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第一話:異邦人

灰色の空の下でも、海鳥だけは昔と変わらない声で鳴いている。腹を満たすため、港町に立ち寄ったエウェルはかつて公務でこの地を訪れた日を思い出した。

 かつては銅貨三枚だった魚の串焼きに銀貨二枚を支払う。魔物が海を埋め尽くし、税金も以前の倍となれば妥当な値段かもしれない。財布は痛いが、そろそろ新鮮な食材が食べたい。

 屋台の主人は皺だらけの大きな手で銀貨を受け取ると、ゆっくりと串焼きを差し出す。王国が魔女に奪われて三年。戦いのさ中に河へ投げ出され、記憶喪失になって全てを思い出すまでの間に王国はすっかり変わってしまった。腹が脹れたら野宿できる場所を確保して、目的地であるノイクラッグに到着した際の説得の文言も考えねばならない。仕事は山積みだ。


「(……見られてるな)」


 余所者ではなく獲物に対する視線。旧王族やそれに連なる者は王国中で指名手配されている。エウェルが身につけている護符には認識阻害の魔術がかかっているが、視線の正体には効き目がないようだ。


「すみません、この辺りに香草が自生する場所はありますか」

「それなら北の灯台辺りにあるよ」

「ありがとうございます」


 敵意はなく、ただエウェルの側を浮遊している。殺意は感じられないので放っておくべきか。それとも無理矢理にでも正体を掴んで術者の居場所を吐かせるか。決めあぐねながら歩いていると、すぐに屋台の主人が言っていた灯台にたどり着く。早速香草を摘もうと膝を折った瞬間、海の方から大きな水音と人々の叫び声が聞こえた。思わず住人と一緒に岸壁に駆け寄ると、海上で大型の漁船を巨大な触手が襲っている。漁師も応戦しているが、うまく矢が当たらないようだ。


「早く引っ張れ!」


 気がつけば住民が船着場に集まり、鎖を巻きつけた機械を回している。


「私も手伝います!」

「ありがとな嬢ちゃん!」


 少しずつ漁船が陸に近づく。しかし魔物の猛攻は止まらず、海に落ちる者も出始めた。エウェルは余分な荷物を置くと、他の住民と場所を交代して船を引く鎖に飛び乗った。


「お、おい!何する気だ!」

「あなた方はそのまま鎖を巻いてください!」


 慎重に、しかし迅速に鎖の上を走り抜けるとエウェルは瞬く間に漁船へ到達した。


「動ける人は鎖を伝って陸へ!急いで!」

「負傷者をおぶれ!」


 甲板に侵入した触手を一刀で切り落とし、舵を動かそうと階段を上がったその時、どこからか巨大な矢が飛んできたかと思うと、大きな水飛沫を上げて水中の本体に突き刺さる。魔物は苦しむように触手をめちゃめちゃに動かして暴れたが、船体を離そうとはせず、大きな音を立ててマストをへし折る。このままでは船が沈んでしまう。

 触手を切り落としながらエウェルも船員の避難を手伝っていると、魔物の本体がゆっくりと水中から姿を現した。血管が浮き出たぶよぶよの頭に、端についた2つの大きな眼。魔物は大きく口を開け、咆哮を轟かせる。


「嬢ちゃん!あんたも逃げろ!」


 エウェルはその声を無視すると、意を決したように魔物を見据えた。


「我らが聖なる母太陽神アナト、聖王アリアの子孫たる私に、貴方の力をお貸しください」


 剣が黄金に染まる。それを大きく振り下ろすと、黄金の波が魔物の顔をズタズタに切り裂いた。

衝撃波で船が大きく揺れる。しかし魔物はまだこちらをじっと見つめたままだ。


「陸に急いで!」


 呆気に取られている船員を誘導し、エウェルが剣を構え直したその時、二本目の矢がいまだに動こうとする魔物に直撃。しばらくすると船もろとも海底へ沈み、完全に沈黙した。

 ずぶ濡れになりながら船着場に戻ると、エウェルは住民から歓声と共に迎えられる。しかし疲れ切ったエウェルは気を失い、その場に倒れ込んだ。




 目を覚ましたのは夕暮れ時だった。体を動かすと筋肉痛に襲われる。喉の渇きを癒すため瓶から水を飲んでいると、黒髪に象牙肌の少女が入ってきた。


「君は?」

「トモエ。東の島国から来たの。……漁師さんたちを助けてくれてありがとう。私の弓矢だけじゃ間に合わなかったわ」

「あれ、君がやったのか」

「ええ。国にいる時習ってたから」


 あんな巨大な矢をこの少女が放ったなんて信じられない。包帯を変えてもらっている最中、エウェルはこの村にきた時感じた視線がすぐ近くにあることに気がついた。昼間よりずっと近い。


「トモエ。つかぬことを聞くが、この気配は君が使役する魔物か?」


 緊張した空気が流れる中、トモエは「そうよ」と短く答えた。


「危害を加える気はない。この子は私の式神」

「シキガミ……?」


 その時。エウェルの膝の上に緑色の羽毛に覆われた鳥が現れた。


「貴方の力を借りたいの。エウェル王女」

「……なぜ私が王女だと?」

「女王が指名手配してる。……娘なんですってね」


 トモエの言葉が重くのしかかる。外はすっかり夜だから他に聞いている人間はいないだろう。


「私は留学生としてここに来た。でも海は魔物で溢れて、何度か出航を試みたけど全部失敗してる」

「……」

「でも、魔女を倒せば魔物は消える。街の人達にも私を迎えてくれた恩を返したい」


 トモエの藍色の瞳は強い意志で輝いていた。彼女の話を信じるなら、弓矢の才能はある。このシキガミも索敵の役に立つかもしれない。


「確かに私は、……魔女を倒したい」

「……」

「明日私と手合わせしてくれないか。私を倒したら同行を頼みたい」

「わかった。ひとまず今日は休んで。湯殿は隣の部屋よ」


 そう言うとトモエはシキガミと共に部屋を出ていった。暖炉には魚と野菜が浮いたスープ入りの鍋と簡素な食器が置かれていた。独特な匂いにエウェルは一瞬食べるのを躊躇したが、味わいのあるスープが彼女の体を芯から温めた。腹を満たしたエウェルは水で簡単に体を拭うと再びベッドに潜り込んだ。強烈な眠気がエウェルの瞼を閉じようとする。

『エウェル』

 今は懐かしい父の声が、エウェルを夢の中へ誘った。

 


「このグリアロンはかつて、雪と氷河に覆われた不毛の地でした」


 ガラス窓が陽光に煌めく聖堂で祭司の説教が静かに響く。先頭の長椅子に座る父王と共にエウェルも耳を傾ける。今日はエウェルが王太子として初めて参加するアナト祭だ。


「聖王アリアと同じ、赤毛のフィンクリー族こそ神の代理人に相応しいのです。それでは、皆さんにアナトの恵と祝福があらんことを」


 祭司に続いて王族も退出する。次の行事のために控室で休憩していると、父王――シェイマスは不満げな声で言った。


「ムルザン族の王もいたのに、フィンクリー族のことしか話さなかったな。あの祭司」


 ムルザン族とは、南の大陸から船でやってきたオリーブ肌を持つ一族。現王家の前には彼らとフィンクリー族の混血の王がいたと記録されている。


「ですが、彼らは黒髪だったので正統な王ではないとお爺様も仰っていました」

「……エウェル、お前は私と同じで赤毛で肌も白い、初代王と同じ特徴を戻っている。即位に反対する者はいないだろう」

「……」

「式典が終わったら、お前の母さんについて話そう。考えを変えるいい機会だ」




 聞き返そうとした時、エウェルはベッドから上半身をはみ出していた。顔を洗って朝の祈りを済ませると、外ではトモエが弓片手にエウェルを待っていた。


「お腹空いてない?」

「問題ない。始めよう」


 矢がエウェルの頬を掠める。トモエはいつの間にか姿を消しており、エウェルは周囲を注意深く観察した。屋上にはいない。周囲には森もなく隠れられそうな場所は井戸ぐらいだ。そうこうしているうちに二の矢、三の矢がどこからともなく降り注いだ。古板を盾にして周囲を見渡すと、やはりトモエの姿はない。住人が協力しているような雰囲気もない。一度屋根の上に登ってみるべきか。


「(相手は単騎、シキガミは姿を消せる、私がトモエなら……)」


 その時、微かな羽音がしたのをエウェルは聞き逃さなかった。盾から姿を現し、音の方向へ剣を投げる。すると、「うわっ!」という声と共にトモエが空から姿を現し、地面に落下する。しかしトモエはすぐに受け身を取り、エウェルも機を逃がすまいと剣を放棄して襲いかかったが、あと一歩のところで間を詰められ首筋に鏃が触れた。


「……参った、降参」

「じゃあ力を貸してくれる?」

「ああ、約束は守る」


 トモエはニッと笑うと立ち上がった。二人は一緒に汗を流すと、食事をしながらテーブルに地図を広げてこれからの作戦を立てた。


「まず、私たち二人じゃ絶対に仲間が足りない。同盟国である北方のノイクラッグ大公国、そして幼なじみのヴァシールに手を借りようと考えている」

「じゃあノイクラッグに行くのが先ね。……ヴァシールさんは何をしている人?」

「レジスタンスを指揮しているらしい。風の噂で聞いた。……トモエ、知っての通り、私は指名手配されている。一緒にいれば様々な危険があるし、私のこともよく知らないだろう。それでも、私と一緒に行ってくれるのか」


 沈黙が部屋を包む。しかしトモエは真っ直ぐエウェルを見据え、口を開いた。


「貴方は、訪れたばかりの町の人たちを誰に言われるでもなく助けてくれた。それだけでいい」

「……お人好しだな」

「お互いにね」


 二人は固く握手を交わすと、一日中作戦会議を続けた。

グリアンロンの王女エウェルと東の島国からやってきた弓使いトモエ。

王国を取り戻す旅はまだ、始まったばかりである。

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― 新着の感想 ―
Xの読みに行く企画から来ました。 クラシックな感じのハイファンっぽいですね。 こういう雰囲気の作品も好きです。 面白かったので、ブクマさせて頂きました。
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