表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

読み切り短編集

円環 ~勇者の光と影~

作者: ルーク猫

 古い城の、冷気漂う広間の奥には、王座がある。

 そこに座る黒ずくめの男は、その地に住む人々からは、魔王と呼ばれていた。


 魔王の憎悪は、目に見える瘴気となって、彼の周囲を澱ませる。

 暗闇に浮かぶのは、遠見の円環。

 玉座の前に浮かんだその環は、遙か遠くの情景を彼に見せてくれた。

 水面のように小さなさざ波を立てたあと、円環は残虐な画像を映し出す。


 魔物たちによる、一方的で、熾烈な戦いだ。


 魔の城から漂い出た瘴気が、自然界の動物たちに染み込み、体を歪め、人を襲う凶悪な魔物へと変えた。


 ゲジゲジに似た巨大な生き物が地を這い、無数の脚音を響かせながら、村々を踏み潰した。

 大きな毒針を持つ手のひら大の殺人蜂が、頭上から人々を襲い、痺れたまま動けぬ者を群れで食い荒らす。

 蛇と鳥を合体させたような獣が、逃げ惑う者を空へと攫った。


 夥しい数の魔物たちが村を襲い、人に牙を剥き、惨殺する様子を、食い入るように見ながら、魔王は愉悦ともつかない歪んだ表情を浮かべた。


 人が憎い。

 その感情は、何年経とうと何百年経とうと、消えることはなかった。

 両腕が無意識に、何も無い空間を抱く。

 膝の上に乗る、小さな、子どもくらいの空間を。


 ふと見下ろし、そこに何もないことを思い出し、ハラハラと涙が落ちかける。

 魔王は歯を食いしばり、全ての感情を抑え込む、それが瘴気へと変わる。

 その繰り返しだった。


 瘴気から生まれた異形の怪物たちは、魔王の意思に従い、時に都市をも壊滅させた。

 しかし、人はしぶとい。殺しても殺しても、ゴキブリのような生命力で繁殖し、数を増やす。


 力を使い果たし、何十年か眠ることもあった。

 魔王はかつて人であった頃の、幸せな夢を甘受する。

 そして目が覚めると、人への憎しみはいや増した。


 魔の城は、魔物を人の世に生み出し続けた。




 ある時、辺境の村に勇者が生まれた。

 腕の立つ騎士、治癒魔術師、魔法使いを連れて、魔の城に迫る。

 城を幾重にも取り囲んだ、眷属の防御壁を難なく突破する様子に、魔王は自らの最期を悟った。


 永い時を経て、とうに力尽きている魔王の身体は、勇者の一振りに斃された。


『輪は閉じた……』

 憐れみの目で魔王は勇者を見返し、一条の黒い霧となり、消えていった。




 勇者はその功績により、魔の城周辺の領地を与えられた。

 魔王を倒すほどの力を持ち、国民の人気を博した彼を、国王は恐れた。

 荒れ果てた地を『報償』としたのは、権力者としての増長を抑えるためだったが、村育ちの勇者はそれに気づかない。


 その地の領主として復興に尽力すると、荒れ果てた地は緑豊かになり、豊穣をもたらすようになった。


 勇者は真面目で努力家の妻を娶り、子を授かり、村人たちと共に穏やかな暮らしを始めた。魔王の残した傷跡は徐々に癒え、数年後には、激しい戦いも遠い伝説として語られるようになった。


 だが、王国の中枢にいる者たちは、勇者の存在を脅威とみなしていた。


「魔王を倒した者が、今や人心を掌握している。いずれ王位を狙うだろう」


 そう囁く者たちの声は日ごとに大きくなり、ついに王は、勇者を排除することに決めた。

 折しも、北の地に異国の民が襲来し、その平定に苦労しているところでもあった。


「今一度、勇者の力を借りたい。どうか、他国の侵略を食い止めてはくれないだろうか」

 領地を与えられたという恩もあり、勇者は国王の依頼を快く引き受けた。

 心配する家族に見送られながら、勇者は北の地へ向かった。






 勇者の留守を預かる妻は、領主の代理としてよく働いた。

 教育に力を入れ、困窮する者に力を貸し、水害の話を聞けば、識者の意見を取り入れて改良に努めた。

 害獣が出ると、退治のために、館を守る騎士達を差し向けた。

 出費は嵩み、守りは薄くなるが、領民のためにと、彼女は我が身を後回しにした。


 家臣の進言に従い、税率を上げたために不満は出たが、領地を良くするには仕方がないことだ。

 勇者の妻は根気良く、領民にそう説明して回る。

 納得する者もいたが、ほとんどの者は良い顔をしなかった。


 妻は夜ごと遠い北の地に向かって、祈った。

 愛する夫が、無事に帰ってきてくれますようにと。


 この機を捉え、王の命により差し向けられた者達が、領民にあらぬ噂をばらまく。

 豊かになった領地から得た税を、領主一家が自分たちの贅沢な生活に使っている。

 勇者が領地の復興に尽力したのは、その金が目的だったのだと。


 贅沢に溺れた勇者家族は、さらに税を引き上げ、より豪奢な生活を望んでいる──


 ある夜、その噂に踊らされた暴徒が領主の館を襲い、何の罪もない妻と幼い子をむごたらしく殺した。

 燃え上がる館の炎を指さし、高笑いする暴徒たちを止めようとする者もいた。しかし、領民たちのほとんどが最初から最後まで、ただ見ているだけだった。






 遠征から帰ってきた勇者は、崩れ落ちた館の残骸から妻子の骸を探し、声にならぬ咆哮を上げる。

 ようやく見つけた小さな骨は、彼の手の中で砕けた。


 すべてを失い、すべてを悟った勇者はその夜、ひとり、魔の城へと向かった。

 城は朽ち果てた外観でありながら、内部には何かが息づいているかのように、厳かな佇まいが保たれていた。


 その奥、玉座へと向かう勇者の耳に、声が響く。


『……来たのか』


 一条の黒い霧が、うっすらと玉座前に浮かび上がる。

 魔王が最期に、この世に留めた瘴気だ。

 暗い目で見つめた勇者は、粉々になった骨を握り締めた。

 彼は淀みなく歩を進め、自らを瘴気に晒す。

 髪と瞳、服が、かつての魔王と同じ、黒へと変異していった。


 玉座が勇者を迎え入れる。

 愛する者を奪われ、正義を踏みにじられた男の憎しみが、新たな瘴気を生み出していく。

 濃密な闇が城に満ちた。


 瘴気に染められ、変異した異形の者たちが、領民を喰らう。

 一匹の鳥が、鉤爪を持つ怪物に姿を変え、人を空に攫って啄んだ。

 小さなムカデが、家よりも大きい毒虫となり、田畑を踏み付け、水を汚し、家畜を襲った。


 豊かだった領地は荒れ果て、作物が穫れなくなり、人々は餓死した。

 玉座の前に浮かんだ遠見の円環が、遙か遠くの情景を映し出す。

 勇者は食い入るように人々の死を見つめ、かつての魔王と同じに、泣きながら笑ったような、歪んだ表情を浮かべた。


 勇者の仲間だった騎士、治癒魔術師、魔法使いも、国王に裏切られ、家族を失っていた。

 三人は引き寄せられるように城に流れ着き、彼の眷属になった。

 最強だった騎士は、何者にも打ち倒せない悪魔騎士となり、魔の城に向かって来る王の軍勢を蹴散らす。

 治癒魔術師は死者を蘇らせて、兵士たちを襲わせた。

 最強の呪術師となった魔法使いは、高笑いをしながら逃げ惑う人々に火の玉を降らせ、燃やした。


 新たな勇者を名乗る若者たちが、正義の名の下に魔の城に迫るが、眷属の者たちに阻まれて、儚く倒れた。


 勇者はふと、自分の腕を見下ろす。

 かつてそこに抱いていたはずの、愛しい者たちを想い、彼は涙を零した。

 深い感情に揺さぶられ、消えることのない憎しみが止めどなく生まれる。


 一つ、また一つと、村が、都市が滅んでいく。

 瘴気は広がり続け、ついに国を滅ぼした。




 古い城の、冷気漂う広間の奥には、王座がある。

 そこに座る黒ずくめの男は、その地に住む人々からは、魔王と呼ばれていた──











Return to beginning...

⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ