悪役令嬢は異世界転生しました
「な、何て事なの……」
園庭の砂場で転んで砂まみれになって呟くエレナに、担任の保育士が駆け寄る。
「エレナちゃん、大丈夫?」
座り込んで呆然としているエレナに、保育士は優しく声をかけながらしゃがんで彼女の服についた砂を払い、怪我がないか確認する。クスクスと彼女を笑う声に、エレナはさっと立ち上がるとフッと笑った。
「私を転ばせるとはいい度胸をしておりますのね、そこの平民」
ビシリと指を指され、いつもエレナをいじめていた歌恋たちはポカンと彼女を見つめる。保育士も同じくポカンとエレナを見上げた。普段は要領を得ない言葉を言いながら保育士に泣きすがるエレナを歌恋たちは笑っているのだが、今日の彼女は違った。
「全く。育ちが悪いと足癖も悪くなるのですね。そこの平民、謝りなさい」
呆れた様子でエレナが歌恋を見ると、彼女はキッと睨み返して口を開く。
「なによ!アンタが勝手に転んだんでしょ?」
「いいえ。お前が転ばせたのよ、平民。少し前のことも覚えていないだなんて、お前の頭の中には何が詰まっているの?」
気弱で泣き虫なエレナからは考えられない言葉遣いと話の内容に、保育士は呆気に取られ、歌恋は話の意味は良く分からなかったが、馬鹿にされたことだけは何となく分かり顔を歪めて大声を出す。
「な、なによ!エレナの癖に」
「気安く私の名前を呼ばないでくださる?」
ピシャリとエレナはそう言うと、どこからか取り出した扇を口元に当て、歌恋を冷たく見下ろした。その圧に、歌恋の身体から血の気が引く。そして生まれて初めて他人から与えられる恐怖に、ペタリと地面に座り込んだ。エレナはフッと鼻で笑うと、歌恋の取り巻きたちに視線を向ける。ヒッと小さく悲鳴が上がった。
「あなたたち」
「は、はい!」
「私を転ばせたのは誰?」
冷たく問うエレナの声に、取り巻きたちはたじろぎ言葉を詰まらせたが、一人が声を裏返しながら答える。
「か、歌恋ちゃんよ!私は悪くない!」
「そ、そうよ!歌恋ちゃんがやったのよ。
私は悪くない!」
きゃいきゃいと甲高い声で歌恋一人に罪を擦り付ける取り巻きに、エレナは一喝した。
「お黙りなさい!」
ピタリと取り巻きたちは固まる。エレナは呆れた顔で扇子を閉じると、パンパンとそれで掌を叩きながらゆっくりと歩き出した。
「お前たちも同罪よ。そこの平民を止めもせず、けしかけたでしょう」
エレナにそう言われ、取り巻きたちは黙り込む。目の前に迫ってきたエレナに思わず後退りしたが、後ろは物置で逃げ道は無かった。エレナは扇子の先を取り巻きの一人の首に向ける。
「その首が飛んでもおかしくはないわよ」
「ひぃぃぃ~」
情けない悲鳴をあげて、取り巻きたちは腰を抜かして座り込むと泣き始めた。エレナは小さく溜め息をつきながら扇子を広げて口元を隠すと、まだポカンと座り込んでいる保育士に近づいて耳打ちする。
「先に部屋に戻りますわ。あの平民たちのことをお願いしますね」
エレナはさっさと保育所内へ入ると、靴を揃えて自分のクラスへ向かった。
「全く、躾のなっておりません平民と使用人ですこと」
プリプリと歌恋たちと事なかれ主義の保育士に怒りながら廊下を優雅に歩くエレナの姿は、幼児のものではなかった。窓の外を見ると、飛行機が飛んでいる。
「この世界は不思議な世界ですわね。魔法も使えませんし」
掌を見つめ、そこに魔力を込めようとするがその流れは感じられなかった。諦めたエレナは顔を上げて、窓から飛行機雲を眺める。
「はぁ。それにしても、エレナ・チェンバレンとあろう者が平民ごときの策に嵌まり首を跳ねられるだなんて。情けないわ」
先ほど、砂場で歌恋に足を引っかけられ、転んだ拍子にエレナは前世を思い出した。
チェンバレン公爵家の娘であったエレナは、幼い頃に第一王子と婚約し、王妃になることが約束されていた。エレナの国では、魔力のあるものは16歳から王立魔法学園に通うことが義務付けられていた。生徒のほとんど貴族で占めれていたが、稀に魔力をもつ平民もいた。ミミ・キーツもその一人だった。
平民だったミミが母を亡くし途方に暮れていると、父と名乗るキーツ男爵が現れ、彼女は男爵令嬢となり王立魔法学園へ入学した。
ふわふわのピンクブロンドにくりくりとしたエメラルドグリーンの瞳をもつ愛らしい顔と、貴族らしからぬミミの天真爛漫さに学園の男子生徒はあっという間に虜になった。特に王子や高位貴族の令息たちは骨抜きになっていた。
魅了の類いの魔法を疑ったエレナは、何度も王子たちに彼女は危険だと忠告したが聞き入れられず、逆にミミをいじめただろうと詰られた。
ミミへのいじめと呼ばれたそれは、平民にとっては当たり前でも、貴族としてはマナー違反であることについての注意だった。
ミミは王子たちにそれを悪事だと訴え、彼らのエレナに対する評価を落としていった。
「陛下やお父様やお母様に相談すれば良かったわ」
エレナは呟く。
王子たちと過ごした時間はミミよりも長く、彼らが目を覚ましてくれるとエレナは信じていた。そして大人に相談しなかったことも災いし、卒業パーティーでエレナは断罪され処刑されてしまう。王や公爵たちが不在の間の出来事だった。
エレナの信頼は踏みにじられた。
王子たちを陥落したミミの策略によって。
「それにしても、クラスにはリヒト様に似た子どもがいましたわね」
消えていく飛行機雲から視線を外し、真っ直ぐに前を向いたエレナは再び優雅に歩き出す。そしてクラスメイトの理人を思い浮かべた。ハーフで茶色の髪にアースアイの日本人離れした美しい顔立ちの彼は、前世の婚約者であったリヒトに似ていた。
「ミミに似た子どもも……」
口元を扇で隠しながらエレナは呟く。クラスメイトの美々は、髪の色は日本人らしい黒髪、茶色の瞳だが顔はミミそのもので、影で歌恋たちとエレナを笑い者にしていた。陰湿さは変わっていないのねと、エレナはフッと笑うとクラスの引き戸の前に立つ。
「もう私は彼女たちに怯えたりしないわ」
気弱で泣き虫なエレナはもういない。彼女は胸を張って引き戸を勢い良く開けると微笑んだ。
「ごきげんよう、皆さま」
お読みいただき、ありがとうございました。