#6 後ろめたい過去
「トメばぁ…」
僕は、駄菓子屋の前で、立ちすくむその老婆に、思わずそう声をかけていた。
トメばぁは、ゆっくりこちらを振り向くと、少し首を傾げ「だれじゃぁ?」そう呟き、頭を振りながらながら店の中に入ろうとした。
僕は、小走りに店に駆け寄り、トメばぁの顔を覗いた。
トメばぁの顔は、涙で潤み、悲しそうな表情を浮かべていた。
「トメばぁ、どうしたん?何かあったんか?」
「あんたには、関係のないことじゃ。…しかしのぅ、どげんしたもんじゃろうかのぅ。昔は、みんなあんなんじゃなかったのにのぅ…」
僕は、ドキッとした。
トメばぁの駄菓子屋には、苦い思い出…、いや、思い出と言うよりは、後ろめたい過去がある。
「だれじゃろか、見たことあるような、無いような…」
トメばぁは、僕の顔を見回しながら、そう呟いた。
「僕は、23年前…」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
僕が倉敷を離れた23年前、トメばぁが若く見積もって60歳だったとしても、もう83歳になっているはずだった。
だが、目の前には、23年前に僕がここを離れた時のままのトメばぁがいる。
「そうじゃ、そこのアパートに住んどるワタナベに、よう似とるのう。親戚か?」
「あぁ、えーと、まぁ、そんなようなもんです」
「ワタナベはなぁ、悪いヤツじゃないんじゃ。じゃけどのぅ、周りに流されるんじゃ。万引きの片棒なんぞ担ぎおって…」
トメばぁは、深いため息をついた。
「バレとったんか…」
「あぁ、あんなオドオドしとったら、バレるわ。万引きなんぞ、大概バレとる。まったく、しょうもないことしよってから」
そう言うと、また、深いため息をついた。
「トメばぁ、万引きされた分、わしが払うわ、チョコバット一箱じゃろ?」
トメばぁは、少し驚いた顔をした。
「何であんたが払わないけんのじゃ」
そう言いながら、右手を左右に振った。
「でも、おぬし、何で盗られたのがチョコバット一箱って知っとるんじゃ?」
そう言うと、また、僕の顔をまじまじと見回した。
トメばぁが、僕の申し入れを頑なに拒否したため、僕はせめてものお詫びのしるしだと、当てくじと、小さなスナック菓子、チョコレートをそれぞれ箱で購入し、1500円を払い、訝しがるトメばぁに頭を下げ駄菓子屋を出た。
店を出ると、ヒイラギタクシーが止まっていた。
「ワタナベさん、時間が少のうなっとるが、大丈夫じゃろか?」
運転席の窓を開けた運転手のヒイラギさんが僕に声をかけた。時計を見ると、17:40を回っている。
僕は、通りを挟んで斜向かいに建つ、当時のままのアパートを見やり、深呼吸をしてタクシーに乗り込んだ。
「ヒイラギさん。今日は、何年何月何日?」
「あはは、お客さん、わしのこと、ボケとる思うとるじゃろ。近頃な、病院行くと、最初に聞かれるんですわ、今日は何日じゃ?ゆうてね。今日は2009年6月26日金曜日。どや、お客さん、間違いないじゃろ?」
「あぁ間違いないよ。変なこと聞いてすまなかった」
僕は、苦笑いしながら答え、次に向かう愛宕神社に向かう道順を指示した。
「ワタナベさん、どうですか、懐かしい場所回って。故郷は、ええもんじゃろ?」
僕は、黙っていた。
ヒイラギさんが、ルームミラーで僕の表情を一瞬確認するのが分かった。
「そりゃ、まぁ、苦い思い出もありますわな…。あっもうすぐ、愛宕神社に着きますよ」
そう言うと、境内に上がる石段の前の小さな駐車スペースに車を入れた。
愛宕神社は、80段程の長い石段を登ったところの眺めの良い高台にある小さな神社だ。
僕は、タクシーを待たせて、車外に出た。
石段に近づくと、中学校の制服を着た女の子がベンチに座りお腹を押さえている。
(エリだ…)
そのべンチに座っていたのは、中学2年の時に少しだけ付き合っていた、エリだった。