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ギミックエンド  作者: 國枝あきら
9/10

第9話 何者

 朝目を覚ますと、そこには闇を吸い上げる白の天井が見えた。

 少し視点を横にずらすと、散らかった部屋でジリジリと音を増している目覚まし時計がある。

 脱いだばかりの服も床に広がっているし、相変わらずだらしない性分は変わっていない。

 ――って、あれ?


 「昨日、何してたんだっけ」


 冷や汗を垂らしながら布団から起き上がった俺は、前髪を掻き上げて目を震わせる。

 それは、異常な感覚に憑りつかれているのを全身で感じたから。

 何か、変だ。よく考えたらこの脱ぎっぱなしの服も、昨日のいつまで着ていたか定かではない。

 頭の中を治療されたような気がする。そんなこと、ありえないと分かっていながら。


 「な、なんだこれ……気味悪い」


 朝起きてから記憶を取り戻す時間ってのが、人間にはある。

 これは嫌だったな、とか。今日はこんなことをするんだった、とか。

 良いことも悪いことも、全て朝起きて思い出すまでに一瞬の間があるのだ。


 でも今日は、その感覚が身体から離れきっていた。

 というのも、思い出そうとしたことが途中で遮断されたような、そんな感じ。

 言語化できない心理だったからついパニックになってしまったが、今こうやって落ち着いていくのがより恐怖感を増していく。

 待て。俺は昨日普通に大学に行って、授業を受けて。

 それ以外の非日常は、何も発生していないはずだ。

 なのに、


 「何かを、忘れている」


 それだけは、確かだった。

 大事なこと。忘れるべきでない、いやどうしたって忘れることのできないことを、今の俺は忘れている。

 思い出せないけれど、思い出せって誰かに言われてる気がするんだ。

 勘違いならいいけれど、勘違いとも思えない現実感が俺を襲っていた。


 布団を剥いでスマートフォンの画面に触れると、日時と天気が表示された。

 そこに違和感はない。

 ホーム画面に移ってから、今度は連絡用のSNSを開いてメッセージを逐一確認した。

 しかしそこにも、違和感がない。


 「最後のメッセージは――」


 三か月前。実家の母親に仕送りの催促をした時のやり取りが残っていた。

 これは思い出すべきではなかった……。

 違う、昨日のことだ。昨日の、何か自分の身に降りかかったこと。

 何が起きた。昼は食堂で一人菓子パンを頬張って。それから、バス停に向かった。

 ――ああ、ダメだ!思い出せない。


 「何だ、この感じ…………」


 募る苛立ちに一々反応しながら、俺は溜め息を大きくこぼした。

 むしゃくしゃする思いだけを一心に抱えながら、俺はゆっくりと腰を持ち上げた。


 ――あ。

 

 バスに乗る前、誰かに話しかけられた。

 女だった、と思う。それで、少しだけ会話を交わして。何となく、バスに上手く乗れなかったような気もする。

 そうだ。昨日は観たい映画が観れなかった。嫌な気分になったのをうっすら覚えている。


 じゃあ、夜は何をしていたんだ。

 帰った記憶がない。だからと言って、別に酒に酔った記憶もないし。

 何かの脳疾患か、精神疾患か。詳しくないが、その辺の病気……?

 違う。そうだとしても断片的な記憶ですらすっぽり抜け落ちるなんてありえない。

 少なくとも、バス停で話しかけてきたのが誰だったのかも、その顔すら浮かんでこないなんて妙だ。

 恐らく、その女が鍵を握っている。俺は確信をもって核心に近づいた気でいる。

 だが、そこに近づく手掛かりがない。手掛かりどころか、その『誰かに会った』という記憶さえおぼろげで、今にも消えてしまいそうだ。

 

 「気になる……」


 だが、これでは苛立ちをそのままにモヤモヤしたまま過ごすことになりそうで、それも嫌だ。

 何とか意識に留めておきながら、今日中にヒントを見つけ出すしかない……か。

 …………面倒だ。


 ◇ ◇ ◇


 大学に向かう足取りが、やけに重く感じる。

 そもそも今日は体調があまり良くない。こういう日は普段なら即決で学校を休むのだが。

 妙な執着心が俺を駆り立ててしまったのだから、それを抑えることはできない。


 それにしても、今日は日差しが強い。

 じりじりと身体を蝕み追い込んでいく暑さに、ジュっと溶けてしまいそうな気がしてくる。

 元々の猫背がより丸まって、視線も落ちているから倒れる直前のような格好で。

 というか、もう既に倒れてしまいそうな――


 「――きゃ」


 何かに、ぶつかった。


 高い声が聞こえたから、たぶん女。


 「す、すみません」


 目線をコンクリートに向けつつも、その場しのぎの平謝りを決め込む。

 謝ってから、すぐに動き出して横を通り過ぎようとしたが、


 「あ、あの!」


 丸々とした柔らかい声が、俺のことを呼び止めた。

 恐る恐る振り返ってみると、その瞬間お互いの目が合った。

 あ、まずい。すぐに目線を外したが、視界に映った可憐な少女はこちらに歩み寄って、


 「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど」


 その人を視界の隅に置きながら、俺は「は、え、はい」と完全に戸惑った声を出していた。

 それもそうだ。人と話すことが習慣化していないから、返答の仕方さえ忘れてしまっている。

 とにかく逃げたい気持ちでいっぱいなのに、俺が一歩後ずさりするとその少女は二歩近づいてきた。

 ああ、もう終わり。道でも尋ねられるんだろうか。そんなの、交番で聞いてほしい。

 助けて、助けて……。


 「もう!聞いてますか?」


 「え」


 また目が合った。今度は三秒ぐらいお互いの目を見つめていたが、今度は女の側が目線を外した。

 「もう」と繰り返している。白っぽいワンピースに身を包む少女は、俺より随分年下に見えるが。

 頬を膨らませて、肩ほどにまで伸びた髪の先を指でくるくると回しながら今度は、


 「このあたりで、探してる人がいるんです」


 少しだけ、真剣そうな面持ちに変わった。

 どうやら人探しをしているのだと俺もすぐに理解して、心臓が鼓動を刻む速度をちょっと緩めた。

 質問に答えなければいけない。にしても、俺が知っている人間なんて誰一人いないんだけど。


 「ど、どんな人ですかね」


 すると少女は、髪から人差し指をぱっと離して俯きがちにこう答えた。


 「…………へんなひと」


 …………?

 つい、疑問符を片手に首を傾げてしまった。

 変な人って、普遍から外れた人というそのままの意味か?

 それで言ったら俺もそうだし、それだけでは何も分からないが。

 まあ、どっちみち分からないか……。


 「そ、そうですか。すみません、僕の知り合いにはそこまで変な人がいないので――」


 そうやって早々と質問を切り上げようとした時、少女はキッと俺のことを睨み上げ、ふんと鼻を鳴らしてから指をこちらにむけた。

 何か怒っているような素振りで少女は一つ、俺に指摘する。


 「わたし、みかげってひとを探してるんです」


 え、何でヒントを増やしてきたんだ。最初から言ってくれよ。

 しかも、それ人の名前か?それなら尚更初っ端に言うべきことじゃないのか。

 本気で人探ししているのか、この女。


 何か試されているような予感を感じ後ろに下がろうとした俺を引き留めるように、少女は口酸っぱくこう告げた。


 「みかげさんだよ、みかげさん。忘れちゃいました?」


 思考停止した。

 このロリッ娘、コロコロとした舌足らずな声で随分と挑発的な態度を取ってくる。

 しかも、その煽りはどういうことだ。忘れたも何も、聞いたことのない名前だぞ。

 まるで俺の考えていることを覗き見ようとしているみたいで、実に気持ちが悪い。


 「し、知らないですよそんな人。あの、俺急いでるんで。もう、いいですか」


 言い遂げた。普段は使わない物言いでつい、もうやめてくれ、と思いを出し切った。

 そんな自己満足の優越感に浸っているのも束の間、少女は後ろ髪を風になびかせながら呆れるような表情を見せた。

 少女は『やれやれ』と両手を水平に挙げてから、目元を細めて、且つじいっと俺の方を見つめてきた。


 「まんまと、じゃないですか。もう!」


 これ、怒られるのが俺の側でいいのだろうか。

 怒られる正当な理由もないんだから、全く理解が追い付かないばかりで。

 というか馴れ馴れしすぎるこの女のことが一向に嫌いになるこの状況が憎い。

 何者か分からないが、その『みかげ』っていう単語が何なのかは問い詰めておきたい。

 このままでは大学に遅刻してしまいそうだが、もうこの際いい。どうしたって真相を解明したくなった。言語化できない情動をどこかに吐き捨てることもできないんだから。

 だいたいこっちは朝から意味の分からないことの連続なんだ。思い出せない記憶があって、そのことで頭がいっぱいに――


 「――忘れてるのか、もしかして」


 ハッとした。

 何を忘れているのか分からない状況では、この少女さえも出会ったことのある人物だという線が捨てきれない。

 それに、少女が話している『みかげ』だって、もしかして。

 

 「ビンゴです」


 今度はにこやかな満面の笑みで、グーサインを突き出した少女が目の前にいた。

 損ねた機嫌を取り戻したのか、もちもちとした頬を目いっぱいに膨らませている。

 黒い髪がふわりと浮いて、切れ長の瞳が少し柔らかい印象になった。

 どうやら、俺が困っていることもほとんどはお察しらしい。


 「な、なあ。何が何だか分からんが、俺の身に何が起きたのか、アンタ知ってるか」

 「うーん。恐らく」

 「お、教えてくれるか……?」


 恐る恐る、それでも興味が恐怖に勝った瞬間だった。

 自分のことは心底嫌いであるはずが、自分のことが気になって仕方がない。

 口から出る言葉を紡ぐ、というより吐いて出たような感覚だったが。

 とにかく、今の子の状況を打破したかったから。


 「ダメです」


 にこやかな表情はそのままに、現実を突きつけてくる少女がそこにはいた。

 俺は「ふぁあ」と腑抜けた声を出して、背中あたりの筋肉がゆるゆると落ちていくのを確認しながら目線を落とした。

 何がいけなかったのか。というより、あなたは何がしたいのか。

 怒りとも悲しみとも形容できない感情に困惑しながらも、俺は会話を続けることを選んだ。


 「な、なんで」

 「ひみつです」

 

 は。

 は、は、は…………。

 う、あ、へえ…………?


 「な、なんすかそれ」

 「あ、でも!わたしはあなたの味方です!」

 「わ、わけ分かんないって…………」


 照り付ける太陽の音が、嫌に大きく感じた。

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