#8 ヒイラギさんの告白
僕がタクシーに向かうと、後ろからヒイラギさんが小走りに追いかけてきた。
「ワタナベさん、18:15に美観地区にいかにゃならんとすると、もう時間じゃな。このまま、美観地区に向かわんといかんが…」
陽が落ち始め、辺りはすでに薄闇に包まれようとしていた。
「あぁ、いいよ。このまま美観地区に向かってくれ」
腕時計に目をやると、ちょうど18:00を指していた。
タクシーの後部座席に乗り込み、シートに腰をおろすと、タクシーはすぐに発車した。
僕は、ドアのひじ掛けに身体を預け、窓を流れる懐かしい風景を見ていた。
「ワタナベさん。なんか浮かない顔されてますな」
「あぁ…久しぶりに帰って来たのはいいけど、何か苦い思い出ばかり思い出しちゃってね。来ない方が良かったかな…」
僕は、力なくそう話して、また、ため息をついた。
「そら、長いこと住んどったら、色んなことあるじゃろ。ましてや若い頃なら尚更じゃ。人を傷付けたり、過ちも犯すじゃろ。でも…何も悔いることないと思いますわ」
「ヒイラギさんは田舎どちらですか?」
僕は、話題を切り替えるつもりでそう質問した。
「わしですか?わしは、元々広島なんですわ。いえね、40年前にカミサンと駆け落ち同然で広島から倉敷に来たんです。両親ももうおらんし、ほんまにもう何十年も帰っとらんです」
「広島なら、すぐに帰れるじゃないですか」
僕は、すかさず突っ込んでみた。
「えぇ、えぇ、近いけぇ、帰ろう思えばすぐですわ。でもねぇ…色々ありましてなぁ。それこそ、田舎捨てるように…、いや、逃げるように二人して倉敷に来たんですわ。色んな人を傷付けたり、迷惑かけたりしてなぁ」
僕は、ヒイラギさんの意外な告白に少し驚いていた。
「広島出てから暫くして一度帰ったことはあります。籍を正式に入れよう思うてね。書類、色々要りますじゃろ。二人して人目避けて、役所行ってね。誰にも会わんようにって」
「40年で一度だけですか…」
「えぇ。でもね…カミサンとこの間、寝床で話したんですわ。もう、えぇんちゃうか、ゆうて。人に迷惑かけて、嫌な思い出ばっかりのようじゃけど大事な思い出も沢山あるじゃろって。何より、わしらが出逢った大事な場所じゃと。そろそろ、わしらの故郷も優しく包んでくれるんちゃうか、ゆうて。じゃけぇね、タクシー辞めたら、ゆっくり広島帰ろうって。二人して泣きましたわ」
ヒイラギさんの話を聞きながら、何故だか、僕の目からも涙がこぼれていた。
故郷には、良い思い出ばかりあるわけではなかった。
都合の悪いことは、心の隅に押しやり忘れたフリをしていた。
「じゃけぇね、今日こうして、最後のお客さんとして二十…えーと」
「二十三年振り」
「そう二十三年振りに生まれ故郷を訪れたワタナベさんを乗せたのは、もう、運命なんじゃなかろうかと…そう思うてねぇ」
ヒイラギさんは、そう言いながらミラー越しに、僕に微笑んだ。