。ノイクラッグとて相応の対価を払わねば、この波は止められぬ』
「っ……!」
確かに、交易路一帯の魔物は駆逐したが、この先新たな個体が現れないとは限らず、エウェルが魔女を倒せる確証もない。ならば公国の中でも特に戦闘に優れたランヴァルトが代表として旅に参加するのも1つの手だ。デクランが渋々了承すると、偉大なる大鷲は飛び立って夜空に姿を消した。足早にその場を去ろうとするデクランの表情に気がついたランヴァルトは思わず「兄さん!」と呼び止める。
「俺以外にも優秀な奴はいる。そいつを旅に……」
「馬鹿を言うな!原初の獣の末裔たる大鷲からの助言を無碍にしようとするなど、貴様それでも大公家の人間か!?」
デクランは激昂すると思わずランヴァルトの胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
「大公として命じる。奴らに随行し、魔女の首をとってこい。月の神の息子ならそれぐらい造作もないだろう」
そう言うとデクランは足音を響かせながら塔を後にした。ノイクラッグの民は原初の神々のひと柱である月の神を奉じている。銀の髪、星々の輝きをその身に宿すという男神は狩猟神の側面もあり、優れた戦士で彼にそっくりの髪と白い肌を持つ男性を人々は月の神の息子と呼んでいる。デクランもそれなりの戦闘力を持ち合わせているが、その立場と比較的平和な時代のせいで機会に恵まれないまま大公となった。
月の神の息子と呼ばれることはノイクラッグの男にとって最上級の誉だ。しかしたった一人の肉親との間に溝が生まれるくらいなら、兄と同じ黒髪で良かったのに。兄が去った後、ランヴァルトはこの外見で大公家に生まれた自分の運命を呪った。
出発の日。ランヴァルトの随行を知らされたエウェルとトモエは複雑な心境でいた。確かに二人だけでは心許ないので新たな戦力は心強い。しかしデクランもランヴァルトも、明らかに納得していない表情を浮かべている。
「国境までは大鷲がそなたらを運ぶ。魔女討伐の成功を祈っているぞ」
「ありがとうございます。大公陛下」
音楽隊の音が響く中、三人はそれぞれ大鷲の背に乗るとグリアンロンに向けて出発した。ふとエウェルが地上を見ると、人々がこちらを見上げている。きっとあの中に、故郷に帰る日を待ち望むグリアンロンの民がいる。エウェルは彼らに向かって静かに敬礼すると、再び前を向いた。
人間が歩いて三日かかる距離も大鷲にかかれば半分の時間で到達できる。無事国境に到着した三人は第一の目的地である都市クルアインを目指し歩き出した。
あと少しで街に着くという頃。三人を異臭が襲う。匂いを辿ってみるとそこには何体かの魔物の遺骸が転がっていた。幸い人間の遺体はなく、魔物同士で争っただけのようだ。普段なら無視してその場を離れるのだが、あることを思いついたランヴァルトは荷物から緑色の石がついた腕輪を取り出すと「策がある」と口にした。
「この腕輪を着けながら変装したい相手の体の一部を飲む。そうすると半日だけ他の人間の目には違う姿で認識される」
「でも腕輪は1つしかないでしょう?」
「人間の奴隷を捕まえたことにしよう。運が良ければ魔物からレジスタンスの情報を引き出せるかも」
人間側もただ魔女に屈したわけではない。各地でレジスタンスが結成され、魔物が領主として支配する都市では激しい抵抗運動が行われていた。
魔物の一部を食べるという行為にトモエはあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。エウェルはランヴァルトから腕輪を借り、遺骸から適当に骨を拾って念入りに洗うと口に運んだ。するとエウェルの姿がみるみる大きな鉤爪を持つ二足歩行の魔物へと変わる。近くに寄っても魔物にしか見えない。これなら潜入も問題ないだろう。
翌日、都市前に到着した三人は早速魔物と捕まった人間に扮装すると、同じく人間の奴隷を連れた魔物の列に並ぶ。凄まじい匂いに鼻が曲がりそうだ。何食わぬ顔で門を潜ろうとした時、守衛の物がエウェルを訝しげに見つめる。心臓が破裂しそうになりながらエウェルが戯けた表情を浮かべながら「プルクルプ?」と鳴き真似をすると、依然不審そうな表情を浮かべながらも守衛の魔物は通行を許可した。しばらく街中を歩き、隠れられる場所を探す。しかし辺りは魔物だらけで、路地裏も何がいるか分からない。仕方なく二人を連れて周囲を観察していると、広場の方向から歓声が聞こえてくる。様子を見に行くと、そこには絞首台と、数人の人間が引っ立てられていた。
「此奴らは恐れ多くも領主ダルヴ様を暗殺しようとした不届き者である」
どうやら処刑が始まるらしい。後ろを見ると、トモエもランヴァルトも武器に手をかけている。エウェルが腕輪を外そうとしたその時、人影が絞首台に現れ、処刑人を薙ぎ倒した。
「遅くなってすまない!」
絞首台に現れた男は全員の縄を切ると広間に集まった魔物めがけて爆弾を投げる。あっという間に広間はパニックに陥り、エウェル達もすんでのところで爆発を避け、路地裏に駆け込んだ。
「もしかして、レジスタンス?」
「だろうな」
すると、先程の男と数人の仲間がエウェルたちのいる路地裏に駆け込んでくる。互いに声が出そうになるのを抑え、人間であることを確認すると、全員で奥へと移動した。
「君たちは?」
エウェルは先程絞首台に現れた男をじっと見つめた。男は一瞬不快そうな表情を浮かべたが、すぐに和らげると「エウェル?」とつぶやく。
「ごめんなさい、私記憶喪失になっていて……。でも貴方のことは知っている気がする」
「俺だよ、ヴァシール!乳兄弟のヴァシールだ!」