1 退屈
ーーー眩しいと感じた。
ーーーいつも通り朝が来たと分かった。
ーーー退屈な、朝が、来た
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窓から朝日が入ってくる。昔から目覚めは良かった。
目を覚ますのなんてこれだけで十分だ。しかし、
「もう朝よ早く起きなさい」
「もう起きてるよ、てかこのやり取り何回目?」
「何回あってもいいでしょ、こんなやり取りが懐かしくなる日が来るかもしれないわよ。
さ、朝ごはん食べましょ」
ノックもせずに部屋に入った挙げ句意味の分からない持論を展開して母は部屋から出ていった。
母親というのははお節介だ。自分ひとりでできることも干渉してくる。
最も、これがこの上ない幸福であり母の優しさだということは重々承知している。しかしだ、今年16歳になろう者が母親に毎朝起こされるというのは些か自分が不甲斐なくなる。なんて考えていると、
「いいよなぁ、兄貴は愛されて」
弟のロレスが言う。
「いや、父さんと母さんってお前に相当甘いぞ?」
「どこが?」
どうやら世の中には二人兄弟というのは長男が優遇され次男には見向きもしないなどという家庭も一定数存在するらしいが、イーコス家においては平等にありったけの愛情を注がれて二人は育った。
それを理解できない者もまた一定数いるらしい。
弟を宥めつつ、家族で顔を合わせ朝食を摂る。いつも道り静かに朝の時が流れるかに思われたが、
「魔王軍の勢力が日に日に大きくなってるそうだ」
新聞を読む父が言う。
「治安も悪くなるかもだしほんとにいい迷惑よねぇ。魔物と契約って何を考えてるのかしら、でも今の世代の王子様たちって歴代の王族の方々と比べても、とっても強くてだから戦いも起こらないんでしょう?」
「ああ。それはそうなんだが魔王軍のせいで建材の一部が滞りがちなんだよ。お前もこの会社の後継ぎとしてこういうことに敏感になるんだぞ」
「うん、俺も父さんみたいになれるように頑張るよ」
イーコス家は曽祖父の代から建築会社を営んでおり、長男が会社を次ぐことが期待されている。現在ではそこそこの規模に成長して十分すぎる生活が送れている。
恵まれている。家族には愛され、食べる物にも着るものにも困ったことはなく、きれいな家があり、このまま行けば会社も継げる、恵まれた人間であると多くの者が思うことだろう。
ーーーそう、多くの者はーーー
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トゥレロ・イーコスは今年で16歳になる。会社を継ぐために勉強し日々努力してきた。周囲の期待に答えるために努力した。それが理由かは分からないが彼はよく真面目な人間だと思われる。
彼自身も出来得る限り誠実に真面目に生きてきた。それが幸せになるための一番の近道だと考えたからだ。
とはいえ彼も仕事のない暇な日はこうしてブラブラと市場をふらつく事がある。市場は良い。異国からやってきた骨董品や見知らぬ食べ物、不思議な模様をした服などいろんな出会いがある。そうして心を踊らせていると、
「テメェ、俺の店の商品を盗むタァいい度胸だ。」
どうやら盗人が出たらしく物騒な雰囲気だ。騒ぎの中心に向かうとそこには12歳ほどの痩せ細った汚れた白髪の少女と彼女の手を掴み大きな刃物を持つ店主と思しき人物がいた。
「盗人の手を切り落とすのがこの市場の決まりだ。薄汚え氷鬼の分際で俺の商品に触ってんじゃねえ」
そう言って刃を振り下ろそうとする。別に何もおかしいことではないのだ。子供とはいえ関係ない。
少年が白髪の氷の一族であろうとなかろうと盗人の腕は切り落とす。それが決まりであり守るべき秩序なのだ。
でも何故だろう、そういうものだと理解しつつもあの少女にも家族がいるかも知れない、もしかしたら病気の父母が、あるいは腹を空かせている弟が、などと彼の目を見るとつい考えてしまう。
だからこそ耐え難い。彼の手が地面に落ちるのが耐え難い、彼があまりの痛みに泣き叫ぶのが、人の手に刃が振り下ろされ飛び散るであろうその血液をこの眼に焼き付けるのが酷く、耐え難い。
いや違う、そんなことよりも、自分を突き動かそうとする『ナニカ』がある。そして、
「あの〜、実はその子、僕の妹なんです。」
そんな愚かすぎる嘘をついてしまった。
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王都は王族達の住まう丘の上の王城を中心として次に貴族街さらに平民街そして最下層の貧民街と、大きく分けて4つの区画に分かれている。
白髪の少女レフは貧民街で育った。貧民街には各地から戦争で敗北した亜人の孤児が多くいる。レフはその中の一人だ。
人々はレフのことを氷鬼と呼ぶことがある。この白い髪がその証明になるらしいがこの天涯孤独の身では何故そう呼ばれるのかわからない。教えてくれる者がいないからだ。
そんな考えてもわからないことよりも今日を生き延びることのほうが重要に思えた。
だからいつもの通り食い物を盗もうとした。
しかし、運の悪いことに見つかってしまったのだ。そして腕を切られる。痛いのは苦手だが仕方ない。いつかはこうなるものだと思っていたからなのか、妙に冷めていた。
だが、薄笑いを浮かべる茶髪が自分のことを妹だと言い庇おうとしてくる。少し気持ち悪い。
何故すぐバレるような事を言ってなんの関係もない自分を助けようとするのか。今までにも哀れみの目線を向けながら食い物を渡そうとしてくる者はいたが、この胡散臭い男はそれとは違うように感じる。
「面白いやつもいるものだ。」
どこからともなくその男はやってきた。三角帽と奇妙な鉄仮面を被り分厚いコートを着た長身の男だ。
「白髪のガキを譲ってもらえないだろうか、ついでにそこの変人にも用がある。」
金貨を3枚ほど店主に渡しながら男は言う。店主は怪訝な顔をしながらもこの不審者にこれ以上関わるとまずいと感じたのか、大人しくレフと茶髪の男を引き渡す。
「さあ、来てもらおうか」
これから自分の人生が大きく変化するようなそんな感覚を氷の一族の少女レフは感じ取った。
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なんであんな事をしてしまったのだろう。自分でもわからない。いつもの自分だったら黙って見過ごす。悪いのは盗みをした少年でありむしろ罪人を裁くという行為は称賛されるべきなのだ。
それなのに止めようとした。下手すれば少年と共犯で盗みを働いたと、そう思われるかもしれなかった。あんなことをしなければ今こんな廃教会に連れられることもなかっただろうに。
「お前、さっきなんで氷のガキを助けようとした?」
「自分でもわからないんです。なんであんなことを」
「お前後悔なんてしてないだろ。」
この男は何を言っているのだ。顔には出ないが自分の不可解な行動に自分が一番驚いているのに。
「何言ってるんですか。こんな廃教会に連れてこられて、あなたみたいな不審者に、ですよ。」
「肝が座りすぎてないか?俺みたいな不審者に連れてこられたこんな廃教会で。大体、いくらでも逃げ出せた場面はあっただろう?それをお前はしなかった。それが答えだ。」
男がこちらのことをを理解したかのように語りだした。
男の言う通りだった。逃げ出すことはできた。では何故逃げないのか?分からない。
けれども、この男のこちらを見透かしているかのような態度は癪に障る。
「あなたねえ、さっきから黙って聞いていれば・・・」
「お前、今の生活に満足してないんだろ。さっきだって、いつも通りの自分がつまらないって思ったんだろ?」
「何を言って・・・」
「見たとこ中流階級のそこそこ恵まれた家の生まれだよな、お前。飽きてきたんだろ、平穏無事な生活に。退屈なんだろ?せっかくだ、俺と一緒に来ないか?きっと刺激的な毎日が過ごせるさ。」
「だから何を言って・・・」
相変わらず意味の分からない事を言う男への抗議を続けようとしたその時だった、協会の窓を突き破り巨大な獣のような荒い息をする何かが、凄まじい音を立ててやってきたのだ。
それは人の大きさほどの狼にも見えたかもしれない。だが決定的に狼とは異なる部分がある。目だ、人の拳程もあるおぞましい目玉が両目とは別に頭に生えているのだ。
「魔物!?なんでこんなところにいるんだ!?」
「珍しいな。群れからはぐれたのか?まあ、丁度いい。武器をやるからお前があいつを殺せ。」
「こんな時に何言ってるんだ!早く逃げないと!」
「おいおい、こんな機会この街で暮らしてたらなかなか無いぞ。楽しめよ。」
そう言ってショートソードを投げて寄越すと、体の色が消えて、見えなくなってしまった。
訳が分からない。何故ここに魔物が?何故鉄仮面の男は消えた?そもそも奴はこうなることを知っていたのではないか?
そんなことはどうでもいい。
今この瞬間にもあの魔物がこちらの隙を見計らって襲いかかろうとしているのだ。しかし、逃げようにも教会のたったひとつの出口を魔物が塞いでいる。窓には板が貼り付けてありそこからの脱出もできそうにない。
怖い。恐怖で足が竦む。今日ここでトゥレロは死ぬのだろう。何事も為せぬままに。
そうして怯えるだけのトゥレロに痺れを切らした魔物が牙を向きこちらに飛びかかる。その攻撃を辛うじて剣で受けようとするが、魔物の力に耐えることができない。
そして魔物が勢いのままこちらを噛み殺そうとする。
かろうじて魔物の牙から身を守る事できーーーーーーー
痛い。左手に痛いが走る。痛い痛い痛いどうやら小指を痛い痛い痛い痛い痛い噛みち痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
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死ぬ。もう家族には会えない。
会社はロレスが継いでくれるだろう。不真面目だと思われがちだけど実は頑張り屋のかわいい弟だから。
お母さんに産んでもらってよかったと思ってる。自慢の息子になろうとしたけどもう無理みたいだ。
お父さんみたいになりたいと思った。かっこよくて、賢くて、厳しいところもあったけど優しい人だったから。
みんなと出会えてよかった。
けれど自分は満たされてなかったのかもしれない。もっといろんなことをしておけば良かった。街の外に出てみればよかった。違う国に行ってみればよかった。
もっともっと満たされたい。今この人生が終わるであろうこの瞬間にそう思っている自分がいる。
ふと、気づく。
笑っているのだ。
指を失くしたというのに嗤っている。
魔狼に今にも食い殺されそうのに嗤っているのだ。
この状況を楽しんでいるのだ。
もっと生きたい。もっと味わいたい。もっと『死』に近づきたい。
何度でも。何十回でも。ずっとずっと。
その熱い想いがトゥレロの体を動かそうとする。今まさに魔狼が噛みつこうというときだった。
咄嗟に跳ね除けようとするが当然引き剥がすことはできない。だがわずかに魔狼の力が弱まった瞬間に魔狼の第三の目に噛みつく。
多少目を傷つけただけで振りほどかれたが、魔狼はあまりの痛みに悶えたままだ。落ちていた剣を拾う。
そしてーーーーー
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トゥレロは王都の平民街で生まれ建設会社を営む家で育った。両親からは愛されてかわいい弟もいる。十分すぎる生活が送れている。
食べる物にも着るものにも困ったことはなく、きれいな家があり、周りからは期待されて、トゥレロもまた期待に答えるべく努力してこのまま行けば会社の後継ぎだ。
恵まれていた。多くの者はトゥレロを幸福だと思うだろう。
ーーーそう、多くのものはーーー
トゥレロは、トゥレロ・イーコスはその現状に満足できない。
普通の者は満足できないならさらに高みを目指すのだろう。会社を継いだ後は王都で一番の建設会社に成長させようだとか、将来は貴族の邸宅のような家をもつだとか考えるのだろうが、そんなことはどうでも良いと感じた。
自分は向上心のない人間だと思っていた。16年も生きてきて自分では気付けなかった。
ついさっき出会ったばかりの男に言われるまで。魔物に殺されかけるまで。
言われた通りだった。氷の少女を助けようとしたのは彼を哀れに思う心から来た行動ではなかった。
彼女の手が地面に落ちるのを見るだけなのが耐え難い、彼女があまりの痛みに泣き叫ぶのを見るだけなのが、人の手に刃が振り下ろされ飛び散るであろうその血液をこの眼に焼き付けることしか、できないのが酷く、耐え難いと、そう、思ったのだ。
あわよくば自分が少女の手を切って地面に落とし、自分の行動の結果で彼女が泣き叫ぶところを眺め、飛び散る血液を全身に浴びたいと、心の何処かで思っていたのだ。
それほどまでにトゥレロ・イーコスは安全で幸福で平和な『退屈』を嫌悪していたのだ。
「何を、するつもりなんだ?」
退屈を嫌うトゥレロは熱を帯びた声で、『ナニカ』を目に宿しながらそう問を投げかけたのだった。
初心者の書いた小説です。改善点・ご指摘いただけるとありがたいです。