2)騎士クレト
跪いたクレトに一座の仲間がざわめいたが、エステバンは驚かなかった。
「ライムンド殿下コンスタンサ妃殿下、このクレト、老いぼれた身ではありますが、今一度、喜んで王国のために捧げることを誓います」
エステバンの予想通りの言葉だった。エステバンはクレトの無念を知っている。
「ありがとう。その言葉、嬉しく思います」
コンスタンサの言葉に、クレトが顔を上げた。晴れ晴れとしたクレトの表情をエステバンは羨ましく思いながら眺めた。
コンスタンサがクレトの無念を知っていたとは思えない。ライムンドも知っているはずがない。
「フロレンティナがもう少し大きくなったら、遊んでやってくださいね。私たちの剣の師匠である騎士クレト。あなたが、私たちの子供たちの剣の師匠となってくれることを嬉しく思います」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
これがクレトの旅の終わりかと、エステバンは感慨深く眺めた。老いた仲間が再び心から剣を捧げる相手を得たことを寿ぎ、安住の地を得たことを喜ぶ気持ちに偽りはない。だが、心の内で嫉妬の炎が小さく燃えているのも事実だ。
クレトが王国を離れた本当の理由も旅という過酷な環境に身をおいていた理由も、エステバンは知っている。クレトはエステバンと、少しだけ似ている痛みを分かち合う間柄だった。互いにそれを口に出すことは避けていたけれど。
皇国から嫁いできた黒真珠の君の早すぎる死と、それに続いた国王の喪中の再婚と第三王子の誕生は、多くのものの不信を煽った。クレトもその一人だ。陰謀の臭いを嗅ぎ取ったところで、一介の騎士には何も出来ない。周囲に尊敬されたところで、政では無力だ。
皇国の敵国であった王国に、和平のために嫁いできた姫を守れなかったことを恥じて王宮を去った高潔の騎士クレト。黒真珠の君フロレンティナ姫の忘れ形見のライムンドに、娘の小さなフロレンティナ姫を守って欲しいと請われて、クレトが断るわけがない。一座の用心棒は、黒真珠の君の忘れ形見の娘、黒真珠の君と同じフロレンティナという名の赤子の護衛になった。
クレトはあっさりと旅暮らしを捨てた。
「すまんけど、儂は小さなフロレンティナ姫様の騎士になるわ。男連中は儂がそれなりに鍛えたったからな。お前ら、儂がおらんでも稽古は忘れんなよ。手抜いとったら、次に会うたとき、しごき倒したるからな、覚悟しとれ」
一座が旅立つ日、クレトは見送りに来た。クレトらしい言葉に、一座は笑って別れた。旅立ちに涙は似合わない。
生きていればまた会える。大地母神様の御許に還ってしまった人々には、大地母神様の御許でまた会えると、エステバンは信じている。大地母神様を信仰する者の大半は、そう考えているはずだ。
「クレトは元気やろうなぁ」
「稽古はしとるわ! 」
エステバンの言葉に、双子たちを含めた男連中が間をおかずに叫んだ。
「安心し、うちらが保証したるから」
「そうそう。頑張っとったから、しごかんと普通の稽古にしたってって言うたるわ」
「本当やな」
「本当本当」
暖かい陽気のせいもあるだろう。南の国で冬を乗り切った一座の雰囲気は明るい。
一座はクレトが鍛え上げた男芸人たちが守っている。内政に熱心な国王夫妻王弟夫妻のおかげで、旅は安全なものになりつつある。
「クレトは元気やろうけど、子供の相手やで。それも小さい子や。体力勝負になっとると思わん」
「そやねぇ。どんな可愛い姫様になっとるやろうか。楽しみやわ」
楽しげな仲間たちの声に、エステバンも笑った。