5 獣
「なんだ犬、知り合いか?」
顔に傷のある男が言う。
「・・・いえ、赤の他人です」
ラエルが冷たく言う。
「また、しくじったのかよ」
傷の男が突然ラエルの顔を殴る。
「せめて自分の尻拭いぐらい自分でやれよな」
「はい・・・」
その一連の行動があまりにも自然に行われるのだ、まるでこれが当たり前の日常だと示唆しているかのようだ。
「抵抗しなければ、命は奪わない」
「はっ、どうせ俺の賞金目当てだろ」
男がそう言った瞬間に、ロウルは杖を掲げる。
蒼の矢が真っ直ぐに心臓を穿とうと迫る。しかし、
「このジャック様にそんなの効かねえよ!」
傷の男――ジャックは手にナイフを握りしめ、魔術を避けながらロウルに肉薄する。ロウルも腰の剣を抜き対抗する。
常人ではありえない速度でジャックは移動してロウルを斬りつける、それにまたロウルは剣で受けようとするが―――
「残念だったな」
気が付けば、ジャックはロウルの背後にまわっていたのだ。
「じゃあな」
ジャックは首を狙ってナイフを思いっきり振り抜く。今までもこうして殺してきたのだろう。
「こっちの台詞さ」
そう言うとロウルはナイフに当たる間一髪のところで、頭を下げて杖を振り抜く。美しい蒼の剣がジャックの身体を上下に切断する。
勝負は呆気なく終わったのだ。
「でかい口叩いてた割に、お前弱いな」
ロウルが何事もなかったように言う。
「ぁんで,ぞんなに動げる?」
ジャックは地を這いながらも辛うじて生きている。魔術を扱うのに戦士のように体を鍛える必要はない、だから魔術師というのは基本的に近接戦闘に弱い。
「例外もいるんだよ、運が悪かったな」
「ぼれはまげでない」
「余裕だったよ」
「ッッ、おい゛、ゴイツラをころ゛せ、犬!!」
ジャックが顔を真っ赤にして言う。
どこにそんな大声を出す気力があるのだろうか、もうとんでもない量の出血だ。生き汚いにも程がある。それよりも何故、ラエルにそんなことを。
「ごめんなさい」
ラエルの身体に異変が起こる。骨が軋む音と共に全身が髪色と同じ獣毛に覆われていく。
「まずい、離れろ!!」
珍しく声を荒げるロウルに従ってレトロも急いで逃げる。
巨大な何かがレトロに後ろから迫る。死の予感を肌で感じ取ったとき、咄嗟に飛び出たロウルが魔術で巨大な蒼の盾を展開する。
「・・・道理で死なないわけだ、獣人の血を飲んでいたのか」
「ざまあみど、ごれでお前らはおばりだ」
民家の二倍はある巨大な獣に上半身だけのジャックは左手で掴まれていた。
狼のような頭をした獣の口は大きく裂けており鋭利な牙を覗かせる。また、その喉から発せられる甲高い叫び声は人間の根本的な恐怖を煽る。
獣の四肢は人と似たような構造で長く、前足は物を掴むことができるようだ。全身が長い漆黒の獣毛で包まれているが、隠れている鋭い爪は人間をいとも容易く切り裂くだろう。
獣人――獣の力を持っている人間。獣は人間より遥かに強い、その力を宿した種族は大昔に神々と争ったがその殆どが滅ぼされてしまった。
しかし、人狼などを始めとして今もなおひっそりと生きている者達もいる。
そんな獣人に纏わる話としてこんなものがある、
獣人の血は不老不死の薬の材料になる、と。
これを聞きつけた一部の貴族や大商人によってさらに獣狩りは加速した。
それをジャックも試したのだろう、それこそが奴のしぶとさの理由だったのだ。
「どうします?」
「あの犬を殺してジャックとやらの頭を回収する」
当然だろう、目的はそれで完了する、出会ってからさほど長い時間を過ごしてきた訳ではないがロウルにはそれができるだけの実力がある。
「あの娘を助けたいんです」
だが、それに納得するかは別問題だ。レトロとラエルはもう赤の他人には戻れない、少なくともレトロにとっては。
救いたいと思ってしまった。
レトロに力はない、だからロウルの手を借りる必要がある。
ロウルが納得しなければ、ラエルを救えない。
この瞬間だけ時の流れが遅くなったかのように感じる、ラエルの運命は彼の一言で決まったのだった。
「なにか策があるのか?」
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ラエルは自分のことが嫌いだ。勇気がないからジャックから逃げ出すことができず、自分の為に恩人を殺そうとしている。そして何より――
「犬、あの魔術師を殺ぜ」
ジャックは鉄仮面の魔術師を殺すように命じてくる。
「そう簡単に死ぬつもりはない」
そう言うと鉄仮面は魔術の矢をジャックに向けて放つが、その攻撃はラエルによって防がれてしまう。
「無傷かよ」
鉄仮面の魔術はラエルの強靭な肉体には全く効果はなく、だがそれでも余裕を崩すことはない。
「あいつの首から上はぜん利品にずる、いいな」
ジャックが面倒な要求をする、獣の姿で喋ることのできないラエルは黙って頷くしかない。
攻撃に通らないことが分かると鉄仮面は背を向けて広間の方に逃げていく。あのまま逃げ切られて応援を呼ばれれば今度はラエルの安全が脅かされてしまう。
必死に追いかける、単純な速さでは圧倒的にこちらが有利なのだ。
しかも相手にはラエルを倒す力はないのだろう、奴の行動がそれを示している。
それを相手も分かっているようで、魔術で牽制しつつ走っているのだ。
ラエルの強靭な体にとっては痛くも痒くもないが、ジャックに傷が付けば後でどんな仕打ちが待ち受けているのかは目に見えている。
そのため、細心の注意を払って追いかける必要があった。
「あいづ時計塔に!」
時計塔に立て籠もって高所から魔術を打ち続けて、人が来るまで耐えるつもりなのだろうか。
ほんのあと十数歩のところだった、鉄仮面が時計塔の内部に逃げ込もうとしたそのとき。
「どべぇ!!」
ジャックに従ってラエルの巨体が大きく跳躍した。そして、時計塔への道が獣の巨躯によって遮られた。
あと少しで逃げ切れると確信していたのだろう、安心した瞬間に人は油断する。
「ごれで終わりだ!!」
「お前がな」
そう言って男は地面を指差す。月明かりによって描かれた獣の影だ。それだけではない、上方から得体の知れない奇妙な影が迫っていた。
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安心した瞬間に人は油断する。
だから、この瞬間を待っていた。時計塔から飛び降りたレトロの左腕が赤黒く変色する。
神から授かった力を存分に振るう、腕は肥大化し硬くなる。
獣の意識を飛ばすほどに。