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冬空の下、幸福な旅路

 昔々、あるところに体の弱い貴族の少年がおりました。

 彼の両親は広大な土地の領主で、長男である少年を愛しておりました。後取りは次男に任せるとしても、それとは別に一人の子どもとして愛していました。いつか元気になって欲しいと願い、一流の医者にもかからせます。

 しかし少年は一向に元気になる気配が無く、ベッドから起き上がれず年月が過ぎました。


 そんな少年の歳が十と三を数えたある日のこと。

 ベッドから起き上がれない少年はいつものように、窓から見える青空と一本の楡の木を見つめていました。

 時間によって変わる空の色。様々な形に空を流れていく白い雲。そして風に揺れる木の葉が少年の世界の全てでした。

 しかしその日は少しだけ違って、木の葉の付いた枝がいつもよりがさがさと揺れます。

 まるで何者かに揺さぶられているかの如く、風ではありえない程に。

 そして、ピョンと太い枝の上に昇る、日に焼けた肌の少女が目に映ったのです。


「……だぁれ?」


 少年は声を出します。その声はか細く、窓越しで木の上の少女へは届きそうもありませんでしたが、いかなる奇跡かこの時ばかりは少女の耳をピクリと動かしました。

 少年は振り返った少女に見惚れてしまいます。

 日に焼けた肌、躍動感溢れながらも細い手足。

 黒い髪はパサついますがむしろ少年には冒険の証として映りました。

 少年にはない活発さがそこには溢れていました。


 一方で、少女は窓の中の少年を見つけ、その美貌に驚愕しました。

 青玉(サファイア)のように美しい瞳、鋳溶かした砂金のような髪。そして滑らかでシミ一つ無い白い肌。

 まるで芸術品のような少年を見つめ、少女はぽかんと口を開いてしまいました。


 ハッと気がついた少女は少年とどうしても話したくなって、身振りで少年に窓を開くよう伝えます。

 少年は体力の無さに軋む体を何とか起こし、言う通りに窓を開きました。

 窓に一番近い枝に移った少女が話しかけます。


「私はミグラ。旅する一族の子ども。あなたは?」


「僕はピネス。領主の子どもだよ」


 少女、ミグラは世界を旅し続ける一座の子どもでした。踊りや歌で人を楽しませながら路銀を稼ぎ世界を放浪する。そんな親たちに育てられ、旅の空を眺めて暮らしてきた少女でした。

 彼女は冒険心が旺盛で、旅に寄ったこの街の、一番大きな建物の庭にある、一番大きな楡の木に惹かれて塀を越え屋敷に侵入しました。勿論ばれれば追い出されるどころでは済まないでしょう。

 しかしミグラは好奇に目を輝かせ少年、ピネスに話しかけます。それなりの旅の中でも、これ程までに綺麗で細っこい少年は見たことがありませんでした。


「ねぇねぇ、なんで昼間なのにベッドで寝てるの?」


「僕はね、体が弱くて起きられないし、歩けないんだ」


 ピネスは悲しそうに言いました。ミグラもそんな少年に眉を下げましたが、何かを思いついたかのようにパッと笑顔になるとピネスに向かって言いました。


「じゃあじゃあ、私がいろんな話をしてあげるよ! 歌うとばれちゃうから、お話してあげる!」


 ミグラはそう言って、ピネスに旅の話をしました。

 岸が見えない程大きな湖で船に乗った話。風が心地よい草原で馬を捕まえて走らせた話。岩と砂ばかりの砂漠で干からびかけ、やっとの思いでオアシスを見つけた話。

 子どもらしいたどたどしさながらも臨場感たっぷりで話されるエピソードはピネスにとってはどれも未知の話で、目を輝かせて聴き入りました。


 日が暮れはじめるまでずっと聞いていましたが、ピネスの背後の扉から夕食を持ってきた使用人のノックの音が響きました。ミグラが見つかるとまずいと思ったピネスは、お礼に赤い色の飴玉を渡して別れを告げました。


「さようなら。このままだと見つかってしまうから」


「うん。分かった」


「でも……」


 ピネスは名残惜しそうに言いました。


「でも、もしまた来てくれるなら、お話を聞きたいな」


 その言葉を聞きながら口に含んだ飴玉の味に、ミグラは驚愕しました。これ程の甘味は旅の中でも味わったことが無かったからです。

 ミグラは少年の言葉にすごい速さで頷きました。


「うん! また明日、ここに来るよ!」


 そう言うとスルスルと木を降りてミグラは去って行きました。

 ピネスはそれをひらひらと手を振って見送ると、両親に対する生まれて初めてのワガママとして飴玉の缶を頼もうと心に決めました。


 次の日も、その次の日も、ミグラはピネスを訪れて話をしました。

 鳥が止まり木に掴まるように木の枝の上に座ると、怒涛のように話し始めます。

 遠い土地の話をすることもあれば、美味い料理に舌鼓をうった話や、歌や踊りで失敗してしまった話もしました。

 そのいずれにも少年は相槌をうち、にこやかに笑いながら楽しそうに聴きました。

 ミグラの一座はしばらくこの辺りで稼ぐことを決めたのか、ミグラは毎日通う事が出来ました。

 それは一年ほど続き、ピネスが静かに過ごしたいからと言って窓の外から人を払い、ミグラが窓の縁にまで跳ぶ技を身に着けた事で二人の距離も段々と近くなっていきました。

 お礼の飴玉は、いつの間にかお互いに忘れてました。そんなことより、ただ話をするのが楽しかったのです。

 二人の少年少女は笑い合い、幸せな時間を謳歌しました。




 そんなある初秋の日、ミグラは陰鬱な話をピネスにしなければなりませんでした。


「あのね、最近病気が流行ってるみたい」


 ピネスの両親が納める領地に、流行り病の兆しがありました。

 この病に罹ると肌は黄色くなって咳が酷くなり、やがて痩せこけて死んでしまいます。

 病は強力でしつこく、一度かかれば薬なしでは快方に向かう事はほとんどないと言われていました。


「まだ本格的じゃないっていうけど、もう随分倒れてる人がいるみたい」


「そうなんだ……」


「うん、だから……」


 言葉を続けようとして、そこでミグラは気付きました。

 ピネスが元の白い肌から、微かに黄色い肌に変わっているのを。


「ピネス! それ……」


「うん。僕も罹っちゃったみたいだ。でもそんな怖ろしい病だってことは、初めて知ったよ」


 両親はピネスを想って、病の詳細を告げないようにしていました。


「きっと、この、今日から飲むように言われた青い薬がその病気を治す薬なんだろうね」


「あ、よかったぁ。薬があるんだね。じゃあピネスは助かるんだ」


「うん、それなんだけど……」


 ピネスは青い粉薬を薬紙に包むと、窓の縁に座るミグラに渡しました。


「え?」


「他に罹っている人にあげて?」


「な、なんで!?」


 ミグラは驚きました。そんなミグラに対してピネスは落ち着いて訳を話します。


「あのね、僕はたくさん薬を買ってもらえると思うんだ。効かないとみればもっとたくさんくれると思う。でも貧しい暮らしの人はそうじゃないでしょ?」


「それは……そうだけど」


 薬は高価で、日々の暮らしにも困窮する人々には手が届かない値段でした。性質の悪いことに、この病はそういった人々ほど罹りやすい傾向にありました。もしくは少年のように弱い子どもほど。


「だから、先に貧しい人たちにこの薬を届けて欲しい。僕はまた貰えるから」


「でも」


「お願い」


 ピネスは薬とよく似た色合いの瞳を真っ直ぐと向け、ミグラに頼みました。

 これまでに見たことの無いほど真剣な様子に決意は固いと見たミグラは、うなだれるようにして頷きました。


「うん……分かった。でも、もうまずいと思ったら一目散に飲んでね!」


「勿論だよ」


 そう言うピネスには、何か秘めるような物がありそうでした。

 そしてミグラが何か言いかけたことには、気が付きませんでした。




 しばらくそんなやり取りは続きました。

 流行り病は薬を飲まなければ決して治りませんでしたが、その代わり死に至るまでそれなりの猶予がありました。だから、ピネスに処方された薬をミグラに渡す日々は意外と長く続きました。


 冬を知らせる冷たい風が吹くようになった頃、ピネスへの薬が青い色から黄金色に変わりました。

 ピネスに効かないと見た両親が、より強力な薬を取り寄せたのです。

 それでもピネスはミグラに薬を渡しました。


「……どれだけの人を救えたかなぁ」


 ピネスは何故か嬉しそうです。もう頬がこけて咳に血が混じるようになったのに。

 反対にミグラはそんなピネスを見てとても悲しそうでした。


「ピネス……もう薬を飲んだ方が」


「実はね、もう飲んだんだ」


「え?」


 その言葉にミグラは驚愕しました。ピネスはゆっくりと首を振りました。


「でも、効かなかった。元々弱かった僕じゃどの道効かなかったみたいだ」


 ピネスの言う事は嘘でした。薬を渡されて以降、彼は一切薬を飲んでいませんでした。

 彼は無為に自分が生きながらえるより、たくさんの人を助ける道を選んだのです。

 しかしピネスの言葉は正しかったかもしれません。最早骨と皮だけに痩せてしまった彼が快方に向かうとは誰も思えませんでした。


「……そっか。じゃあ、仕方ないね」


 ミグラは悲しそうでした。

 どこか察したようで、そうでは無かったのかもしれません。

 どちらであろうと、もう少女は最期まで少年に付き合う事を決めていたからです。




 雪が降り積もる事が日常になった頃、ピネスは食事すら喉が通らなくなりました。

 医者は付きっきりで、両親も付き添って看病しますが彼は日に数時間ほど、一人になる時間を頼みました。

 勿論、ミグラと会う為の時間です。


「ピネス……」


 日に日に痩せこけていくピネスを、ミグラは涙を堪えるように見つめました。

 最早旅の話を二人が交わす事はありませんでした。ミグラが今日薬を届けた人のことを語り、ピネスは頷くだけでした。

 しかしいよいよピネスの容体が悪化した時、ミグラは窓の中に入ってピネスの手を取りました。

 部屋の中にまで入ってくることはこの時が初めてで、ピネスは驚きに目を瞠りました。


「みぐ、ら?」


 もうピネスはやせ衰えて、老人のようでした。青い目も濁り肌の色は黄色と土気色。初めて触れた手は、冷たくまるで金属のよう。もう長く生きられないことは誰の目にも明らかでした。

 その事実に悲しくなりながらもミグラはぎゅっとピネスの手を握り、ずっと抱えていた真実を伝えました。


「あのね、私もピネスと一緒に行くよ。生きている理由、ないから」


「え……」


「私は旅の一座だって教えたよね? でもずっとあなたと一緒にいた。何故か分かる?」


「それは……」


「あなたに薬を渡されたあの日、一座はさっさと街を出たの」


 病が流行ったとなれば、一座に街に滞在する理由はありませんでした。病に罹らないうちに次の街で稼ぐだけです。

 しかし、ミグラは一座について行きませんでした。


「別れたの。あなたと一緒にいる為に」


 ミグラは、ピネスに寄り添うことを選びました。

 家族に置いて行かれピネスがいなくなるとなれば、彼女に最早生きる理由はありません。

 次に見えていた彼女の旅路は、ピネスと共にある道でした。


「だから最期くらい、一緒に旅に出よう?」


 優しく、どこまでも優しく響くその言葉にピネスは頷きました。


「……うん」


 こうして少年は、最期にとても短い旅へ出ました。




 ミグラはピネスを抱えて外に飛び出しました。

 軽くなってしまったピネスを抱くことに苦はありませんでした。しかし人一人を抱きかかえて塀を飛び越え街を走る姿は流石に隠せなかったので、いずれミグラにはピネスの両親からの追手が差し向けられるでしょう。

 ましてや連れ去った先で領主の息子を死なせれば、その末路は分かり切ったものです。


 ミグラがピネスを連れてきたのは、街を一望できる小高い丘でした。

 丘の上には楡の木が一本だけ生えていて、それはあの窓の外から見えた物とそっくりでした。

 ミグラはピネスを木にそっと寄りかからせ、自分はその隣でピネスの手を握りました。

 ピネスは心臓を抑え息絶え絶えでしたが、まるで関係なく眩しそうに街を眺めます。


「……あぁ、あぁ」


 街は人々が賑やかに行き交って、とても冬とは思えませんでした。

 ましてや流行り病があるなどとは。


「……もう、すっかり流行り病は消えたよ」


 ミグラは街の光景を指差しながら、ピネスに伝えます。


「あそこの家は子どもが罹っていたから、青い薬を渡したよ。あっちは母親が苦しそうだったなぁ、黄金色の薬だった気がする。あっちのお爺ちゃんは、どっちだったかな」


 家々を指差しながら、ミグラは薬を渡した人を示しました。ピネスの霞みはじめた目ではもう碌に見えませんでしたが、それでも人々の笑顔が浮かぶようでした。ずっとずっと旅の話を聞き続けてきたあの日々と、同じように。

 ミグラの話を聞きながらピネスは目を細めていき、ポツリと呟きました。


「……僕は、誰かを幸福に出来たかな」


 その言葉に、ミグラは涙を流しながら頷きました。


「少なくとも、私は幸福だったよ」


 その言葉を聞いたピネスは満足そうにその目を閉じました。

 ミグラもまた寄り添って、白い薬を飲み同じように目を閉じました。


 二人はもう、鉛のように動きません。

 まるで長年そこで人々を見守り続ける彫像のように、笑顔溢れる幸福な街を見つめていました。

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